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【デリカD:5ドアミラー交換①】 コネクタのピン数バリエーションを知れば自分で安く修理するめどがつく… かもしれない
父が亡くなってはや1ヶ月が経ちますが 何度も自宅と実家の往復を繰り返し 気が付くと パジェロミニの総走行距離が15万km を越えました 気づいたのが自宅まで戻ってきたタイミングだったので たまたま撮れましたが 2年半前に入手して ほぼ1年に 1万km を走っていることになります いろいろ欠陥もあるのですが 父の看病や葬儀での 実家への長距離移動も 難なくこなせました どこらへんが弱みなのかが わかってきたので まだまだ長...
『セッションの最後に』結婚生活のほとんどを義実家に通う日々であった主人の生活、確かにその裏で私と子どもは自由に平和に幸せだったけれど、そこの主人の思いってどん…
【D:5用オプションをパジェロミニへ流用】 デリカ用ユーティリティポールでパミニの荷崩れも防げます
ちょっと更新のあいだが開いてしまいました 前回のキャンプのあと 身内で不幸がありました 上は故人の作です いい写真を撮る 優しい父でした ひととおりの葬儀が済んで 落ち着いたころ かねてより予定していたとおり お姉ちゃんとお兄ちゃんが 合宿免許で北国へ旅立ったのですが その後 末子が 流行り病をもらってきてしまった… インフルエンザ A型です 数日間 38~40℃の高熱が出てしまい 看病のため 仕事を休まざるをえない状況は...
こんにちは😃 今日は父が病気になり闘病生活を日記にしました。 7月3日父が急に寝たきりになり救急で病院に行き入院となる。 (なんで急に?) 6月の父の日の電話ではとても元気そうだった。 「今日は仲間とカラオケしてきた」 「毎日腕立て伏せ、腹筋やってるよ」 と言っていた父。 そんな父が入院? (どうして?) 最初は腎不全だと医師から伝えたれた。 以前前立腺が‥と言っていた事を思い出す。前立腺の事は家族全員聞いてたので知っていたが、この時は「大丈夫だ」と言っていた。 尿が思うように出なく毒素が体内に溜まって なんとか管を通して尿は出るようになり回復。 その後検査で食道ガンだと医師から伝えたれた。 …
朝、目覚めると、父が苦しんでいるんじゃないか?『おーい、誰かぁ、助けてぇ』と呼んでいないか?真っ先に頭に浮かび、耳を澄まします。あ、もう、そんなこと気にしなくていいんだと、脳の勘違いを修正します。6月24日土曜日の明け方、父が逝きました。こ
アメーバブログ『yutake☆イヴのモノローグ』の 映画記事です。登録・関連TBご自由にど~ぞ♪警告出てブログ訪問できない方ごめんなさい。
作品について https://www.allcinema.net/cinema/162619↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。 ・監督:…
おつかれさまです。 ユウロウです。 誰も得しない、私のお話。 オッサンの生い立ちの3回目です。 前回の話で、父の死がちょっとした警察沙汰になったというところで…
いろいろが落ち着くまで、喪に服す期間でもあるのでそれ程出掛けず、家にいた母と私。だからと言って、しんみり泣いてばかりではありませんよ。読売新聞の日曜版『数独』(すうどく)のコーナーを見て、「これやってみようよ。」と母が言いだしました。数独、ご存じでしょうか。もう10年以上前に流行ったんですよね、きっと。簡単に言えば紙の上でやる”数字のパズルゲーム”です。やってみたら難しくて2人ともできなかったので最後...
父の遺書の中に、こんな1文がありました。 「つまちょの1番綺麗な時期を この目で見られなかった事が とても残念です。」 つまちょ、当時27歳。 父の思う、1番綺麗な時期は 20代前半とかなのかな?? でも正直、思いました。 「これから1番綺麗な時期、 1番幸せな時期がきっと来るのに どうして待っていてくれなかったの?」 1番綺麗な時期とは 父親的には、いつの事だったのでしょう…? 結婚する姿が、 もう見られないと思ったんでしょうか? 兄に精神障害があるので、 私が結婚することは難しいと 思ったのかもしれません。 いろんな事情はあれど、 私は父が亡くなって1ヶ月半後に出会った人と 半年後に婚約し…
昨年の4月26日に父が91歳で亡くなりました。高齢で体力が衰弱し、肺炎を患ったものと思われます。以下に、棺に納めた亡き父への手紙の一部を紹介します。 お父さんの還暦の祝いに南柏の「しちりん」で一杯やりましたね。魚介類をしちりんで焼いてビールを飲んだのを覚えています。何を話したかはすっかり忘れてしまいましたが、お父さんのうれしそうな顔がおぼろげながら浮かんできます。 学生時代には、お父さんの勤務先がある有楽町で、ランチバイキングをご馳走してくれましたね。中華だったかな。ごちそうさまでした。 芝浦にいた頃は、よく怒られて押し入れに閉じ込められました。台風が来たら飛ばされそうなトタン屋根の家で暑さ寒さに耐え、10年以上もよく我慢しましたね。風呂場では、ネズミがチョロチョロしていました。大きな台風で屋根が飛ばされた時、水道局の守衛さんが泊まる部屋に避難して、お母さんと一緒に不安な夜を過ごしましたね。私は怖いもの知らずで、ろうそくの灯りと大人たちのいつもとは違う様子にワクワクドキドキしたものでした。 松戸に越してからは、親しかった友達と別れ、環境になじめず、体調不良と精神的な不安定で小学校に行け
2022年 6月10日〜12日の つむぎ 初めてのペットホテル
6月10日、午前1時20分頃、日が変わってしまい眠ろうとしてベッドに入ったとたん、スマホに父が2月から入院している病院から電話がかかって来ました。終末のために入院した郊外の小規模な総合病院でしたが、中心部の大規模な病院と違って、はるかに看護師さんたちが、見守りや声かけをよくして下さっておかげで4ヶ月以上も生きながらえ、かつ、その間に覚醒が上がり目が開いて声かけにも頷いて答えられるようになっていました。コロナのせいで1回しか面談はできませんでしたが、その間は時々、看護師さんたちがスマホで撮ったビデオをLINEで送って来て下さったり、また、頻繁に電話で容態を尋ねても快く応対して下さって、最近は体調までも向上していることを知り、ちょっと安心していたところでした。深夜、見まわりに行った際、急変していることに気づい...2022年6月10日〜12日のつむぎ初めてのペットホテル
こんばんは、Uターン主婦のネロリです。本日もご訪問いただき、ありがとうございます。ここ数日、ジミ夫に始まり、妹たちや母のことをボコボコに書いてしまいました。よほど、わたしの中にドロドロと鬱屈した思いが溜まっていたのでしょう。自分のことを棚に上げて、随分なヤツだなと反省しています。実家の家族に関しては、色んな思いがあり、また書いてしまいそうな気はするのですが、その都度、自分を省みることは忘れないよう...
父が亡くなった。 8年が過ぎた。 2歳だった娘は10歳になった。 6歳の次男は14歳に。 父の死によって、私の人生は大きく変わってしまった。いろんなことがあり過ぎた。 父の闘病中から夫は浮気をしていた。 気づいたのは父の死後数ヶ月経った頃だった。 母は誰の目にも明らかに憔悴...
わが家の箱入り娘に余命宣告をした。いや、娘と言っても、うちに来た時が25歳とするとあれから35年はたっているのでもう60歳か。でも、紫外線を徹底的に避け、肌に…
ブログのフォロワーさんに、「エッセイの書き方を習ったんですか?」などと分不相応のコメントをいただき、調子づいている。あれ?調子づくって方言で、他の地方の人には…