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これは、【(1)】の続きである。拙僧の問題意識に、僧侶以外の人が僧侶と同じ格好をされるとどうなるのか?というものがある。江戸時代の洞門学僧である面山瑞方禅師と万仭道坦禅師による『金龍軒問答』にも、ちょうどその問題が指摘されているので紹介しておきたい。在家に袈裟を許すこと、永平の説もあれども、とくと考れば一概にはいはれず。優姿塞にも五段あり、もし断婬の優姿塞にもなりたらば五條を許容して晨昏三宝恭敬の時ばかりは用ひさせてよし。また仏制の離衣罪のことは、受具足戒の人に制せらる。俗人のことにはあらず。上衣の大衣は説法衣なれば、俗人不用なり、中衣の七條は入衆衣なれば俗人不用なり、下衣の五條は在家に許してしかるべし。これみな梵網菩薩戒の説によりて在家の菩薩に袈裟を許すなり。雲棲・永覚等は円頓の菩薩戒はしらず、ただ共声...宗門在家信者の服制について(2)
或る方のご見解で、曹洞宗の在家信者が、その信を表現するために着けるべき、特別な服装があるか無いか、という問題が取り沙汰されていた。そして、関連して、或る御寺院さまの授戒会実施に因んで、参加された檀信徒にどのような記念品を差し上げるべきか?という話になった時、「絡子」が認められるのかどうか?という議論になった(結果としては「輪絡子」になった)。そこで、今回はこの問題を採り上げてみたい。そもそも、『曹洞宗宗制(以下、『宗制』)』では、檀信徒(在家信者)の定義については『曹洞宗宗憲』第9章(33条・34条)で規定されているが、服装の規定は無い。一方で、我々のような僧侶の服装を定義した箇所としては、『宗制』「曹洞宗服制規程(以下、「服制規程」)」の「第1条」で、以下のように謳われている。この規程は、曹洞宗の僧侶の...宗門在家信者の服制について(1)
【慈雲尊者の服制について】という記事で、本来の立場などを逸脱した服装について、慈雲尊者が批判していたのを見た。それに関連して、以下の一節を学んでみたい。大唐貞観五年、梁州安養寺慧光法師の弟子、母氏の家貧しく、内に小衣無し。子の房に来入して故袈裟を取り、之を作して著く。諸もろの隣母と与に同聚して言笑す。忽ちに脚熱を覚え、漸く腰に上至し、須臾にして雷震霹靂す。隣母、百歩の外に擲つ。土泥両耳悶絶して日を経て方に醒寤を得るに、衣を用いる所の母、遂に震せられて火焼燋踡して死す。其の背に題して曰く、法衣を如法せざるに用いるに由るなり。其の子、收めて之を殯するに、又た再び震出し、乃ち骸、林下に露れ、方に終に銷散す。『法苑珠林』巻35「法服篇第三十」なお、この一節は『続高僧伝』巻29が典拠である。そして、内容的に袈裟を着...在家信者が袈裟を着けることの罪