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拙ブログでは、これまで「神無月」という名称について何度か考察している。理由は、「神無月」という名前自体が、神道というか、日本の文化に関わりがあると思われ、その様子を考えざるを得ないと思ったからである。そこで、これまでの記事は【「神無月」の検索結果】で見ていただきたい。さて、今日はとりあえず、以下の一節を見ておきたい。神無月とは、神嘗月の意なり。陰暦十月をいふ。九月に、稲を刈め収め、十月に至りて、神嘗祭をなし、其の初穂を、まづ、神前に供ふる式をなす月なればなり。神々が出雲へ集会して、諸国に神の無き月なればいふなどいへる古説は、信ずるに足らず、さては出雲は、神無月あるべくもなし、伊藤平章『徒然草講義』48頁「神無月」を調べていくと、一定量、必ず『徒然草』がヒットする。何故ならば、本文中に見えるからである。神無...「神無月」雑考(1)