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とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。是の如き等の種種の因縁の故に、但だ十善業道を説く。亦た自ら行い、亦た他人に教う。名づけて尸羅波羅蜜と為す。十善道、七事は是れ戒、三を守護と為すが故に、通名として尸羅波羅蜜と為す。『大智度論』巻46「釈摩訶衍品第十八」『大智度論』が、「十善道(十善戒)」をこそ、「尸羅波羅蜜」にするというのは、その通りなので、そこはまぁ良い。問題は、「十善道、七事は是れ戒、三を守護と為す」の箇所である。これをそのまま受ければ、「十善道」について、戒の部分と守護の部分とに分けて理解されていることになる。それで気になったので、他にも同様の表現をしている仏典があれば、と思ったが容易には散見されないようなので、本書独自の立場と仮定して、見ていきたい。それにしても、「十善道」を「七事の戒」と「...「十善戒」の内容の「戒と守護」について