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この題にした一句は、曹洞宗太祖・大本山總持寺御開山・瑩山紹瑾禅師の『伝光録』第17章に見られる。瑩山禅師は、今末法の世に生まれてしまったことを、自らの修行が足りないからだと慚愧に思うと主張された。双樹に滅を示してより八百余年、世界丘墟にして樹木枯悴し、人に至信なく、正念軽微なり。真如を信ぜず、唯神力を愛すと。言ひ訖りて、右手を以て漸く展て地に入て金剛輪際に至り、甘露水を取り、瑠璃器を以て持て会所に至る。大衆、皆見て皆帰伏悔過す。悲むべし如来在世より八百年、尚お是の如し。何に況や後百歳の今、僅に仏法の名字を聞くとも、道理如何なるべしとも弁まへず。到れる身心なき故に、如何なるべきぞと尋ぬる人なし。聊か其道理を得ることあれども、護持し来ることなし。設ひ知識ありて、大慈大悲の教誡に依て、聊か覚知覚了ありと雖も、或...愧ても悔ても余りあり
洞門に於いて、御袈裟の参究といえば、高祖道元禅師の『正法眼蔵』「伝衣」「袈裟功徳」両巻から始めるのが常道ではあるが、それ以外としては、やはり太祖瑩山紹瑾禅師『伝光録』から見ていくべきであろう。既にご承知置きいただいているとは思うが、禅宗の系譜には、御袈裟に関わる事跡が残る祖師が多く、それを伝えた『伝光録』にも勿論、御袈裟の話が見えるのである。其金襴の袈裟といふは、正しく七仏伝持の袈裟なり。<彼の袈裟に三つの説あり。一つは如来胎内より持すと。一つは浄居天より奉ると。一つは猟師これを奉ると。又、外に数品の仏袈裟あり。達磨大師より曹渓所伝の袈裟は、青黒色にて屈眴布なり。唐土に到て青き裏を打てり。今六祖塔頭に蔵めて国の重宝と為す。是れ智論に謂ゆる如来麁布の僧伽黎を著くと、是なり。彼の金襴は金氈なり。経に曰く、仏の...瑩山紹瑾禅師が説かれる御袈裟の話