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洞門に於いて、御袈裟の参究といえば、高祖道元禅師の『正法眼蔵』「伝衣」「袈裟功徳」両巻から始めるのが常道ではあるが、それ以外としては、やはり太祖瑩山紹瑾禅師『伝光録』から見ていくべきであろう。既にご承知置きいただいているとは思うが、禅宗の系譜には、御袈裟に関わる事跡が残る祖師が多く、それを伝えた『伝光録』にも勿論、御袈裟の話が見えるのである。其金襴の袈裟といふは、正しく七仏伝持の袈裟なり。<彼の袈裟に三つの説あり。一つは如来胎内より持すと。一つは浄居天より奉ると。一つは猟師これを奉ると。又、外に数品の仏袈裟あり。達磨大師より曹渓所伝の袈裟は、青黒色にて屈眴布なり。唐土に到て青き裏を打てり。今六祖塔頭に蔵めて国の重宝と為す。是れ智論に謂ゆる如来麁布の僧伽黎を著くと、是なり。彼の金襴は金氈なり。経に曰く、仏の...瑩山紹瑾禅師が説かれる御袈裟の話
江戸時代に面山瑞方禅師が当時の永平寺40世・大虚喝玄禅師に招かれて拝登した際の記録が『傘松日記』である。面山禅師が当代随一の学僧であったことは間違いないが、大虚禅師もまた、特に宗門の戒学について第一人者であった。そのため、お二人の議論などは、後代の我々にとっても非常に益となる。今日は、その一つとして、以下の一節を見ておきたい。二十四日、方丈に上って喫粥し、退く。〈中略〉粥後、方丈従り命有り、「威儀を具えて、来られたし」と。余、即ち盥薫して衣を整えて、上る。即ち命じて侍者を室外に出だし、戸を闔づ。預め拝席一枚を展べ、炉を装う。即ち黒漆の筐を開き、法衣を出だし、「是れ乃ち吾が祖、昔著ける所の大衣なり。袱子、福井城主の祖母・長松院瑞嶺玄祥大姉の施す所の其の様、古風にして、今の世に無き所なり」と。法衣、象鼻の九条...面山瑞方禅師『傘松日記』に見られる道元禅師の御袈裟について
ネット上での繋がりなのだが、昨年から御袈裟に関する勉強会を行っている。そういう中で、当方としては「伝衣」について興味関心を抱かざるを得ないのだけれども、それに関する記録を見ていたところ、気になる記載があったので記事にしてみようという次第である。まずは、以下の一節をご覧いただきたい。一伝衣一頂先年、当住瑾和尚に附す。一常衣一頂宗円長老に遺附す。「宝蔵菴抄劄随身行李状」、『徹通義介禅師喪記』所収、『続曹洞宗全書』「清規」巻、原漢文こちらは、曹洞宗の大本山永平寺3世・大乘寺御開山の徹通義介禅師(1219~1309)の御葬儀に関する記録である。現在『続曹洞宗全書』「清規」巻に収録されている本書は、義介禅師の法嗣である瑩山紹瑾禅師による記録だとされている。そこで、これが何について書いてあるかというと、義介禅師が遺弟...「伝衣」と「常衣」の話