平成14年からの両親の介護、介護離職や失業などの困難な日々を送り、両親亡き後、ようやく社会復帰が出来たと思っていたら、今度は二人の兄の病気や介護の世話をする事になり、それは現在も続いているという、大変な日々の記録や日記を綴るブログです。
2023年2月22日 10時過ぎ起床、昼頃からカレーを作った。一人暮らしなので一回カレーを作ると3~4日分はある。材料を一度に買うと高く感じるので、安い時に買いだめしているので、今日の出費はマッシュルームくらいなもので、200円もかからなかった。 カレーは好きだし、たまにこういう物を作るのは楽しい。 3時過ぎにスマイルプラザの風呂に行った。行く前に明屋書店に寄ると大石英二の新刊が出ていたので買った...
2023年2月19日 9時ごろ起床、今日は10時30分にJAXAのH3ロケットの打ち上げがあった。初号機の打ち上げというので、youtubeの実況を見たのだが、個体ロケットブースターが点火せず、打ち上げは失敗した。 JAXAはブースターが点火しなかっただけなので失敗とは言えない・・・などと訳の分からない事を言っていたが、打ち上らなかったのだから明らかに失敗だろう・・・と思う。 こういう苦しい弁解をするのが日本の「組織」...
しばらくお休みしていました。 今回は皆さんにお知らせがあります。 この4月4日に、現在介護中のことを書いております、兄しょうちゃんが他界しました。 亡くなる前の数週間と、亡くなった後のひと月ほどは大変忙しい状況となりまして、ブログを休ませていただきました。 しょうちゃんが亡くなって早やひと月が過ぎ、ようやく手が空いてきましたので、今日、久しぶりに書かせていただいております。 しょうちゃんは去年の...
2023年2月15日 9時過ぎ起床、本日はしょうちゃんの還付金の手続きと、施設利用料の支払いをしないといけない。 朝食後、少し時間を潰して11時過ぎに郵便局にお金を下ろしに行った。施設利用料の10万8000円と私の生活費6万円を下ろした。 帰宅すると正午に近かったので、昼食時間にA荘に行くのも何なのでテレビを見て時間を潰した。 午後1時過ぎにA荘に行き、利用料を支払い、市役所での還付金手続きに必要な...
2023年2月2日 11時近くに起床。昨夜なかなか寝付けなかったので病院でもらっていた安定剤を飲んだらすっかり寝坊してしまった。良く寝たせいか今日は目が良く見える・・・ 朝食後、しょうちゃんの年金の書類を記入し、私の免許証をコピーしようとしたらプリンターがインク切れだったので、コスモスに買い物に行くついでにコンビニでコピーした。 コピーしている途中、ひろさんがコンビニに入って来た。 あけみちゃん(ひ...
2023年2月1日 10時頃起床、朝食にトーストとバナナを食べた。その後スマイルプラザの銭湯に行った。朝風呂だ。朝寝坊してこれに酒でも飲めばまるで大原庄助さんだが、空いている時間にできる事をやっておかないといけないので、致し方ない。 銭湯の帰りにスーパーでから揚げ弁当を買って帰り、昼食にした。 2時過ぎにA荘に行き、しょうちゃんと面会した。企業年金の書類にサインしてもらった。 しょうちゃんは髪が...
2023年1月30日 9時頃起床、朝食を摂った後に「NTTファイナンス」を名乗る者から電話がかかって来た。 未払いの件があり、場合によっては法的処置にでる云々・・・ 心当たりがないのですぐにNTT西日本に電話したが、相変わらずガイダンスでたらい回しにされ、つながりもしないので、仕方なく#9110の警察の電話相談に電話した。 やはり詐欺電話だったようだ。最近はこんな電話ばかりかかってくる。固定電話にかかって...
2023年1月28日 7時起床、非常に寒く雪が積もっている。九州では珍しいほど。10センチは積もっている。この状態は数日続くと天気予報で言っていた。 今日は月命日で坊さんが来るのだが、こんな雪の中を来てもらうのは気の毒なので、お寺に電話して今月はお休みにしてもらった。両親には申し訳ないが、仏ほっとけ・・・ではないが、無理はさせられない。 今日はA荘に介護保険証を持って行くと連絡していたが、この雪では危...
2023年1月23日 8時起床、ワクチン会場の仕事にしょうちゃんの用事と、なかなか忙しい日が続いている。 ワクチン会場で働いていた事で、しょうちゃんの異常に気付くことが出来、またワクチン会場の仕事は平日は夕方からなので、日中は自由にしょうちゃんの事で動けるので、この仕事に就いたのは奇跡的に良かった事なのだ。 これがもし普通の工場や会社だとこんなに自由に動く事は困難だから、今の私にとってはこの仕事は...
2023年1月19日 8時頃起床、朝食の後、郵便局に行きしょうちゃんの施設利用料と私の生活費を下ろした。 そのままA荘に行き、利用料を支払い、新たに届いた健康保険証を受け取って、帰りにガソリンを入れて一旦帰宅した。帰宅するとしょうちゃんの銀行と郵便の貯金通帳を持って、まず松原郵便局に行って住所変更をした。その後福銀に行ってこれも住所変更をした。 福銀で手続きを待っている時にA荘から電話があり、領収書...
2023年1月12日 9時頃起床、朝食後、ケアハウスにしょうちゃんの印鑑を取りに行き、そのまま郵便局に住所変更に行った。 郵便局で住所変更の手続きをしようとしたら、健康保険証の提示を求められた。昨日、役所で住所変更の届けを出したばかりで、新しい保健証は一週間ほど後にしか届かないので、住所変更手続きは延期になった。 帰宅し、生命保険会社2社と、冠婚葬祭会社に住所が変わった事を告げた。 今日の段階で出...
2023年1月11日 8時半頃起床、朝食の後しょうちゃんの住所変更手続きのために市役所に行った。 住民課・・・保険課・・・年金課・・・障害福祉課・・・と廻って手続きをした。健康保険証はすぐにできるものではないので、仮の保険証を渡された。 それだけの作業に1時間以上かかった。市民課で手続きをしたらワンストップで他の課にも自動的に変更手続きが出来ないものかと、本当にじれったく思った。 同じ役所内の事だから、やって...
2023年1月10日 8時半起床、朝食後、A荘に電話し、しょうちゃんのケアハウスとの契約を終了した事を伝えた。すぐにしょうちゃんの住所をA荘に変更しないといけない。 A荘に入居したとしても、すぐに他の施設に入所することになるかもしれないので、その都度住所変更の手続きをしないといけなくなるので非常に面倒臭い・・・ 住所変更はただ市役所の住民課に届ければいいという訳ではない。貯金通帳も郵便局も、生命保険も、...
2023年1月9日 9時起床、朝食後ケアハウスに行った。 退去の手続きだったが、まずケアハウス側でしょうちゃんの部屋を点検し、入居時に支払った入居金からしょうちゃんが暮らしていた間に発生した修理分を引いた額を返却するとの事だった。 その時に退居に関する書類を交換することになる。 あとはA荘との問題だけだ。最大の懸案はしょうちゃんの住所をどこにするか・・・という事だ。 将来的に、年金の少ないしょうちゃん...
2023年1月6日 10時起床、朝食後、清掃センターに資源ごみを持って行き、そのままコスモス、川食と廻って買い物をした。 一人暮らしとてけっこう買うものはある。買い物のほとんどは食べ物なので無駄遣いという訳ではなのだが、相変わらず金欠は続く・・・ 昼食はサンドイッチ、すこし少ないかな・・・と思ったが、これに何かを足して食べたら食べ過ぎになる。少々空腹の方が体には良い・・・と思い、他は口にしなかった。 昼食...
前回まで、しょうちゃんの事を書きました。 しょうちゃんの事は今現在も進行中で、今日、2024年12月17日も、ひとつ動きがありました。その事はいつかまた書くことになります。 こうして私は平成14年の4月23日に父が心筋梗塞を起こしたことに始まり、今まで30年近くも両親や兄たちの介護や看護で奔走してきたのですが、前回までで一応の区切りとさせていただきました。 というのも、こうした大変な半生を送る事...
しょうちゃんがA荘に入所してからのしばらくは、私にとってようやく訪れた静かな時間でした。 とはいえ、しょうちゃんはこのA荘にずっといれるという訳でもなく、しばらく様子を見て、その時の状態からどこに正式に入所するかを決めるという、まだまだ安定した状態ではなかったのでした。 かいつまんでこれまでの事を思い出してみますと、2020年の12月に愛知県に住む兄、えいさんが心筋梗塞を起こし、さらに大動脈瘤の手...
2022年12月29日 しょうちゃんがA荘に入所してひと月になる。 ショートステイからそのまま3か月の短期入所を経て、その時の状態を見て最もしょうちゃんにふさわしい施設に転居するための入所だ。 先日より、ゆみちゃんが、ケアハウスに置いている介護用ベッドは使わないなら早く返さないとお金がもったいない・・・と言って来た。介護用ベッドはゆみちゃんが勤めている介護サ-ビスの会社からレンタルしているのだ。 もっ...
2022年11月25日 本日朝10時、しょうちゃんはS病院を退院した。 そのまま、となりの介護施設「A荘」にショートステイすることになった。 ショートステイの目的は、リハビリによって自分の事は自分で出来るだけするように・・・という事なのだが、しょうちゃんが今後完全に自力で生活できるようになるとは到底考えられない。 A荘との契約書取り交わしの際に、私はその事を係の人に伝えた。向こうもそのような認識であった...
前回の続き・・・ そして本日11月7日、施設、病院の両方から電話があり、しょうちゃんはこれ以上ケアハウスで生活するのは困難であり、老健に入所することが望ましい・・・という話しがあった。 私もその方が良いと思う。 そして仕事を終えて帰宅すると、広域連合から封書が来ていた。開けてみると、それはしょうちゃんの介護認定見直しの知らせだった。 しょうちゃんの介護認定は、要介護4となっていた・・・ 要介護4は、かな...
前回の続き・・・ 尻もちをついて背骨を圧迫骨折したしょうちゃんは、歩行器で何とか立って歩いていたが、さらに悪い事が起きた。 9月の初旬、ケアハウスから電話があり、しょうちゃんがコロナウィルスの検査で陽性になった・・・との知らせが来たのだ。 幸いと言うか、症状は軽く、少々の発熱と軽い咳が出る程度で、大した心配はいらなさそうだが、他の入所者に感染すると大変なので、しょうちゃんは入居者がいない1階の職員控室...
前回(11月7日の日記)の続き・・・ また、9月の始め、ケアハウスから電話があり、しょうちゃんが転倒して腰の骨を痛めた・・・との連絡が来た。 ケアハウスは介護施設という訳ではないので、入居者は基本的に自分の事は自分でやる事になっている。そうやって出来るだけ自立した状態を保ち、介護になるのを出来るだけ遅らせるための施設なのだ。 そのため、入居者は比較的自由に行動できる。連絡しておけば外出も自由なのだ。普...
しょうちゃんがケアハウスに入居したところで、過去のしょうちゃんの病歴を書いてきましたが、書いたような苦難の年月を経て、しょうちゃんは今、ケアハウスに暮らす人となったのです。 ケアハウスというのは介護になった老人が暮らすところではなく、弱ってきたが、まだ何とか自力で生活できる人が暮らす高齢者専門の賃貸住宅・・・と言う事になります。 ですから基本的には掃除や洗濯は自分でやる事になり、食事くらいを提供し...
10年に及ぶ両親の介護・・・その後の社会復帰から、愛知県在住の兄えいさんの病気・・・帰郷後のワクチン会場での仕事中に地元の兄しょうちゃんの病気の発覚から、施設への入所・・・そしてそのしょうちゃんの潰瘍性大腸炎という恐ろしい病気との闘病・・・という、これまで私が経験してきた思い出を、これまで368回にわたって書いてきました。 いま、こうして一連の介護と看護の日々を一応書き終えて見たのですが、私の文章力の乏しさ...
障害年金と駄菓子屋の収入で、しばらく平穏な日々を過ごしたしょうちゃんでした。 平穏な日々というのは本当に静かな物で、幸か不幸か、その頃しょうちゃんは静かに過ごせていたのですが、私は両親の介護が始まり、大変な時期を迎えていた頃でもありました。 両親の介護の日々は、過去にもう書きましたから割愛しますが、その頃の私は両親の事でいっぱいで、しょうちゃんの事を考える余裕は全くありませんでした。 およそ十年...
二度目の大手術を終えたしょうちゃんは、その後は地道ながらも平穏な日々を過ごしました。 年齢はもう50歳を過ぎ、子供を相手に駄菓子屋を営み、淡々とした日々を送っていたのでした。その間にも世の中は日進月歩の変化を遂げ、しょうちゃんはパソコンを手に入れたりもしました。 駄菓子屋の仕事は子供がいない午前中は暇なもので、卸屋に仕入れに行き、店に並べるとする事はなくなってしまうので、退屈してしまうのか、新し...
手術後の回復が遅れ、熱が出たり、食べてはもどしたり、髪の毛が抜ける、お尻の皮膚が剥がれる・・・と、散々な目に逢ったしょうちゃんでしたが、そのため入院は三か月近くにもなり、かなり長く病院で過ごす事になったのでした。 それでも少しずつ回復し、当初は歩く事もままならないほど弱っていたしょうちゃんでしたが、退院が近付くころには看護婦たちと楽しそうに冗談を言い合って笑い転げるほど元気になっていました。 潰瘍...
食べてはもどしを繰り返し、しょうちゃんは完全に弱っていました。 手術後、食事が出され始めてから10日近く、しょうちゃんはまともに食べる事が出来ないでいました。この時しょうちゃんの命を支えていたのは、点滴から体内に入れるわずかな栄養でしかなかったのです。 しょうちゃんは見る間に痩せていきました。 頬はこけ、顔色は青白く、動きも緩慢になってしまったのでした。お腹とお尻の二か所から開いてという、大手術...
手術から数日が経ち、ようやく地獄のような痛みが和らいできた頃、しょうちゃんは食事が出来るようになりました。 ベッドを起こして、ベッドテーブルに置かれた食事は、重湯や流動食のような食べやすいというか、健康な人が見ればとても食欲が湧くようなものではありませんが、しょうちゃんにとっては数日ぶりの食事で、それは楽しみにしていたのです。 しかし、その食事を食べると、数分後にしょうちゃんは食べた物を全部吐き...
大手術を終えた後の数日間は、しょうちゃんにとっては地獄の苦しみの日々となりました。 まともに言葉で表されるような痛みではなく、しょうちゃんはただ、呻き喘ぐばかりでした。 しょうちゃんは発熱もあり、看護婦は度々しょうちゃんの元にやって来ては熱を測り、鎮痛剤を投与し、しょうちゃんに声をかけたりしていました。 現代ならもっと苦しみの少ない処置法があるのでしょうが、当時はまだ緩和ケアという言葉すらない時...
手術を終えたしょうちゃんは集中治療室に運ばれました。 今回の手術は腹とお尻の2か所を切っての大手術でしたから、出血も相当なものだったのでしょう。しょうちゃんは輸血されていました。 他にもたくさんの点滴がしょうちゃんの体に刺し込まれていて、口には酸素吸入もあり、それは痛々しい姿となっていました。 麻酔がまだ効いていて、しょうちゃんは微動だにせず、ただ目をつぶって寝ていました。 これから目覚めて麻...
人生は思うようにはいかない・・・夢に描いていた将来の目標が、思わぬ事で出来なくなってしまうのは珍しい事ではありません。 素晴らしい夢を見ることが出来た人は、おそらく健康な体に生まれ、健康に育って、人並みの知力体力を持つことが出来た人のなのでしょう。 しかし、生まれつき体が弱く、いつも病気ばかりして、体格も貧弱で、おまけに視力も弱く、そのために勉強もよく出来ない人が無事に育ったとして、将来にどれほど...
しょうちゃんがお尻に違和感を感じるようになって1年も過ぎた頃でした。 当時しょうちゃんは駄菓子屋をやりながら、朝は新聞配達のアルバイトに行っていたのでしたが、ある朝、うちにやって来まして、どうにもお尻が痛い・・・と訴えてきました。 違和感がある・・・ではなくハッキリと痛いと言ったのです。 それまで、しょうちゃんは定期的に病院に通い、お尻にたまった物を出してもらっていたのですが、それでは間に合わなくなっ...
お尻の違和感を感じているしょうちゃんは、私や両親の説得で検査を受ける事にしました。 しかし、そうやって検査を受ける決断をするまで、しょうちゃんはかなりの時間を要したのでした。それは無理のない事で、誰でも再び腹を切り開かれるかもしれないことになる検査を喜んでやろうなんて考える訳がありません。 恐怖と不安に苛まれながら、しかし時間とともにその違和感はだんだんと大きくなり、明らかにお尻の中に何かがある...
中国旅行に行ってから新たな楽しみを見つけ、世界中を旅行したいと夢を膨らませていたしょうちゃんでしたが、その夢はついに叶う事はなくなったのでした。 ある日しょうちゃんが我が家にやって来て、どうも最近調子がおかしい・・・というのです。 その時のしょうちゃんの表情は、いつになく深刻なものでした。 しょうちゃんはもともと愚痴が多く、やって来ては「あいつがこう言った」とか「これが上手くいかない」などと愚痴ば...
中国旅行にいったしょうちゃんは、上海で知り合った中国人の女性と住所の交換をしていました。 その女性は日本にあこがれていて、いつか日本に行きたいと日本語を勉強していたのでした。当時の中国は鄧小平が改革開放路線を言い始めたばかりの頃で、まだまだ貧しく、多くの人は自転車に乗っていた時代です。 実際、しょうちゃんが上海や桂林の観光地に行くと、そこには物乞いをする人たちがたくさんいて観光客に群がり、しょう...
H子さんと別れたしょうちゃんは、その後しばらくは新聞配達と駄菓子屋で大人しく過ごしていました。 ひとり暮らしになった事で、それまでほど必死でお金を稼ぐ必要もなくなり、むしろしょうちゃんにとっては気楽な状態でもありました。 それは様々なストレスに苛まれながら結婚生活を続ける時より、しょうちゃんにとって気が楽な時間でもありました。私たち家族はそんなしょうちゃんが、そのまま静かに過ごしていければそれが...
しょうちゃんとの関係が冷え込んでしまったH子さんは、その後たびたび外泊するようになりました。 それについてしょうちゃんはどうすることも出来なかったようです。 H子さんは家事に駄菓子屋にと、きちんとやるべき事はこなしていたのです。しかし、しょうちゃんはその働きに応える事が出来なくなったのですから、外泊するなという事は出来なかったのです。 やがてH子さんの外泊は増え、数日も外泊する日もあったと言います...
しょうちゃんとH子さんが結婚してから1年ほどが過ぎました。 人工肛門というハンディを抱えながらも、潰瘍性大腸炎の苦しみから解放されたしょうちゃんは、朝の新聞配達に、昼の工場勤めに、そして夕方から夜にかけての駄菓子屋にと、下手な健康な人よりもよほど良く働いていました。 H子さんもしょうちゃんがいない昼間には駄菓子屋を切り盛りし、子供たちを相手に頑張った後には、家事をきちんとこなして、立派に主婦として...
H子さんとの生活にはかなりの出費が必要となり、しょうちゃんは会社勤めに駄菓子屋、障害年金以外にも何か収入が必要になって来たのでした。 健康な人でもいくつもの仕事を掛け持つのは困難な事です。 ましてや人工肛門という実に厄介な障害を持つしょうちゃんにとって、さらに何か収入の道を探すというのは、それはもう大変な事で、どんな出費があればそんなに働かないといけないのか・・・と尋ねてみたりもしました。 しょう...
互いに再婚という、傷だらけの人生を送ってきたしょうちゃんとH子さんは、新たな人生のスタートを切ったのでした。 H子さんは障碍のため普通の仕事に就くことが出来ず、スナックや喫茶店などを転々としてきた人で、それだけに人の世というものを良くも悪くも実に理解している人で、しょうちゃんよりかなり年下なのにもかかわらず、上手に生活する人でした。むしろ生活の主導権はH子さんが掴んでいたようでした。 家事やしょう...
ちょっと気がかりな部分もあった二人の関係でしたが、しょうちゃんとH子さんは結婚することになりました。 互いに再婚でもあり、しょうちゃんはM子さんとの結婚で貯金はもう少ししか残っていなかったのと、H子さんはその複雑な人生から友達というものがなく、呼ぶ人もいないので、互いの家族だけでわが町の神社で結婚式を挙げる事にしました。 いわゆる神前結婚です。 式の後の披露宴の代わりに、両家の家族で市内の料理屋の...
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