メインカテゴリーを選択しなおす
今日は3月1日である。拙ブログでは、この日に合わせて「閉炉の説法」などを紹介しているが、それは【ブログ内検索:閉炉】で、過去の記事をご覧いただければ良いと思う。そこで今日の記事だが、日付に因んで採り上げておきたい。三月旦の上堂。大衆を召して云く、時有りて常に人を催す、人豈に虚しく時を度らんや。或いは水中に亡躯たり、或いは火裡に失命す。刃刀で腸を割り、箭鋒骨を透る、病患は老少を択ばず、閻王寧ろ貴賤を問う。剛質微繊の罪犯、供に以て鉄牀洋銅となる。宿生善種に依りて箇の人身を得る、般若の良因に答えて祖師の門下に投ず。今日若し空しく過さば、幾劫に又た相逢せん。寒気已に去るも、熱時未だ来たらず。弁道の時最も宜し、空しく光陰を度ること莫れ。『義雲和尚語録』上記一節は、大本山永平寺5世・義雲禅師(1253~1333)の語...今日は3月1日の説法を学ぶ(令和7年版)
御開山である道元禅師の時代からは、少し後の記録だが、以下のような一節がある。△中興和尚、永平寺に御住中、虚空に鐘声鳴る。此嘉暦二年四月十六日也。開山和尚御現住の時も堂に鐘声鳴しが、今吾住山の中にも亦鐘声ありとて、中興和尚御悦不尋常。此鐘声により、軈て勧進に思食し立ち、今の大鐘を鑄立て給。此義、則ち鐘の銘に書付給也。『建撕記』嘉暦2年とは西暦では1327年であり、当時の永平寺は五世・義雲禅師(1253~1333)が住持を勤めておられた時代である。それで、その年の夏安居が始まった4月16日に、空から鐘の音が鳴ったとされている。この現象は、道元禅師の御在世時にも発生したとされる。建長三年、当山の奧に常に鐘声の聞ゆる事、自檀越相尋について御返事也。御尋について申候。此七八年之間は、度々に候也。今年正月五日子の時、...永平寺の鐘が響いた日