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拙のブログでは、「仏教を習うには、師に就くことが必要だ」と申し上げているが、今回もそんな内容である。実際に、ここから始めないと全てが無意味になってしまう。そして、本来の仏教が持っていた良い面が、一切合切無駄になってしまう。今回取り上げる話は、まさにその仏教を学ぶことを無駄にしようとした或る僧を、鈴木正三道人が諫めている場面である。一日初入の僧、無縁の僧と成り諸国を乞食し廻らんと云ふて、師を辞す。師、呵して曰く、内々聞きし事、言語道断・無分別なる思ひ立ち也。先づ仏道を修せんと思ふ者は、善き師を求め善き友に交はる事肝要なり。然るに修行昨今の思ひ立ちにて、途方も無くすべをも弁へず、徒に諸国を行脚せんこと我同心なし。古来、先達の行脚と云ふは、師を尋ね、道を求め、身命を不顧、千万里の行脚をなすも有り、或は得法の人、...仏道修行とは師を尋ね法を訪ねること