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江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は釈尊が入滅する時の様子について、篤胤の扱い方を見ておきたい。さて釈迦は其うちにしきりに大病に成り、これはとてもいかぬことゝ覚悟したる事と見へて、自ら法服をぬいで裹で、それをしひて其上に右脇に伏して〈長阿含経〉、ひごろ手なれし持たる所の鉢と錫杖をば阿難に付嘱し〈処胎経〉、諸の比丘どもに云には、諸善男子よく其心を修して、したきまゝの放逸をいたすこと勿れ。我今背の疾ひにて総身いたくてたまらずと云て苦しむ〈ねはん経〉。そこで諸の比丘らが何故に一劫も半劫もこの世におわして、我等...入滅時の釈尊について(拝啓平田篤胤先生47)