メインカテゴリーを選択しなおす
前回までの記事などを受けつつ、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』を読んでいたら、釈尊の親族で、その弟子になった者達について言及していたので、確認しておきたい。今回は、釈尊の実子とされる羅睺羅尊者について見ておきたい。又我子羅睺羅を出家させんといつて、弟子の目連を耶輸陀羅の処へ遣したる所に、耶輸の云には我夫、太子たる時、我を娶り妻となしヽより、われ夫に事へて一つの失もなく、いまだ三年に満ざるに家を出て逃れ去り、父王自らゆき迎へども其命にたがつて随はず、鹿皮の衣をきて其さま狂人(※人権問題に注意)の如く、山沢にかくれ居て勤苦すること六年、成道して国に帰れども親を顧みず、旧恩をわするヽこと路人(※人権問題に注意)より劇く、我母子をして孤を守り窮を抱かしめ、今又使を遣しわが子を求め...羅睺羅尊者について(拝啓平田篤胤先生41)