4月19日(金)に京都国立博物館と奈良国立博物館で、26日(金)に大坂市立美術館で国宝展が始まりました。大阪・関西万博の開催にあわせて企画されたもので、これ…
国立科学博物館「古代DNA―日本人のきた道―」展が面白い!(3)
さて、この特別展で最も興味惹かれたのは日本列島の南と北に暮らした人々の展示です。南西諸島では弥生時代から貝の交易が盛んに行われていましたが、飛鳥時代には途絶…
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国立科学博物館「古代DNA―日本人のきた道―」展が面白い!(2)
第2~4章で流される映像では、古人骨に自らの様子を語らせています。礼文島〈れぶんとう〉の縄文人はこの時代の老年にあたる40才の女性で、髪は縮れ毛、シミが出や…
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国立科学博物館「古代DNA―日本人のきた道―」展が面白い!(1)
夏日が続いた3月下旬、桜まつりでにぎわう東京の上野公園を訪れました。この日のお目当ては国立科学博物館で開催中の「古代DNA―日本人のきた道―」展(6月15日…
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以前、岡山県古代吉備文化財センターに勤務されていた吉久正見〈よしひさまさみ〉さんから『吉備地域の石棚・石台を持つ横穴式石室について』と題した著作を拝受しまし…
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岡山県北部の津山市にある高尾北ヤシキ古墳は、群集墳として著名な佐良山〈さらやま〉古墳群を構成する古墳の一つです。6世紀末に築かれた径13mの円墳で、長さ6m…
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岡山市街地の東部を流れる百間川〈ひゃっけんがわ〉の河川敷を発掘していると、赤く焼けた炉のあとが2つ並んで見つかりました。どちらも一辺1mほどの方形をしていま…
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「第4章 国宝挂甲〈けいこう〉の武人とその仲間」はこの特別展の目玉だけあって、5体の埴輪に一室を当てる贅沢な展示。勢ぞろいした「挂甲の武人」たちをつぶさに見…
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ようやく秋らしい日和となった10月下旬、東京国立博物館で開催されている「ハニワ」展を見学しました。埴輪の特別展は50年ぶりということで、一昨年の企画発表か…
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さて、岡山城二の丸にあった榎馬場〈えのきのばば〉の下層から見つかったのはゴミ穴ばかりではありません(「岡山城二の丸の広場(1)」をご覧ください)。岡山県立図…
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岡山市街地を流れる旭川の水面に黒い雄姿を映す岡山城天守。豊臣政権下で五大老をつとめた宇喜多秀家〈うきたひでいえ〉が文禄年間(1592~1596)に建てたこの…
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備前国と備中国の境界に横たわる吉備中山〈きびのなかやま〉、その西麓に鎮座する吉備津神社は鬼退治伝説で有名な吉備津彦命〈きびつひこのみこと、孝霊天皇の皇子〉を…
今年も発掘調査が行なわれている岡山県総社市の備中国分尼寺〈びっちゅうこくぶんにじ〉跡を見学してきました。昨年の調査対象は南門・中門〈ちゅうもん〉・講堂でした…
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岡山市街地の北西に位置する矢坂山の一角に、岡山藩の重臣であった土肥〈どひ〉家の墓所があります。低い尾根先に築かれたこの墓所には、三代貞平〈さだひら〉・五代経…
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岡山県の北東部にある勝央〈しょうおう〉工業団地は、中国山地で最大の人口を抱える津山市に近く中国自動車道へのアクセスもよいことから、多くの企業が進出してこの地…
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岡山県北東部の勝央町黒土〈くろつち〉で町道建設に伴う発掘調査をしていると、水田の下から大きな穴が東西30mにわたって見つかりました。深さ1mほどある穴の底は…
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備中松山城の天守は一階、二階とも、壁の上部を白い漆喰塗籠〈しっくいぬりごめ〉、下部を黒い下見板〈したみいた〉張りにしています。この姿は小堀遠州(在城1604…
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岡山県の中央に広がる吉備高原の一画にあって、冬ともなると江戸時代の天守が雲海に浮かぶ「天空の城」として有名な備中松山城。最近では猫城主「さんじゅーろー」の活…
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近年、再開発が進みつつある岡山市街地の中心部ですが、その地下を50㎝ほど掘り起こすと焼けた瓦や溶けたガラスが混じる赤い焼土層に行き当たります。NHKの朝ドラ…
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今から40年ほど前、鳥取県中部の倉吉市で向山〈むこうやま〉309号墳の発掘調査に携わりました。直径が10数mの円墳でしたが、大形の箱式石棺と思われる埋葬施設…
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平成14年(2002)4月、美作岡山道の建設が計画されている赤磐市〈あかいわし〉土井遺跡を訪れました。まもなく始まる発掘調査を前に現地の様子を確認するためで…
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松林の中にひっそりと居並ぶ苔むした礎石〈そせき〉、備中国分尼寺跡のこうした風景は吉備路風土記の丘の見どころの一つとなっています。しかし、五重塔がそびえる備中…
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平成15年(2003)、調整池の建設が計画された勝央町間山〈はしたやま〉の中腹で発掘調査をしていると、灰色をした小さな瓦のかけらが見つかりました。その表面を…
古墳時代後期(6世紀)になると、吉備でも畿内にならって家形石棺がつくられるようになります。岡山県南西部の浪形石〈なみがたいし〉という石灰岩で製作された家形石…
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4月19日(金)に京都国立博物館と奈良国立博物館で、26日(金)に大坂市立美術館で国宝展が始まりました。大阪・関西万博の開催にあわせて企画されたもので、これ…
斉明天皇陵と推定されている奈良県牽牛子塚〈けんごしづか〉古墳は、令和4年(2022)に復元整備を終えて、平面八角形をした墳丘を白い凝灰岩で覆った往時の威容が…
私たちは古墳の副葬品というと鏡〈かがみ〉、剣〈つるぎ〉、玉をまず思い浮かべますが、奈良県ホケノ山古墳や中山大塚古墳、黒塚古墳、京都府椿井大塚山古墳といった畿…
岡山市の西端を流れる足守〈あしもり〉川は、かつて高梁〈たかはし〉川の支流と合して瀬戸内海へ注いでいました。吉備津〈きびつ〉と呼ばれたその一帯は対外交流の拠点…
岡山県の中央に広がる標高約400mの吉備高原、その一画にある高梁〈たかはし〉市吹屋〈ふきや〉地区は吹屋銅山(吉岡銅山)の開発にはじまる鉱山町です。江戸時代に…
さて、この特別展で最も興味惹かれたのは日本列島の南と北に暮らした人々の展示です。南西諸島では弥生時代から貝の交易が盛んに行われていましたが、飛鳥時代には途絶…
第2~4章で流される映像では、古人骨に自らの様子を語らせています。礼文島〈れぶんとう〉の縄文人はこの時代の老年にあたる40才の女性で、髪は縮れ毛、シミが出や…
夏日が続いた3月下旬、桜まつりでにぎわう東京の上野公園を訪れました。この日のお目当ては国立科学博物館で開催中の「古代DNA―日本人のきた道―」展(6月15日…
以前、岡山県古代吉備文化財センターに勤務されていた吉久正見〈よしひさまさみ〉さんから『吉備地域の石棚・石台を持つ横穴式石室について』と題した著作を拝受しまし…
現在、九州国立博物館を会場に「はにわ」展が開催されています。その様子はSNS等でさまざまに伝えられていますが、同じ埴輪を展示しながらも東京国立博物館の会場(…
岡山県北部の津山市にある高尾北ヤシキ古墳は、群集墳として著名な佐良山〈さらやま〉古墳群を構成する古墳の一つです。6世紀末に築かれた径13mの円墳で、長さ6m…
岡山県の弥生集落を発掘すると、土器を使った棺〈ひつぎ〉が見つかることがあります。いずれも九州に見られるような棺専用の土器ではなく、日常用の土器を転用したもの…
山陽自動車道と国道53号バイパスが交差する岡山市北郊の田益〈たます〉地区。その航空写真を見ると、住宅地と水田を囲む楕円形の区画が見て取れます。この一帯に国立…
皆さんはこの焼き物を何だと思いますか? 直径20㎝余りの鉢にフードを被せたようなこのうつわは、炭火を入れて暖を採った「手焙〈てあぶり〉」という古民具に似てい…
花崗岩〈かこうがん〉由来の酸性土壌が広がる岡山県において、古人骨を発掘する機会はそれほど多くありません。けれども、古墳の石室や石棺のように密封された場所では…
岡山市街地の東部を流れる百間川〈ひゃっけんがわ〉の河川敷を発掘していると、赤く焼けた炉のあとが2つ並んで見つかりました。どちらも一辺1mほどの方形をしていま…
近ごろ、宮崎県沖の日向灘で地震が相次ぎ、南海トラフ地震との関連が懸念されていますが、震源域から離れた岡山県にも、安政元年(1854)11月5日に起こった南海…
「第4章 国宝挂甲〈けいこう〉の武人とその仲間」はこの特別展の目玉だけあって、5体の埴輪に一室を当てる贅沢な展示。勢ぞろいした「挂甲の武人」たちをつぶさに見…
ようやく秋らしい日和となった10月下旬、東京国立博物館で開催されている「ハニワ」展を見学しました。埴輪の特別展は50年ぶりということで、一昨年の企画発表か…
寛文5年(1665)、江戸幕府が「諸宗寺院法度」を公布して寺院の統制を強めると、儒教を信奉していた水戸藩主徳川光圀〈とくがわみつくに〉や会津藩主保科正之〈ほ…
今から40年ほど前、鳥取県中部の倉吉市で向山〈むこうやま〉309号墳の発掘調査に携わりました。直径が10数mの円墳でしたが、大形の箱式石棺と思われる埋葬施設…
平成23年9月3日に日本を襲った台風12号は、世界文化遺産に登録されている和歌山県の熊野古道に大きな爪痕を残しました。今から900年前、平安貴族たちがこの道…
岡山県南東部にある赤磐市〈あかいわし〉の土井遺跡は、古墳時代の埴輪窯〈はにわがま〉が見つかったことで知られていますが(「置き去りにされた盾持ち人」をご覧くだ…
平成14年(2002)4月、美作岡山道の建設が計画されている赤磐市〈あかいわし〉土井遺跡を訪れました。まもなく始まる発掘調査を前に現地の様子を確認するためで…
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩…
温暖な気候を利用したオリーブ栽培や沖合の島々が織りなす多島美から、「日本のエーゲ海」と称される岡山県南東部の牛窓〈うしまど〉町(現瀬戸内市)。その東側に広が…
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なって…
備前国分寺跡の西側にある赤磐市馬屋〈まや〉遺跡は、平成3~4年(1991~92)に山陽自動車道建設に伴って発掘調査が行われ、規則的に配置された奈良時代の建物…
弥生時代の岡山県では、竪穴住居の床を穿った穴に灰などを詰めて囲炉裏〈いろり〉に使ったと考えられています。しかし、ここに土器を据えて煮炊きを行っていた証拠は今…
松林の中にひっそりと居並ぶ苔むした礎石〈そせき〉、備中国分尼寺跡のこうした風景は吉備路風土記の丘の見どころの一つとなっています。しかし、五重塔がそびえる備中…
広島県と境を接する井原市、その東部にある高越城〈たかこしじょう〉は室町幕府の奉公衆をつとめた備中伊勢氏の居城で、後に関東に雄飛する伊勢盛時(北条早雲)が若き…
平成15年(2003)、調整池の建設が計画された勝央町間山〈はしたやま〉の中腹で発掘調査をしていると、灰色をした小さな瓦のかけらが見つかりました。その表面を…
「井原〈いばら〉市で銅鐸が見つかったから調査をしてきてくれ」。そんな連絡を受けたのは、赤磐〈あかいわ〉市の朱千駄〈しゅせんだ〉古墳を調査している最中でした。…
今から1300年前に都がおかれた平城京、青い屋根瓦に朱塗りの柱で彩られた建物が建ち並ぶ様子は、さながら花の盛りにたとえられました。 この青い屋根瓦がわが国に…
古墳時代後期(6世紀)になると、吉備でも畿内にならって家形石棺がつくられるようになります。岡山県南西部の浪形石〈なみがたいし〉という石灰岩で製作された家形石…
皆さんは偕老同穴〈かいろうどうけつ〉という言葉をご存知ですか。同じ墓に入るまで添い遂げる仲の良い夫婦という意味です。ふるさと農道が縦断する勝央町間山〈はした…
岡山市街地を旭川に沿って遡り、新大原橋を渡るとすぐ、牟佐大塚〈むさおおつか〉古墳(国史跡)の標識が眼に入る。住宅の裏手にそびえる墳丘は、畑や道路によって周囲…
高梁市吹屋地区の町並みの中心に居を構える片山家は、宝暦9年(1759)から弁柄〈べんがら〉商いをはじめ、寛政11年(1799)に組織された弁柄株仲間にも名を…
岡山県北部の津山市から鳥取県に通じる国道179号線を北上すると、奥津町(現鏡野町)に入ったあたりで濃い山影を水面に映す湖が見えてきます。中国山地を流れる吉井…
温羅〈うら〉という異国の鬼が築いたという鬼ノ城〈きのじょう〉、「吉備津神社縁起」が伝える鬼退治伝説の舞台となったこの場所に、はじめて科学のメスが入れられたの…