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ふとしたことから、日本天台宗の文献を見ていたら、気になる一節が見られたので、掘り下げてみたい。菩薩戒壇院〈亦た法華戒壇院と名づく〉。別当義真知院事光定『当山十六院事』、『伝教大師全集』巻5、『渓嵐拾葉集』にも見えるこの文章だが、一応、弘仁9年(818)に最澄と義真の連名でもって示されたものだというが、取り扱いには注意が必要なのだろう。何故ならば、この文章には以下のような「口訣」が付属されている。口決に云わく、十六院事、悉く建立の儀無し。伝教大師の御代、十六院の寺号を置き、別当・三綱等を任ずると雖も・・・同上要するに、先に挙げた文章は一応、最澄が生前に定めたものだという体裁を整えるための文章である可能性が高い。それで、最澄が生前、比叡山に「大乗戒壇」を設置したいと願っていたのは、良く知られたことだと思うが、...日本天台宗の文献に見える「法華戒壇院」について