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以前、【『大比丘三千威儀』に示す在家と出家の話】という記事を書いた時、出家の上中下について簡単に説明したが、その際、「中出家」については、更に細かく説明されていると指摘した。今回は、その一節を見ておきたいと思う。中出家とは、始め具戒を受けるも、沙門の儀法、未だ能く周悉せず、要らず須らく有徳の行者に依止長宿すべし。是を以て、優波離、仏に問う「幾法を成就し尽くせば、依止せざらしむるや」。仏答う、「凡そ二十五法を成就すれば、依止せず」。広く、之を言えば二十五法なり、要を取りて之を言えば、但だ能く二部の戒を知りて本と為し、今、但だ十法を成就す。『大比丘三千威儀』巻上これが、「中出家」である。どの辺が「中」なのか?読み解いていきたい。まず、中出家については、「具足戒」は受けているという。ところが、沙門の儀法について...『大比丘三千威儀』に示す「中出家」の話
『大比丘三千威儀(または『三千威儀経』)』(上下巻)という文献がある。要するに、比丘として修めるべき、諸威儀や修行法などを簡潔に示した文献なのだが、色々と学ぶことが出来るので、見るようにしたいという気持ちがある。今日は、その巻上の冒頭から引用してみた。仏弟子とは、二種有り、一つには在家、二つには出家なり。在家とは、初め五戒を受けて本と為し、三悪趣を遮り、人天の福を求む。以て未だ能く永く捨家・眷属・縁累を捨てざるが故に、更に三戒を加えて前の五戒を助け、一日一夜に未来世に永く出因縁を種えよ。出家とは、行に始終、上中下業有り。下出家とは、先づ十戒を以て本と為し、形を尽くして受持す、家・眷属・因縁・執作を捨て、俗人等に於いて是れ出家なり、具戒に於いての故に是れ在家なり、是れを下出家と名づく。其れ中出家とは、次に応...『大比丘三千威儀』に示す在家と出家の話