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近世江戸時代の曹洞宗教団は、徳川幕府の宗教政策の中で、いわゆる「本末関係」を徹底することとなった。「本末関係」の徹底はは、曹洞宗に限ったことではないが、とにかく、江戸時代には各宗派の本山(総本山・大本山等)が定められ、その下に末派寺院を組み込むという上下関係が常態化したのであった。もちろん、それは一朝一夕に確立されたわけではなく、幕府の法度を見ていくと、繰り返し本寺を尊重する見解を発していることから、全国では一悶着では済まないような闘諍があったことを想起させるのである。そこで、今回は関連する法度の条文を見ておきたい。なお、典拠は文部省宗教局編『宗教制度調査資料』巻16「江戸時代宗教法令集」(大正14年)から引くこととしたい。本書は横関了胤先生『江戸時代洞門政要』でも繰り返し引用されているため、その見解との...近世曹洞宗教団の本寺による末寺の住職選定への優越性について