金井八幡神社(→東京都町田市金井町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代には広福寺(→現在は廃寺)が別当寺として祭祀を司りました。江戸時代中期の1726(享保11)年10月に仏師佐野木丞が御神像(→神仏習合の頃の神体、約15cm)を作り奉納、1751(寛延4)年7月に石段を建立、1828(文政11)年に仏師田村幸左衛門が神体の神像に彩色を施したと伝わります。また、この年に社殿が再建されたようです。現在の社殿は太平洋戦争が始まる194...
羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。
質問やコメントはご自由にお書きください。
芳林山 向嶽禅院 戒翁寺(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、戦国時代の天正年間(→1573年~1591年)に夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の3代住職玄頓和尚(げんとんおしょう)によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。1590(天正18)年に小田原北条氏が滅亡すると北条家臣の庇護を失い衰退しましたが、江戸時代初期の寛永年間(→1624年~1645年)に北条遺臣から幕府旗本に取り立てられた富永重吉(とみながしげよし)が早...
地域タグ:麻生区
江島神社(→神奈川県藤沢市江の島2丁目)の夏の風物詩の1つである江の島燈籠2023を見てきました。鳥居から瑞心門は赤、青、黄、と様々にライトアップされ、赤は「天女と五頭龍の出会い」、青は「縁日」といったように色ごとに映し出される映像が変化し、光の絵巻物のようでした。イベントを手掛けたのは「空気をデザインする」をテーマに空間に関わる様々なイベントを手がけるVELVETA DESIGN(ベルベッタ・デザイン)という都内の会社...
地域タグ:藤沢市
新橋駅SL広場(→東京都港区新橋2丁目)には、1872(明治5)年9月12日(新暦10月14日)に新橋駅(帝都)~横浜駅(開港地)に初めて鉄道が開通したことにちなみ、1972(昭和47)年に鉄道発足100周年を記念して当時の国鉄から港区に無償譲渡されたSL(→C11‐292)が展示されています。場所は現在のJR新橋駅の西口広場(SL広場)の公道上になります。正式開通に先立ち1872(明治5)年5月に品川横浜(→現在の桜木町駅)間で開通し、所要時間は35分と記録さ...
地域タグ:港区
新宿諏訪神社(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、『東京都神社名鑑』には立派な由緒が「創作」されていますが、創建年代等の詳細は不明ながら、江戸時代初期には社殿ができあがっていたようです。江戸時代には諏訪村・戸塚村・大久保百人町・西大久保村などの総鎮守となり、隣接する真言宗豊山派寺院の龍池山 上珠院 玄国寺が別当寺として祭祀を司りどりました。1882(明治15)年に明治天皇の行幸があったようで、境内には戦時中の1943...
地域タグ:新宿区
龍池山 上珠院 玄国寺(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に創建されたものの、その後衰退し、延宝年間(→1673年~1681年)に僧の盛源によって中興された真言宗豊山派寺院です。当初は明王山 聖無動院 宝仙寺(→東京都中野区中央2丁目)の末寺だったようですが、中興後は神齢山 悉地院 護国寺(→東京都文京区大塚5丁目)の末寺に属したと記されます。また、江戸時代には隣接する新宿諏訪神社の別当寺として...
地域タグ:新宿区
寒松山 大林寺(だいりんじ→長野県長野市松代町)は、江戸時代初期の1622(元和8)年に上田藩主真田信之(9万5000石)が松代藩(13万石)に加増の形で移封された際に、信之・信繁兄弟の生母山手殿(寒松院)の菩提寺として創建した曹洞宗寺院です。1613(慶長18)年6月に上田で死去した山手殿は上田の大輪寺(だいりんじ→長野県上田市中央北1丁目)に埋葬されましたが、松代移封にともない信之は改めて大林寺を菩提寺として墓所を作り直しました...
地域タグ:長野市
光照山 龍香院 宗忠寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、徳川家康の江戸入封後の1594(文禄3)年に松平忠吉(→徳川家康四男)の家臣小笠原宗忠が開基、僧の雲興(→寂年不詳)が開基した浄土宗寺院です。寺号は開基の宗忠から、院号は宗忠の法号龍香院欣情法心から採られたことが分かります。天正年間(→1573年~1592年)までは宗忠の父親である小笠原伊代守吉次の法号から「長隆寺」と号していたと記されますが、創建年が1594(文禄3)年なの...
地域タグ:都筑区
医徳山 長王寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、横浜市立都田中学校の近くにある高野山真言宗寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、創建当初は鶴見川の傍にあり、医王山と号して行基作と伝わる薬師如来立像を安置する古い寺院だったようですが、おそらく鶴見川の氾濫により江戸時代初期の1617(元和3)年に僧の浄秀が現在地に移転して中興開基したと記されます。なお、医王寺と称していた頃の棟札が寺宝として残されているよう...
地域タグ:都筑区
高貴山 福聚院 正覚寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明の高野山真言宗寺院ですが、寺伝によると鎌倉時代には創建されていたといい、本尊は運慶作の不動明王坐像と伝わります。境内に4つある古碑のつち1つは室町時代の永享(→1429年~1441年)の年号が入っているため、古い寺院であることは確かなようです。室町時代には戦乱などで荒廃したようですが小田原北条氏の統治下に僧の継院が中興開基したと記されま...
地域タグ:都筑区
池辺杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、中世の頃より池辺村の鎮守であったと伝わります。神仏習合の頃は八所権現を本地仏とする木像の不動立像と神体として祀っていたと記されます。権現(ごんげん)とは神仏習合の頃に「仏や菩薩が日本の神々という仮(=権・ごん)に姿を変えて現れる」という考え方で、これを本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)、または仏本神迹説(ぶっぽんしんじゃくせつ)と...
地域タグ:都筑区
観音寺阿弥陀堂(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、昨日ご紹介した円国山 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂及び墓地となっています。観音寺の山門から歩いて10分ほどのところにあります。『新編武蔵風土記稿』には阿弥陀堂の記載がありませんので、本堂の新しさから昭和時代に建てられたものと推察されます。境内には六地蔵があるようですが、樹木に覆われて1体しか目視できませんでした。【観音寺阿...
地域タグ:都筑区
円国山 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代、開山・開基等の詳細は不明の高野山真言宗寺院です。武相不動尊霊場11番、旧小机領三十三所子歳(ねどし)観音霊場18番に選定され、地元では奉安水子地蔵尊供養所としても知られます。山門から境内まで桜の木がいっぱいに植えられているので春はさぞ桜の名所となることでしょう。江戸時代には本山・末寺の制により瑞雲山 本覚院 三會寺(→神奈川県横浜市港北区鳥山町)の末寺...
地域タグ:都筑区
白山神社(→神奈川県横浜市緑区白山2丁目)は、神奈川県神社誌によると江戸時代の1693(元禄6)年9月18日に猿山村(→現在の緑区白山地区)の鎮守として創建されたと記されます。白山社ですが、祭神は浅間神社の祭神として知られる木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っています。神仏習合の頃は近くの高猿山 宝塔院(→神奈川県横浜市緑区白山2丁目)が別当寺として祭祀を司りました。〖祭神〗・木花咲耶姫命(このはなさくやひめ...
地域タグ:緑区
高猿山 宝塔院(→神奈川県横浜市緑区白山2丁目)は、正徳年間(→1711年~1716年)に僧の祐円が堂宇を再建したため、祐円を中興開山とする高野山真言宗寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、もとは胴山という場所に創建され、江戸時代までに現在地に移転されたと記されます。江戸時代には旧小机領三十三所観音霊場にも選定されており、観音堂の本尊は、江戸時代から12年に1度子年の春だけ開帳する「子年観音」と呼ばれ親しまれてい...
地域タグ:緑区
高石神社(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、江戸時代前期の1654(承応3)年にこの地を治めた旗本の加賀美正吉(かがみまさよし)が創建したと伝わる神社で、創建当時は「伊勢宮」と称していました。加賀美氏は甲斐武田氏の一門ですが、正吉の父・加賀美正光(かがみまさみつ)は1573(天正元)年生まれなので、1582(天正10)年3月11日に甲斐武田氏がが滅亡した時には数え年10歳でした。甲州合戦の際にはどこかに潜伏していたのでしょう。当時...
高石山 法雲寺(→神奈川県川崎市麻生区高石2丁目)は、安土桃山時代に武田遺臣で徳川氏の旗本となった武田一族の加賀美正光が開基し、僧の誉心が開山したと伝わる臨済宗(→現在は曹洞宗)寺院です。加賀美正光は高石神社(→神奈川県川崎市麻生区高石)を創建した人物ととしても知られます。法雲寺は、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)でいったん廃寺になり、昭和時代前期の1940(昭和15)年に曹洞宗寺院として再興されました。さて、...
地域タグ:麻生区
笹子稲荷(→神奈川県川崎市麻生区万福寺3丁目)は、小田急線新百合ヶ丘駅近くにある、「奉納 高石山 法雲寺」と書かれた小祠です。もとは「万福寺笹合稲荷」の地にあったと伝わりますが、町の開発にともない移されたのだといいます。笹子稲荷は、地元の伝承によると平安時代末期の権力者である後白河法皇の娘・笹子姫を祀った稲荷だといい「狐の上に乗る笹子姫の神像」が祀られていると伝わります。1177(安元3)年6月、京都東山の鹿ヶ...
地域タグ:麻生区
岡上神社(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、明治時代後期の1909(明治42)年3月16日に、国の一村一社政策により、剣明神社・日枝神社・宝殿稲荷社・関戸神社の4社を岡上村の中央にあった諏訪神社に合祀し、地名をとって「岡上神社」としたと伝わります。現在の岡上は周囲を東京都町田市と神奈川県横浜市青葉区に囲まれていますが、川崎市麻生区の飛び地となっています。合祀元となった剣神明社と諏訪神社は、どちらも創建年代等の詳細...
地域タグ:麻生区
夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)は、川崎市発行の『麻生の神社・仏閣』によると、室町時代の1443(嘉吉3)年に僧の恵俊(えしゅん)が片平村の夏蒐丘に夏蒐山 台廣寺を創建したところから始まる曹洞宗寺院です。戦国時代に高峯山 天寧寺(→東京都青梅市根ヶ布1丁目)の住職・松潤玄秀が現在地に移し、寺号を修廣寺と改めたようです。修廣寺の歴代住職は麻生区内や隣接する東京都町田市に多くの曹洞宗寺院を開山し、江戸時...
地域タグ:麻生区
十二神社(→神奈川県川崎市麻生区万福寺)は、小田急線の新百合ヶ丘駅近くにある神社で、江戸時代中期の1711(正徳元)年11月1日に創建されたと伝わります。当時の万福寺村は17~18戸ほどでしたが、地元の有力者が資金を出し合い幕末期の1851(嘉永4)年9月12日にに社殿を再建したといいます。現在の万福寺は人口が増えて1丁目~6丁目までで9476人(→2023年)が住み、高級マンションがずらりと並ぶ景観となり、2005(平成17)年に鳥居と社殿...
地域タグ:麻生区
月読神社(→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、戦国時代の1534(天文3)年に麻生郷の領主小島佐渡守が伊勢神宮別宮の月読宮を勧請じ、居所の亀井城(→月読神社の敷地内)の東に社(やしろ)を建てたのが始まりです。江戸時代には上麻生村と下麻生村の鎮守社として崇敬を集めていたといいます。明治時代後期の1906(明治39)年に一村一社の勅令が発布され、全国的に「一村一社運動」が展開されます。月読神社も近隣の白山神社(山口谷)・熊野神...
地域タグ:麻生区
山田富士(→神奈川県横浜市都筑区北山田1丁目)は、江戸時代に富士講によって作られた富士塚の1つで、火口や登山道(→緩やかな御殿場口、急勾配な吉田口)が作られるなど、都筑区内の富士塚の中では最も造形が美しく凝った富士塚と思われます。江戸時代には山の中腹に妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)が祭祀を司った太子堂があり、長さ30cmほどの聖徳太子立像が祀られていたと記されます。現在は太子堂はなく、...
地域タグ:都筑区
佐江戸杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区佐江戸町)は、勧請年代は不詳ですが、江戸時代前期の1613(慶長18)年再興の棟札に、代官小泉久弥・小代官石川次郎右衛門の名が記され、仏法山 般若院 東漸寺(→神奈川県横浜市佐江戸町)が別当寺であると記されており、戦国時代に小机衆で佐江戸城主の猿渡氏が鎮護のために勧請したと伝わります。境内には御嶽三柱大神の碑があり、武蔵御嶽神社(→東京都青梅市御岳山)のおいぬ(オオカミ)を信仰す...
地域タグ:都筑区
帰命山 安国院 無量寺(→神奈川県横浜市都筑区佐江戸町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、鎌倉時代中期には無量寿福寺という尼寺が存在していたと記される高野山真言宗寺院です。鎌倉時代の佐江戸郷は北条広時(時房の孫)の妻が領主を務めており、『関東往還記』には彼女は1262(弘長2)年に佐江戸郷を殺生禁断の地とする禁制を発したと記されます。また、1299(永仁7)年には無量寿福寺の尼僧性観(福の尼)は、金沢北条氏の菩提寺であ...
地域タグ:都筑区
仏法山 般若院 東漸寺(→神奈川県横浜市都筑区佐江戸町)は、室町時代前期の1440(永享12)年に僧の智運によって開山されたと伝わる高野山真言宗寺院です。寺伝によると、奈良時代の744(天平16)年に行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した高僧)がこの地に留錫(りゅしゃく→行脚中の僧侶がある寺に泊まること)し草庵を結び、文殊菩薩を作り安置したといいます。これが寺の始まりとされ、1440(永享12)年に智運が不動明王を本尊として開山...
地域タグ:都筑区
臥龍山 雲松院(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、戦国時代の1525(大永5)年頃に小机城主(→のち城代)を務めた笠原信為が、亡父信隆と伊勢宗瑞(→いわゆる北条早雲)の菩提を弔うために開基、僧の季雲永岳が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。寺号を深大寺とする説もありますが、雲松院のホームページで否定していますのでそれに従います。境内は城塞様式となっており、小机城の詰城、もしくは出城としての役割を担っていたことが分かり...
地域タグ:港北区
医王山 金剛寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、江戸時代中期の1748(寛延元)年に長谷川道全という人物が開基し、約40年後の1786(天明6)年に大継良智(→本山の雲松院19代住職)が曹洞宗寺院として開山したと伝わります。創建の時期は天明の飢饉により多くの死者が出ていた頃と重なります。この地にはもともと北条氏綱(→小田原北条氏2代目)統治下の1540(天文9)年に明翁永寿という僧が創建した草庵があったようです。真偽の程は定かで...
地域タグ:港北区
小机城(→神奈川県横浜市港北区小机町)は室町時代中期におきた永享の乱(1438年~1439年→鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教の抗争)の頃に武蔵国守護を兼ねた関東管領上杉氏によって築かれた平山城と伝わりますが、実際の築城年代は定かではありません。小机城が実際に戦争で使われた記録は、1478(文明10)年に山内上杉顕定(やまのうちうえすぎあきさだ)対して叛乱を起こした長尾景春に味方した豊嶋氏が小机城に籠もったため、扇谷上...
地域タグ:港北区
「ブログリーダー」を活用して、西住りほさんをフォローしませんか?
金井八幡神社(→東京都町田市金井町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代には広福寺(→現在は廃寺)が別当寺として祭祀を司りました。江戸時代中期の1726(享保11)年10月に仏師佐野木丞が御神像(→神仏習合の頃の神体、約15cm)を作り奉納、1751(寛延4)年7月に石段を建立、1828(文政11)年に仏師田村幸左衛門が神体の神像に彩色を施したと伝わります。また、この年に社殿が再建されたようです。現在の社殿は太平洋戦争が始まる194...
能ヶ谷神社(→東京都町田市能ヶ谷6丁目)は、江戸時代前期の正保年間(→1644年~1647年)に東照宮として創建された村民持(もち)の神社を母体とし、江戸時代後期には十六所神社といいました。幕末期の1854(安政元)年4月に再建され、1877(明治10)年6月に村社に列せられたと記されます。1914(大正3)年11月に近隣の表谷神社・天照大神・神明社・住吉神社を合祀して社号を能ヶ谷神社に改めました。現在の社殿は戦前の1931(昭和6)年4月に造営...
長滝山 多聞院 妙延寺(→東京都町田市森野2丁目)は、室町時代前期にこの地の領主であった渋谷重宗(しぶやしげむね)が長栄山 大国院 池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の4代住職日山の弟子である日顕を開山に招いて創建した日蓮宗寺院です。日顕は1429(正長2)年7月23日に死去したので創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により前述の池上本門寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。また、江戸...
森野住吉神社(→東京都町田市森野5丁目)は、江戸時代前期の1640(寛永17)年9月にこの地の領主であった幕府旗本須藤家の3代須藤太郎左衛門盛忠(すどうたろうざえもんもりただ)が、祖先の菩提と武運長久のため名主の渋谷由右衛門尉重忠(しぶやゆえもんのじょうしげただ→旧北条家臣、帰農)および氏子により摂津国住吉郡の住吉大社を勧請して創建したと社宝の棟札に記されます。1710(宝永7)年12月に5代須藤権之助盛連(すどうごんのすけも...
西田杉山神社(→東京都町田市金森6丁目)は、江戸時代前期の1683(天和3)年12月に幕臣高木伊勢守の館の鬼門の守護神として創建したと伝わる神社で、社殿・参道ともに高木伊勢守の館(→神奈川県大和市下鶴間)の方角を向いてます。1793(寛政5)年12月と1936(昭和11)年に社殿が再建されました。境内には5mほどの神木の大公孫樹があります。〖祭神〗・日本武尊(やまとたけるのみこと)西田杉山神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂...
金神神社(こんじんじんじゃ→神奈川県川崎市麻生区白鳥4丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、1873(明治6)年に富士講(→富士山信仰)を束ねて設立された富士一山講社を起源とする扶桑教の神社です。扶桑教はかつての教派神道13派(→明治時代以降、政府によって公認された神道系の宗教団体)の一つとして知られます。境内社には笑顔が印象的な江戸期の一木彫り日本一の大黒天が祀られています。〖祭神〗・天祖参神・金山比古命(かな...
日吉神社(→神奈川県横浜市港北区日吉3丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、往古から武蔵国橘樹(たちばな)郡矢上村の総鎮守として同村北方の俗称「お伊勢原」と呼ぶ丘上にあり神明社と称しました。江戸時代には曹洞宗寺院の谷上山 保福寺(→神奈川県横浜市港北区日吉4丁目)が別当寺を務めましたが、祭祀は平村の神職小泉信濃が来て行ったと記されます。旧社殿は田沼意次(たぬまおきつぐ)が老中首座にあった1785(天明5)年の修造と伝...
普賢山 妙海寺(→神奈川県川崎市中原区木月4丁目)は、戦国時代の1534(天文3)年に木月村の村民鳥海讃岐が開基、僧の仏性院日正が開山したと伝わる日蓮宗寺院です。鎌倉時代初期の1187(文治3)年に源義宗という人物が創建した薬師寺という草庵を鳥海讃岐が一寺としたと伝わります。境内には南北朝時代の「貞和六年」(北朝年号→1350年)と彫られた板碑があるようです。江戸時代には後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮となった徳川和子...
横浜赤レンガ倉庫(→神奈川県横浜市中区新港1丁目)は、現在は公園を備えた赤レンガパークとして1年中何かしらのイベントが行われているみなとみらい地区の代表的な文化・商業・観光施設ですが、もともとは、開国以来、国内最大の貿易港となり取り扱い貨物の急増に対応するため、1899(明治32)年に東洋初の接岸式埠頭として新港埠頭の建設が始まり、その一環として作られた保税倉庫(→外国から運び込まれた輸入手続きが済んでいない物...
横浜市開港記念会館(→神奈川県横浜市中区本町1丁目)は、横浜市開港50周年を記念して市民の寄付金によって第一次世界大戦中の1917(大正6)年6月30日に竣工した「ジャックの塔」の愛称で知られる国の重要文化財です。赤レンガに花崗岩(かこうがん)をとり混ぜた辰野式フリークラシック様式(→東京駅丸の内駅舎など赤レンガに白い石材を配した華やかな西洋建築)で、通りに面した3つの隅部に時計塔・角塔・八角塔を配し、ドームを架けた建...
横浜税関本関(→神奈川県横浜市中区海岸通1丁目)は、先代が1923(大正12)年9月1日の関東大震災で倒壊焼失したため、復興事業の一環で1934(昭和9)年に再建されました。竣工当時は横浜市で最も高い建造物で、イスラム寺院(→モスク)風の塔や連続アーチなど優美でエキゾチックな雰囲気から「クイーンの塔」の愛称で親しまれている横浜市認定歴史建造物です。横浜税関資料展示室「クイーンのひろば」では横浜港と横浜税関の歴史、貿易の最...
神奈川県庁舎(→神奈川県横浜市中区日本大通1丁目)は、横浜港近くの日本大通りに面して建ち、「キングの塔」の愛称で親しまれている国指定重要文化財です。先代が1923(大正12)年9月1日の関東大震災で大被害を受けたため鉄骨鉄筋コンクリート構造が採用され、1928(昭和3)年10月31日に竣工しました。昭和初期に大流行したライト様式(→旧帝国ホテルなどを設計した近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの手による建築様式で、茶色の...
鵜野森日枝神社(→神奈川県相模原市南区鵜野森2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、中世の頃より鵜野森郷の鎮守四社(→山王社・神明社・鹿島社・八幡社)として祀られており、江戸時代中期の1725(享保10)年に社殿を再建した棟札があるようです。明治維新後の1871(明治4)年に山王社を日枝大神と改称し、さらに1873(明治6)年に日枝神社と改称して村社となりました。国の一村一社政策を受けて1922(大正11)年には神明社・鹿島社・八幡...
方運山 青柳寺(→神奈川県相模原市南区上鶴間本町3丁目)は、室町時代中期の1499(明応8)年に日朝が創建した清龍寺という小庵を前身とする日蓮宗寺院です。1583(天正11)年に、室町幕府15代将軍足利義昭(あしかがよしあき)のもとを離れ小田原北条氏の家臣となった渋谷越後守義重が、日蓮宗僧侶日題が開山に迎えて青柳寺を開基したと記されます。江戸時代には本山・末寺の制により鎌倉の妙巌山 本覚寺(→神奈川県鎌倉市小町1丁目)の末寺...
上鶴間鹿島神社(→神奈川県相模原市南区上鶴間本町3丁目)は、鎌倉時代初期の建久年間(→1190年~1199年)に鎌倉幕府の初代将軍源頼朝が鶴舞の里(→鶴間)に鶴舞神社(→現在の上鶴間浅間神社)を創建した頃に境川付近の下森に創建した神社が前身と伝わる神社です。江戸時代後期の1801(享和元)年8月に現在地に遷座したという文書(→「鎮守鹿島明神社遷座願」)が残されています。遷座後は隣接する方運山 青柳寺が鹿島社と境内社の天神社(→現在...
町田天満宮(→東京都町田市原町田1丁目)は、戦国時代の天正年間(→1573年~1593年)のうち小田原北条氏の統治下(→1590年まで)に創建され、江戸時代前期の1615(元和元)年にこの地の領主となった幕府の旗本三橋氏・武藤氏によって社殿が造営されたと伝わる神社です。江戸時代には寺領7石3斗の曹洞宗寺院、金森山 宗保院(→東京都町田市原町田1丁目)が別当寺として祭祀を司りました。明治維新後は菅原神社と称したようです。1872(明治5)年...
金森杉山神社(→東京都町田市金森7丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代前期の1683(天和3)年12月に幕府の旗本高木伊勢守夫妻(→妻は於亀)及びその一族が下屋敷内に社殿を再建したと社宝の棟札に記されています。再建には家臣や名主(→村長)の大貫助兵衛・囲曽甚五右衛門が費用の大半を工面したようです。江戸時代を通して金森村の村民が西田杉山神社(→東京都町田市金森6丁目)と隔年で神体を奉遷して祭礼を行ったようです...
母智丘神社(もちおじんじゃ→東京都町田市原町田5丁目)は、『東京都神社名鑑』によると第一次世界大戦末期の1919(大正8)年に黒木昇・黒木ハナの両氏が宮崎県の石峰山山頂に鎮座する母智丘神社(→石岑稲荷明神とも、宮崎県都城市横市町)を自宅に勧請したが、「家屋鳴動し畏懼(いく→恐れおののくこと)の念に耐えず」社殿を創建したと記される神社です。家屋鳴動云々の真偽の程は定かではありませんが、個人によって建てられた神社とし...
高ヶ坂熊野神社(→東京都町田市高ヶ坂2丁目)は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災によって由緒等が散逸したため創建年代等の詳細は不明ですが、和歌山県の熊野三山神社の那智大社に地形がよく似ていて水源に奉斎し、裏山に滝があったようです。1843(天保14)年の古文書に御供米として毎年地頭より6斗の奉納があり、また除地分として600坪があったとあります。江戸時代の頃は図師村の図師山 大蔵院 釜田寺(→関東大震災で倒壊...
高ヶ坂子育地蔵堂(→東京都町田市高ヶ坂7丁目)は、1971(昭和46)年に南農協高ヶ坂支部倉庫が火災で焼失したため、当時荒廃していた子育地蔵堂の敷地を整理して倉庫と地蔵堂を建設したようです。その後、倉庫は不要となり賃貸倉庫として南農協高ヶ坂支部の運用に使用されていましたが地蔵堂が老朽化したため、1993(平成5)年に支部職員全員で子育地蔵講を設立して資金を積み立てて地蔵堂の新築再建することを決め、1999(平成11)年9月に...
当麻山 無量光寺(→神奈川県相模原市南区当麻)は、鎌倉時代の1261(弘長元)年に「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍(いっぺん)が開いた草庵を起源とする時宗(じしゅう)寺院です。一遍から遊行を引き継いだ真教(しんきょう)が老衰のためこの地に戻り、1304(嘉元2)年ここに堂宇を建立し、阿弥陀仏の別名である無量光仏から「無量光寺」と名付け、一遍の分骨を埋骨して念仏の根本道場としました。真教は1319(文保3)年1月に死去する...
根小屋諏訪神社(ねこやすわじんじゃ→神奈川県相模原市緑区根小屋)は、鎌倉時代初期の1192(建久3)年に筑井城(つくいじょう)を築城した筑井太郎次郎義胤(つくいたとうじろうよしたね)が勧請したと伝わります。神仏習合の頃は井木山寿性院(→現在は廃寺)が別当寺を務めました。『津久井郡文化財神社編』によると、戦国時代には小田原北条氏の有力国衆であった津久井城主内藤景定(ないとうかげさだ)によって1527(大永7)年に50間4面の社...
飯縄神社(いいづなじんじゃ→神奈川県相模原市緑区根古屋)は、小田原北条氏の有力国衆であった津久井内藤氏の居城津久井城の飯縄曲輪(いいづなくるわ)にある神社で、鎌倉時代の1197(建久8)年に前身の筑井城(つくいじょう)を築いた筑井太郎次郎義胤(つくいたろうじろうよしたね)が勧請したと伝わります。戦国時代には津久井城主内藤景定が城の守護神として社殿を改築したと伝わります。津久井城の山頂付近は西峰の本城曲輪・太鼓曲輪...
津久井城(つくいじょう→神奈川県相模原市緑区根古屋)は、鎌倉時代初期に三浦氏の一族である筑井太郎次郎義胤(つくいたろうじろうよしたね→筑井為行とも)が築城したところから始まる根古屋式の山城で、津久井湖の南に聳える標高375ⅿの城山に築かれています。戦国時代には、小田原北条氏の有力国衆で「津久井衆」を率いた津久井内藤氏が城主を務め、対武田氏の最前線の城として重視されました。『勝山記』には、1525(大永5)年に甲斐...
浅利明神(→神奈川県愛甲郡愛川町)は、戦国時代の1569(永禄12)年10月8日の三増合戦(三増峠の戦い)において戦死した武田方の重臣浅利信種(あさりのぶたね)を祀った神社です。江戸時代の1700(元禄13)年3月に曾雌常右衛門知義(そしつねえもんともよし)という武士が、主君の下総関宿藩主牧野備前守成春(まきのびぜんのかみなりはる)の命でこの地を検分した際に、自身にゆかりのある浅利信種がこの地で戦死したことを知り、「浅利墓所」...
三増合戦史跡(→神奈川県愛甲郡愛川町三増)は、戦国時代の1569(永禄12)年10月8日に、甲斐の武田信玄と小田原北条氏の別動隊との間で行われた「三増合戦(みませかっせん)」「三増峠の戦い(みませとおげのたたかい)」に関する史跡です。三増合戦場碑は昭和時代後期の1969(昭和44)年に建立され、その周辺には両軍の戦死者を埋葬したと伝わる首塚や胴塚や、戦死した武田家臣浅利信種(あさりのぶたね)を祀る浅利神社などがあります。〖三...