東京都府中市の浅間山公園(せんげんやま こうえん)の丘陵に所在する、金井原・人見ヶ原の合戦(かないはら・ひとみがはら の かっせん)の史跡、人見ヶ原古戦場(ひとみがはら こせんじょう)と・・・↑東京都小金井(こがねい)市に所在する金井原古戦場の碑を併せて探訪しました。こちらは歩道の一画に石碑と解説板が建っているだけでした。金井原・人見ヶ原の合戦は、南北朝時代の正平7年/文和元年(1352)閏2月から3月に...
東京・神奈川・埼玉の史蹟や神社仏閣の訪問記を豊富な写真で紹介しています。
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人見ヶ原古戦場(東京都府中市)と金井原古戦場の碑(東京都小金井市)探訪記
東京都府中市の浅間山公園(せんげんやま こうえん)の丘陵に所在する、金井原・人見ヶ原の合戦(かないはら・ひとみがはら の かっせん)の史跡、人見ヶ原古戦場(ひとみがはら こせんじょう)と・・・↑東京都小金井(こがねい)市に所在する金井原古戦場の碑を併せて探訪しました。こちらは歩道の一画に石碑と解説板が建っているだけでした。金井原・人見ヶ原の合戦は、南北朝時代の正平7年/文和元年(1352)閏2月から3月に...
地域タグ:府中市
↑東京都府中市に鎮座する、武蔵国府八幡宮(むさしのこくふ はちまんぐう)を探訪しました。武蔵国府八幡宮は「国府八幡宮」「府中八幡宮」「六所八幡神社」とも呼ばれ、宮司・神主等の神職は不在で、大國魂神社(おおくにたま じんじゃ)により管理されていました。概要は、大國魂神社公式サイトより、以下に引用させて頂きました。国府八幡宮(こくふ はちまんぐう) 祭 神:応神天皇(おうじんてんのう)例 祭:8月15日 第...
地域タグ:府中市
↑東京都府中市に所在する、高倉塚古墳を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。府中市指定文化財(市史跡)高倉塚古墳 平成13年10月30日指定 府中崖線(がいせん:ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。 このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。 古来より「高倉塚」と...
地域タグ:府中市
↑東京都府中市に所在する国指定史跡、武蔵府中熊野神社古墳(むさしふちゅう くまのじんじゃ こふん)を探訪しました。石で覆われた古墳は大きくて迫力があり、とても綺麗でした。名称に「熊野神社」があるのは・・・↑古墳と熊野神社が隣接しているからです。この形態、珍しいのではないでしょうか。Wikipedia情報によりますと、熊野神社は府中市内の別の場所(その場所は不明)に鎮座していたそうですが、安永6年(1777)に現在...
地域タグ:府中市
↑東京都あきる野市網代(あじろ)に所在する「重忠の駒つなぎ石」を探訪しました。概要は↑上記写真右側の木に懸かっている解説文を、以下に転記させて頂きました。重忠の駒つなぎ石 行政上は、あきる野市です。八王子市上川町(かみかわまち)では、ここを御前石(ごぜーし)と呼んでいます。 昔、鎌倉時代の武将 畠山重忠(1164〜1205)は、鎌倉幕府への行き帰りには、いつもこの道を使っていました(鎌倉道の一つで、北関東方...
地域タグ:あきる野市
↑東京都八王子市明神町に鎮座する八王子最古の神社、子安神社(こやす じんじゃ)を探訪しました。由緒は子安神社公式サイトより、以下に引用・整理させて頂きました。 ■子安神社は天平宝字三年(759年)に橘右京少輔という者が、時の天皇のお后さまの安産祈願のために創建したと伝えられています。 ■御祭神は木花開耶姫命(このはな の さくやひめのみこと)であり、神話において、自ら火を放った産屋で無事に出産し...
地域タグ:八王子市
↑東京都八王子市の元八王子町(もとはちおうじまち)に鎮座する、御嶽神社(みたけじんじゃ)を探訪しました。由緒は、社殿前に建つ石碑を以下に転記させて頂きました。※筆者の判断で、句読点と振り仮名を追加させて頂いております。御嶽神社 御祭神:蔵王権現(日本武尊) 今より四百年ほど前の天正年間(1573〜1592)北条氏照が滝山城を慈根寺山(じごじやま)に移城し、城下の横山・八日市・八幡の三宿がこの地に移るに至って...
地域タグ:八王子市
↑東京都八王子市元八王子(もとはちおうじ)町に鎮座する、日枝山王社(ひえ さんのうしゃ)を探訪しました。公式サイトは存在せず、現地に由緒書きも無く、ネットでも情報は得られず(汗)この日枝山王社は、全国に約3,800社あると言われる日吉・日枝・山王神社の総本社、滋賀県大津市に鎮座する日吉大社(ひよし たいしゃ)を勧請した社だと思われます。↑日枝山王社の所在地は「東京都八王子市元八王子町1丁目」です。境内は、...
地域タグ:八王子市
↑東京都八王子市小比企町(こびきまち)の湯殿川(ゆどのがわ)沿いに鎮座する、小比企稲荷神社(こびき いなりじんじゃ)を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。稲荷神社略史御祭神 宇賀御魂命 稲荷神社は、建久元年(一一九〇)に当地に鎮座されたと伝えられ、古文書によれば、承応二年(一六五二)本殿再建、貞享三年(一六八六)に拝殿再建とある。 寛政八年(一七九六)には、神祇伯京都吉田...
地域タグ:八王子市
↑こちらは東京都八王子市丹木町(たんぎまち)に所在する北条氏照(ほうじょう うじてる)の居城、滝山城に鎮座する「吉田久稲荷神社」です。滝山城には何度も登城しており稲荷神社が鎮座していることは知っていましたが、その由緒は全く知らず(汗)最近「吉田久稲荷神社」という社号だった事も知り(恥)久々に探訪したわけです。社号と由緒を知ったのは「猫の足あと」様のページです。以下に引用させて頂きました。江戸時代末期...
地域タグ:八王子市
↑東京都八王子市大和田町に鎮座する、関根神社・日枝神社を探訪しました。現地に由緒書きは無く公式サイトも存在せず、由緒は、猫の足あと様のページの情報の一部を以下に引用させて頂きました。関根神社の創建年代等は不詳ながら、多摩郡粟ノ須(現小宮町)の領主 関根氏の祖霊を祀る氏神として祀られてきたといい、下大和田村の鎮守社となっていたといいます。 東京都神社名鑑による関根神社の由緒鎮守府将軍 平貞盛(たい...
地域タグ:八王子市
↑東京都羽村(はむら)市に鎮座する、武蔵阿蘇神社(阿蘇神社とも)を探訪しました。創建は推古天皇9年(601年)とされ、遷座1,400年を超える古社です。承平3年(933年)には、日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の中でも「日本最恐の怨霊」と言われる平将門が社殿を造営。そして天慶3年(940年)には、大ムカデ退治の伝説で知られる、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太:たわら の とうた)が、平将門の霊を鎮めるため社...
地域タグ:羽村市
↑鎌倉幕府御家人 畠山重忠の一族が、寿永年間(1182〜1185)に信州諏訪大社を勧請した、東京都羽村(はむら)市に鎮座する、羽村玉川神社(正式社号は、玉川神社)を探訪しました。由緒は現地解説板と、↑頂いたリーフレットの内容を統合して、以下に転記させて頂きました。玉川神社 鎮座地:東京都西多摩郡羽村町羽中4-1-16御祭神:建御名方命(たけみなかたのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと)例祭日:8月2...
地域タグ:羽村市
↑東京都の西部、羽村(はむら)市に鎮座する、羽村市護国神社(はむらし ごこくじんじゃ)を探訪しました。公式サイトは存在せず、現地に由緒書きも無かったため、由緒は、神社人(JINJYAJIN)様のサイトより、以下に引用させて頂きました。羽村市護国神社 御祭神:旧羽村(現羽村市)出身戦歿者の御英霊御利益:地域鎮護、英霊鎮魂 他創 建:明治39年(1906年)参拝形式:二拝二拍一拝 由 緒 旧羽村(現羽村市)出身で、日清...
地域タグ:羽村市
↑東京都昭島市(あきしまし)拝島町に鎮座する、拝島天神社(はいじま てんじんしゃ)を探訪しました。由緒は、現地に立つ2基の由緒書きを1つに整理させて頂いて、以下に転記させて頂きました。天神社 創建年代は明らかではありませんが、文禄年間(1592〜1596年)に谷保天満宮(東京都国立市)から分霊されたと伝えられています。 古くは子供を対象にした天神講が構成され、そのお日待ち(1月25日)には米飯や野菜の煮付けが...
地域タグ:昭島市
↑新田義貞の家臣、三津田源之進(みつた げんのしん)が起源となる、東京都昭島市(あきしまし)拝島町(はいじまちょう)に鎮座する拝島神明神社(はいじま しんめいじんじゃ)を探訪しました。↑由緒は、現地で入手したリーフレットから、以下に引用・整理させて頂きました。御由緒 創始は正平年間(1346〜1369)新田義貞の家臣、三津田源之進(みつた げんのしん)が御神木を奉じて拝島に留まり祭祀しておりましたが、後に小祠...
地域タグ:昭島市
↑神奈川県鎌倉市と横浜市を結ぶ朝夷奈切通(あさいな きりどおし)沿いに鎮座する、鎌倉の艮(うしとら:鬼門)の守りとして祀られたと伝わる、朝比奈熊野神社を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。朝比奈町鎮守 熊野神社 御祭神:速玉男之命(はやたまのみこと) 伊邪那岐命(いざなきのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 御由緒古傳に曰、源頼朝鎌倉に覇府を開くや朝比奈...
地域タグ:横浜市
↑神奈川県鎌倉市に所在する鎌倉七口(かまくら ななくち)の一つ、国指定史跡の朝夷奈切通(あさいな きりどおし)を探訪しました。※鎌倉七口について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂きました。鎌倉七口とは、三方を山に囲まれた相模国鎌倉への鎌倉道などの陸路からの入口を指す名数。 鎌倉時代には「七口」の呼び名は無く、京都の「七口」をもじったもので「鎌倉十橋」「鎌倉十井」などと並ぶものである。 鎌倉七切...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)に所在する、梅の名所で知られる十二所果樹園を探訪しました。探訪した理由は、2022年大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で『頼朝から謀反を疑われた上総広常(かずさ ひろつね/平 広常)は、頼朝の命を受けた梶原景時によって斬殺された。上総広常の屋敷は、十二所果樹園の辺りに在った』と紹介されていたからです。しかし、上総広常のWikipedia情報には『鎌倉における広常の屋敷跡は朝夷奈切通...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)に所在する『上総広常を斬った梶原景時が、血糊のついた太刀を洗った』との伝承が残る、梶原太刀洗水(かじわら たちあらいみず)を探訪しました。上総広常斬殺事件の概要は、Wikipedia情報より以下に引用・整理させて頂きました。■寿永2年(1183)12月、謀反の企てありとの噂から源頼朝に疑われた上総広常(かずさ ひろつね)は、頼朝の命を受けた侍所所司の梶原景時に鎌倉の御所内で暗殺...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市の東端、十二所(じゅうにそう)の丘の麓に鎮座する、十二所神社を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。相模風土記によると、古(いにしえ)の頃、十二所神社は「熊野権現社」といい、弘安元年(1278年)の創建とされています。 光触寺(こうそくじ)の境内にありましたが、天保9年(1838年)現在の場所に移転しました。 十二所神社の本殿の軒下にウサギの彫刻がありますが、兎...
地域タグ:鎌倉市
大江廣元邸址碑・大江稲荷社・大慈寺跡(神奈川県鎌倉市)探訪記
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)に所在する、大江広元(おおえ の ひろもと)の館跡に建つ「大江廣元邸址碑」を探訪しました。※碑文を意訳すると、以下の感じでしょうか・・・大江氏は学門の家柄で知られており、大江匡房(おおえ の まさふさ)は源義家に兵法を教えたと伝わっている。大江広元は、匡房の曾孫(ひまご)である。 広元は頼朝に招かれ鎌倉に来て、常に幕府の中枢で重要な会議に参画し、幕府創立に当っては広...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市の山の上に建つ「伝 大江広元の墓」を探訪しました。鎌倉幕府の初代別当、大江広元(おおえ の ひろもと)の墓と言えば・・・↑以前、鎌倉市西御門(にしみかど)に所在する、北条義時法華堂跡(探訪記は、このリンクから)で・・・↑大江広元の墓を見学したのですが、大江広元のWikipedia情報には以下の記載があり、いつか本来の広元の墓を探訪しようと思っていました。鎌倉市西御門(北条義時法華堂跡)に大江広元...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそ)に所在する史跡「梶原井戸」を探訪しました。御覧の通り、どこが井戸か分からないほど雑草が生い茂っており、石碑や解説板は無し。また、井戸の周辺には鎌倉幕府御家人 梶原平三景時の館があったと伝わるようです。↑以前、神奈川県高座郡寒川町に所在する、梶原景時一宮館址(探訪記は、このリンクから)を探訪したのですが・・・↑現地解説板の一部に、以下の記載がありました。頼朝の死後、正...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する、御馬冷馬(おんば ひやしば/おんま ひやしば/ごば ひやしば)を探訪しました。この史跡は国や市の指定史跡ではなく、解説板、標柱、石碑などは何も有りませんでした。中世歴史めぐり yoritomo-japan.com 様のサイトより、以下に解説の一部を引用させて頂きました。源頼朝の愛馬、生唼(いけずき:池月とも)と磨墨(するすみ)の足洗い場との伝承があって、江戸時代から明治にかけては名...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺の金沢街道(神奈川県道204号金沢鎌倉線)沿い、閑静な住宅地に所在する、足利公方邸舊蹟(旧跡)を探訪しました。と言っても、民家の前に写真の石碑が1基建っているだけなんですけどね(汗)碑文を意訳すると、以下の感じでしょうか・・・源頼朝が幕府を開いた際、足利義兼がこの地に住居を構え、以来200数十年間、子孫がこの地に住んだ。 足利尊氏が覇権を握って京都へ移ると、尊氏の子義詮(よしあきら...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する、⾭砥藤綱邸舊蹟(あおと・ふじつなてい・きゅうせき)を探訪しました。と言っても、写真の石碑が建っているだけですが(汗)古典『太平記』によれば、青砥藤綱(生没年は不詳)は鎌倉幕府御家人で、北条時頼と北条時宗の二代に仕え、引付衆(訴訟管理の役人)をしていたそうです。 石碑の碑文を意訳してみますと・・・鎌倉執権の善政を論ずる者は、概ね最初に北条時頼・時宗の名前を出す。それ...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に鎮座する、鎌足稲荷神社(かまたりいなりじんじゃ)を探訪しました。この鎌足稲荷神社は・・・↑鎌倉五山第五位の古刹、浄妙寺(探訪記は、このリンクから)の鎮守社で、浄妙寺東側の稲荷山の中腹に鎮座しています。浄妙寺は鎌倉における足利氏菩提寺で、開基は足利宗家2代当主の足利義兼(妻は北条政子の妹)、中興開基は、足利宗家7代当主の足利貞氏(尊氏・直義兄弟の父)で、寺号は足利貞氏の法号「浄...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺(じょうみょうじ)に鎮座する、熊野神社を探訪しました。この熊野神社は鎌倉における足利氏菩提寺、浄妙寺(じょうみょうじ)の鎮守社です。熊野神社の由緒は「猫の足あと」様のページより、以下に一部を整理・引用させて頂きました。熊野神社の創建年代は不詳ですが、隣接する浄妙寺が文治4年(1188)密教寺院として創建し、鎌足稲荷神社と共に熊野神社も浄妙寺の鎮守としていることから、文治4年(1188...
地域タグ:鎌倉市
鎌倉における足利氏菩提寺で鎌倉五山第五位の古刹、神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する臨済宗建長寺派の、稲荷山浄妙寺(とうかざん・じょうみょうじ)を探訪しました。※以下「浄妙寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。 開基は、足利宗家2代当主足利義兼(妻は北条政子の妹)、中興開基は、足利宗家7代当主足利貞氏(尊氏・直義の父)で、寺号は足利貞氏の法号「浄妙寺殿義観」に由来するようです。↑見どころは、足利貞氏と・...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄妙寺に所在する、功臣山 報国寺(こうしんさん ほうこくじ)を探訪しました。※以下「報国寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。沿革は、報国寺公式サイト「報国寺の歴史」より、以下に引用させて頂きました。報国寺は、建武元年(1334)に創建された、臨済宗建長寺派の寺院です。 開山(初代住職)は、仏乗禅師天岸慧広(ぶつじょうぜんじ てんがんえこう)、開基は足利家時(足利尊氏の祖父)で、家...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する、犬懸上杉家(いぬがけ うえすぎけ)第3代当主、上杉朝宗(うえすぎ ともむね)と、その息子で上杉禅秀の乱で知られる上杉氏憲(禅秀)の館跡「上杉朝宗及氏憲邸阯」を探訪しました。と言っても、石碑を見ただけですが(笑)↑石碑の碑文は、以下に転記させて頂きました。上杉朝宗及氏憲邸阯 朝宗ハ足利氏満、満兼ニ歴任シ入道シテ襌助ト號ス、人稱シテ犬懸ノ管領トイフ其子氏憲嗣デ持氏ノ執事ト...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市二階堂に所在する鎌倉最古の寺院、大蔵山杉本寺(だいぞうざん すぎもとでら)を探訪しました。※以下「杉本寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。杉本寺 ■宗 派:天台宗■山号寺号:大蔵山杉本寺■建 立:8世紀■開 山:行基(ぎょうき)■開 基:光明(こうみょう)皇后 鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いた...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市二階堂ヶ谷(にかいどうがやつ)に所在する臨済宗円覚寺派の寺院、錦屏山瑞泉寺(きんぺいさん ずいせんじ)を探訪しました。※以下「瑞泉寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。山号の「錦屏山」は、寺を囲む山々の紅葉が錦の屏風のように美しいことから付けられたといわれているようです。※臨済宗円覚寺派について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂きました。臨済宗円覚寺派(りんざいしゅう &n...
地域タグ:鎌倉市
↑源頼朝公が文治5年(1189)の奥州討伐の後に創建した、神奈川県鎌倉市二階堂に所在する国指定史跡、永福寺跡(ようふくじ あと)を探訪しました。永福寺跡は、ブラタモリ「鎌倉〜頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?」で紹介され、発掘調査を担当した鎌倉市教育文化財部の福田誠氏は「頼朝は一連の権力闘争の勝利宣言をここでしたのではないか?ある意味、頼朝の権力を見せつけるための寺だった」と述べています。↑現地解説板...
地域タグ:鎌倉市
神奈川県鎌倉市に所在する、大塔宮護良親王(だいとうのみや・もりながしんのう)の墓所と、隣接する理智光寺址碑を探訪しました。↑写真は、墓所入口です。建武元年(1334)10月、大塔宮護良親王は父の第96代後醍醐天皇によって捕縛され、足利尊氏に引き渡されて鎌倉へ送られ、東光寺(廃絶)に幽閉された後、翌 建武2年(1335)7月、足利直義(尊氏の弟)の指示で淵辺伊賀守義博によって殺害されています。淵辺伊賀守義博が投げ...
地域タグ:鎌倉市
↑神奈川県鎌倉市に鎮座する「鎌倉宮」を探訪しました。大塔宮鎌倉宮は、明治2年(1869)に明治天皇が創建。御祭神は第96代 後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王です。護良親王は建武元年(1334)10月、父の後醍醐天皇によって捕縛されて足利尊氏に引き渡され、鎌倉へ送られて東光寺に幽閉された後、翌 建武2年(1335)7月に足利直義(尊氏の弟)の指示により殺害されています。その東光寺は廃絶して今は無く、その跡地に鎌倉宮は...
地域タグ:鎌倉市
↑源頼朝公が治承4年(1180)に大蔵に御所(幕府)を設けた際に鬼門の鎮守とし、以降歴代の将軍も尊奉した、神奈川県鎌倉市に鎮座する荏柄天神社(えがら・てんじんしゃ)を探訪しました。由緒は、現地解説板と荏柄天神社公式サイトの情報を合体させて、以下に整理・引用させて頂きました。■平安時代後期の長治元年(1104)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建て、...
地域タグ:鎌倉市
源頼朝公が文治元年(1185)に頼朝公の父、義朝公を祀るために創建した、神奈川県鎌倉市雪ノ下に所在する、勝長寿院跡(しょうちょうじゅいん あと)を探訪しました。 源義朝公は、保元の乱(1156)で後白河天皇に付いて勝利するも、3年後の平治の乱で平清盛に敗れ、敗走中に味方の裏切りにより斬殺されていますね。↑石碑の碑文は、以下に転記させて頂きました。勝長壽院舊蹟院ハ文治元年源頼朝ノ先考義朝ヲ祀ランガ為ニ草創スル...
地域タグ:鎌倉市
神奈川県鎌倉市雪ノ下に所在する、文覚上人屋敷迹(もんがくしょうにん・やしきあと)を探訪しました。※2022年大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」では、文覚上人を市川猿之助(四代目)が演じ、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。↑石碑の碑文は、以下に転記させて頂きました。文覚上人屋敷迹文覚俗稱ヲ遠藤盛遠ト言ヒモト院ノ武者所タリシガ年十八想ヲ左衛門尉源渡ノ妻袈裟御前ニ懸ケ卻テ誤ツテ之ヲ殺シ愴恨ノ餘僧ト為ル其...
地域タグ:鎌倉市
神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)に所在する真言宗泉涌寺派の寺院、泉谷山浄光明寺(せんこくざん・じょうこうみょうじ)を探訪しました。※以下「浄光明寺」と寺号のみに省略させて頂きました。浄光明寺は、鎌倉幕府第6代執権の北条長時を祖とする赤橋流北条氏の菩提寺で↑足利尊氏正室の赤橋登子が建立した、登子の兄で鎌倉幕府最後(16代)の執権、赤橋守時の墓がありました。※浄光明寺は、2015年放送「ブラタモリ 」の「鎌...
地域タグ:鎌倉市
↑元弘3年(1333)陰暦5月18日、新田義貞公の家臣 堀口貞満と大島守之率いる軍勢と、鎌倉幕府第16代執権赤橋(北条)守時率いる軍勢が激突して赤橋守時が自刃した、神奈川県鎌倉市に所在する洲崎古戦場(すさき・こせんじょう)を探訪しました。合戦のポイントは赤橋守時の妹、登子(とうこ/とうし)の夫が、幕府筆頭御家人の足利高氏(後に尊氏と改名)であることです。足利高氏が幕府に反旗を翻して六波羅探題を攻め落としたこ...
地域タグ:鎌倉市
↑長元3年(1030)に河内(かわち)源氏の祖、源頼信(みなもと の よりのぶ)公が宇佐八幡宮(大分県)を勧請した、埼玉県川越市に鎮座する川越八幡宮を探訪しました。由緒は長文になりますが、↑現地由緒書きを以下転記させて頂きました。川越八幡宮由緒 ■御祭神ほんだわけのみこと誉田別命(応神天皇 人皇題十五代) ■鎮座地川越市南通町十九番地一(旧脇田町) ■例祭日五月四日(春季例祭)十月十四日(秋季例祭) 由...
地域タグ:川越市
埼玉県川越市に所在する徳川家と所縁が深い天台宗の寺院、川越大師 喜多院を探訪しました。※以下「喜多院」と、院号のみに省略させて頂きました。↑山門前には、家康公の側近として江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した喜多院第27世、南光坊(なんこうぼう)天海大僧正(慈眼大師:じげんだいし)の御尊像が建っていました。沿革は長文になりますが、現地解説板より以下に転記させて頂きました。国指定重要文化財 川越...
地域タグ:川越市
↑長禄元年(1457)太田道真・道灌父子が河越城(川越城)築城の際には既に現在地に鎮座していたと伝わる、道灌公が城の鎮守とした三芳野神社(みよしの・じんじゃ)を探訪しました。↑由緒は、現地解説板を以下に転記させて頂きましたが、御祭神の記載はありませんでした。三芳野神社(市指定史跡) 三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。このため「お城の天神さま」として親し...
地域タグ:川越市
川越城富士見櫓跡・虎櫓跡・田郭門跡・南大手門跡(埼玉県川越市)探訪記
埼玉県川越市に所在する、川越城(中世は河越城と表記)の富士見櫓跡・虎櫓跡・田曲輪門跡・南大手門跡を探訪しました。探訪の中心は、富士見櫓跡になります。↑上記写真左側に写っている富士見櫓跡の解説板を、以下に転記させて頂きました。富士見櫓跡所在地:川越市郭町二丁目 御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。 櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは...
地域タグ:川越市
↑長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子が築き、江戸時代には「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱が拡張した、埼玉県川越市の平地に所在する天守の無い平城(ひらじろ)、川越城を探訪しました。ちなみに、中世には「河越城」と、江戸期以降には「川越城」と表記するようです。↑現地解説板の縄張図です。太田道真・道灌父子によって築城された当時は赤丸の範囲、現在の本丸・二ノ丸を合わせた範囲だったようで、江戸時代に大規模に拡張...
地域タグ:川越市
↑東京都八王子市の甲州街道沿い、八木町に鎮座する笠間稲荷神社(かさま・いなりじんじゃ)を探訪しました。↑笠間稲荷神社が鎮座する「八木町」の町名は、天正10年(1582)3月の武田氏滅亡の際、八王子へ落ち延びて来た武田勝頼の家臣、八木源左衛門が隠れ住んでいたことに由来。八木町はその後、八王子十五宿の一つ「八木宿」として発展し、笠間稲荷神社は八木宿の鎮守として祀られたそうです。※八王子十五宿とは、新町・横山・...
地域タグ:八王子市
吉田松陰先生をお祀りした、東京都世田谷区に鎮座する松陰神社を探訪しました。↑写真は、松陰先生の墓塔です。由緒は、現地由緒書きを以下に引用させて頂きました。松陰神社 御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰先生)(よしだとらじろう・ふじわらののりかたのみこと) 松陰先生は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育しました。 しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町...
地域タグ:世田谷区
↑東京都世田谷区に所在する東京都指定史跡、世田谷代官屋敷を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡世田谷代官屋敷(せたがや・だいかんやしき) 所在地:世田谷区世田谷1-29-18指 定:昭和27年11月3日 旧史跡指定 昭和34年2月21日 史跡指定 江戸時代のはじめ、大場氏は彦根藩井伊家世田谷領(二千三百石)の代官職を務め、明治維新に至るまで世襲していました。 こ...
地域タグ:世田谷区
東京都世田谷区に所在する、中世の世田谷領主 吉良氏の菩提寺、延命山 勝光院(えんめいざん・しょうこういん)を探訪しました。※以下「勝光院」と院号のみに省略させて頂きました。↑写真は勝光院の吉良氏墓所です。縁起は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。延命山勝光院(曹洞宗) 勝光院は中世の世田谷領主吉良氏の菩提寺で、その創建は、建武2年(1335)と伝える。 初め山号を金𧮾山(きんけいざん)、ある...
地域タグ:世田谷区
↑東京都世田谷区に鎮座する、寛治5年(1091)に八幡太郎こと源義家公が創建した、世田谷八幡宮を探訪しました。約930年前の創建、凄いですね。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。世田谷八幡宮 御祭神応神天皇(おうじん・てんのう)誉田別命仲哀天皇(ちゅうあい・てんのう)神功皇后(じんぐう・こうごう) 鎮座地東京都世田谷区宮坂1丁目26番3号 御由緒と歴史世田谷八幡宮の御鎮座は、今から約九百数十年...
地域タグ:世田谷区
↑桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓がある、東京都世田谷区に所在する彦根藩井伊家の菩提寺、大谿山豪徳寺(だいけいざん・ごうとくじ)を探訪しました。※以下「豪徳寺」と寺号のみに省略させて頂きました。縁起は、現地解説板より以下に転記させて頂きました。大谿山 豪徳寺(曹洞宗) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠(きら・まさただ)が文明12年(1480)に亡くなった叔母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院(こうとくい...
地域タグ:世田谷区
↑室町幕府将軍足利家の支族、吉良(きら)氏の居城、東京都世田谷(せたがや)区に所在する世田谷城跡(東京都指定旧跡)を探訪しました。吉良氏で最も有名なのは、何と言っても吉良義央(忠臣蔵の吉良上野介)でしょうか。概要は、現地解説板の一部を以下に転記させて頂きました。世田谷城跡 ■吉良氏と世田谷城世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られています。 貞治5年(1366)吉良治家(はるいえ...
地域タグ:世田谷区
↑東京都青梅(おうめ)市に所在する、中世の豪族 三田氏の居城跡、勝沼城跡(師岡城とも)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡勝沼城跡 所在地:青梅市東青梅六丁目五八番外指 定:大正14年5月標識 昭和27年4月1日史蹟 昭和30年3月28日旧跡 平成5年3月22日史跡 勝沼城は、霞川上流部を南に臨む丘陵に位置し、主郭標高215メートルを測る平山城です。三...
地域タグ:青梅市
埼玉県狭山(さやま)市入間川(いるまがわ)の河岸段丘(かがん・だんきゅう)上に所在する、城山砦跡を探訪しました。※概要は↑現地解説板を以下に転記させて頂きましたので、御参照くださいませ。狭山市指定文化財城山砦跡 所 在 地:埼玉県狭山市柏原2346番地ほか指定年月日:昭和48年(1973)3月1日 城山砦跡は江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政(やまのうち・うえすぎ・のりま...
地域タグ:狭山市
↑東京都国分寺市に鎮座する、元町八幡神社(本村八幡神社とも)を探訪しました。現地由緒書きを以下に転記させて頂きましたが、創建年代などは掲載されていませんでした。当所鎮守本村八幡神社 御祭神:応神天皇 年中行事歳旦祭:1月1日春季大祭:5月第3日曜日秋季大祭:9月18日七五三:11月中旬大祓式:12月29日↑補足として、武蔵国分寺囃子連様のサイトより、以下に一部を引用させて頂きました。東京都国分寺市西元町に鎮...
地域タグ:国分寺市
↑東京都府中市に所在する、足利尊氏公が開基の龍門山 髙安護国禅寺を探訪しました。※以下「高安寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。概要は、府中観光協会様のサイトより、以下に引用させて頂きました。室町幕府の将軍足利尊氏(1305〜1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。 それ以前の寺は、平将門を...
地域タグ:府中市
↑日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の一つとして知られる平将門公が、御祭神としてお祀りされている江戸総鎮守、東京都千代田区外神田に鎮座する神田明神(正式社号は神田神社)を探訪しました。↑自分は神田明神を探訪する前に、東京都千代田区大手町に所在する将門塚(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)を探訪しました。その理由は・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」に、以下の記述があったからです。■...
地域タグ:千代田区
日本三大怨霊(菅原道真・崇徳上皇・平将門)の一つ、平将門公の怨霊伝説が残る、東京都千代田区に所在する東京都指定旧跡、将門塚(しょうもんづか/まさかどづか)を探訪しました。↑板石塔婆(いた・せきとうば)右側の「蓮阿弥陀佛」は、将門公の法号。左側に徳治二年(1307)とありますが、この板石塔婆は昭和45年(1970)に設置された物だとか。ちなみに「徳治」は嘉元の後、延慶の前。1306年から1308年までの期間。この時代...
地域タグ:千代田区
↑東京都青梅市に所在する、旧稲葉家住宅(東京都指定有形民俗文化財)を探訪しました。概要は、青梅市郷土博物館の解説を以下に引用させて頂きました。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅です。稲葉家は青梅でも有数の豪商で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいました。 「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋は、建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられています。...
地域タグ:青梅市
東京都青梅(おうめ)市に所在する真言宗豊山派の寺院、青梅山 無量寿院 金剛寺を探訪しました。※以下、寺号のみの「金剛寺」と省略させて頂きました。↑写真は平将門(たいら・の・まさかど)が植えたと伝わる、将門誓いの青梅(あおうめ)です。自分が金剛寺を知ったのは・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」の「平将門」の章の、以下の記載です。『新編武蔵風土記稿」には、平将門が植えた梅の木が残されているという記述が...
地域タグ:青梅市
↑徳川幕府の命で、私財を投じてまで武州西多摩郡羽村(はむら)から江戸の四谷まで続く玉川上水を開削した玉川兄弟、兄・庄右衛門(不明〜1695) 弟・清右衛門(不明〜1696)の銅像が建つ、東京都羽村市の羽村取水堰(はむら・しゅすいぜき)周辺を探訪しました。概要は、国土交通省 関東地方整備局のpdfより、以下に整理・引用させて頂きました。■多摩川の水を羽村(現在の羽村市羽東)から取水し、武蔵野台地を横切り四谷大木戸...
地域タグ:羽村市
↑東京都羽村(はむら)市に所在する臨済宗建長寺派の寺院、東谷山禅林寺(とうこくざん・ぜんりんじ:以下、禅林寺と省略させて頂きました)を探訪しました。由来は、現地解説板を以下に転記させていただきました。東谷山禅林寺 文禄2(1593)年に創建されました。開基は当初島田氏の祖、島田九郎右衛門(しまだ・くろうえもん)、開山は鎌倉円覚寺の三伯禅師(さんはく・ぜんじ)の弟子、春覚禅師(しゅんがく・ぜんじ)です。...
地域タグ:羽村市
↑東京都羽村(はむら)市の羽村街道沿いに鎮座する、稲荷神社を探訪しました。由緒は、現地解説板より、以下に転記させて頂きました。稲荷神社 創建年月は不詳ですが、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に「稲荷社」と記述されています。 東ヶ谷戸(ひがしがいと)の鎮守で、祭神は宇迦之御魂之神(うかのみたまのかみ)、建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)です。 もと禅林寺の西...
地域タグ:羽村市
↑東京都羽村(はむら)市に所在する、鎌倉時代の創建と推定される東京都指定史跡「五ノ神まいまいず井戸」と五ノ神社(ごの・かみしゃ)を探訪しました。「まいまいず」とは蝸牛(かたつむり)のことで、この螺旋状の井戸は以前、旅番組で見て印象に残り、行ってみたいと思っていたのです。 ↑五ノ神まいまいず井戸の所在地は「東京都羽村市五ノ神1丁目2−1」で、JR青梅(おうめ)線の羽村駅東口から徒歩1分かかりませんでした...
地域タグ:羽村市
↑東京都国立市に所在する臨済宗建長寺派の寺院、谷保山南養寺を探訪しました。※以下「南養寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。寺院の概要は、国立市観光オフィシャルサイト様より、以下に引用させて頂きました。谷保山南養寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。同じ建長寺派である、立川普済寺(ふさいじ)の末寺です。 南北朝時代の1347年(正平2年)、立川・国立一帯の有力武士であった立川入道宗成(むねしげ)が大檀那と...
地域タグ:国立市
↑東京都国立市(くにたちし)谷保(やほ)に所在する、三田氏館跡(みたし・やかたあと)を探訪しました。こちらは、城山(じょうやま)とも呼ばれるようです。史跡について「多摩のジョギング道 ~多摩のむかし道と伝説の旅~」様の解説が最もわかり易かったので、以下に引用させて頂きました。城山は、鎌倉時代初期の三田氏の城館跡で、津戸城(津戸屋敷)とも呼ばれ、土塁に囲まれた二つの郭(くるわ)と、自然の地形を利用した...
地域タグ:国立市
↑湯島天神、亀戸天神と並んで関東三天神と称され、この地に配流された菅原道武公(菅公第三子)を祀る、東京都国立(くにたち)市の谷保(やほ)に鎮座する、谷保天満宮(やぼ・てんまんぐう)を探訪しました。 由緒は谷保天満宮公式サイトより、以下に引用・整理させて頂きました。御祭神菅原道真公・菅原道武公 由緒昌泰四年右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に...
地域タグ:国立市
↑昭和59年五日市町郷土館発行の「郷土あれこれ」第7号には、中世城郭研究家 中田正光先生が執筆した滝山城と支城の狼煙ネットワークに関する記事が掲載されています。記事の一部を以下に整理・引用させて頂きました。後北条氏の関東支配■戦国時代(16世紀)関東の支配者となった後北条氏(小田原北条氏とも)は、関東各地に支城を置いた。 ■それらは滝山城の北条氏照の軍団、鉢形城の北条氏邦の軍団、玉縄城の北条綱成、江戸城の...
東京都八王子市に所在する中世城郭、国指定史跡の滝山城(続日本100名城)に登城しました。滝山城は、小田原北条氏(後北条氏)の本拠地 小田原城の支城です。↑写真は「本丸」と「中の丸」を隔てる「大堀切」に架かる「引き橋」で、堀底道は鎌倉古道です。ここは、滝山城を象徴する場所の一つ。永禄12年(1569)10月2日、北条氏照が守る滝山城を武田信玄・勝頼が包囲。北条氏照は落城寸前まで攻め込まれるも、武田軍が囲みを解いて...
地域タグ:八王子市
↑東京都港区西麻布に鎮座する、櫻田(さくらだ)神社を探訪しました。由緒は、Wikipedia情報の一部を、以下に引用させて頂きました櫻田神社(さくらだじんじゃ)は、東京都港区の神社。霞山(かすみやま)桜田明神、霞山稲荷とも呼ばれた。 1180年(治承4年)に霞山桜田明神として、今の霞が関の桜田門あたりに創建された。 源頼朝は奥州征伐のために当社に神領を寄進したが、その際、他の田と区別するため桜の木を畔に植えたと...
地域タグ:港区
沖田総司の墓がある沖田家の菩提寺、東京都港区に所在する浄土宗の寺院、一向山三光院専称寺(いっこうざん・さんこういん・せんしょうじ)を探訪したのですが、↑本堂前の門は閉じられており、中へ入ることは出来ませんでした。専称寺に公式サイトは無く、由緒は「猫の足あと」様のサイトより以下に引用させて頂きました。浄土宗寺院の専称寺は、一向山三光院と号します。 専称寺は、伊賀守筒井順慶の姪で上総介織田信長の室とな...
地域タグ:港区
『沖田総司は千駄ヶ谷の植木屋「植甚」の柴田平五郎宅の離れで亡くなった』ということは、総司ファンなら誰でも知るところですが、自分は恥ずかしながら現地へ行ったことがありません(汗)ということで↑東京都新宿区に所在する「伝 沖田総司逝去の地」を探訪しました。現地解説板を、以下に転記させて頂きました。伝 沖田総司逝去の地 この場所には、高遠藩主内藤家屋敷(現新宿御苑)に沿って流れる旧玉川上水の余水吐(よすい...
地域タグ:新宿区
徳川将軍家菩提所次席で、徳川家康公の生母 於大の方(おだいのかた)の墓所があることで有名な、東京都文京区に所在する天台宗の寺院、無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅけいじ)を探訪しました。沿革は、傳通院公式サイトより一部を以下に引用・整理させて頂きました。■応永22年(1415)浄土宗第七祖了誉が開山。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名...
地域タグ:文京区
↑東京都文京区に所在する浄土宗の寺院、無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)を探訪しました。院号の「傳通院」は徳川家康公の生母、於大の方(おだいのかた)の法名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」に因むように、傳通院は徳川将軍家菩提所として知られていますね。※以下「傳通院」と、院号のみに省略させて頂きましたが「伝通院」の表記の方が一般的なのかもしれません。↑於大の方の墓所のほか、千...
地域タグ:文京区
天然理心流三代目 近藤周助の養子に入って四代目を襲名した近藤勇先生の道場、東京都新宿区市谷柳町(いちがや・やなぎちょう)に所在する史跡、試衛館跡(しえいかんあと)を探訪しました。↑写真の標柱は、以下に転記させて頂きました。試衛館跡 幕末に新選組局長として知られる近藤勇の道場「試衛館」は、市ヶ谷甲良屋敷内(現市谷柳町25番地)の、このあたりにありました。 この道場で、後に新選組の主力となる土方歳三、沖...
地域タグ:新宿区
↑佐藤彦五郎の墓がある、東京都日野市に所在する浄土宗の寺院、三鷲山鶴樹院大昌寺を探訪しました。※以下「大昌寺」と寺号のみに省略させて頂きました。日野宿名主の佐藤彦五郎は、土方歳三の義兄(妻は土方歳三の姉、ノブ)で、天然理心流佐藤道場の主。そして新選組の良き支援者だったことは、新選組ファンなら誰でも知るところですね。↑新・歴史群像シリーズ「土方歳三」の「日野宿名主」についての記載を以下に整理・引用させ...
地域タグ:日野市
土方歳三生誕地・万願寺と日野の渡し(東京都日野市周辺)探訪記
東京都日野市の土方歳三先生の生家跡推定地と、多摩川の万願寺船渡場跡(万願寺の渡し)と↑写真の日野渡船場跡(日野の渡し)の3箇所を探訪しました。まずは、土方歳三先生の生誕地(推定地)からスタート。↑土方歳三資料館のパンフレットには「歳三の生家(生誕地)は元々、石田寺(せきでんじ:土方家菩提寺)の北側にある稲荷森(とうかんもり)の東後方にありました」と記載がありますが、稲荷森からの距離が記載されておらず...
地域タグ:日野市
↑土方歳三先生の御実家(土方歳三資料館)からほど近い、東京都日野市石田に鎮座する、石明(せきみょう)神社を探訪しました。探訪した理由は・・・↑KKベストセラーズの「新選組を旅する」に以下の記載があり、行ってみようと思ったわけです。土方家があった石田村は、江戸時代に多摩川の洪水被害で同村の鎮守を流失してしまう。それ以降、土方家は石明神社の氏子となった。※洪水で流失してしまった石田村の鎮守は「御伊勢の森」...
地域タグ:日野市
近藤勇 四代目襲名披露の野試合が行われた日吉神社(東京都府中市)探訪記
↑東京都府中市に鎮座する大國魂神社(武蔵総社 六所宮、六所明神とも)の境外社、日吉神社(府中日吉神社、六所日吉神社とも)を探訪しました。探訪した理由は・・・↑KKベストセラーズの「新選組を旅する」に、以下の解説があったからです。これを読まなかったら、日吉神社を知り得なかったかもしれません。近藤勇が天然理心流四代目を継いだ際、大國魂神社の飛び地境内である日吉神社で襲名披露の野試合が行われ、のちの新撰組隊...
地域タグ:府中市
↑徳川家康公、源頼義・義家公父子とも所縁が深い、東京都府中市の旧甲州街道沿いに鎮座する、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ:六所明神・六所宮とも)を探訪しました。由緒は、現地解説板より以下に転記させて頂きました。武蔵総社 大國魂神社 当神社は、大國魂神を武蔵の国魂と仰いで、鎮祭し祠った神社である。第12代景行天皇41年(111年)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司った。 其の...
地域タグ:府中市
慶応4年(1868)3月、大久保剛と変名を名乗った近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が、甲府へ向かう途中で休息したことで知られ、山門横には↑写真の座像が建つ、東京都調布市に所在する天台宗の寺院、長谷山聖天院西光寺を探訪しました。※以下「西光寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。↑西光寺の所在地は「東京都調布市上石原(かみいしはら)1丁目28−3」で、お寺は旧甲州街道に面して建っています。京王線の西調布駅北口から、徒...
地域タグ:調布市
↑近藤勇は、天保5年(1834)10月9日、武蔵国多摩郡上石原村の豪農、宮川久次郎の三男として生まれていますが、その宮川家の氏神、上石原若宮八幡神社(かみいしはら・わかみや・はちまんじんじゃ)を探訪しました。上石原若宮八幡神社(東京都調布市)は上石原村の鎮守で、近藤勇の氏神でもあり、近藤先生は何度もお参りしたと考えられているようです。この神社を知ったのは・・・↑東京都調布市に所在する近藤勇 生家跡(探訪記...
地域タグ:調布市
↑東京都指定文化財『近藤勇の墓』と胸像が建つ近藤家の菩提寺で、東京都三鷹市に所在する曹洞宗系の寺院、大澤山龍源寺を探訪しました。※以下「龍源寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。龍源寺の由緒は、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂きました。龍源寺(りゅうげんじ)は、東京都三鷹市にある曹洞宗系の単立寺院。 歴史1644年(正保元年)家山東伝によって開山された。所在地が大沢であり、旧大沢村にあることか...
地域タグ:三鷹市
↑東京都調布(ちょうふ)市指定史跡「近藤勇 生家跡」と、その近くの「天然理心流道場 撥雲館(はつうんかん)」を探訪しました。初回の訪問は確か高校生の頃。当時は携帯もネットも無い時代で、自分はカメラも持っておらず(笑)今回、撮影するため再訪したわけです。↑近藤勇 生家跡の所在地は「東京都調布市野水1丁目6−25」で、最寄駅は西武多摩川線の「多磨」駅です。駅から生家跡まで、700mくらいでしょうか。↑ということ...
地域タグ:調布市
↑源頼朝公が勧請したとも伝わる、東京都北区滝野川5丁目26−15に鎮座する、瀧野川八幡神社を探訪しました。由緒は、瀧野川八幡神社公式サイトより一部を以下に引用させて頂きました。創建年代は2つの説があるようです。創建は、鎌倉時代前期の建仁2年(1202年)といわれていますが、「江戸誌」によりますと、文治5年(1189年)に源頼朝が勧請したとの記述があります。 本殿は総欅造り、明治18年(1885)に改築されており、拝...
地域タグ:北区
↑東京都北区に所在する、近藤勇ほか新選組隊士達の菩提寺で真言宗豊山派の寺院、南照山観音院壽徳寺(なんしょうざん・かんのんいん・じゅとくじ)を探訪しました。※以下「寿徳寺」と省略させて頂きました。↑寿徳寺の所在地は「東京都北区滝野川4丁目22−2」です。最寄駅は、JR埼京線「板橋駅」東口から徒歩約10分、または都営三田線「新板橋駅」または「西巣鴨駅」より徒歩約8分とのことです。↑寿徳寺の由緒は、東京都北区観光...
地域タグ:北区
近藤勇が幽閉された板橋宿本陣と脇本陣跡(東京都板橋区)探訪記
慶應4年(1868)4月3日、大久保大和と変名を名乗っていた元新選組局長 近藤勇は、下総国(千葉県)流山で官軍に包囲され切腹しようとするも土方歳三に止められ、粕壁の官軍屯所へ出頭。しかし直ぐに身元がバレてしまい、近藤勇は官軍の板橋本営で縄を打たれて囚人の扱いになり、4月8日から取り調べが行われ、4月25日、官軍によって板橋刑場(現存せず)で斬首。近藤勇は取り調べの期間中、中山道 板橋宿に幽閉されていたよう...
地域タグ:板橋区
↑慶應4年(1868)4月25日、板橋刑場で官軍により斬首された新選組局長 近藤勇が葬られた場所、JR埼京線の板橋駅近くに所在する史跡「近藤勇と新選組隊士供養塔」を探訪しました。自分は武州多摩(東京都西部)在住ですが、多摩は近藤局長と土方副長、源さんこと井上源三郎を始めとする、天然理心流剣士の地元として知られていますね。自分は小学6年の時、授業で新選組を教わり「僕も大人になったら新選組に入る!」と思ったもの...
地域タグ:北区
↑東京都立川市柴崎町1丁目5−15に鎮座する、獅子舞と相撲の名社として知られる諏訪神社(立川諏訪神社とも)を訪問しました。由緒は、公式サイトより以下に転記させて頂きました。千二百年の伝統、由緒ある関東の名社 大国主神(おおくにぬしのかみ)の第二御子神 建御名方神(たけみなかたのかみ)は、諏訪湖の畔に住むきわめて武勇に富んだ神と崇められ、信州諏訪大社に祀られましたが、勧請により嵯峨天皇弘仁二年(811)立...
地域タグ:立川市
東京都立川市に所在する、平安末期から鎌倉時代にかけて武蔵国で活躍した武士団、武蔵七党西党(むさし・しちとう・にしとう)日奉(ひまつり)氏の支族、立川(たちかわ)氏の、立川宮内少輔宗恒(たちかわ・くないしょうゆう・むねつね)の居館跡を探訪しました。居館跡には臨済宗建長寺派の寺院、普濟寺が建っていました。↑写真は、その楼門です。史跡の概要は、土塁の傍に立つ解説板より以下に全文転記させて頂きました。東京...
地域タグ:立川市
↑源義朝に仕えた渋谷金王丸(しぶや・こんのうまる)と所縁が深い、東京都渋谷区の旧鎌倉街道沿いに鎮座する、金王八幡宮(こんのう・はちまんぐう/渋谷八幡宮とも)を探訪しました。現社殿は徳川2代将軍秀忠公の世、慶長17年(1612)に守役 青山伯耆守忠俊と春日局(竹千代:家光の乳母)によって造営されたものとのこと。かつてこの地には、渋谷の地名の由来となった渋谷氏の居館、渋谷城があったようですね。↑以前、頼朝の命...
地域タグ:渋谷区
服部半蔵正成(まさなり)公の開基によって、21歳で自刃した松平信康公(徳川家康公嫡男)の供養の為に開創された、東京都新宿区に所在する浄土宗の寺院、専称山安養院西念寺(せんしょうざん・あんにょういん・さいねんじ)を探訪しました。※以下「西念寺」と省略させて頂きました。↑写真は、本堂裏墓地の一画に建つ「岡崎三郎信康供養塔」です。現地解説板より、以下に解説を転記させて頂きました。新宿区指定史跡岡崎三郎信康供...
地域タグ:新宿区
東京都町田市に所在する東京都指定旧跡、井出の沢古戦場(いでのさわ・こせんじょう)を探訪しました。↑写真は、現地に建つ「史蹟 井出の澤」の碑です。井出の沢古戦場は、鎌倉奪還を目指す鎌倉幕府14代執権、相模入道北条高時の遺児、北条時行を奉じた軍勢と、足利直義(足利尊氏の弟)率いる軍勢が激突した場所と伝わるようです。↑吉川英治「私本太平記(全8巻)」第6巻には以下の記述があり、井手の沢古戦場は以前から訪問した...
地域タグ:町田市
↑東京都町田市に鎮座する、菅原神社(本町田菅原神社)を探訪しました。由緒は、菅原神社公式サイトより以下に引用させて頂きました。室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました。 中先代の乱で戦死者累々としたであろう当地に奉安されたということは、想像の域ながら、...
地域タグ:町田市
↑鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が開基となって建立された、神奈川県鎌倉市大船5丁目8−29に所在する臨済宗建長寺派の寺院「粟船山常楽寺」を訪問しました。※以下「常楽寺」と省略させて頂きました。以下に、現地説明板の解説を転記させて頂きました。常楽寺 ■宗 派:臨済宗建長寺派■山号寺号:粟船山常楽寺■建 立:嘉禎3年(1237)■開 山:退耕行勇(たいこうぎょうゆう)■開 基:北条泰時 1237年、鎌倉幕府三代目...
地域タグ:鎌倉市
↑木曽義仲公の嫡男、清水冠者(しみずかじゃ)源義高公の墓がある、神奈川県鎌倉市大船5丁目15−19に所在する「木曽塚」を訪問しました。木曽塚について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂きました。木曽塚 木曽義高(木曽義仲嫡男)の墓と伝えられる塚で、常楽寺裏山の中腹あたりにある。 もともと木曽塚は、常楽寺の西南100メートルほどの場所に建っていたが、延宝8年(1680)2月に現在の位置へ移された。 木曽塚...
地域タグ:鎌倉市
↑源頼朝の指示で僅か12歳で殺害された木曽義仲公の嫡男、清水冠者(しみずかじゃ)源義高公に纏わる伝承地、埼玉県狭山市に所在する影隠地蔵(かげかくし じぞう)を訪問しました。概要は、現地解説板から以下に転記させて頂きました。市指定文化財 史跡影隠地蔵 所 在 地:狭山市柏原204-1指定年月日:昭和52年9月1日 この地蔵尊が影隠地蔵と呼ばれるのは、清水冠者義高が追手に追われる身となったとき、難を避ける目的...
地域タグ:狭山市
朝日(旭)将軍と呼ばれた木曽(源)義仲の嫡子、清水冠者(しみずかじゃ)源義高は、義仲と対立する鎌倉の頼朝の元に「頼朝の長女・大姫(おおひめ)の婿」という名目で、質子(ちし:人質)として送られた。しかし、木曽義仲が頼朝が派遣した源範頼・義経軍に粟津の戦いで戦死すると、僅か12歳だった義高も、頼朝の指示で殺害された。可哀想な、義高ちゃん・・・歴史好きなら誰もが知る話ですが、清水冠者源義高の悲話に纏わる史...
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東京都府中市の浅間山公園(せんげんやま こうえん)の丘陵に所在する、金井原・人見ヶ原の合戦(かないはら・ひとみがはら の かっせん)の史跡、人見ヶ原古戦場(ひとみがはら こせんじょう)と・・・↑東京都小金井(こがねい)市に所在する金井原古戦場の碑を併せて探訪しました。こちらは歩道の一画に石碑と解説板が建っているだけでした。金井原・人見ヶ原の合戦は、南北朝時代の正平7年/文和元年(1352)閏2月から3月に...
↑東京都府中市に鎮座する、武蔵国府八幡宮(むさしのこくふ はちまんぐう)を探訪しました。武蔵国府八幡宮は「国府八幡宮」「府中八幡宮」「六所八幡神社」とも呼ばれ、宮司・神主等の神職は不在で、大國魂神社(おおくにたま じんじゃ)により管理されていました。概要は、大國魂神社公式サイトより、以下に引用させて頂きました。国府八幡宮(こくふ はちまんぐう) 祭 神:応神天皇(おうじんてんのう)例 祭:8月15日 第...
↑東京都府中市に所在する、高倉塚古墳を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。府中市指定文化財(市史跡)高倉塚古墳 平成13年10月30日指定 府中崖線(がいせん:ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。 このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。 古来より「高倉塚」と...
↑東京都府中市に所在する国指定史跡、武蔵府中熊野神社古墳(むさしふちゅう くまのじんじゃ こふん)を探訪しました。石で覆われた古墳は大きくて迫力があり、とても綺麗でした。名称に「熊野神社」があるのは・・・↑古墳と熊野神社が隣接しているからです。この形態、珍しいのではないでしょうか。Wikipedia情報によりますと、熊野神社は府中市内の別の場所(その場所は不明)に鎮座していたそうですが、安永6年(1777)に現在...
↑東京都あきる野市網代(あじろ)に所在する「重忠の駒つなぎ石」を探訪しました。概要は↑上記写真右側の木に懸かっている解説文を、以下に転記させて頂きました。重忠の駒つなぎ石 行政上は、あきる野市です。八王子市上川町(かみかわまち)では、ここを御前石(ごぜーし)と呼んでいます。 昔、鎌倉時代の武将 畠山重忠(1164〜1205)は、鎌倉幕府への行き帰りには、いつもこの道を使っていました(鎌倉道の一つで、北関東方...
↑東京都八王子市明神町に鎮座する八王子最古の神社、子安神社(こやす じんじゃ)を探訪しました。由緒は子安神社公式サイトより、以下に引用・整理させて頂きました。 ■子安神社は天平宝字三年(759年)に橘右京少輔という者が、時の天皇のお后さまの安産祈願のために創建したと伝えられています。 ■御祭神は木花開耶姫命(このはな の さくやひめのみこと)であり、神話において、自ら火を放った産屋で無事に出産し...
↑東京都八王子市の元八王子町(もとはちおうじまち)に鎮座する、御嶽神社(みたけじんじゃ)を探訪しました。由緒は、社殿前に建つ石碑を以下に転記させて頂きました。※筆者の判断で、句読点と振り仮名を追加させて頂いております。御嶽神社 御祭神:蔵王権現(日本武尊) 今より四百年ほど前の天正年間(1573〜1592)北条氏照が滝山城を慈根寺山(じごじやま)に移城し、城下の横山・八日市・八幡の三宿がこの地に移るに至って...
↑東京都八王子市元八王子(もとはちおうじ)町に鎮座する、日枝山王社(ひえ さんのうしゃ)を探訪しました。公式サイトは存在せず、現地に由緒書きも無く、ネットでも情報は得られず(汗)この日枝山王社は、全国に約3,800社あると言われる日吉・日枝・山王神社の総本社、滋賀県大津市に鎮座する日吉大社(ひよし たいしゃ)を勧請した社だと思われます。↑日枝山王社の所在地は「東京都八王子市元八王子町1丁目」です。境内は、...
↑東京都八王子市小比企町(こびきまち)の湯殿川(ゆどのがわ)沿いに鎮座する、小比企稲荷神社(こびき いなりじんじゃ)を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。稲荷神社略史御祭神 宇賀御魂命 稲荷神社は、建久元年(一一九〇)に当地に鎮座されたと伝えられ、古文書によれば、承応二年(一六五二)本殿再建、貞享三年(一六八六)に拝殿再建とある。 寛政八年(一七九六)には、神祇伯京都吉田...
↑こちらは東京都八王子市丹木町(たんぎまち)に所在する北条氏照(ほうじょう うじてる)の居城、滝山城に鎮座する「吉田久稲荷神社」です。滝山城には何度も登城しており稲荷神社が鎮座していることは知っていましたが、その由緒は全く知らず(汗)最近「吉田久稲荷神社」という社号だった事も知り(恥)久々に探訪したわけです。社号と由緒を知ったのは「猫の足あと」様のページです。以下に引用させて頂きました。江戸時代末期...
↑東京都八王子市大和田町に鎮座する、関根神社・日枝神社を探訪しました。現地に由緒書きは無く公式サイトも存在せず、由緒は、猫の足あと様のページの情報の一部を以下に引用させて頂きました。関根神社の創建年代等は不詳ながら、多摩郡粟ノ須(現小宮町)の領主 関根氏の祖霊を祀る氏神として祀られてきたといい、下大和田村の鎮守社となっていたといいます。 東京都神社名鑑による関根神社の由緒鎮守府将軍 平貞盛(たい...
↑東京都羽村(はむら)市に鎮座する、武蔵阿蘇神社(阿蘇神社とも)を探訪しました。創建は推古天皇9年(601年)とされ、遷座1,400年を超える古社です。承平3年(933年)には、日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の中でも「日本最恐の怨霊」と言われる平将門が社殿を造営。そして天慶3年(940年)には、大ムカデ退治の伝説で知られる、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太:たわら の とうた)が、平将門の霊を鎮めるため社...
↑鎌倉幕府御家人 畠山重忠の一族が、寿永年間(1182〜1185)に信州諏訪大社を勧請した、東京都羽村(はむら)市に鎮座する、羽村玉川神社(正式社号は、玉川神社)を探訪しました。由緒は現地解説板と、↑頂いたリーフレットの内容を統合して、以下に転記させて頂きました。玉川神社 鎮座地:東京都西多摩郡羽村町羽中4-1-16御祭神:建御名方命(たけみなかたのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと)例祭日:8月2...
↑東京都の西部、羽村(はむら)市に鎮座する、羽村市護国神社(はむらし ごこくじんじゃ)を探訪しました。公式サイトは存在せず、現地に由緒書きも無かったため、由緒は、神社人(JINJYAJIN)様のサイトより、以下に引用させて頂きました。羽村市護国神社 御祭神:旧羽村(現羽村市)出身戦歿者の御英霊御利益:地域鎮護、英霊鎮魂 他創 建:明治39年(1906年)参拝形式:二拝二拍一拝 由 緒 旧羽村(現羽村市)出身で、日清...
↑東京都昭島市(あきしまし)拝島町に鎮座する、拝島天神社(はいじま てんじんしゃ)を探訪しました。由緒は、現地に立つ2基の由緒書きを1つに整理させて頂いて、以下に転記させて頂きました。天神社 創建年代は明らかではありませんが、文禄年間(1592〜1596年)に谷保天満宮(東京都国立市)から分霊されたと伝えられています。 古くは子供を対象にした天神講が構成され、そのお日待ち(1月25日)には米飯や野菜の煮付けが...
↑新田義貞の家臣、三津田源之進(みつた げんのしん)が起源となる、東京都昭島市(あきしまし)拝島町(はいじまちょう)に鎮座する拝島神明神社(はいじま しんめいじんじゃ)を探訪しました。↑由緒は、現地で入手したリーフレットから、以下に引用・整理させて頂きました。御由緒 創始は正平年間(1346〜1369)新田義貞の家臣、三津田源之進(みつた げんのしん)が御神木を奉じて拝島に留まり祭祀しておりましたが、後に小祠...
↑神奈川県鎌倉市と横浜市を結ぶ朝夷奈切通(あさいな きりどおし)沿いに鎮座する、鎌倉の艮(うしとら:鬼門)の守りとして祀られたと伝わる、朝比奈熊野神社を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。朝比奈町鎮守 熊野神社 御祭神:速玉男之命(はやたまのみこと) 伊邪那岐命(いざなきのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 御由緒古傳に曰、源頼朝鎌倉に覇府を開くや朝比奈...
↑神奈川県鎌倉市に所在する鎌倉七口(かまくら ななくち)の一つ、国指定史跡の朝夷奈切通(あさいな きりどおし)を探訪しました。※鎌倉七口について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂きました。鎌倉七口とは、三方を山に囲まれた相模国鎌倉への鎌倉道などの陸路からの入口を指す名数。 鎌倉時代には「七口」の呼び名は無く、京都の「七口」をもじったもので「鎌倉十橋」「鎌倉十井」などと並ぶものである。 鎌倉七切...
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)に所在する、梅の名所で知られる十二所果樹園を探訪しました。探訪した理由は、2022年大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で『頼朝から謀反を疑われた上総広常(かずさ ひろつね/平 広常)は、頼朝の命を受けた梶原景時によって斬殺された。上総広常の屋敷は、十二所果樹園の辺りに在った』と紹介されていたからです。しかし、上総広常のWikipedia情報には『鎌倉における広常の屋敷跡は朝夷奈切通...
↑神奈川県鎌倉市十二所(じゅうにそう)に所在する『上総広常を斬った梶原景時が、血糊のついた太刀を洗った』との伝承が残る、梶原太刀洗水(かじわら たちあらいみず)を探訪しました。上総広常斬殺事件の概要は、Wikipedia情報より以下に引用・整理させて頂きました。■寿永2年(1183)12月、謀反の企てありとの噂から源頼朝に疑われた上総広常(かずさ ひろつね)は、頼朝の命を受けた侍所所司の梶原景時に鎌倉の御所内で暗殺...
↑桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓がある、東京都世田谷区に所在する彦根藩井伊家の菩提寺、大谿山豪徳寺(だいけいざん・ごうとくじ)を探訪しました。※以下「豪徳寺」と寺号のみに省略させて頂きました。縁起は、現地解説板より以下に転記させて頂きました。大谿山 豪徳寺(曹洞宗) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠(きら・まさただ)が文明12年(1480)に亡くなった叔母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院(こうとくい...
↑室町幕府将軍足利家の支族、吉良(きら)氏の居城、東京都世田谷(せたがや)区に所在する世田谷城跡(東京都指定旧跡)を探訪しました。吉良氏で最も有名なのは、何と言っても吉良義央(忠臣蔵の吉良上野介)でしょうか。概要は、現地解説板の一部を以下に転記させて頂きました。世田谷城跡 ■吉良氏と世田谷城世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られています。 貞治5年(1366)吉良治家(はるいえ...
↑東京都青梅(おうめ)市に所在する、中世の豪族 三田氏の居城跡、勝沼城跡(師岡城とも)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡勝沼城跡 所在地:青梅市東青梅六丁目五八番外指 定:大正14年5月標識 昭和27年4月1日史蹟 昭和30年3月28日旧跡 平成5年3月22日史跡 勝沼城は、霞川上流部を南に臨む丘陵に位置し、主郭標高215メートルを測る平山城です。三...
埼玉県狭山(さやま)市入間川(いるまがわ)の河岸段丘(かがん・だんきゅう)上に所在する、城山砦跡を探訪しました。※概要は↑現地解説板を以下に転記させて頂きましたので、御参照くださいませ。狭山市指定文化財城山砦跡 所 在 地:埼玉県狭山市柏原2346番地ほか指定年月日:昭和48年(1973)3月1日 城山砦跡は江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政(やまのうち・うえすぎ・のりま...
↑東京都国分寺市に鎮座する、元町八幡神社(本村八幡神社とも)を探訪しました。現地由緒書きを以下に転記させて頂きましたが、創建年代などは掲載されていませんでした。当所鎮守本村八幡神社 御祭神:応神天皇 年中行事歳旦祭:1月1日春季大祭:5月第3日曜日秋季大祭:9月18日七五三:11月中旬大祓式:12月29日↑補足として、武蔵国分寺囃子連様のサイトより、以下に一部を引用させて頂きました。東京都国分寺市西元町に鎮...
↑東京都府中市に所在する、足利尊氏公が開基の龍門山 髙安護国禅寺を探訪しました。※以下「高安寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。概要は、府中観光協会様のサイトより、以下に引用させて頂きました。室町幕府の将軍足利尊氏(1305〜1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。 それ以前の寺は、平将門を...
↑日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の一つとして知られる平将門公が、御祭神としてお祀りされている江戸総鎮守、東京都千代田区外神田に鎮座する神田明神(正式社号は神田神社)を探訪しました。↑自分は神田明神を探訪する前に、東京都千代田区大手町に所在する将門塚(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)を探訪しました。その理由は・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」に、以下の記述があったからです。■...
日本三大怨霊(菅原道真・崇徳上皇・平将門)の一つ、平将門公の怨霊伝説が残る、東京都千代田区に所在する東京都指定旧跡、将門塚(しょうもんづか/まさかどづか)を探訪しました。↑板石塔婆(いた・せきとうば)右側の「蓮阿弥陀佛」は、将門公の法号。左側に徳治二年(1307)とありますが、この板石塔婆は昭和45年(1970)に設置された物だとか。ちなみに「徳治」は嘉元の後、延慶の前。1306年から1308年までの期間。この時代...
↑東京都青梅市に所在する、旧稲葉家住宅(東京都指定有形民俗文化財)を探訪しました。概要は、青梅市郷土博物館の解説を以下に引用させて頂きました。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅です。稲葉家は青梅でも有数の豪商で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいました。 「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋は、建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられています。...
東京都青梅(おうめ)市に所在する真言宗豊山派の寺院、青梅山 無量寿院 金剛寺を探訪しました。※以下、寺号のみの「金剛寺」と省略させて頂きました。↑写真は平将門(たいら・の・まさかど)が植えたと伝わる、将門誓いの青梅(あおうめ)です。自分が金剛寺を知ったのは・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」の「平将門」の章の、以下の記載です。『新編武蔵風土記稿」には、平将門が植えた梅の木が残されているという記述が...
↑徳川幕府の命で、私財を投じてまで武州西多摩郡羽村(はむら)から江戸の四谷まで続く玉川上水を開削した玉川兄弟、兄・庄右衛門(不明〜1695) 弟・清右衛門(不明〜1696)の銅像が建つ、東京都羽村市の羽村取水堰(はむら・しゅすいぜき)周辺を探訪しました。概要は、国土交通省 関東地方整備局のpdfより、以下に整理・引用させて頂きました。■多摩川の水を羽村(現在の羽村市羽東)から取水し、武蔵野台地を横切り四谷大木戸...
↑東京都羽村(はむら)市に所在する臨済宗建長寺派の寺院、東谷山禅林寺(とうこくざん・ぜんりんじ:以下、禅林寺と省略させて頂きました)を探訪しました。由来は、現地解説板を以下に転記させていただきました。東谷山禅林寺 文禄2(1593)年に創建されました。開基は当初島田氏の祖、島田九郎右衛門(しまだ・くろうえもん)、開山は鎌倉円覚寺の三伯禅師(さんはく・ぜんじ)の弟子、春覚禅師(しゅんがく・ぜんじ)です。...
↑東京都羽村(はむら)市の羽村街道沿いに鎮座する、稲荷神社を探訪しました。由緒は、現地解説板より、以下に転記させて頂きました。稲荷神社 創建年月は不詳ですが、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に「稲荷社」と記述されています。 東ヶ谷戸(ひがしがいと)の鎮守で、祭神は宇迦之御魂之神(うかのみたまのかみ)、建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)です。 もと禅林寺の西...
↑東京都羽村(はむら)市に所在する、鎌倉時代の創建と推定される東京都指定史跡「五ノ神まいまいず井戸」と五ノ神社(ごの・かみしゃ)を探訪しました。「まいまいず」とは蝸牛(かたつむり)のことで、この螺旋状の井戸は以前、旅番組で見て印象に残り、行ってみたいと思っていたのです。 ↑五ノ神まいまいず井戸の所在地は「東京都羽村市五ノ神1丁目2−1」で、JR青梅(おうめ)線の羽村駅東口から徒歩1分かかりませんでした...
↑東京都国立市に所在する臨済宗建長寺派の寺院、谷保山南養寺を探訪しました。※以下「南養寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。寺院の概要は、国立市観光オフィシャルサイト様より、以下に引用させて頂きました。谷保山南養寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。同じ建長寺派である、立川普済寺(ふさいじ)の末寺です。 南北朝時代の1347年(正平2年)、立川・国立一帯の有力武士であった立川入道宗成(むねしげ)が大檀那と...
↑東京都国立市(くにたちし)谷保(やほ)に所在する、三田氏館跡(みたし・やかたあと)を探訪しました。こちらは、城山(じょうやま)とも呼ばれるようです。史跡について「多摩のジョギング道 ~多摩のむかし道と伝説の旅~」様の解説が最もわかり易かったので、以下に引用させて頂きました。城山は、鎌倉時代初期の三田氏の城館跡で、津戸城(津戸屋敷)とも呼ばれ、土塁に囲まれた二つの郭(くるわ)と、自然の地形を利用した...
↑湯島天神、亀戸天神と並んで関東三天神と称され、この地に配流された菅原道武公(菅公第三子)を祀る、東京都国立(くにたち)市の谷保(やほ)に鎮座する、谷保天満宮(やぼ・てんまんぐう)を探訪しました。 由緒は谷保天満宮公式サイトより、以下に引用・整理させて頂きました。御祭神菅原道真公・菅原道武公 由緒昌泰四年右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に...
↑昭和59年五日市町郷土館発行の「郷土あれこれ」第7号には、中世城郭研究家 中田正光先生が執筆した滝山城と支城の狼煙ネットワークに関する記事が掲載されています。記事の一部を以下に整理・引用させて頂きました。後北条氏の関東支配■戦国時代(16世紀)関東の支配者となった後北条氏(小田原北条氏とも)は、関東各地に支城を置いた。 ■それらは滝山城の北条氏照の軍団、鉢形城の北条氏邦の軍団、玉縄城の北条綱成、江戸城の...
東京都八王子市に所在する中世城郭、国指定史跡の滝山城(続日本100名城)に登城しました。滝山城は、小田原北条氏(後北条氏)の本拠地 小田原城の支城です。↑写真は「本丸」と「中の丸」を隔てる「大堀切」に架かる「引き橋」で、堀底道は鎌倉古道です。ここは、滝山城を象徴する場所の一つ。永禄12年(1569)10月2日、北条氏照が守る滝山城を武田信玄・勝頼が包囲。北条氏照は落城寸前まで攻め込まれるも、武田軍が囲みを解いて...
↑東京都港区西麻布に鎮座する、櫻田(さくらだ)神社を探訪しました。由緒は、Wikipedia情報の一部を、以下に引用させて頂きました櫻田神社(さくらだじんじゃ)は、東京都港区の神社。霞山(かすみやま)桜田明神、霞山稲荷とも呼ばれた。 1180年(治承4年)に霞山桜田明神として、今の霞が関の桜田門あたりに創建された。 源頼朝は奥州征伐のために当社に神領を寄進したが、その際、他の田と区別するため桜の木を畔に植えたと...