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日本三大怨霊(菅原道真・崇徳上皇・平将門)の一つ、平将門公の怨霊伝説が残る、東京都千代田区に所在する東京都指定旧跡、将門塚(しょうもんづか/まさかどづか)を探訪しました。↑板石塔婆(いた・せきとうば)右側の「蓮阿弥陀佛」は、将門公の法号。左側に徳治二年(1307)とありますが、この板石塔婆は昭和45年(1970)に設置された物だとか。ちなみに「徳治」は嘉元の後、延慶の前。1306年から1308年までの期間。この時代...
前回は、ためぐそ山から深沢山までのお話で今回は最終、深沢山から勝峰山のコースになる。何となく寂しい雰囲気のある深沢山を後にしてこの日の最終の目標の勝峰山へと向かった。道は良く踏まれている。「里山の自然と歴史に触れ会う会」と「日の出山の会」の
土曜日の、3年ぶりの川越まつりで歩き過ぎてしまい、今日になってもダメージが抜けない。太ももとふくらはぎと土踏まず(無いけど)と踵が凄く痛い。おまけに低気圧続きでヨボヨボしてる。明日も駄目そう。 ↓貰った豆大福と、お気に入りの子象さん湯呑み。 今年の川越まつりは的屋さんの屋台が何ヶ所かに集められていて、クレアモール(↓商店街)や道路沿いには1軒も無かった。 昼間の内はまだ歩き易かったけど夕方から地獄の人混みで、なるべく空いている道を選んで遠回りばかりしたせいで、自分とは違い普段あまり「疲れた」言わない配偶者氏まで最後の方は虫の息だった。 丸広百貨店前。 この御神輿の向こう側が屋台村。 塚越囃子連…
瀬田の唐橋の東岸にある龍宮秀郷社には、ムカデ退治伝説が伝わっています。瀬田の唐橋には、平安時代、平将門の乱を鎮めた藤原秀郷(俵藤太)が、唐橋の川底にある竜宮の乙姫の願いで、大百足を退治したという伝説があり、当社は、その秀郷と乙姫の霊を祀る神社です。右が「龍王宮」、左が「秀郷社」むかしむかし、近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々が橋を渡れなくなっていました。そこを通りかかった俵藤太は平気で大蛇を踏みつけて渡ってしまいました。その夜、藤太が踏みつけた大蛇が美しい娘に化けて藤太を訪ねました。娘は琵琶湖に住む龍神一族の乙姫で、龍神一族が三上山の百足に苦しめられているので、藤太に百足を退治して欲しいと懇願しました。藤太は、剣と弓矢を携えて三上山に向かうと、山を7巻き半する大百足が現れました。藤太は、矢を放ちましたが、大...俵藤太のムカデ退治伝説(1)龍宮秀郷社
龍王宮秀郷社の隣にある雲住寺は、俵藤太(藤原秀郷)の追善供養のために15代目の子孫により建立された寺で、この寺は瀬田の唐橋の守り寺にもなっています。百足供養堂毎年10月の第3日曜に俵藤太と百足供養会が催されるそうです。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング俵藤太のムカデ退治伝説(2)雲住寺
御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市にある神社です。 近江富士の別名もある三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る神社です。武士の崇敬が篤く、源頼朝が建久元年(1190年)、足利尊氏が建武3年(1336年)、豊臣秀吉が天正14年(1586年)にそれぞれ神領を寄進しています。楼門(重要文化財)御上神社一、御鎮座地滋賀県野洲市三上838一、御祭神天之御影神(天照大神の御孫)一、由緒当神社の社記によると、天之御影神は今から2千2百余年前の孝霊天皇6年6月18日三上山に御降臨になったので、神孫の御神祝等は三上山を神体山として鎮祭申上げた。降って養老2年、勅命によって現在の地に社殿を造営して遷祀された。爾来、朝野の崇敬あつく、清和天皇の御代に正一位、醍醐天皇の御代に明社大社、次に圓融天皇の御代には勅願所と定め...俵藤太のムカデ退治伝説(3)御上神社