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以下の一節については、【「安居」のシステム論的考察】という記事で、別の文脈の中にて用いたこともあったのだが、とりあえず、今回は「住持三宝」という観点から改めて考えてみたい。もし不安居は、仏及菩薩にあらず。仏祖の児孫なるもの、安居せざるはなし、安居せんは、仏祖の児孫としるべし。安居するは、仏祖の身心なり、仏祖の眼睛なり、仏祖の命根なり。安居せざらんは、仏祖の児孫にあらず、仏祖にあらざるなり。いま泥木・素金・七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち、住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり。おほよそ仏祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月つとむべし。『正法眼蔵』「安居」巻これまで、「住持三宝」というと、『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」巻や、『仏祖正伝菩薩戒作法教授戒文』などを用いて考察される場合がほと...「住持三宝」の真意とは?
日本語の面白い語源・由来(ふ-⑦)ブービー賞・仏法僧・船・文・梟・腑抜け・山毛欅・陰嚢
日本語の語源には面白いものがたくさんあります。前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記
慈雲尊者飲光に、「宝暦十二年四月十三日大坂某信女乞求三帰受前開示云」という法語が遺されている。文字通り、女性の在家信者に対して、三帰の基本を示されたものである。今日は、その一説を学んでおきたい。又、仏世尊は此身はどうした物じや、心はどうした物じやと云ふことを、明かに思惟なされて、菩提樹下にて廓然大悟なされたが、今日の仏世尊釈迦如来じや、此仏世尊に帰依し奉るを帰依仏と云ふ、又、仏も法を以て師とすとあつて、法に依て修行されたが、今日の者も法に依て出離生死の道を修行するに依て、次に法に帰依し奉る是を帰依法と云ふ、何を法と云ふならば、仏の世に出現なされたは、一切衆生に真実の道を御示しなさる事より外は、仏の御用はないが、其御示しなされたが今日の御経じや、まあ是が法で世間の十念を授くるも、一分の帰依法じや、法華の題目...慈雲尊者が説く三帰の教え