空港からはタクシーでホテルに向かうことになり、無秩序になんとなく客待ちをしているタクシーの群れの中にいたミニバンの一人とRajさんが交渉し、すぐに皆でそのタクシーに乗り込んだ。丁度ヒンドゥーの大きなお祭りの最中で、多くの人々は田舎に帰っていると説明を受けたように、通りにはシャ...
クッカバラの囀りを皆さんにお届けし、思いを共感、共有できたら嬉しいです。快い囀りと響きますように。
学生時代、車窓からのぞく青く輝く稲穂に願いをし、三つ目の願い叶って故郷を離れ、海外で家庭を築くも気がついたら一人。3匹のバッタ達も、次々に高校を卒業し、進学と同時に家を出て行きました。そこに新たな相棒トンカを迎え入れ、人生を謳歌しようじゃないか、との境地に至っています。そんなクッカバラの囀りを皆さんにお届けし、思いを共感、共有できたら幸いです。
夢のエベレスト街道トレッキング~ エピローグ(ティハール、光の祭典)
空港からはタクシーでホテルに向かうことになり、無秩序になんとなく客待ちをしているタクシーの群れの中にいたミニバンの一人とRajさんが交渉し、すぐに皆でそのタクシーに乗り込んだ。丁度ヒンドゥーの大きなお祭りの最中で、多くの人々は田舎に帰っていると説明を受けたように、通りにはシャ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 9 ルクラ(カトマンズへ)
ルクラ入りした時には、ラメチャップから飛行機に乗っており、そのラメチャップにはカトマンズから車で半日かけて行った。帰りも、あのアップダウンの激しい山道を車で行くのかと思うと気が重かったが、なんとカトマンズまでの便が手配されていた。 体調の思わしくないAmmaのことを思えば、ひ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(慰労会)
Ammaにも相棒にも、予め慰労会のことを告げていたし、二人ともそれが重要な儀式であることを十分に理解してくれていた。微熱が続くAmmaは怠そうではあったが、そこは肝が据わっているし、出番となるとどんな状態であっても周囲の期待を裏切らずに、求められる役割を立派に果たすことに掛け...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(達磨ストーブ)
ルクラのロッジで、未だ微熱があって寝ている相棒ではあったが、どうしても連絡をしなければならない方たちにメッセージを書いていた。部屋ではwifiが怪しげだったので、食堂に行って確実に送信して欲しいとお願いをされた。 お湯を貰いに行ったり、wifiコードを確認に行ったり、メッセー...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(相棒)
ルクラのロッジは、初めてルクラ入りした時に寄った場所だった。食堂には午後の便を待つトレッカー達で賑わっていて、のんびりとした空気が漂っていた。空港の目と鼻の先なので、飛行機の発着による騒音に悩まされるかと思ったが、二度ほど賑やかになっただけで、その後はひっそり閑としてしまった...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(神隠し)
Ammaは時々鼻をかむために、立ち止まらねばならなかった。咳込むこともあった。それでも、弱音の一つ吐くでもなく、黙々と歩き続けた。歩くペースは、普段以上に遅くなったと思う。そうしながらも、Ammaは自分の足で歩くことを続けた。 私はと言えば、Ammaの後ろをのんびりと、これが...
令和六年 新年明けましておめでとうございます 皆皆さまにとりまして、幸せな一年となりますよう、ご祈念申し上げます 本年も引き続きどうぞよろしくお願い致します クッカバラ
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(ダルバート)
Ammaの体調も振るわなかったが、相棒の体調も怪しげだった。二人には、私の病をバトンタッチしてしまったような思いがあったし、一方の私はすこぶる元気になっていた。ルクラまで、無事に歩いて行くためにも、出来る限りのサポートをしたかった。 そこで、荷物を一切背負わないように、私が二...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)
人にはそれぞれ矜持がある。母は45歳にして大学生3人を抱えた未亡人になるなんて、思いもよらなかっただろうし、しかも、亡くなった旦那の家業を継ぐことになろうとは、考えてもいなかったであろう。 3年間は父の話題を母にすることはご法度だった。母から話題にする分には問題がないが、子供...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(祈りと願い)
パクディンのロッジでは、遅い昼食をAmmaと私のみでとったように記憶している。相棒の調子は、ここでも今一つで、確か早々に寝入ってしまったように思う。ダールバートに舌鼓を打つ私の傍で、Ammaは所謂チャーハンに、溶き卵をさくっと焼いただけのシンプルな卵焼きが定番となっているオム...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)
部屋に落ち着くと、ごんごんとしたドゥードコシ川の瀬音が耳に入ってきて、ああパクディンに戻って来たのだとの感慨が強くなった。寒空が広がる部屋の外では、もうすぐ日も暮れるであろうのに、男性が洗濯物をしていた。これから干しても乾くのだろうか。 夕暮れ時の凍てつく中、ナムチェのロッジ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)
相棒は高熱は下がったものの、本調子ではなかった。まるで私の体調の悪さをバトンタッチして、引き受けてもらったようなものであった。実際のところ、本当にそうなのかもしれない。私がフランスから風邪のウィルスを持ち込んでしまったに違いなかった。 加えて気になったのが、喉がおかしいと言っ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)
最初の計画ではタンボチェに行き一泊、その後キャンジュマまで下山し一泊、そしてモンジョに戻り一泊、としていた。それがタンボチェには行かずにナムチェに戻ってきたことから、予定していたロッジの手配を再度しなければなかった。 もちろん全てRajさんが手配してくれるので、我々は状況を教...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレ(祈り)
ナムチェを早朝の出発の時点では、37度に熱が下がっていた相棒であったが、次の宿泊場所のジョルサレで、夜になると39度5分という信じがたい数字が出てしまっていた。 シャンボチェの丘 で、私に抱きついて、感極まって泣いた時のことが急激に思い出され、どきりとした。まさか。 ひょっと...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 再びナムチェ(相棒)
冠雪のコンデ山群が見え始めて暫くすると、眼下にナムチェの家並みが見え、ほんの二日前にことなのに、ひどく懐かしく思われた。その日の朝から頭痛はすっかりとなくなっていて、足取りも軽やかに、それこそ飛び跳ねるようにしてカメラのシャッターを切っていた。 行き交うトレッカー達との挨拶も...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)
シャンボチェの丘を降りてナムチェに戻るのだが、若干距離的には長くなるが、直滑降になってしまう来た時の道を避け、比較的緩やかな道を下って行くとのことだった。実のところ、来た道を戻るのも悪くないとは思っていた。 人というものは、一般に進行方向にある景色を見て歩く。その意味では、通...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)
一日中寝ていたからだろうか。朝はかっきりと目覚めることができ、Ammaと相棒と一緒に、ご来光とまではいかないが、夜明けの気配が広がりつつある外の世界の扉を開けた。相棒は大切なブルーのクリスタルボールを抱えていて、いかにも彼女が放つ音の粒で朝をもたらすかのように意気込んでいる様...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)
Ammaと相棒がいつ部屋を出て行って、そして再び戻って来たのか、記憶にない。それでも、「お粥を作ってもらったわよ。」とのAmmaの言葉に驚いたことを覚えている。 Ammaは私が前夜頻繁に下痢でトイレに駆け込んでいたことを知っていた。何か食べないとエネルギーが湧いてこないし、こ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)
Ammaと相棒が朝食に部屋を出て行ってから、何となく気配を感じてスリーピングバッグから這い出すと、ダウンを着てカメラを取ってトレッキングシューズを履いた。相棒が私の名前を呼びながら、窓の外を走っている姿が確認できた。 ビスターレ、ビスターレ。ふらつきそうな身体に活を入れ、それ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)
リゾートの準備してくれた、自慢のセットメニューとやらをご馳走になろうかと皆で食堂に繰り出していった。Rajさん情報では、ミソスープやら白米が出てくるらしい。そんなの無理にいらないのに、と思うものの、それこそRajさん曰く、「リゾートなので、融通が利きません」とのことだった。 ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)
これまで、どこのロッジでも夕食の前にRajさんは何を食べるか聞いてくれて、時間も予め設定していた。従い、時間通りに食堂に行けば、すぐに熱々の食事が出てくるようになっていた。朝食も然り。飲み物も含め前日に予め注文を取り、席につけば、すぐに熱々の飲み物を持ってきてくれていた。 こ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)
気を取り直し、そろそろ夕日が沈む頃だろうからと、相棒と二人で外に出てみた。どうやら高台があるようで、そこまで歩いて行ってみた。雲が山並みを隠しながらも、時々、峻険な雪肌がちらりと見えるものだから、そのあまりの壮大さに声が出なかった。 我々二人だけだと思っていたが、誰かが高台に...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)
丘の中腹で地元のおばちゃんからアクセサリーを買ってからのシェルパリゾートへの道は、思った以上に時間がかかった。途中で「標高3 775m地点」と明記された水色の看板があった。そこで記念写真をとでも言うのだろうか。 エベレストシェルパリゾートは目の前まで迫って来ているのに、そこに...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)
次に目指すは、二泊することになるシャンボチェの丘にあるシェルパリゾートだった。展望台にいた時にRajさんが、ほら、あそこがそうですよ、と教えてくれていた。目と鼻の先のようでいて、実のところ2時間はかかる道のりで、我々はそれ以上の時間を掛けてゆっくりと近づいた。 一度ナムチェの...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)
ほら、あそこの一番端に見えるのがエベレスト。そして、その隣に聳えるのがローツェ。 ぐんと手前の右端にアマダブラムが存在感を持って白く輝いていた。地球の背骨と言われる、世界最高峰となる8000メートル級の山頂には笠雲が芸術的にふんわりと覆っていた。 Rajさんは感動して泣きます...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)
ナムチェの村の階段を上り、サガルマータ国立公園の入り口に向かって、ゆっくりと歩いて行った。薬局に寄り道をしたからだろうか。道には人影がまばらで、我々4人だけの世界が続いていた。 前夜ナムチェのロッジで旅装を解いたトレッカー達の多くは、高所順応のためにナムチェで一泊する。そして...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)
ナムチェを出発しシャンボチェの丘に行く前に、サガルマータ国立公園に寄って行くという。その前に、ナムチェの村の薬局で薬を買いたいと願い出た。カトマンズで買ったアスピリンは、もう二錠しか残っていなかった。 ポーターさんが道案内をしてくれるというので、相棒と二人で、未だ朝早いナムチ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)
高山病に関して、多くの医療機関や厚生労働省が特徴についてとりまとめている。 高山病は標高2,000 m以上の高所で低酸素によって生じる身体症状の総称で、「山酔い」とも呼ばれ1~2日で軽快する軽症の病態から、「高地肺水腫・脳浮腫」や「急性低酸素症」のように早急に治療を必要とする...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)
標高2800メートルとなるジョルサレでランチ休憩となった。テラスに腰を下ろすと、太陽がぽかぽかと背中を温めてくれて気持ちが良かった。ビスターレ、ビスターレ、ゆっくり、焦らず、マイペースで、とRajさんが呪文のように唱えてくれるので、疲れを感じることもなく問題なくたどり着いたと...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)
トレッカー達の朝は早い。山では午後から天候が崩れることも多く、また、出来るだけ早いうちに出発し、早めの時間帯に目的地に到着し、宿を確保しようとの思惑も背景にある。しかも、エベレスト街道は一つだけであり、主要な場所では皆が同じ道を通る。従い、出発時は賑やかな混雑状態になるのが常...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)
今回のトレッキングルートの中で、最初の山が距離的に8キロ程度となるパクディンからナムチェへ到る道だった。出発地点のパクディンは標高が2 610 m程度だが、到着地点のナムチェは標高が3 440 mとなる。しかも、2本の吊り橋で有名な「ヒラリーブリッジ」を過ぎてからナムチェまで...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)
パクディン自体が川に沿って出来た集落なのだろう。ロッジは村の奥の高台にあり、崖下にはヒマラヤの氷河を源流とした、鉱物を多く含み乳白色をしたドゥードコシ川が音を立てて流れていた。スイスのマッターホルンの麓に流れる川と同じ色をしていて、なんだか懐かしく思われた。 Rajさんがパク...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)
ルクラのロッジ。これからエベレスト街道にて、カラパタールやゴーキョピークなどそれぞれの目的地に向かってトレッキングを開始する前に立ち寄った人々でごった返していた。前回は悪天候で飛行機が飛ばず、このロッジに4泊したとはRajさんの言。 ロッジの多くは、大きな食堂の窓際に沿っ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)
世界一危険な空港としてその名を馳せるルクラだが、確かに滑走路は驚く程短く、着陸時にはジェットコースターに乗っている様な気分で、気が付くと目の前に座っている相棒の座席にしがみついていた。 もともとジェットコースターの類は子供の頃から苦手だった。ところが、相棒ときたら遊園地が大好き、...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)
ラメチャップの空港は、お宿から目と鼻の先だった。未だ暗い中、空港に近付くとトレッカー達が賑わっていて、ペルーのマチュピチュ行きの電車に乗る駅を思い起こさせた。と、中型車が柔らかなクラクションを鳴らし、すっと隣に寄って来た。Rajさんが何か話している。運転手がにこやかに手を振るもの...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップ(深淵)
そんなに急いで行っても、ラメチャップには何も見るものがないですよ、とは旅行会社のオーナーのラクスマンさんの言葉だった。確かに、ラメチャップと言う村は車が通る道が一本あるだけの、小さな村だった。恐らくルクラに向かうトレッカー達にとって、日程と予算のしがらみで、ラメチャップは空港...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップへ(人生観)
カトマンズからラメチャップへの道は、前半は比較的平坦な道だったが、後半になるとアップダウンが激しく、時に山を駆け上がり、時に駆け降りる、スピンのきついカーブあり、と、ジェットコースター並みだった。これが夜中の運転だったら、どんなに恐ろしいことだろうと思い、日中に出掛けることに...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ビスターレ、ビスターレ
エベレスト街道の出発点ルクラは、ネパール北東部のサガルマータ県にある小さな町で、走行距離がこの上なく短い滑走路が一つだけある空港を有していた。この「サガルマータ」という名称こそ、ネパール語で「エベレスト」を指すのであった。 天候さえ許すのであれば、カトマンズとルクラ間では毎日飛行...
この旅行記が、エベレスト街道の出発点にさえ未だ辿り着いていないことに、我ながら呆れている。しかし、それほどカトマンズは謎めいていて、魅力に満ち溢れていた。それに、カトマンズを語らずして、ヒマラヤを語るなかれ、ではあるまいか。もう一章だけ、お付き合いいただけたら幸いである。 フ...
夢のエベレスト街道トレッキング~カトマンズ編 コペルニクス的転回
今度は驚く程スムーズにカフェの青年が伝えてくれた場所を確認しながら、歩いて行くことができた。カフェの青年は、ちゃんと我々が間違えそうな箇所を心得ていて、アドバイスが的確だったのである。日本に留学した程なのだから、きっと大きな夢を持っているのだろう。青年よ、大志を抱け!である。 そ...
カトマンズの中心部、それも旧市街の一部と観光客が集うタメル地区を歩いただけで、カトマンズを語ってくれるな、と言われるかもしれない。それでも、あのどうしようもないカオスで、むんむんとした熱気に満ち溢れた街の魅力を語らずにはいられない。 エベレスト街道トレッキングに出るまでに、時差ボ...
トランジットをしたデリーの空港で非常に乱暴で高圧的なセキュリティ検査を受けた後だったからだろうか、カトマンズ空港のセキュリティ検査は非常にのんびりとしていて、ビザの取得もスムーズで、拍子抜けしてしまった。心配していた荷物も、そんなに待たずにターンテーブルに載せられて出てきた。...
地域タグ:ネパール
マチュピチュの時 もそうだった。母は「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」そう言い放つのだった。ちょっと待ってよ、私も行くわとばかりに慌てて企画し、バッタ達も引き連れて皆でインカ帝国の魅力の虜になったのが、早6年前。 母のバケットリストには「 アンコールワット ...
地域タグ:ネパール
小川に沿った小径に差し掛かると、私は右に折れた。右は我が家に戻るルートであり、雨の日も、風の日も、日照りの日も、猛暑の中でも、真冬の暗がりでも、毎日通っている。そして、トンカが左に折れたことを気配で知った。 トンカよ。行くのかい。 これまでの私であれば、トンカの向かう左に一緒...
その日も、いつものように森の中を駆け回り、栗を齧り、泥水を味見し、枯れ葉を蹴散らしながら小川のある散歩道にたどり着く、千と千尋の神隠しに出てきそうな小径を夕陽に黄金色に燃えながら走り降りていた。ふと、トンカが立ち止まる。顔を心持ち上にし、耳をピンと立てて様子を伺っている。実際...
鹿の後を追いかけて行っても、森で何かに引っかかっても(大抵はキャンプやピクニックの後の食べ残し)、数分もすれば、いや数十分もすれば、必ず戻ってくるトンカ。そして、必ず待っている私。相互信頼関係が築き上げられたと思っているのだが、一つだけ例外がある。 トンカにとっては会えばたっ...
今にも泣きそうな空だと思っていたら、突風まで吹き始めた。森の木々はごうごうと音を立てて揺らぎ、小枝、どんぐり、毬栗が、ばらばらと地面にたたきつけられる。と、ばしん、っと物凄い勢いで左腕に毬栗がぶつかってきた。 あまりの激しさと、痛さに、思わず悲鳴を上げてしまいそうになる。帽子...
先日、あれだけ 市内の路線バス を褒めちぎったばかりなのに、今回は真逆の記事になってしまう。 我が家に一番近いバス停は、駅を始発、あるいは終点とする市内循環バスが通っている。その他にも、駅から隣村まで行くバスが、朝夕一本ずつのみ我が家に一番近いバス停を経由している。高校がある...
朝夕こそ冷え冷えとしているのに、日中は真夏日のような暑さが続いている。地球にしても、大袈裟に言えば宇宙にしても、毎日いつも通りの平穏な日々というものは、存在しないのだろう。 そんなことは既に鴨長明が看破していたではないか。 行く河のながれは絶えずして しかももとの水にあらず よど...
パリ行きの電車に乗るための駅までは、我が家から歩いて小半時間の距離。バスだと、車が混んでいなければ15分。朝夕の通勤、通学の時間帯にはほぼ15分おきに運行していて、日曜は一時間に一本程度。これで十分なのだけど、それは問題なく運行している時のこと。 驚くことに、運行会社が、なの...
ばりり、ばりりと小気味よい音を立てて、コナラやクヌギのドングリの傘や実を足元で弾けさせながら森を闊歩する。隣ではトンカが負けずとばかりに、かりり、かりりと賑やかな音を立てて、栗の実を齧っている。 太陽はまだ西の空で薄っすらと輝いているが、そろそろ夕闇が迫ってきそうな気配が森中...
君の笑顔にもう一度会いたいとずっと思っている。 そうだ、僕のオフィスに来ないか? 美味しい珈琲も、ちょっとしたビスケットもあるよ。ゆったりとしたソファーでくつろいでもらってもいい。 今日、どうしても君に会いたくなった。18時以降なら、いつ来てもらってもいい。 って、言われても...
ひょんなことから週一で預かっている 高校生君 を喜ばせようと、今回はつくね丼を作ることにした。鶏のモモ肉を使うのだが、当然フランスではモモ肉のひき肉など手に入らない。需要がないからだから仕方のないことなのだが、先ずはモモ肉を手に入れることから始めようか。 そして、当然のことな...
同じ場所なのに、同じ時間なのに、日にちが違うだけで、こうも違った様相を見せてくれる自然に、憧れと同時に畏敬の念を覚えずにはいられない。 これから益々日が短くなって、朝の電車の車窓からの景色は、真っ暗闇になってしまうだろう。だから、今だけの楽しみと言えようか。 そんな風に窓の外...
ノルマンディーに週末出掛けるという 友人夫婦 と食事をして、外に出たら月が出ていた。中秋の名月。中国では大々的にお祝いするとかで、何度も彼らのホームパーティーに呼ばれたものだった。初めこそ、彼女が振る舞う本場の月餅は、日本で食べる甘いだけの月餅と似て非なるもので、大いに違和感...
一週間ほどご長女のいるノルマンディーに出掛けていたお向かいの90歳になる マダム が、帰ってきたら丁度お庭の無花果が熟れていると、薔薇の花をあしらった小皿に幾つか盛って差し入れをしてくれた。 丁度庭の林檎でアップルケーキを焼いたところだったので、一切れお返しにお届けすることに...
庭の隅にある小さな林檎の木の枝がしなる程に、今年は林檎の実が鈴なりになっている。朝日が差し込む頃に、林檎たちの弾んだおしゃべりが聞こえてきそうなぐらいに、小さな実が輝いている様子がキッチンの窓から見て取れる。 長女バッタがフィレンツェに旅立つ前に我が家で週末を過ごしたが、庭の...
どこまで踏み込んでいいのか、 どこまで踏み込むべきなのか。 自立した成人となったのだから、相談されないのであれば、話があるまで待つべきなのだろう。 それでも、親が子の幸せを願い、子の将来を心配するのは、当然のことではあるまいか。 天高く馬肥ゆる秋 そんな言葉がふっと唇にのる程...
ひょんなことから、この9月から一年間、一週間に一回ではあるが、高校生を我が家に預かることになった。夕食を共にするわけだが、好き嫌いはないらしく、完食してはくれるが、美味しいからなのか、礼儀正しいからかなのかは、正直なところ分からない。と言うのも、おかわりのリクエストはなく、成長盛...
トンカとの散歩から帰ってくると、玄関脇に小さな包みがちょこんと置いてあった。おおっつ!近所に住む 苔庵のマスター からの差し入れに違いない。散歩の途中に、別件でメッセージのやり取りをしていて、彼女が苺大福を上手に作れたことを知っていた。しかし、差し入れしてくれるなんて、感謝、...
日本に一時帰国して驚くことが沢山あるが、驚く内容が大まかに言って二種類ある。青年期まで過ごした日本との違い、そして、現在住んでいるフランスとの違い。その両方ともに当てはまることも少なくないが、その一つにごみ収集がある。 住んでいる自治体により、厳格さ、分別の仕方など様々であろ...
最近のトンカは、泥で体温を下げることがお気に入り。泥と言っても、雨がちっとも降らない日々が続いているので、地面が掘り起こされて、柔らかく冷たい土が表れているところを探して、寝転がっている。 実際のところ、誰が地面を掘り起こしたのかは分からない。猪かもしれないし、他の犬仲間かも...
ボーダーコリーのタンジェリンちゃんとお知り合いになる。タンジェリンって、確か蜜柑の総称だったよな、と思い、目の前の元気なボーダーコリーと結びつかないが、そんなことを言ったら、トンカだって同じだろう。パティシエが聞いたらぎょっとするに違いない。現に、先日レストランで、デザートにトン...
ノルマンディー で趣味の陶芸を楽しんでいる友人からメッセージが入る。「好天続き。週末は海に繰り出す予定。遊びに来られたし。」 彼女 が、旦那の会社の都合で 日本駐在 から一年も経たずに 帰国 してから既に一年になろうか。以前は毎週末の様に会っていた大切な友人夫婦なのに、すれ違...
森を歩きながら、光と陰を追う。 木々の隙間から差し込む太陽の光が、地面に一筋の線を描く。地面が落ち葉で覆われていると、その部分だけ落ち葉が鮮やかな色に燃え立つ。地面に届く前に、小ぶりな枝があれば、太陽の光は濃厚な緑の葉を貫く。貫かれた葉は、葉脈まで見えるかのように透明感のある...
とても些細なことではあるものの、何か違和感を覚えていたところ、ぱっと霧が晴れるかのように問題が明確となり、それを解決した時の爽快感といったらないだろう。 問題解決の糸口は、実はちゃんとそこに転がっていて、それを見ようとするかしないかだけで、世の中が全く違って見えてくるのだから...
緯度が高いだけあって、フランスにおける日照時間の変化にはすさまじいものがある。日本のように、畳一筋分づつ日が短くなる、などという奥ゆかしいものではない。夏時間であることも影響して、既に朝6時半にして外は闇。バス停でバスを待つ間も、漸く東の空が薄っすらと明るくなり出すといったと...
こうも暑い日が続くと体が参ってしまう。森の中でも、空気が全く動いていない。こんな日は、トンカではないが地べたにへばって、土の冷たい感触を味わいたいもの。 散歩から帰ると、ぐっしょりと汗を掻いている。いつまでも猛暑が続く筈はないと思いながらも、げんなりとしてしまう。 ところが、...
ある事情からフランスの公的機関の某サイトに登録し、活用していた。確か2年前のことだろうか。そのサイトの運営会社から突然メールが入ったのだが、そのタイトルといったら物々しい以外の何者でもない。「ネット犯罪への注意喚起」。 当社のサービスプロバイダーがサイバー犯罪の標的となり、そ...
今年の夏は猛暑日が少なく、8月に入ると涼しくなってしまって、このまま秋に突入かしらと思いきや、意外にしぶとく、熾火が時々ぱっと燃えあがるかの如く、太陽がぎらぎらと大地を照らし、アスファルトは焼けた鉄板のように熱くなっている日々が戻ってきている。 それでも日照時間は明らかに短く...
小川のほとりに、赤まんまの群れを見つけた。ピンク色の粒々が愛らしく、そして懐かしく、つい手に取って一房頂戴してしまった。 我が家に戻り、空き瓶に水を入れて、赤まんまを挿す。 フランスの子供達も、赤まんまを摘んで、おままごとをするのだろうか。我が家のバッタ達はどうだったであろう...
未だ夏であることを思い起させるような暑い日となり、こんな時間に散歩に出てしまったことを恨めしく思いつつ、それでも元気に尻尾の先を威勢よくくるりと丸めて闊歩するトンカの後ろ姿を愛しく思いながら歩いていた時のこと。グレーのピットブル君が藪からさっと姿を現した。 彼とは何故か暑い日...
最近変な癖がついてしまって、夜中にふと目が覚め、つい携帯でメッセージを確認し、ツイッターの投稿を目で追ってしまい、気になると深追いをして、小一時間近く経ってから、また眠るといったことをしている。当然、翌朝の目覚めは芳しくなく、なんだか頭がぼーっとしている。 これは良くない、と...
原因は全く不明ではあるが、恐らく私の不徳の致すところに尽きるのだろうが、「クッカバラの囁き」がレーダーに全くひっかからなくなってしまった。 所謂「INポイント」のポイントがゼロに近く、このままでは無に帰してしまいそう。 もうちょっとだけ、囁き続けていきたいと思っておりますので...
一時思い出したかのように暑さがぶり返したが、それも二、三日のこと。すぐに朝は肌寒く、長袖のジャケットを羽織らずにはいられない日に戻ってしまった。通りでは子供たちの声が聞こえ出し、路上駐車の車の数も増えだした。バカンスも最後の週となり、月並みな表現とはなるが、正に光陰矢の如し。...
拍手機能からコメントを残してくださっていた皆さんへ、 謹啓 拍手機能からコメントを残してくださっていた皆さんへ、慎んでお詫び申し上げます。 確証はないのですが、恐らくお返事が届いていなかったと思います。せっかくコメントを残してくださったのに、それを見ることも出来なかったのでは...
以前、母とバッタ達と ブラジルに遊びに行った時 のこと。アマゾンのような奥地で、一人一人が大きなタイヤに乗って川下りをしたことがある。勿論インストラクターの元でであったが、当然小さな滝つぼあり、ごつごつとした岩あり、急斜面あり、とアトラクションに事欠かなかった。何度もタイヤか...
このところ、森に散歩に行くたびに、ずっしりとした大きな セップ に出会う。初めての時はビギナーズラックだろうぐらいに思っていたが、こう連日となると、どうやら今年は当たり年らしいと思われてきた。かつ、8月に収穫なんて時期が前倒し。自然の恵みに大いに感謝し、毎夕食に恭しくいただい...
日本での4ヶ月の研修を終えて帰ってくる末娘バッタを迎えに、空港に向かった。さすがにバカンスもそろそろ終盤のフランス。空港はバカンス帰りの人々でごった返している。COVIDで渡航が制限され、閑古鳥が鳴いていた2年前が嘘のよう。あれは、もう3年前になるのだろうか。 喉元過ぎればとは、...
トンカは三人兄弟で、トンカの他に2匹のオス犬がいる。ゴールデンは大抵8匹ぐらいの赤ちゃんを産むらしいので、3匹は少ないらしいが、そこは父親の影響なのだろうか。 ムクムクとして真っ白なゴールデンレトリバーのママから生れた3匹は、大きさこそ違え、皆同じように全体に栗色をしていて、...
トンカに出会うまでは、動物が笑った写真を見ても、新生児が笑った写真の様に思っていた。いわゆる天使の笑顔であり、筋肉の動きがなせる業なのだが、ママやパパは我が子が、おじいちゃんやおばあちゃんは我が孫が微笑んだと、大はしゃぎするのである。 でも、トンカとの生活を始めてから、自分の...
前日は セップ を2つ見つけたのみだったが、本当にセップなのかと疑心暗鬼であったし、その場所で蚋やら蚊やらに刺されてしまったこともあって、すぐに別の場所に移動してしまっていた。 香り良し、味良し、生命を脅かす毒無し、となると、人間は欲が出てくるものである。あの場所にもう一度行...
夜じゅう雨音が絶え間なかった翌朝、空の壮大さを誇示するかのように頭上でたなびく鱗雲が、朝の光を浴びて薄桃色に染まっていた。こういう時に限って、携帯を持っておらず、心のシャッターを切る。 その日は一日中、晴れ間が出てくるようで、急に薄暗くなったり、雨が静かに降ってきたりと、不安...
もともと森は人気がないのだが、週末には時々マウンテンバイクに乗った集団や、ノルディックウォーキングとやらで二本の杖をガンガン鳴らして早歩きで駆け抜ける集団や、木の枝を背負ったスカウトの子供達と出会うことがある。ところが、今は何せ国中バカンス一色。一体皆どこに行ってしまったのだ...
先日、餡玉を入れた水饅頭なるものを作ってみたのだが、ゼリーがいかにせん堅過ぎ。細切りにして、葛切りのように食する上には適する硬さになってしまった。敗因はアガーの分量。ついつい、日本のレシピを検索してしまったのだが、どれも「アガー」という名称で記載されており、フランスで手に入る...
その朝は、外に出た時からいつもと様子が違った。いつもなら威勢よく歩き出すのに、珍しく我が家の門の匂いを嗅ぎ、見る度に刈り取らねばと思っている雑草に鼻を押し付けるようにして一つ一つ匂いを嗅ぎ、歩道のあちこちで臭いを嗅ぎ、遅々として歩みが進まなかった。 漸くいつもの運動場の駐車場に差...
今年の夏、末娘バッタは念願の日本留学とはならずも、4ヶ月という短期間ながら大学院の研究室でインターンシップをすることができている。学部こそ違え、我が母校ともなると、非常に晴れがましい思いを禁じ得ない。 入学した当時を思い出さずにはいられない。九段下にある武道館での入学式に来て...
トンカと競争して籠一杯に採った ミラベル を、新鮮なうちにお向かいのマダムに届けようと思った。マダムの庭では無花果、さくらんぼ、キーウィ―、パッションフルーツといった果物が採れ、いつもたくさん分けてもらっていた。 ミラベルを持っていくと大喜びで歓迎してくれて、丁度無花果をあげ...
我が家の庭に二本あるミラベルが、今年は冷夏にも関わらず枝が折れる程に鈴なりに実をつけている。当たり年、ということなのだろうか。 さくらんぼの時には、毎朝トンカが庭に喜び勇んで飛び出して、夢中でたくさん食べて、最初は笑ってみていたものの、当たり前のことながら便がゆるくなり、実の...
先日のこと。週末に帰って来た息子バッタにご馳走をと ① 桂剥きの胡瓜でサーモンの砧巻き ② 剥き海老のサラダ ③ 茄子の煮浸し ④ オリーブオイルでからりと揚げた海老のお頭(カイエンヌペッパーたっぷりのピリ辛) ⑤ 芳醇な香りの庭の黄金の粒、ミラベルの実 を食...
今にも泣きだしそうな空を見上げて、思わずジャンパーのファスナーを首まで引き上げる。こんな時は森に入ってしまって、鬱蒼とした木々に守ってもらうに限る。トンかもそう思ってか、軽快に森の小径を駆けていく。 森の中では、あちこちの繁みに入り込んだり、藪の中で探索したり、リスを追いかけ...
もう夏は過ぎてしまったかのように、吐く息が白い朝を迎える日が続くと、庭のミラベルやクエッチが気になりだす。せっかく今年は豊作となりそうで、枝にたわわにぷっくらとした青い実がなっていたのだが、夜中じゅう降りしきる雨や、激しい風で熟さぬ前に地面に落ちてしまいそうで、気が気ではない...
日本はどうか知らないが、フランスでは学校のバカンス時期になると、公共交通機関の運行数が極端に減らされる。利用者数が減ることもあろうが、運転手もバカンスを取得することが大いに関係していると思われる。 観光客など見込めない市内のバスなどは、3分の1程に減らされてしまう。それでも、...
雨上がりの森は、いい。 しっとりとした地面からは、やわらかな土の香りがして、草木は濡れ輝いている。鬱蒼とした緑のトンネルをくぐると、ぱっとハッカの香りが立ち昇る。 幼い時に、近所の神社のお祭りで、何度も何度も屋台の前を往復して、漸く決めたハッカパイプ。あの香りに間違いない。 トン...
トンカをこよなく愛してくれる犬の師匠である友人が、スライサーを安く手に入れたので、お試しということで豚肉の薄切りを差し入れしてくれたことがあった。丁度息子バッタが帰って来ていた週末だったので、早速生姜焼きにして有難くいただいた。 フランスでは薄切り肉は簡単には手に入らないので、我...
このところ、猛暑とまではいかないが、とにかく雨が降らない日が続いている。パリ程天気予報があたらない場所はないだろうし、そして、空模様が頻繁に変わるものだから、誰しもが天気予報をあてにしなくなる。それなのに、つい毎朝見てしまうのは、トンカとの散歩があるからだろうか。 気温が30...
最近、散歩の途中でトンカが模範的なお座りの姿勢をとる場所がある。最初は、いつもの「もう動きません」の頑固な意思表示かと思ったが、どうでもそうではないらしことは、表情を見て分かった。意地っぱりではなく、素直な優しい表情をしていた。 そして、トンカが模範的に座す脇に、小ぶりな広葉...
近所の友人から、プチ女子会に誘われる。仕事で忙しければ手ぶらでどうぞ、とのことだったが、せっかくだから何かを持って行こうと思案。三日後というショートノーティスなので、恐らく誰かの代打。であれば、ちょっと手抜きでも許してもらえようか。 猛暑が続いていたので、ここは冷製の箸休めな...
大学時代所属していた自転車部のOB会の大先輩から、久しぶりに紀行文が届く。毎年のようにご夫婦で世界中を旅行していて、その度に川柳を散りばめた、舌鋒鋭い、紀行文をお書きになっていた。数年前にパリにいらした際にお会いしたことが縁となって、以来ずっと送っていただいていた。 ところが...
珍しく階下でトンカが吠えていた。既に「お休み」と言って、あらゆる電灯は消し、二階に上がって来てしまっている。こんなことは滅多にない。ひょっとしたら、それこそ滅多にないことながら、夜に電話をしていたから、声が響いて起きだしてしまったのかもしれなかった。電話と言っても、携帯で友人...
「ブログリーダー」を活用して、Kookaburraさんをフォローしませんか?
空港からはタクシーでホテルに向かうことになり、無秩序になんとなく客待ちをしているタクシーの群れの中にいたミニバンの一人とRajさんが交渉し、すぐに皆でそのタクシーに乗り込んだ。丁度ヒンドゥーの大きなお祭りの最中で、多くの人々は田舎に帰っていると説明を受けたように、通りにはシャ...
ルクラ入りした時には、ラメチャップから飛行機に乗っており、そのラメチャップにはカトマンズから車で半日かけて行った。帰りも、あのアップダウンの激しい山道を車で行くのかと思うと気が重かったが、なんとカトマンズまでの便が手配されていた。 体調の思わしくないAmmaのことを思えば、ひ...
Ammaにも相棒にも、予め慰労会のことを告げていたし、二人ともそれが重要な儀式であることを十分に理解してくれていた。微熱が続くAmmaは怠そうではあったが、そこは肝が据わっているし、出番となるとどんな状態であっても周囲の期待を裏切らずに、求められる役割を立派に果たすことに掛け...
ルクラのロッジで、未だ微熱があって寝ている相棒ではあったが、どうしても連絡をしなければならない方たちにメッセージを書いていた。部屋ではwifiが怪しげだったので、食堂に行って確実に送信して欲しいとお願いをされた。 お湯を貰いに行ったり、wifiコードを確認に行ったり、メッセー...
ルクラのロッジは、初めてルクラ入りした時に寄った場所だった。食堂には午後の便を待つトレッカー達で賑わっていて、のんびりとした空気が漂っていた。空港の目と鼻の先なので、飛行機の発着による騒音に悩まされるかと思ったが、二度ほど賑やかになっただけで、その後はひっそり閑としてしまった...
Ammaは時々鼻をかむために、立ち止まらねばならなかった。咳込むこともあった。それでも、弱音の一つ吐くでもなく、黙々と歩き続けた。歩くペースは、普段以上に遅くなったと思う。そうしながらも、Ammaは自分の足で歩くことを続けた。 私はと言えば、Ammaの後ろをのんびりと、これが...
令和六年 新年明けましておめでとうございます 皆皆さまにとりまして、幸せな一年となりますよう、ご祈念申し上げます 本年も引き続きどうぞよろしくお願い致します クッカバラ
Ammaの体調も振るわなかったが、相棒の体調も怪しげだった。二人には、私の病をバトンタッチしてしまったような思いがあったし、一方の私はすこぶる元気になっていた。ルクラまで、無事に歩いて行くためにも、出来る限りのサポートをしたかった。 そこで、荷物を一切背負わないように、私が二...
人にはそれぞれ矜持がある。母は45歳にして大学生3人を抱えた未亡人になるなんて、思いもよらなかっただろうし、しかも、亡くなった旦那の家業を継ぐことになろうとは、考えてもいなかったであろう。 3年間は父の話題を母にすることはご法度だった。母から話題にする分には問題がないが、子供...
パクディンのロッジでは、遅い昼食をAmmaと私のみでとったように記憶している。相棒の調子は、ここでも今一つで、確か早々に寝入ってしまったように思う。ダールバートに舌鼓を打つ私の傍で、Ammaは所謂チャーハンに、溶き卵をさくっと焼いただけのシンプルな卵焼きが定番となっているオム...
部屋に落ち着くと、ごんごんとしたドゥードコシ川の瀬音が耳に入ってきて、ああパクディンに戻って来たのだとの感慨が強くなった。寒空が広がる部屋の外では、もうすぐ日も暮れるであろうのに、男性が洗濯物をしていた。これから干しても乾くのだろうか。 夕暮れ時の凍てつく中、ナムチェのロッジ...
相棒は高熱は下がったものの、本調子ではなかった。まるで私の体調の悪さをバトンタッチして、引き受けてもらったようなものであった。実際のところ、本当にそうなのかもしれない。私がフランスから風邪のウィルスを持ち込んでしまったに違いなかった。 加えて気になったのが、喉がおかしいと言っ...
最初の計画ではタンボチェに行き一泊、その後キャンジュマまで下山し一泊、そしてモンジョに戻り一泊、としていた。それがタンボチェには行かずにナムチェに戻ってきたことから、予定していたロッジの手配を再度しなければなかった。 もちろん全てRajさんが手配してくれるので、我々は状況を教...
ナムチェを早朝の出発の時点では、37度に熱が下がっていた相棒であったが、次の宿泊場所のジョルサレで、夜になると39度5分という信じがたい数字が出てしまっていた。 シャンボチェの丘 で、私に抱きついて、感極まって泣いた時のことが急激に思い出され、どきりとした。まさか。 ひょっと...
冠雪のコンデ山群が見え始めて暫くすると、眼下にナムチェの家並みが見え、ほんの二日前にことなのに、ひどく懐かしく思われた。その日の朝から頭痛はすっかりとなくなっていて、足取りも軽やかに、それこそ飛び跳ねるようにしてカメラのシャッターを切っていた。 行き交うトレッカー達との挨拶も...
シャンボチェの丘を降りてナムチェに戻るのだが、若干距離的には長くなるが、直滑降になってしまう来た時の道を避け、比較的緩やかな道を下って行くとのことだった。実のところ、来た道を戻るのも悪くないとは思っていた。 人というものは、一般に進行方向にある景色を見て歩く。その意味では、通...
一日中寝ていたからだろうか。朝はかっきりと目覚めることができ、Ammaと相棒と一緒に、ご来光とまではいかないが、夜明けの気配が広がりつつある外の世界の扉を開けた。相棒は大切なブルーのクリスタルボールを抱えていて、いかにも彼女が放つ音の粒で朝をもたらすかのように意気込んでいる様...
Ammaと相棒がいつ部屋を出て行って、そして再び戻って来たのか、記憶にない。それでも、「お粥を作ってもらったわよ。」とのAmmaの言葉に驚いたことを覚えている。 Ammaは私が前夜頻繁に下痢でトイレに駆け込んでいたことを知っていた。何か食べないとエネルギーが湧いてこないし、こ...
Ammaと相棒が朝食に部屋を出て行ってから、何となく気配を感じてスリーピングバッグから這い出すと、ダウンを着てカメラを取ってトレッキングシューズを履いた。相棒が私の名前を呼びながら、窓の外を走っている姿が確認できた。 ビスターレ、ビスターレ。ふらつきそうな身体に活を入れ、それ...
リゾートの準備してくれた、自慢のセットメニューとやらをご馳走になろうかと皆で食堂に繰り出していった。Rajさん情報では、ミソスープやら白米が出てくるらしい。そんなの無理にいらないのに、と思うものの、それこそRajさん曰く、「リゾートなので、融通が利きません」とのことだった。 ...
リゾートの準備してくれた、自慢のセットメニューとやらをご馳走になろうかと皆で食堂に繰り出していった。Rajさん情報では、ミソスープやら白米が出てくるらしい。そんなの無理にいらないのに、と思うものの、それこそRajさん曰く、「リゾートなので、融通が利きません」とのことだった。 ...
これまで、どこのロッジでも夕食の前にRajさんは何を食べるか聞いてくれて、時間も予め設定していた。従い、時間通りに食堂に行けば、すぐに熱々の食事が出てくるようになっていた。朝食も然り。飲み物も含め前日に予め注文を取り、席につけば、すぐに熱々の飲み物を持ってきてくれていた。 こ...
気を取り直し、そろそろ夕日が沈む頃だろうからと、相棒と二人で外に出てみた。どうやら高台があるようで、そこまで歩いて行ってみた。雲が山並みを隠しながらも、時々、峻険な雪肌がちらりと見えるものだから、そのあまりの壮大さに声が出なかった。 我々二人だけだと思っていたが、誰かが高台に...
丘の中腹で地元のおばちゃんからアクセサリーを買ってからのシェルパリゾートへの道は、思った以上に時間がかかった。途中で「標高3 775m地点」と明記された水色の看板があった。そこで記念写真をとでも言うのだろうか。 エベレストシェルパリゾートは目の前まで迫って来ているのに、そこに...
次に目指すは、二泊することになるシャンボチェの丘にあるシェルパリゾートだった。展望台にいた時にRajさんが、ほら、あそこがそうですよ、と教えてくれていた。目と鼻の先のようでいて、実のところ2時間はかかる道のりで、我々はそれ以上の時間を掛けてゆっくりと近づいた。 一度ナムチェの...
ほら、あそこの一番端に見えるのがエベレスト。そして、その隣に聳えるのがローツェ。 ぐんと手前の右端にアマダブラムが存在感を持って白く輝いていた。地球の背骨と言われる、世界最高峰となる8000メートル級の山頂には笠雲が芸術的にふんわりと覆っていた。 Rajさんは感動して泣きます...
ナムチェの村の階段を上り、サガルマータ国立公園の入り口に向かって、ゆっくりと歩いて行った。薬局に寄り道をしたからだろうか。道には人影がまばらで、我々4人だけの世界が続いていた。 前夜ナムチェのロッジで旅装を解いたトレッカー達の多くは、高所順応のためにナムチェで一泊する。そして...
ナムチェを出発しシャンボチェの丘に行く前に、サガルマータ国立公園に寄って行くという。その前に、ナムチェの村の薬局で薬を買いたいと願い出た。カトマンズで買ったアスピリンは、もう二錠しか残っていなかった。 ポーターさんが道案内をしてくれるというので、相棒と二人で、未だ朝早いナムチ...
高山病に関して、多くの医療機関や厚生労働省が特徴についてとりまとめている。 高山病は標高2,000 m以上の高所で低酸素によって生じる身体症状の総称で、「山酔い」とも呼ばれ1~2日で軽快する軽症の病態から、「高地肺水腫・脳浮腫」や「急性低酸素症」のように早急に治療を必要とする...
標高2800メートルとなるジョルサレでランチ休憩となった。テラスに腰を下ろすと、太陽がぽかぽかと背中を温めてくれて気持ちが良かった。ビスターレ、ビスターレ、ゆっくり、焦らず、マイペースで、とRajさんが呪文のように唱えてくれるので、疲れを感じることもなく問題なくたどり着いたと...
トレッカー達の朝は早い。山では午後から天候が崩れることも多く、また、出来るだけ早いうちに出発し、早めの時間帯に目的地に到着し、宿を確保しようとの思惑も背景にある。しかも、エベレスト街道は一つだけであり、主要な場所では皆が同じ道を通る。従い、出発時は賑やかな混雑状態になるのが常...
今回のトレッキングルートの中で、最初の山が距離的に8キロ程度となるパクディンからナムチェへ到る道だった。出発地点のパクディンは標高が2 610 m程度だが、到着地点のナムチェは標高が3 440 mとなる。しかも、2本の吊り橋で有名な「ヒラリーブリッジ」を過ぎてからナムチェまで...
パクディン自体が川に沿って出来た集落なのだろう。ロッジは村の奥の高台にあり、崖下にはヒマラヤの氷河を源流とした、鉱物を多く含み乳白色をしたドゥードコシ川が音を立てて流れていた。スイスのマッターホルンの麓に流れる川と同じ色をしていて、なんだか懐かしく思われた。 Rajさんがパク...
ルクラのロッジ。これからエベレスト街道にて、カラパタールやゴーキョピークなどそれぞれの目的地に向かってトレッキングを開始する前に立ち寄った人々でごった返していた。前回は悪天候で飛行機が飛ばず、このロッジに4泊したとはRajさんの言。 ロッジの多くは、大きな食堂の窓際に沿っ...
世界一危険な空港としてその名を馳せるルクラだが、確かに滑走路は驚く程短く、着陸時にはジェットコースターに乗っている様な気分で、気が付くと目の前に座っている相棒の座席にしがみついていた。 もともとジェットコースターの類は子供の頃から苦手だった。ところが、相棒ときたら遊園地が大好き、...
ラメチャップの空港は、お宿から目と鼻の先だった。未だ暗い中、空港に近付くとトレッカー達が賑わっていて、ペルーのマチュピチュ行きの電車に乗る駅を思い起こさせた。と、中型車が柔らかなクラクションを鳴らし、すっと隣に寄って来た。Rajさんが何か話している。運転手がにこやかに手を振るもの...
そんなに急いで行っても、ラメチャップには何も見るものがないですよ、とは旅行会社のオーナーのラクスマンさんの言葉だった。確かに、ラメチャップと言う村は車が通る道が一本あるだけの、小さな村だった。恐らくルクラに向かうトレッカー達にとって、日程と予算のしがらみで、ラメチャップは空港...
カトマンズからラメチャップへの道は、前半は比較的平坦な道だったが、後半になるとアップダウンが激しく、時に山を駆け上がり、時に駆け降りる、スピンのきついカーブあり、と、ジェットコースター並みだった。これが夜中の運転だったら、どんなに恐ろしいことだろうと思い、日中に出掛けることに...
エベレスト街道の出発点ルクラは、ネパール北東部のサガルマータ県にある小さな町で、走行距離がこの上なく短い滑走路が一つだけある空港を有していた。この「サガルマータ」という名称こそ、ネパール語で「エベレスト」を指すのであった。 天候さえ許すのであれば、カトマンズとルクラ間では毎日飛行...
この旅行記が、エベレスト街道の出発点にさえ未だ辿り着いていないことに、我ながら呆れている。しかし、それほどカトマンズは謎めいていて、魅力に満ち溢れていた。それに、カトマンズを語らずして、ヒマラヤを語るなかれ、ではあるまいか。もう一章だけ、お付き合いいただけたら幸いである。 フ...