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冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。夏安居、則ち歳を逾えず、故に以て、唯だ夏を称して、而も旨全うす、冬安居、則ち歳を逾ゆ、故に以て、冬と言わず、而も臘と曰い、或いは歳と曰う、臘の義尽くせり、豈に明白ならざるや、余、今、此の辯を作し、但だ四分律宗千歳の惑を解くのみに非ず、兼ねて禅林の古来迂闊の談を闢す、更に日本洞上、現今行ずる所の冬夏安居の仏制を証拠するなり、伏して冀わくは、有識賞鑑せよ、『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読これは、夏安居のことを、例えば「坐夏」などという場合、「夏」だけで意味は全うするが、冬安居の場合を例えば「坐臘」というとき、冬安居の時には歳を越えるため、「臘」或いは「歳」と表記すべきであって、その際には、「臘」の意義が尽くされている...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑬
冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。東陽煇云く、言うが如く、臘人氷を験し、坐臘の人を以て、其の行を験するは、猶お氷潔のごとし。或いは謂く、蠟人を地に埋め、以て所修の成虧を験するは、淫巫俚語に類し、庸すれば、相伝の訛に非ざるや。此の説は、睦菴を承けるなり。案ずるに、睦菴、事苑を造り、蠟人氷を挙して、注に云く、蠟、当に臘と作すべし、謂く年臘なり。按ずるに、増輝記、臘は接なり。新故の交接を謂う。臘の明日を謂て、初歳と為すなり。蓋し臘尽くして、而も歳来たる故なり。釈氏、解制受臘の日を以て、之を法歳と謂う、是なるや。天竺、臘人を以て験と為すは、且く其れ人の臘に長幼有り。又、其の行の験に染浄有り。臘人氷と言うは、是れ其の行の冰潔を言うなり。今の衆中の妄謂、西天の立制なり。唯だ蠟...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑩
冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。冬安居を失却して後、唯だ夏安居のみを知るを以ての故に、一箇の臘字、呑吐不下し、終に臘を以て臘と為し、臘人氷の妄談有るに至る。風穴沼、僧問う、夏、今日終わる、師意如何。師曰く、鵞の護雪を憐れまず。且く蠟人氷を喜ぶ。長慶暹、僧問う、長期道を進む、西天、臘人を以て験と為す。未審、此の間、何を以てか験と為すや。師曰く、鉄弾子。瞎堂遠、因上問うて曰く、相将結夏す。師、奏して曰く、此れ乃ち叢林の成規、西天、結夏日に於いて、蠟人を鋳し土窟中に蔵す。九十日を結びて、戒行精潔、則ち蠟人氷なり。然らずば、則ち蠟人全ならず。故に号して僧蠟と為す。是れを禅林の公談と為すなり。『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読さて、前回までの話の中で、「冬...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑨
冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。但し四分律宗、小律に固執して、異説を一掃して雨安居を取る。其の徒、之を偈にす。青丘、亦た同じ。夫れ小乗の律蔵、成道五年の後、之を説く。而も仏滅後一百余年、第五祖優波毱多まで、唯一の律なり。毱多の五弟子、各おの己見に執して、分けて五分と為す。其れ四律・五律と謂うとも、亦た但一律の異見なるのみ。大概、皆な同じ。是の故に、安居の記、亦た異ならざるなり。若し、但、小律の結夏のみを取りて、以て大律の結冬を非とするは、則ち梵網の文、削るべき歟。『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読雨安居を詠んだ偈?どのことだろう。それから、いわゆる声聞律が制定された理由については、上記の通りに伝わっている。西天五祖・優波毱多尊者の弟子達が宗派や律...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑧
冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。夫れ梵網は、華厳の結経、安居も亦、理事無礙の深義に係る。僧、洞山に問う、寒暑到来す、如何が廻避せん。洞曰く、何ぞ無寒暑の処に向かって去らざるや。僧云く、如何なるか是れ無寒暑の処。洞曰く、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨。瑯瑘覚拈じて云く、我即ち然らず。如何なるか是れ無寒暑の処。僧堂裏に去れ。是れ即ち、祖門理事無礙安居なり。二乗外道の夢にも知ること能わざる所なり。『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読まず面山禅師が指摘されることとは、『梵網経』の位置付けである。『梵網経』は盧舎那仏の説いた教えという位置付けにもなるため、「華厳の結経」という評価にもなる。例えば、以下の一節などである。天台大師、梵網経を判じて、花厳の結経と為す。...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑦
冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。吾が祖の安居巻、「梵網経に冬安居の説有ると雖も、其の法伝わず」と謂えり。祖師、南遊の時、宋、将に亡び乱世に当たる故に、結冬、彼の地に行わざるか。東陽徳輝謂わく、「五竺の地広し、暑寒霜嬈の気候、斉しからざるが故に、結制、四月五月十二月を以て有り。所謂、雨安居は地に因り時に随い、或いは曰く坐夏、或いは曰く坐臘の義、此に始む」。余謂へらく、東陽謂う所の坐夏は、四月五月に係る。坐臘は十二月に係る。是れ、東陽、結制の十二月を以て知り、坐臘戒臘の義を証すると雖も、分明確定して冬安居を知らざるが故に、臘の字義通漫なり。嗚呼、一たび冬安居を失して已来より、一箇の臘字、関係する所無し。強いて道理を附す。『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑤