No.90でも述べたが、大のうなぎ好きである。ここはオジサンの大好物を紹介するコーナーなので、やはり、うなぎ
No.103 東京都文京区千駄木のうなぎ「稲毛屋」、ハイレベルのうなぎ居酒屋であることは間違いない-うなぎ店考(100投稿記念十郎Now大好物④)。
No.90でも述べたが、大のうなぎ好きである。ここはオジサンの大好物を紹介するコーナーなので、やはり、うなぎ
No.102 東京都台東区浅草「水口食堂」の自家製ミートソーススパゲティは、私だけのために存在するメニューなかもしれない(100投稿記念十郎Now大好物③)
60も過ぎて、棺桶に足を突っ込むような歳になると、何事においても原点回帰するようになるらしいと感じる時がある
No.101 神奈川県横浜市西区、立ち食いそば、うどんの「鈴一」とは縁は異なもの、かれこれ45年のお付き合いなのである(横浜四大立ち食いそば、うどん編①)
オジサンにとって地縁というものはあるなと思わせるのが、神奈川県横浜市西区の横浜西口相鉄線入口前の一帯(西口五
No.100 東京都目黒区自由が丘、中国菜館「梅華」の肉糸烩飯(ルースーライス)は思わず親指上げでイイネ3(100投稿記念十郎大好物Now①)
気が付けば、この投稿も100回目。駄文(チリ)も積もれば資料(ヤマ)となる。ソウルフードという簡単には消えな
No.99 兵庫県兵庫区新開地タウン、「よつばや」のピロシキと東山商店街、「鼻知場商店」の冷やしあめは、何と表現してよいのやら、でも何だか良いのです(神戸はいつも雨だった編②)
さて、「グリル一平」(前回No.98)を出て、オジサンは当てもなくぶらぶらと新開地周辺を徘徊。この辺は新開地
No.98 兵庫県神戸市兵庫区新開地の「グリル一平」本店のヘ(ヒ)レビーフカツは腹の底から旨いと言葉が出るほどの神々しさだった(神戸はいつも雨だった編①)
東京から新神戸まで新幹線の車窓から見えるのは霧に覆われた街並みと山並みばかりである。山並みなどは長谷川等伯の
No.97 東京都目黒区ステーキハウス「リベラ」(目黒店)のステーキはプロレスラーの聖地に相応しく、心の中で雄叫びを上げながら、凄い勢いで一挙に喰らうべし。
昔から逞しい筋肉マッスル男を見るとゾクゾクしたもので(あちら系ではないのだが…。)、自分もあの体をと、エキス
No.96 山形県内陸部「水かけご飯」。止(や)められない、止(と)まらないデンジャラスなソウルフードを十郎レシピで紹介-とんかつはダメダメよ
No.30で紹介した「ひっぱり」のほかに山形内陸部には、もう一つ簡易なソールフードがある。それは「水かけご飯」
No.95 東京都港区新橋老舗洋食屋「むさしや」のオムライスはひょっとすると日本一かもしれない
かつて仕事をした関係で、今でも縁が切れずに月2回ほどアルバイトのために顔を出す会社があるのだが、その元寄りが
No.94 東京都新宿区馬場下町「メルシー」閉店で思うこと(大学のソウルフード③)<緊急投稿>
早稲田の「メルシー」が閉店したとのこと耳に飛び込んできた。実際は少し休み、その行く末を考えようという、前向き
No.93 東京都足立区千住のきそば柏屋の「ほろ酔いセット」はかたじけなくて涙が流れるのである
15歳の時に足立区が嫌で嫌で(歩いていると毎日にようにカツアゲに合うような町)、脱失して50年だが、その時か
No.92 東京都文京区本郷の東京大学「中央食堂」の赤門ラーメンは何とも不可思議?な味。これじゃ菊苗先生も情けなくて墓場で泣いていることだろう。(キャンパスのソウルフード②)
まさに雲ひとつない五月晴れ、こんな日に塒(ねぐら)に籠っていても神経によくないと、我が母校(ほんとうにツマラ
No.91 愛知県名古屋市新幹線上りホームの「住よし」の<きしめん>は、何と言おうが名古屋旅の最後の〆なのである(名古屋めし食いつくし最終章)
私の記憶で、きしめんなるものを最初に食べたのはいつだっただろうか。東京ではなく名古屋なのは確かなのだが、ひょ
No.90 愛知県名古屋市中村区「ひつまぶし 備長」エスカ店で全国区になりつつある愛知アイデアソウルフードを食べたのだが…
うなぎ好きである。このブログも最初は「うな十郎の全国うなかばぶった斬り」を始めるはずだったのだが、うなぎのか
No.89 愛知県名古屋市中区の救いの神「昔の矢場とん」 錦3丁目店で酒を飲みながら味噌文化に思いを巡らしたのであった。
名古屋の食と言えば、きしめん、ういろう、八丁味噌というのが定番であったが、最近はういろうを食べる人は少なくな
No.88 愛知県名古屋市中区「スガキヤ(Sugakiya)」大須赤門店で、愛知県最大のファストフード店のラーメンを喰らう(名古屋めし食いつくし編③)
名古屋2日目は、熱田神宮に参詣し、お昼は愛知で一番有名なのではないかと思われる明治六年創業の「あつた蓬莱軒」
No.87 愛知県名古屋市「コンパル」栄西店のエビフライサンドと愛知モーニング考-(名古屋めし食いつくし編②)
哲学は英語でPhilosophyだが、その語源はギリシャの Philosophiaという言葉で、意味が「知
No.86 愛知県名古屋市千種区今池「味仙」本店の本家本元の台湾ラーメンを舌鼓(名古屋めし食いつくし紀行①)
私の父方の家は代々愛知県の常滑で、故に先祖代々のお墓もそこにある。6年前母親が亡くなり、その墓に入ったのだが
さて、前回(No.84)「永寿亭」のカツ丼を食べ終わり、午後の予定まで、腹ならしをかねて高崎の旧市街をプラプ
No.84 群馬県高崎市「栄寿亭」のカツ丼(500円)は西荻「坂本屋」のカツ丼亡き後、永遠に残したい一品(青春18きっぷ日帰り旅③)
静岡伊東の日帰り旅(No.81, No.82)が結果オーライだったので、それに味を占めて、さてお次はどこにと
No.83 東京都小金井市東町の中華「宝華」の「宝そば」を食しながらしみじみと主人の姿を懐かしむ
雑誌の取材で、武蔵国分寺跡を訪れた帰りに、さて、西国分寺駅近辺でランチでもと相成った。しかし、この駅は母と兄
No.82 静岡県伊東市の居酒屋「まるたか」の「うずわ定食」、そこには食べ終わると素直に「ごちそうさま」と頭を下げているオジサンがいたのであった。(青春18きっぷ日帰り旅②)
(No.81から続く)さて有意義な社会科見学をして東海館を出ると、ランチをとるのに絶好な時間となり、目的の「ね
No.81 静岡県伊東市の「祇園」の<いなり弁当>と<ぐり茶>は、まずは伊東のソウルフードと言えるのでは…。(青春18きっぷの日帰り旅①
青春と言える年齢はとうに過ぎたが、元気なオジサンは<シルバー青春>を楽しむべきJRの青春18きっぷ*なるもの
No.80 大阪食い倒れ紀行(大阪梅田)-浪花の食を総括する。(大阪上陸編最終章)
魅惑の商店街・天神橋筋商店街を出て、この2泊3日の大阪上陸で、ぜひ行きたい場所があったのでそちらに向かう。そ
No.79 神奈川県川崎市「丸大ホール本店」、この店がある限り川崎は死なず
都市は恐ろしいもので、行政がどんな努力をしてもイメージを払拭できない場所がある。例えば東京池袋、足立区、蒲田、神奈川県横須賀市、横浜市鶴見区、そして川崎市。特に川崎市は郊外の住宅地などは横浜市の住宅地と遜色がないのにで […]
No.78 石川県金沢市の「ビーバー」は体が大きくなるお菓子として、またまた人気が急上昇。
No.56 高知県の「ミレービスケット」が、まじめなお菓子ならば、こちら石川県の「ビーバー」は、大きくなるお菓
No.77 埼玉県さいたま市の「浦和競馬場」で「黄色いカレーライス」を食べながら鉄火場のソウルフードについて真摯に考察する(シリーズ鉄火場のソウルフード1)。
流行り病でこの数年、劇場やホール等の芸術芸能場と同様に、ギャンブル場は場外の投票場を含め、入場が出来ず大打撃
No.76 大分県大分市のサンチ―(三角チーズパン)は県外の人間は偶然どこかで出会うしかない幻の大分県高校フード
見つけたら、即手に入れなければ、次に出会えるのがいつなのか分からない商品がある。 それが大分の「つるさき食品
No.75 大阪食い倒れ紀行(天神橋筋商店街)-大阪人曰く、大阪一旨い「うまい屋」のたこ焼き(大阪上陸編8)
串カツ「串安亭」を出て、天神橋筋商店街を3丁目、2丁目、1丁目(天3、天2、天1)へとブラブラと見てるだけ歩
No.74 大阪食い倒れ紀行(天神橋筋商店街)-「串安亭」の串カツ(大阪上陸編7)
2泊3日の大阪上陸も、早いもので本日の19時の新幹線に乗ることでエンディングを迎えることになる。そこで本日は
No.73 神奈川県藤沢市の「中華大新」の大新ラーメンとやわらかい焼きそばを食べながら「50年問題」を考える
町中華がどんどん消滅していっているそうだ。これを「50年問題」と言うらしいが、高度経済成長(60年代後半から
No.72 大阪食い倒れ紀行(難波)-「金龍」のラーメンと「北極」のアイスキャンディー②(大阪上陸編6)
さて満足顔で「大黒」(No.70)出て、本日の計画はこの後、千日前のなんばグランド花月を素見(ひやか)してか
No.71 東京都中央区銀座の大衆蕎麦屋「そば所 よし田」で10年ぶりの蕎麦を楽しんだのである。
年末は、少し贅沢をして銀座で食事をすることにしている。しかし、銀座と言っても、一人3万や5万の店に顔を出すほ
No.70 大阪食い倒れ紀行(難波)-「大黒」のかやくご飯①(大阪上陸編5)
私と大阪の初めての関わりは、大阪万博と『細腕繫盛記※1』『ぼてじゃこ物語※2』、そして『どてらい男』(関西放
No.69 大阪府大阪市中央区の「たこ焼き道楽 わなか」なんば店、私にはただのたこ焼きでしかなかったのである。スミマセン。(大阪上陸編4)
ホルモン焼きマルフク(No.68)を出て、あべのハルカスまで、腹ならしに歩こうと、ビルの方向だけを頼りに商店
No.68 大阪府大阪市西成区の鉄板(ホルモン)焼きは今や日雇労働者のためのフードではないのである。(大阪上陸編3)
今回大阪に上陸し必ず足を向けなければと思った場所は、1960年代から日本の3大ドヤ街<東京の山谷(さんや)、
No.67 大阪府大阪市の新世界「串揚げ」、こりゃアカンで、亀親父。(大阪上陸編2)
ソウルフードと呼ばれるのに一番肝心なのは、その地域性にあると思われる。その限定された範囲内で、何故にこんなに
No.66 大阪府大阪市浪速区恵美須東(通天閣下)の「三吉」の立ち食いうどん・そばは<たぬき>が<きつね>に化かされてしまうのであった(大阪上陸編1)
13年ぶりの大阪である。今回の上陸(東京人には大阪だけはこの言葉が相応しいような)は、今回を含めて3回目。し
No.65 千葉県木更津市が誇る二つの弁当、「チャー弁」と「バー弁」を買いながら町の衰退を考える(No.64のつづき)
「チャーシュー弁当(チャー弁)」をゲットして「としまや新宿店」を出ると、急に空腹感に襲われる。周囲を見渡して
No.64 千葉県木更津市が誇る二つの弁当、「チャー弁」と「バー弁」を買いながら町の衰退を考える
木更津に対するイメージはと聞かれ、私のすぐ頭に思い浮かぶのは、宮藤官九郎(クドカン)脚本・演出のドラマ・映画
No.63 兵庫県たつの市イトメンの「チャンポンめん」は関西アッサリ味の究極の姿
関西のイメージワードとして「コテコテ」があるが、他に「アッサリ」というワードも浸透しているのではないだろうか
No.62 静岡県沼津市の「のっぽパン」は思わず手に取りたくなる長ーいコッペパン
写真クリックで拡大 ついにだが、オジサンもコロナに感染してしもーた、3回ワクチン打っているのにである。しかし
No.61 神奈川県川崎市中原区小杉町「丸仙」の支那そばは、あるようでない珠玉の一杯
武蔵小杉というと、昔はオジサンには長閑な下町的なイメージがあった。しかし、数年前から駅前開発でタワーマンショ
No.60 神奈川県港北区日吉本町「とらひげ」の牛肉ニラ丼は慶大生に食べ続けられている「魂」の一品
早いもので、この連載も60回を迎えるが、今回は以前予告した「大学のソウルフード」という企画の第一弾として慶應
No.59 千葉県柏市の「ボンベイ」のカシミールカレーは「デリー」の伝統を裏切るカレーで残念。
「ホワイト餃子」と「ボンベイのカレー」は昔から柏市民が愛してやまないソウルフードだと聞いたので、なるほどと思
No.58 千葉県船橋市「大輦」のソースラーメンを侮るなかれ。
「ソウルフードと言えるか分からないけど、船橋のソースラーメン、イケルから食べてよ」と友人から言われたのは何年
No.57 愛知県名古屋市「寿がきや」のラーメンスープは名古屋なのにトンコツ味?名古屋人の誇りを捨てたのかな。
愛知三大袋めんは、西三河の「キリマル」(No.20で紹介)と東三河の「ポンポコ」(No.49で紹介)。そして
No.56 高知県のまじめなおかし「ミレービスケット」を食べながらふまじめな自分を痛感した話。
高知県と言えば、龍馬とカツオとよさこい祭りと相場は決まっているが、本日紹介する「ミレー」も高知と言えば外せな
No.55 埼玉県蕨市「るーぱん」は受付が消えて戻ってこない不思議なシステムの店であった。
ローカルレストランチェーン店の宝庫といえば埼玉県。山田うどん、餃子の満州、がってん寿司、ステーキのどん等東京
No.54 東京都杉並区高円寺北「ニューバーグ」のハンバーグが年齢層に関係なく愛され続ける理由。
日本のお子ちゃまが一番好きな食べ物No.1は現在でも断トツにハンバーグだろう。60歳代の私の子供の頃も、そう
No.53 東京都足立区東武伊勢崎線西新井駅ホームの「西新井ラーメン」、45年ぶりのその味は「返し」が絶品だった。
地方の無人駅はともかく、駅ほど変化の激しい空間はないように感じる。 特に都市部はさらにそれが増すように思う。
No.52 東京都中野区東中野の「十番」のビールとタンギョウは神々しい三種の神器。
自称東京漂流者の私も、終の棲家を見つけなければならない歳になったのだが、どうも昔から奥手で決断力のない性質で
No.51 神奈川県小田原市の「十郎梅干し」を食う、まさに共喰い気分。
かつて現在注目の北条氏の御国(みくに)であった小田原市、現在では東海道新幹線と箱根への通過駅的感覚しかなく、
No.50 東京都板橋区仲宿の「そば谷」は東十条の名店を継承し、新たに復活。さてどんな種が地域周辺のソウルフードになるのやら。
かつて東十条の駅前に「そば谷」という、地域周辺住民、立ち食い蕎麦ファンなら知らない人はいない名店の誉れ高い立
No.49 愛知県豊川市の山本製粉の「ポンポコラーメン」は愛知県三大即席麺の一つだった。
ご当地ソウルフル即席麺第5弾はNo.20「キリマルラーメン」に続き愛知県の即席麺をご紹介したい。東京駅でたま
No.48 東京都台東区竜泉の天羽飲料製造の「天羽の梅」は未だに成分が分からない下町の不気味なソウルフルエキス。
日本の酒文化の中にサワー(酎ハイ)なるものが浸透し、今では、ビール、日本酒、ウイスキーを凌駕するようなドリン
No.47 東京都中央区銀座「煉瓦亭」の元祖ポークカツレツについて思う存分語らせていただきます。
私が前口上で定義したソウルフードとは、ちと違うのではと思われるかもしれないが、新年(2022年)第1弾という
No.46 神奈川県平塚市「老郷(ラオシャン)」の酢湯麵は<老荘><禅>の境地を味わえるラーメンなのである。
師走の慌ただしいなか、老境に入りつつある我々は、ほろ酔いで次の平塚随一のソウルフードと言われる「老郷(ラオシ
No.45 神奈川県平塚市の「どさん娘紅谷町店」でラーメンを食える時がくるのだろうか?
今年(2021年)も早いもので暮れようとしている。この年齢になると、後何回師走(しわす)を迎えることができる
No.44 徳島県徳島市の「金ちゃんラーメン」、これぞ最強で摩訶不思議なソウルフル即席ラーメンなのである。
ご当地ソウルフル即席ラーメンシリーズも第4弾を迎え、本日は、ご当地ラーメンの最強「金ちゃんラーメン」をご紹介
No.43 東京都葛飾区東金町の「せきぐち東金町店」の元祖カレーラーメンのどろどろ、プラス5辛増し、トッピング辛ねぎ。
金町駅は柴又帝釈天へ参詣する時に通過する駅という印象しかなかったが、降りてみると中々どうして活気がある場所で
No.42 熊本県熊本市の「マルメイナポリタン」とNo.18「ソフトスパゲッティ式めん」軍配はいかに?
No.18で紹介した島根県出雲市「ソフトスパゲッティ式めん」が妙にまた食べたくなってきたのである。そしてデパ
No.41 東京都台東区上野のカレー専門店「クラウンエース」はアッパレの潔さで復活。
日本のファストフードの帝王・立ち食い蕎麦屋に匹敵するのが、女王・スタンドカレーだろうことは誰もが異存がないだ
No.40 福岡県福岡市即席ラーメン「これだ」は、豚骨ではなく醤油?アッと驚くタメゴローとはこのことだ!
前々回(No.38「うまかっちゃん」)を余りに扱き下ろし過ぎ、というお叱りを大分出身の友人から受けたのですが
No.39 東京都墨田区錦糸町創業120年の大衆蕎麦屋「丸花」の丼セットはまさに大衆のためのガテン飯。
錦糸町は東京の中でも独得の風情を醸し出している街である。 その風情が現代風でなく、多くの終わってしまったオジ
No.38 福岡県福岡市の即席麺「うまかっちゃん」が関東進出を止めた?本当の理由。
麺食いである。生まれてからこの方、どれだけの麺を食べてきただろうか。ひょっとすると米と同等かそれ以上ではない
No.37 東京都台東区千束の立ち食い蕎麦「山田屋」の細めん、ひもかわ、僕きつね。
コアな立ち食いファンなら必ず訪れたことがあるだろう、立ち食い蕎麦「山田屋」。立ち食い蕎麦は地域性よりも、通り
No.36 埼玉県所沢市狭山ヶ丘の銘菓「ぽんぽこおやじ」は、あの「ぽんぽこ(タヌキ)」の末裔だった。
20年前、仕事で福岡県に行った時、新幹線駅構内でお土産を買おうと品定めをしていると、明太子の「かねふく」と肩
No.35 愛知県稲沢市「オリエンタルカレー」の全国展開撤退の理由。
「オリエンタルカレー」をご存じだろうか。懐かしい喜劇俳優の南利明の「ハヤシもあるでョー」のCMのカレーと言え
No.34 東京都杉並区荻窪の伝説の(白)「丸福」のラーメン(これがオジサンのソウルフルラーメンです)
前回(No.33)の「竹の家」を出て、八王子駅から新宿駅までの上り電車に乗りながら、途中、荻窪駅を過ぎると、
前回「おつけだんご」(No.32)を食せないまま、大月駅で上りの電車を待っていると、山梨県を越え東京都に入る
No.32 山梨県大月市の幻の「おつけだんご」(食べさせてくんなまし)
オジサンは山梨県大月市のソウルフードと言われる「おつけだんご」(味噌仕立てのすいとん)を紹介するため中央線で
No.31 東京都台東区谷中「一寸亭(ちょっとてい)」のもやしそばのトロトロ
「辛い臭いは癖になる」というフレーズをご存じだろうか。知るわけない、当たり前である私が今作ったのであるから。
「ひっぱり」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「何それ」と返答する人がほとんどでしょう。この「ひっぱり」
沖縄県の「ポーク(P)ランチョンミート」と海 以前(20年前)、経営する会社が少し儲かった時に、フィリピンの
No.28 神奈川県横須賀市の「相模屋」&「お太幸(横須賀駅前店)」の立ち食い焼き鳥
東京人などと自分では言っているが、15から40歳までの25年間、実家は神奈川県横須賀市馬堀海岸という所にあり
青森県、この地方には以前紹介したNo.6「源たれ」の他に風変りなソウルフードがある。それが今回紹介する「イギ
No.26 埼玉県川口市「太郎焼とキューポラのある街」の幸福
日本五大あんこ菓子と言われる(私の命名で、まだ普遍化されてません。)大福餅、どら焼き、大判焼、鯛焼き、最中。
No.25 埼玉県上尾市の「好好(にゃんにゃん)」愛宕山店のスタカレー
上尾市というより、大宮市、さいたま市も含めた埼玉県中央部のソウルフードと言われるのが、このスタカレーである。
No.24 東京都荒川区西日暮里の「一由そば」のジャンボゲソ天そば
現在そば屋には、1.高級そば屋(お酒の後にそばを啜る)、2.大衆そば屋(昼食等、空腹を満たすための食べるそば
No.23 東京都台東区浅草1丁目1番地1の「神谷バー」のデンキブラン
今回はソウルフードならぬソウルドリンク(ドリンクはフードの中に包まれますよね)をご紹介したい。酒飲みなら「デ
No.22 東京都千代田区外神田の「牛丼専門サンボ」の牛丼のアレレレ
言わずと知れた日本一変な街「秋葉原(通称アキバ)」のアキバ族(こんな言い方はしないが、アキバ系オタク族を私は
最近ではテレビ等で紹介され、ご存じの方も多くなったのではと思うが、東京の超ローカル食がこの「からし焼」である
No.20 愛知県碧南市の即席めん「キリマルラーメン」の皮肉
50歳代以上の方は、即席めんの歴史と共に生きているので、その競争の凄まじさをご存じなので、生き残って現在在る
もう45年前になるが、15歳の時に東京都足立区から神奈川県横須賀市に引っ越した。その頃はバブル前で、現在より
この企画、まずは私の近場の関東一円から、東北、北海道へと旅を広げていこうと思っていたのだが、逆方向の出雲市出
「もんじゃ焼き―後述・焼き省略」、名前はもう全国区?だろうが、食されているのは関東圏だけなのではと思う(東北
道民には、懐かしの昭和の菓子と思いきや、現在形らしく、今でも日常的に食べられ、強い人気を誇る菓子が「ビタミン
No.15 東京都武蔵野市武蔵境の亜細亜大学近くの「油そば」
もう36年前になるだろうか、社会人になると同時に東京の中央線東小金井駅のそばのアパートを借りて住んでいたこと
「かんずり」(No.9)が新潟県妙高市に一家に一瓶なら、こちらも山形県米沢市の一家に一本の「うまいたれ」であ
麺食いである。特にそば、うどんのどちらかは、毎日欠かさず食べていると言っても過言でないだろう。ただどちらかと
No.12 埼玉県西部(所沢、狭山、入間市)の「狭山茶」と「焼きだんご」
小学生の時、父親がよく埼玉県の所沢に行く機会があり、その時に必ずお土産に買ってきてくれたのが「焼きだんご」だ
正式名称「関東・栃木レモン」通称「レモン牛乳」というこのドリンク、「関東・栃木」と大きく謳っているのであるか
空前の「からあげ」ブームである。 飲食店が閉店すると、その後「からあげ屋」というパターンが多くなってきた。日
標高2,452メートルの妙高山の麓に広がる新潟県妙高市では、昔から料理にかかせない伝統調味料がある。その名は
No.8 神奈川県川崎市京町「元祖ニュータンタンメン本舗」のタンタンメン
ソウルフードもチェーン店、フランチャイズ化し各地に広がると、もう<ソウル>として役目も終わり、その独特な特殊
「臭いものにはフタをしろ」という諺があるが、その逆にフタをしないで、どんどん臭みを外に出すのがこの奇妙奇天烈
青森県人に欠かせない調味料はと言われて、源たれと答えられなければ、それは青森県人ではないと言われるほど、昔か
酒を覚えて、それほど時間が経っていない若い頃に、武蔵境のバラック小屋のような立ち飲みの屋のカウンターで酒を飲
水戸の黄門様と納豆のほか水戸には何があるのだろう、と言う人がいるが、侮ってはいけないのである。幕末の水戸藩の
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No.90でも述べたが、大のうなぎ好きである。ここはオジサンの大好物を紹介するコーナーなので、やはり、うなぎ
60も過ぎて、棺桶に足を突っ込むような歳になると、何事においても原点回帰するようになるらしいと感じる時がある
オジサンにとって地縁というものはあるなと思わせるのが、神奈川県横浜市西区の横浜西口相鉄線入口前の一帯(西口五
気が付けば、この投稿も100回目。駄文(チリ)も積もれば資料(ヤマ)となる。ソウルフードという簡単には消えな
さて、「グリル一平」(前回No.98)を出て、オジサンは当てもなくぶらぶらと新開地周辺を徘徊。この辺は新開地
東京から新神戸まで新幹線の車窓から見えるのは霧に覆われた街並みと山並みばかりである。山並みなどは長谷川等伯の
昔から逞しい筋肉マッスル男を見るとゾクゾクしたもので(あちら系ではないのだが…。)、自分もあの体をと、エキス
No.30で紹介した「ひっぱり」のほかに山形内陸部には、もう一つ簡易なソールフードがある。それは「水かけご飯」
かつて仕事をした関係で、今でも縁が切れずに月2回ほどアルバイトのために顔を出す会社があるのだが、その元寄りが
早稲田の「メルシー」が閉店したとのこと耳に飛び込んできた。実際は少し休み、その行く末を考えようという、前向き
15歳の時に足立区が嫌で嫌で(歩いていると毎日にようにカツアゲに合うような町)、脱失して50年だが、その時か
まさに雲ひとつない五月晴れ、こんな日に塒(ねぐら)に籠っていても神経によくないと、我が母校(ほんとうにツマラ
私の記憶で、きしめんなるものを最初に食べたのはいつだっただろうか。東京ではなく名古屋なのは確かなのだが、ひょ
うなぎ好きである。このブログも最初は「うな十郎の全国うなかばぶった斬り」を始めるはずだったのだが、うなぎのか
名古屋の食と言えば、きしめん、ういろう、八丁味噌というのが定番であったが、最近はういろうを食べる人は少なくな
名古屋2日目は、熱田神宮に参詣し、お昼は愛知で一番有名なのではないかと思われる明治六年創業の「あつた蓬莱軒」
哲学は英語でPhilosophyだが、その語源はギリシャの Philosophiaという言葉で、意味が「知
私の父方の家は代々愛知県の常滑で、故に先祖代々のお墓もそこにある。6年前母親が亡くなり、その墓に入ったのだが
さて、前回(No.84)「永寿亭」のカツ丼を食べ終わり、午後の予定まで、腹ならしをかねて高崎の旧市街をプラプ
静岡伊東の日帰り旅(No.81, No.82)が結果オーライだったので、それに味を占めて、さてお次はどこにと
名古屋の食と言えば、きしめん、ういろう、八丁味噌というのが定番であったが、最近はういろうを食べる人は少なくな
名古屋2日目は、熱田神宮に参詣し、お昼は愛知で一番有名なのではないかと思われる明治六年創業の「あつた蓬莱軒」
哲学は英語でPhilosophyだが、その語源はギリシャの Philosophiaという言葉で、意味が「知
私の父方の家は代々愛知県の常滑で、故に先祖代々のお墓もそこにある。6年前母親が亡くなり、その墓に入ったのだが
さて、前回(No.84)「永寿亭」のカツ丼を食べ終わり、午後の予定まで、腹ならしをかねて高崎の旧市街をプラプ
静岡伊東の日帰り旅(No.81, No.82)が結果オーライだったので、それに味を占めて、さてお次はどこにと