双極性障害持ち。メンヘラ歴1/4世紀の私が、病気になったから会えた (会うことが出来た)人々や出来事について書いていきます。育児についても。
主治医の五藤医師の診察の日、先日道で獅子谷医師とすれ違った事。こちらは 相手を見知っているから思わず挨拶したが、あちらは不審に思ったかもしれない という事を話した。 五藤医師は「獅子谷先生、勿論安井さんの事知ってるよ」 「この病院ね、定期的に常勤の医師と臨床心理士全員でカンファレンスやるの。 それでお互い、自分の患者の事例を話して相談したりアドバイスしあってるのね。 だから、僕も他の先生の患者さんの事分かってるし、他の先生の方も僕の患者の事知ってる」 何か月も入院していれば、五藤医師から何度も「僕の担当の安井さんは…」とカンファレンスで聞かされることになる。頭の中に入るのも道理だ。 他の精神科…
B病院の数少ないイケメンの一人が獅子谷医師である事は書いた。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 前の記事に書きそびれたが、患者たちは彼の事を「イケメンのゴリ」と呼んでいた。 ゴリとは、バスケットボール漫画「SLAM DUNK」の登場人物赤木だ。漫画を読んだ事のある方はお分かりだろうが、イケメンぞろいのプレーヤーのなかでゴリは決してイケメンではない。けれど、獅子谷医師は背が高くがっちりしていかつい感じなので、体格的には「ゴリ」が一番近い。けれど、ゴリラ顔ではなく塩系のイケメンなので、「イケメンの」と注釈がついていたのだ。 (精神科の患者は結構時間があるので、このようなた…
前の記事に書いたように、出勤する人もいれば通学する人もいる。ただ、 男性棟は分からないが女性棟の多くは私も含め、いわゆる「ニート」だった。 通学で見かけたのは女子高生と女子大生。女子高生は通学時間の関係、また部屋も違ったので殆ど話す機会がなかった。鞄を持って登校していく後ろ姿や下校した姿を時々見る位だった。ただ、皆がゆるゆるした部屋着を来ている中、かわいい制服を着ているのはとても目立った。お母さんと思われる方が心配してか毎日のように様子を見に来ていた。彼女は退院なのか、転院なのか数週間で病院を去って行った。 大学生は高校程授業がきっちり組まれている訳ではないので、遅く学校に行ったり 時にはさぼ…
病院なので、食事時間や門限はきっちり決められて患者はそれに沿って行動する事が求められる。 しかし例外があり、それは病院から通学・通勤している人だ。病院の朝食を待っていると遅刻してしまう場合もあるので、その人たちには簡単なパンと牛乳のような朝食が用意され、皆が朝食を取る時間には彼・彼女たちはもう出勤・登校していた。 学校はともかく会社勤めの人は帰りが遅いので、夕食が取り置かれ、帰り次第それを食堂で食べていた。 退院患者が出て、部屋の入れ替えが行われて同室になったのが蓮尾さんだった。蓮尾さんはもう数年間入院していて、ずっと病院から出勤を続けているとか。 彼女の勤め先は有名企業で、専門職としてバリバ…
患者の吉見さんは、ボブヘアの快活でお話好きな人だった。 良く食堂で患者仲間とけらけら笑い合っていた。打ち解けるようになって話を 聞くと、旦那さんと大学生の息子さんの3人暮らし。毎年9月くらいになると一か月くらい入院するのがお決まりだと言う。 病名はうつ病だそうだが、普段はボランティア、趣味、パートの仕事までしているというのでびっくりだ。私は散々ブログに書いてきたけれど、寝たきり状態で酷い時は 歯磨きや洗面、着替えすらできなかったのだから。 吉見さんの入院は恒例なので、その間はパートやボランティアもお休みにしているという。 「でも、パート先からどうしてもこの日は人が足りないって言われると行ってる…
病院食についてはちょっと不思議な噂があった。 特定の時期、特定の野菜ばかりが出されるのだ。それも一般的なもの、例えばトマトやきゅうりでなくて ししとう、ズッキーニ、スナップエンドウと言ったちょっと変わった野菜がである。 勿論調理法は毎回変えてあるが食材自体は一週間続けて出たり、朝 夕と出たりする。 「あれー、またスナップエンドウ来たか」と入院歴の長い類澤さんが言った。 「なんかねー、いやにスナップエンドウ続いてみたり、それがぱたっと終わったら ししとうばっかりだったりするのよね」 確かに、言われてみるとその通りだ。仇のように、ちょっと変わった野菜が続けて出て来て、ぱたっと止み、今度は違うちょっ…
刻みや減塩の他は同じメニューが並ぶ中、楽山さんだけは違う物が揃えられていた。 いわゆる高カロリー食品。例えばメイバランスのようなものだ。楽山さんはうつで 長く入院している。食べなくちゃと本人も思っているのだが、どうしても普通のご飯が喉を通らない。なので主治医から特別に高カロリー栄養食を出すよう指示が出ていたが それでもそれすらほんの少ししか口をつけていなかった。 食事時間には病室を出、楽山さんは名札の置いてある席に座る。メイバランスなどを前にずっとうつむいている。結局ほとんど食べられず、皆が食堂を去るのと同じタイミングでフラフラと病室へ帰って行く。 食べなくては命に関わるから、点滴など何らかの…
前回書いたように、病院食とは言え行事食は出る。お正月、ひなまつり、こどもの日、 七夕など。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com とは言え、B病院はセレブ病院ではないので、病院食はプラスチックの容器に入っていて味もメニューもいわゆる「病院食」の域を出なかった。 最初に精神科の入院をしたA病院は、和食メインのAコースと洋食メインのBコースと 選択でき、そこそこ美味しかったのだがここでは一種類の食事しかなかった。 中には健康上の問題から刻み食や減塩食の提供はあったが、基本は同じメニューだった。 入院した時に栄養士からの食事のしおりを貰い、それには「B病院の好評メニュー」として…
前2回にわたって書いたのは普段の夜の風景。既に書いたが、病院の消灯時間は9時。そしてそれを皆きっちり守っていたが、唯一の例外が大晦日だった。 消灯は元旦の0時となる。年越しそばなどの夕飯を食べたあと、紅白歌合戦の時間にテレビの前に集まる。もちろん途中で寝てしまう人、部屋にずっといる人も多少はいるが、大体の患者は食堂に来る。そして紅白を見ながらお茶を飲んだり、お菓子をつまんだりしながらよもやま話をする。 「ゆく年くる年」が終わるとお互い「おめでとう」の挨拶を交わす、看護師さんが来て「おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」が、新年の挨拶でもあり消灯の合図でもある。 皆そこで歯磨きなど終え…
広く暗い食堂の端と端に二人は居た。目黒さんはかならず窓際に座り 何もいわずずっと真っ暗な外を見つめていた。 森さんはその対角線上の場所が定位置だった。目黒さんとは対照的に、立ったり座ったり、少し歩いてみたり。その二人しか食堂にいないのに、言葉も交わさずお互いを見てすらいなかった。 二人とも寝られないのだろうか。睡眠導入剤は出して貰っていないのだろうか。 あまりにも夜ごとに見かけるので心配になったが、看護師や医師が患者の情報を 他者に漏らすはずもない。 私は不眠が酷かった時、夜が怖かった。今日は眠れるのか、眠る事に敏感に神経質になって「寝れない、寝れない」苦しんだ。 目黒さんや森さんは夜が怖くな…
病院の消灯は9時。トイレや廊下以外の電気は一切消され、以降は室内での 私語やスマホ操作等も禁止だ。時々看護師が見回りに来る。 私は不眠の時があり、その時は医師が指示してナースステーションに保管して ある頓服を飲むことになっていた。9時に消灯して2~3時間寝つけなかったらA薬。 それでも寝られなかったらB薬。午前3時以降は、それまで一睡もできていなくても 追加の薬は出ない事になっていた。 就寝前の睡眠導入剤、消灯時間以降の二種類の薬を飲んでなお眠れない事がたびたび あり、主治医に相談した。 患者の村越さんが「C薬飲んだらころっと寝れるわよ」と言っていたので「C薬を出して 下さい」とリクエストした…
B病院では男女で生活空間が完全に分かれているので、男性と会う機会はあまりなかった。作業療法か、もしくはまた別の機会に書こうと思うけれど皆が時間をつぶす屋上 くらいだ。 私は既婚者で、ボーイフレンドを作ろうなどと一片の関心もなかったが、女性患者の中には「婚活」に励んでいる人が二人はいた。 一人は間島さんといって、若く見えたけれど実はアラフォーだとか。間島さんは 自分から「私婚活しているのー」「結婚したい」と常々口にしていたが、滅多に外出もしないし作業療法にすら出ない。水木さんのターゲットは院内。看護師(例えば山内さん) utuutuyasuyasu.hatenablog.com だったり、出入り…
次は看護師さんの話。看護師さんは病棟と外来で全く分かれているので、初対面の看護師さんばかりだった。医師とは基本的に週一回診察で会うだけなので彼女(彼)たちが一番身近な存在だった。しかし皆優しく明るくて、親切な人ばかりだった。私はどれだけ励まされ助けられた事か。 入院患者は大体において自分の身の回りの事(着替えや入浴)は出来ていたし、病気の性質上点滴を替えたり包帯交換等はない。しかし、時に理不尽なトラブルを起こす患者をなだめたり諭したりしながら夜勤をこなす彼女たちを私は尊敬していた。 入院生活が長くなるにつれ、仲良くなって雑談や軽口も叩くようになっていった。 しかし、看護師さんたちは引くべき線は…
入院生活は、作業療法も任意であるし、服薬と診察以外は特に定まった予定はない。 時間があるので患者同士で良く食堂や談話室で話をしていた。 話題になったのは、それぞれの主治医の事だ。 B病院には常勤非常勤合わせて十人には満たない数の医師がいて、病棟と 外来両方を担当していた。 入院前は主治医外を見る事は殆どなかったが、入院してからは病棟に担当の患者の診察に来る、色々な先生を見かけるようになった。 当直はアルバイト(?)なのか、昼間にいない外部の先生が入る事も あった。中に「ドラえもん」と仇名された先生がいた。ドラえもんのように 小太りで丸顔だった。他の先生が当直の時は、さりげなく勤務に入っていくの…
一つ目の話。入院して間もない人(仮に平田さんとする)が浜谷さんの生きがいを知らず、昼の時間帯にワイドショーだったか、別の番組にチャンネルを合わせていた。 昼食後、浜谷さんは一旦自室に戻り、12:45に間に合うように現れる。連続テレビ小説が始まるまでは誰が何を見ていようと浜谷さんは文句を言わない。で、暗黙の了解で時間になると皆チャンネル権を浜谷さんに渡す。 浜谷さんは、てっきり平田さんが45分になればNHKに変えると思っていたようだ。そんな浜谷さんルールをしらない平田さんはワイドショーを見続けた。浜谷さんに取って、連続テレビ小説を見逃すなどあってはならない事なのだ。烈火のごとく怒る… ではなく慌…
B病院は個室を除いて病室にテレビはなかった。食堂と談話室に一台ずつあったが、 食事時間は食堂のテレビは消すことになっていた。また、テレビは一台なので 見たい番組は患者それぞれで当然違って来るのだが、入院歴の長い人、声の大きい人の意見が通るように自然となっていた。 ただ、マニアックな番組より例えばNHKニュース、甲子園の時期なら甲子園などメジャーな番組が優先される傾向はあった。 しかし、絶対不可侵の番組が一つあって、それは浜谷(仮名)さんの見るNHK連続テレビ小説だ。浜谷さんはかなり年配で、入院歴の長い古株だった。作業療法にも参加せず、外出もしない浜谷さんの、ライフワークともいうべきものが「連続…
双木看護師は怪訝そうに「相談室には、安井さんに言われたその日に連絡しましたけど。まだ返事ないですか?今日もう一度連絡入れますね」と答えた。 その日のうちに相談室より連絡が来、明日午後二時に来てくださいとの事だった。 看護師に相談室の場所を教えて貰い翌日訪ねた。二階の目立たない所にそれはあった。 私を担当したのは牛口さんだった。挨拶を交わした後、私が十日以上前に予約のお願いをしたのですけれど、と口にすると「ああ、そうですか」とあっさりとかわされてしまった。気を取り直して、1自分が困っている事 2調べた範囲で使えそうな制度3他にも制度や支援体制があるか 4申請の仕方 などについて尋ねた。 牛口さん…
B病院は精神科単科病院だけあって、精神保健福祉士が複数名いた。 私はB病院に入るまで精神保健福祉士の存在を知らなかった。 保健所にも配属されているそうだが、「精神保健福祉士です」と名乗った 人と接した記憶はない。今までブログに書いてきたように、保健所には 何度も駆け込んでいるのだけれど… Wikipediaによれば、 ー------------------------------- 精神保健福祉士(せいしんほけんふくしし、Mental Health Social Worker)は、精神保健福祉士法で位置づけられた、精神障害者に対する相談援助などの業務に携わる人の国家資格である。MHSWと略称さ…
お酒を併用してはいけない向精神薬は多い。処方薬局で貰う説明書にも良く「アルコールを摂取してはいけません」と書いてある。 しかし、お酒を好きな人はどんな注意書きがあろうとも我慢が出来ないようだ。 B病院は、物の持ち込みには寛容だと書いた。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 食べ物に関しても、共用の冷蔵庫があり、飲み物や嗜好品を入れておける。冷蔵庫の必要がない菓子・スナック類は自室に持ち込んで食べていても大丈夫だった。 しかしアルコールのみは例外で、冷蔵庫にビールを冷やしておくことなど出来なかったし。部屋に持ち込みも禁止だった。 しかし、丹川(仮名)さんは、お酒なしではい…
作業療法に参加するメンバーはだいたい決まっていた。興味のないプログラムは 無理に参加しないので習字はA、B、C、Dさん、カラオケならA、B、E、F、Gさんが常連といった具合だ。 私に取っては、上手に字が書けると嬉しいなとか、素敵な塗り絵が出来ると 枕元に貼ったりとちょっとした気分転換で、それ以上でも以下でもなかったように 思う。 しかし前書いたお買い物レクのように、作業療法が生活していく上のスキル を身につける、切実な手法になることもある。 プログラムが折り紙の時、看護師に付き添われてきた女性がいた。看護師はその人 のケアを細かく作業療法士に言い置いて去って行った。折り紙は、自分で好きな 物を…
その他にも、作業療法では小さな摩擦は日常茶飯事だった。カラオケのプログラムで マイクを離さない(これは実生活にもいる(笑))、映画プログラムで多数決で決めるのに、自分の我を通して譲らない。 トランプやゲーム、スポーツ(風船バレー)など対戦するもので勝敗に異様にこだわる。 作業療法士の先生は慣れたもので、指摘すべき所、注意すべき所はきっぱり言っていた。しかし、患者もさる者で、自分のやりたい事を通す為に先生のいう事は馬耳東風。 患者同士で口論になる事もあった。 ある時、作業療法室や廊下に「お買い物レク」のお知らせが貼られた。 内容を読むと、Rスーパー(仮名)に○月✕日に買い物に、作業療法士と看護師…
精神科で入院している患者が治療の為に通うのが作業療法室なので、 大小色々なトラブルは常に起きていた。 天川(仮名)さんは、手芸が好きなようで手芸がプログラムの日には必ず参加していた。 その日作る物は、一応作業療法士より提示される。簡単なフェルト細工だったり、編み物だったり、ビーズ細工だったり。作る物は数種提案されるので、皆で一斉に同じ物を作らなくてはいけない訳でもないし、スピードもそれぞれで良かった。一回で仕上げる人もいれば、休む日を挟んで何回もかけてゆっくり仕上げても良かった。 ただ、針やはさみ、編み棒などは作業療法士の居る場でのみ使用可だったので、 途中の物を持ち帰って自室で続きをすること…
「作業療法1」でお習字がある事を書いた。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 私は元々学校での習字の時間は大嫌いで、悪筆なのだが「作業療法は出来不出来を 評価する場所ではありませんよ」「墨を摺って習字をするのは気持ちが落ち着きますよ」と作業療法士の先生に薦められ、習字に行き始めた。 習字の先生は、なかなか有名な方らしく、全くのボランティアで作業療法に協力 されているとの事。 自分が書きたい字、例えば「七夕」「海」を練習してみたいと言えば、そのお手本を 書いて下さり各自練習する。前項で書いたように、作業療法自体は一時間半取ってあるが、一枚だけ書いて(または書ききらなくても…
入院して少し経つと、主治医から「作業療法をしてみませんか」と提案があった。 作業療法とは何か。 ー----------------------------------- 作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。(一般社団法人 日本作業療法士協会 HPより) ー--------------------------------- と言われても抽象的で分かりづらい。 ー----------------------------------- …
B病院では危険物(刃物、紐類)の持ち込みは禁止されていたが、貴重品は その限りではなかった。外出や外泊も出来るので、お財布を手元に置いている 人は多かった。床頭台にセーフティーボックスもついていた。 とは言え、「お財布やキャッシュカード以外の貴重品の持ち込みは安全上ご遠慮 下さい」と入院の際に説明を受けていた。例えば実印や銀行印、通帳と言った物を 持ち込んでいる人は見かけなかった。 しかし、患者の一人近田(仮名)さんはいつも巾着袋を持ち歩き、その中に 沢山宝飾品を詰め込んでいるのだった。 近田さんは、田村さん utuutuyasuyasu.hatenablog.com とは違い、日中はTシャツ…
入院生活とは言え、生活にメリハリをつける為、医師からは朝起きたら 着替えて、寝る前に寝巻を着るように言われた。 これは以前A病院に居た時も同様だった。 utuutuyasuyasu.hatenablog.com 他の入院患者も、同じように生活リズムを整える着替えの指示を受けていたようだ。 若干名、日夜問わず寝巻で過ごしていた人もいたが。 着替えると言っても、殆どは病棟内で過ごすのだし、時々横になったりもする。 洗濯もしなくてはならない(病棟内に共用の洗濯機や干場があった)。 私を含め、皆動きやすく洗濯しやすいルームウェアやジャージのような物を 来ていた。ちなみに、履物はスリッパだ。 そのゆるゆ…
私は冬季にうつが悪くなる事が多い。いわゆる「冬季うつ」だ。 今、猛暑が続いているが「夏季うつ」ってあるのかな、と 思って検索したらあるようだ。 また四月は新生活でうつになるだとか、五月病と言う言葉もある。 そうしたら年中うつになる要因があるのでは? 「日本全国酒飲み音頭」という歌があり、一年中、何かにつけて酒を飲むという内容だ。 歌詞の一部を書くと 酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ 一月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ 二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ 三月はひなまつりで… こういった具合で12月まで続く。 何かにか…
まず荷物を置いてから、心電図や血液検査があった。 この病院は個室もあるが、私は4人部屋に入った。私が入ってこの部屋は満床になった。個々のテレビはなく、備え付けは床頭台のみである。 検査が終わってから昼食。昼食後ベッドでうとうとしていたら、夕食の 時間になった。食事はいわゆる病院食であまりおいしくはない。 入院患者が一堂に会して食事をする訳だが、中には高齢者や持病のある人も いるから、刻み食や減塩食も出されている。 どこの病院でもそうだと思うが、夕食の時間は早めだ。あとは就寝前の 服薬まで特にする事もないので、皆談話室や食堂でテレビを見たり、雑談をしている。 その日は私は入院で疲れたていたので、…
B病院に入院すべく、荷物を持って来院すると防火戸のような大きな扉が開かれた。 この扉の向こうが病棟だ。 東西に横長に病棟があり、東は女性。西は男性。両方を結ぶ場所に テレビや談話室があり、そこは男女両方利用が出来る。 二、三階とニフロアある。 入居に当たって、入院生活の説明が看護師からなされた。 食事は食堂(男女に分かれている)に来て取る事。 洗濯は洗濯機があるので各自出来る事(勿論家族に持ち帰って貰ってもいい) お風呂は、共用だが看護師が予定を入れるのでそれに従う事。 体調が悪い時はパスして良い。 違うフロアに行く事は余り推奨されておらず、また自分以外の病室に行く事 (話をしに行く等)は禁止…
B病院の入院日が決まり、病院生活で必要な物を用意した。精神科の入院は 自殺を防ぐ為、持ち込めるものに制限がある事も多い。 私がB病院入院中に会った須賀(仮名)さんは病歴も長く、色々な病院を 渡り歩いてきた猛者(?)だが、ある病院では持ち込めるのは二つだけ。 眼鏡と入れ歯。これは代替が効かないので持ち込み化。あとは全て、着る物から 洗面用具から病院から貸し出しだったそうだ。 B病院は、刃物類と長い紐様のもの(電気のコード含む)は禁止であったが、 他は自由だった。他科の入院で用意するものと大して変わりはない。 言い忘れたがB病院は全て解放病棟である。須賀さんから、閉鎖病棟の様子も 聞いたが(いちい…
最近の投稿は育児や受験に偏ってしまっていたが、元々これは私のそううつを 通しての色々の経験を書くために始めたブログ。 ここで私の病気の話に戻ろう。 前回まで子育て、受験について書いてきたがその間私は本当に青息吐息の状態だった。 辛さや絶望のあまり、何度死のうと思ったか分からない。 それでも一回目の入院をしてからは utuutuyasuyasu.hatenablog.com 何とか通院治療でしのいできたが、とうとう通院のみでは乗り切れない時がやってきた。 その時は、主治医の五藤医師の異動に伴い、最初に入院したA病院(総合病院) からB病院(精神科単科病院)へ転院していた。カウンセラーは静岡先生だ…
「ブログリーダー」を活用して、安井友泉さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。