メインカテゴリーを選択しなおす
2011 年のカンタベリー地震で大きな被害を受けた。 クライストチャーチ市中心部にある カセドラル大聖堂 「復帰まで3分の1終えた。」 が、修復プロジェクト…
求人 ファームウェア エンジニア スタッフ◆クライストチャーチ
世界各地に拠点をもち、太陽光発電システムと蓄電池システムを提供しているNASDAQ上場企業 Enphase Energyがクライストチャーチにもつグローバルエンジニアリング施設で日本規格に準拠したシステムの導入経験者を募集する求人募集を開始しています。
Cortisone injections into joints
2024年03月08日 金曜日所謂ステロイド注射。左腕の肘の腱を傷めた2016年。診察をして治療を受けたけど結局どうにもならないということで注射をすることにな…
求人 グローバルホールセール流通エグゼクティブ◆クライストチャーチ
ニュージーランドのベビー&子供服デザイナーブランドJamie Kayから、日本市場の開拓を担う グローバルホールセール流通エグゼクティブの求人がでています。
2024年01月26日 27日 28日 2〜3年ほど前だったかな?一緒にキャッスルヒルに行った韓国人夫婦クライマーのジョンとチョウが1ヶ月ほど休暇を取って南島…
2024年01月13日 土曜日 ベトナムでは正月から登ってたけど、ニュージーランドに帰ってきてからは今日が登り始め。 リトルトン港には豪華客船が入港してた。 …
先日、ニュージーランドの義母からメールが来ていました。 「日本がなんだか大変なことになっているけれど、家族親戚友達みんなだいじょうぶ?」 っていう内容。 …
今日、カップ・ウイークの最終日の土曜日にリカトン・パーク競馬場にて、ニュージーランド・カップの競馬が行われました。 この前の火曜日に行われたのは、トロッティングの競馬でしたが、今日行われたのは、日本でも馴染みがある騎手が乗った馬で競う競馬でした。 このニュージーランドカップは、1865年から毎年開催されているニュージーランドで最も古いレースの1つで、1867年からリカトン・パーク競馬場が本拠地になっています。 ニュージーランドカップは、グループ 1からグループ 3 の地位に落ちたにもかかわらず、依然としてニュージーランドで最も人気のあるレースの 1 つでありつづけています。 ちなみに、国により競走馬の格付けをグループもしくはグレードで分けていて、NZは、グループで、日本はグレードを使っています。 1861年 メルボルン・カップ 1865年 ニュージーランド・カップ 1904年 ニュージーランド・トロッティング・カップ 毎年、11月の第一火曜日にメルボルンカップが開催されていることで、その日に重ならない工夫で、ニュージーランド・カップの開催日が決まったようです。 ブログを読んで頂きありが
毎年、11月の第2火曜日は、「カップデー」と呼ばれ、クライストチャーチのアディントン・レースウェイ(Addington Raceway)で、ニュージーランドで最も権威ある競馬のトロッティングレースが開催されます。 最初のレースは、1904年に開催されました。毎年この日は、会社を休んで多くの男女が着飾り競馬場に行くお祭りになっています。ちなみに、このレースで3回優勝した馬は今までに3頭しか出ていません。 トロッティング《繋駕速足 (けいがはやあし)レースとは、馬の後ろに騎手が乗った馬車をつけて馬は速足で走る競馬のことです。
火山島の噴火口後に海が流れ込み出来た天然の良港がリトルトン港です。 リトルトン港をヨーロッパ人で最初に目撃したのは、1770年にニュージーランドを調査したキャプテンクックでしたが、港の中までは調査していませんでした。リトルトン港に初めて入港したヨーロッパの船は、アザラシ漁をしていた「ペガサス号」と記録されています。 リトルトンの歴史 ニュージーランドに英国国教会の植民地を設立することを目指して、ジョージ・ウイリアム・リトルトン男爵が率いるカンタベリー協会が1848年にイギリス、ロンドンで設立されました。 1850年、4隻の帆船が最初の組織的移民団としてリトルトン港に入港し、リトルトンの町の人口は約1100人に膨れ上がりました。 リトルトンの町は、1858年にジョージ・ウイリアム・リトルトン男爵に敬意を表してリトルトンと命名されました。それまでは、ポート・クーパー(ダニエル・クーパーにちなんで)やポート・ヴィクトリア(ヴィクトリア女王にちなみ)などと呼ばれていました。 1849年8月に、リトルトンは、正式に港として宣言されました。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしけれ
クライストチャーチの人気アトラクションの一つにクライストチャーチ・ゴンドラがあります。 1992年10月にオープンしたクライストチャーチ・ゴンドラは、標高445mのキャベンディッシュ山(カンタベリー協会のリチャード・キャベンディッシュの名前に由来)にあり、麓のゴンドラ乗り場から頂上のゴンドラ駅まで全長1000mの長さがあります。 ゴンドラの頂上からはクライストチャーチ市街、カンタベリー平野、南アルプス、リトルトン港などの絶景が楽しめます。 キャベンディッシュ山は、バンクス半島火山の火口壁の一部になり、写真の丘の向こう側には、噴火口に海が流れ込んだリトルトン港があります。ただし、火山活動は、500万年前に終わり、それ以来は火山活動の兆候は出ていません。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
空中遊覧(11月4日 土曜日)かなり久しぶりのパラグライディング。前回はいつ飛んだっけかな??前回ワナカへ行った時に跳ぼうと思えば飛べたんだけど、飛ばずにクラ…
2023年10月28日 土曜日土曜日に地元クライマーたちとワンダーウォールへ行って来た。10年以上ぶり?昔、クライストチャーチに移ってきたときに行ったことがあ…
View this post on Instagram A post shared by Maple (@maple__nelson) ランキング参加中海外生活
先月のひとり旅の記録です。 前回の記事はこちら↓ maplenelson.hatenablog.com 今回は前回までの記事には載せてなかった写真を並べてみます。 街の雰囲気が少しでも伝われば嬉しいです。 建物いろいろ 壁画いろいろ ひとり旅をして思ったこと 建物いろいろ 昔ながらの建物もあるけど、やはり新しめの建物が増えていました。 特にタウンハウスがあちこちにあるなーと思ったら そりゃそうだ、地震で大きな被害があった街だもの。 今でも建設中のところが多かったり 崩れたまま手つかずになっている場所もあったり。 震災前の街のイメージとは変わっていました。 街のシンボルである大聖堂は修復作業中な…
湖のような河口(Avon Heathcote Estuary)
エイボン川(Avon river)とヒースコート川(Heathcote river)が流れ込む河口です。 この河口は、クライストチャーチの北にあるアシュリー川やワイマカリリ川が運んできた砂によって長さ4㎞のブライトン砂州が外海を遮るように形成されました。面積は約880ヘクタールあります。通常の大潮の満潮時の平均水深は 1.4 メートルと浅いです。 この河口が形成されたのは、今から約450年前だと言われています。 この浅い河口の海岸湿原は、渡り鳥の重要な生息地になっていたり、ウインドサーフィンなどのウインドスポーツの遊び場にもなっています。かつては、マオリ族のマヒンガ・カイ(食料採取地)の大切な場所でもありました。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
先月のひとり旅の記録です。 前回の記事はこちら↓ maplenelson.hatenablog.com さぁ、ひとり旅2日目の始まりです! 帰りの飛行機は夕方の便なので、お昼過ぎまで時間があります。 パンケーキで朝ごはん@C4 Coffee 仮設大聖堂(Transitional Cathedral) 人気のベーカリー@Bohemian Bakery 芸術作品!ここは行くべき!@Sweet Soul 日本のパンをお土産に@Japanz Bakery パンケーキで朝ごはん@C4 Coffee この日は7時過ぎに起床。 8時には朝ごはんを食べに出発です! このとき、1人って楽だわ~と思いました! だ…
こんにちは!ぱっしといいます!▶︎関西出身▶︎社会人2年目で退職▶︎2023年9月からイギリス留学会社退職から留学準備、ロンドン滞在中の生活について書いてい…
先月のひとり旅の記録です。 前回の記事はこちら↓ maplenelson.hatenablog.com ハグレーパーク散策 街歩き・いろいろ クライストチャーチに行こうと思ったきっかけの場所 本日の宿にチェックイン ネルソンにはない食べ物? ハグレーパーク散策 桜並木を堪能したあとはㇵグレーパークを散策。 池があったり川が流れていたり。散歩するにはぴったりな場所。 ビジターセンターを発見。 なんだかカッコいい建物です。 カフェが混んでいたので、ギフトショップだけみて出ることに。 バラ園。残念ながらバラの季節には早すぎました。 これ、すごくいいなと思ったんです。 木の幹を囲んでベンチがあって、夏…
先月のことですが。。。 私、ひとり旅に行ってきました! 一人で旅行に行くなんて何年振り?娘たちが生まれてからは初めてのことです。 そうだ、最後に一人旅をしたのは長女を妊娠中だったので14年ぶり。 もともと旅行は好きなほうです。 いろんな景色を見たいと常々思っている。 なので家族に「どこか旅行に行こうよー」と提案するものの 出不精な家族はあまり乗り気じゃないんですよね。。。 でも7月頃かな。ちょっとメンタル落ちている時があって 「このままじゃダメだ!やりたいことやろう!」と思い立って すぐに安いチケットを探して購入! 金曜日の朝出発して土曜日の夕方帰ってくるという1泊弾丸旅。 それがね、すーっご…
「ダンシング・オールナイト」を大ヒットさせたシンガー・ソングライターのもんたよしのりの訃報が届きました。 「ダンシング・オールナイト」が発売されたのは1980年4月21日で、谷村新司の「昴―すばる―」がリリースされたのが、1980年4月1日でした。 「ダンシング・オールナイト」は、2カ月かかってオリコンシングルチャートの頂点に上り詰め、谷村新司の「昴―すばる―」は、最高2位を獲得するも、首位を阻んだ作品こそが「ダンシング・オールナイト」でした。 この2人が、時を同じくして亡くなったのには、何か理由があるのだろうか? 「ダンシング・オールナイト」は、音楽ビジネス冬の時代といわれた80年代に200万枚以上を売り上げ、人々に愛されました。 訃報に接して見るクレマチスの花は、ダンサーの様に見え、空から「ダンシング・オールナイト」の歌が聞こえて来そうでした。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
エドモンズ・バンド・ロタンダ(写真右側)が地震の甚大な被害から修復され、明かりが灯り出したことで、クライストチャーチのインスタ映えスポットが一つ増えた感じです。 このエドモンズ・バンド・ロタンダは、エドモンズ・ベーキングパウダーやエドモンズ料理本で成功した実業家のトーマス・エドモンズ(1858-1932)からクライストチャーチの人々へ1929年に建てられ寄贈されたものです。 エドモンズ・バンド・ロタンダの正式なオープンは 1929年11月11日に行われ、9組の異なるバンドが演奏しました。1929年は、トーマス・エドモンズが妻のジェーン・エリザベス・エドモンズと1879年にイギリスからクライストチャーチのリトルトン港に到着して50年目になり、11月11日は1919年11月11日に第一次世界大戦が終わった大切な記念日でもありました。 20世紀後半にバンドのコンサートの人気が低下すると、ロタンダは徐々に荒廃していきました。 1985年にトーマス・エドモンズ ・レストランに改装されました。 2011年のカンタベリー大地震でトーマス・エドモンズ ・レストランは甚大な被害を受け閉鎖され後、解体修復
ポートヒルズ(Port Hills)は、クライストチャーチ市街地の南に位置し、丘陵を挟んで反対側にリトルトン港があることから、港の丘(ポートヒルズ)と呼ばれています。 この丘陵は、1200万年前に形成された火山島のカルデラの外周の一部になります。大きな楯状火山が2つ重なり現在は、バンクス半島を形成しています。その2つのカルデラに海が流れ込み、リトルトン港とアカロア港が作られました。 ポートヒルズは、20世紀初頭にクライストチャーチ市議会議員のハリー エルの主導により、市民のレクリエーションと自然保護の目的で保護区が作ら、1948年には、保護区の開発と維持を継続するためにサミットロード景観協会が設立されました。 その結果、現在も市街地の側で雄大な景観を堪能することが可能になっています。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
毎年、毎年同じ姿を見かけるが、毎回、その可愛らしさに心が癒されています。それが、NZの固有種のパラダイスダックのコガモです。コガモの愛くるしい動きを見ているだけで幸せな気持ちにさせられます。 このコガモを親ガモのオスとメスが大切に見守り育てる姿も癒される光景です。 子育てを終えた親ガモは、また来年同じ巣営地に戻って来る習性がありますので、毎年同じ場所でコガモを見ることが出来ます。 少し昔になりますが、パラダイスダックのコガモの動画です、良かったら覗いてみて下さい。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
昨日は、3年に一度のNZ総選挙の日でした。選挙の結果を予兆したかのように、クライストチャーチでは、沢山の木が倒れました。 そして、政権与党の労働党(中道左派)も倒れてしまいました。2020年の総選挙では、単独過半数を得て圧勝していた労働党でしたが、今回は議席を大きく失い、国民党(中道右派)が反対に議席を大きく増やしました。結果、6年ぶりに政権交代が起こる可能性が高くなっています。 NZは、小選挙区比例代表併用制 日本は、小選挙区比例代表並立制 小選挙区比例代表併用制とは、全議席は政党の得票数に応じて比例配分され、各政党では小選挙区で当選した候補者に優先的に議席を与える制度 小選挙区比例代表並立制とは、小選挙区制と比例代表制の二つを組み合わせて行う制度 NZは、1期から3期で政権交代が起こっていて、今回は2期目にて国民は「変化を求めた」ようです。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
2023年10月14日 土曜日 今日は久々に晴れたけど、とてつもなく風が強い。親の仇の様に吹く風はこの土日に吹き荒れる模様。リトルトン港から見える海面には白波…
今日のクライストチャーチは、一日中強風(gale force winds)が吹き荒れた一日になりました。(気圧配置の関係で時折強風が吹くことがあります) ハグレー公園に沿って走る幹線道路では、大木の巨大な枝が道路を横切るように落ち、2台の車が押しつぶされ、車の中の人が負傷しました。 それ以外にも、沢山の木が折れたり、倒れたりしました。 今朝、住民の携帯電話に緊急携帯警報が発令されただけのことがある状況となりました。 強風は、一部の地域で時速150キロから200キロの突風が観測され、クライストチャーチでは平均時速65キロの風が吹きました。 日本では、風速は一般に「1秒間に風が何m移動するか」という形で表されますので、日本の台風と今回のクライストチャーチの強風を比較するのが難しく感じています。 「台風」と呼ばれる条件は、最大風速17m以上であることとあります。 そして、風速を時速に直す計算は、ただ「3.6」をかけるだけです。 17 X 3.6 = 時速61.2 キロになります。 そうです、台風並みの強風が吹き荒れた一日になりました。 ちなみに、風圧は速度の2乗に比例し、力は4倍になりますの
クライストチャーチのツツジとシャクナゲの名所、Ilam Gardens(アイラム・ガーデンズ)のツツジとシャクナゲが見ごろになって来ました。まだ、蕾のままのツツジがありましたので、来週辺りがアイラム・ガーデンの見ごろのピークになるのではと思っています。 Ilam Gardens(アイラム・ガーデンズ) 1850年:ジョン・チャールズ・ワッツ=ラッセルがリッカートンに500エーカーの土地を購入し、彼の出生地にちなんで「アイラム」と名付けられました。 1856年: 2番目の邸宅 - 10エーカーの敷地を持つ英国風の邸宅と庭園と小道が整備され、その庭園と小道の大部分が現在も残っています。 1866年: 邸宅が売却されました。 1910年: 邸宅が火災で焼失。 1914年: 現在の邸宅が、建てられました。 1914年: エドガー・ステッドが邸宅を購入。 彼は人生を捧げてシャクナゲとツツジの栽培と交配をしました。 1950年: 邸宅と庭園がカンタベリー大学に買収され、現在もカンタベリー大学によって維持管理されています。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい
カシミアの丘の中腹に、カシミア長老派教会(Cashmere Presbyterian Church)がありす。教会の前庭の花壇は、季節季節に美しい花が咲き、道行く人の目を楽しませてくれています。 今、ヒナゲシが美しく咲き誇っています。 赤色のヒナゲシは主にイギリス連邦の国々で戦没者の象徴とされています。これは、第一次世界大戦に従軍した、カナダの詩人ジョン・マックレーの詩「フランダースの原野にて」にちなむと言われています。 「フランダースの原野にて」 フランダース原野にヒナゲシの花が咲く 十字架の間を、一列に列を組んで、 それが私たちの行き場を示すものです。 そして空に ヒバリは今も勇ましく鳴きながら飛んでいく 銃声下では、ほとんど聞こえないが 私たちは死者です。 数日前 私たちは生き、夜明けを感じ、夕焼けを見て、 愛し、愛されて、そして今、私たちは眠りにつきます フランダースの原野にて 敵との争いを引き次いでください。 倒れ行く手からあなたに投げます 希望の灯を それを高く持ち続けてください。 もしあなたが、死んで行く私たちとの約束を破るなら たとえヒナゲシが咲いても、私たちは安眠で
2023年10月9日 月曜日オークランドから帰ってきて週末はぼんやり過ごし、月曜日の今日は仕事終わりにキャトルストップで一人トップロープ。みんなクライミングパ…
2023年10月1日から10月6日久しぶりに見たスカイタワーオークランドはどこもかしこも工事中。オークランドに仕事で一週間行ってきた。。そして、その際にNor…
学生は、春休みを満喫中のクライストチャーチです。今日のクライストチャーチは、薄雲が広がる暖かな日になりました。 そんな中、サムナービーチへ出かけて行きました。春休みという事もあり、沢山の学生がビーチに遊びに来ていました。中には、海に入っている若者たちもいました。真夏でも日本人にとっては冷たいクライストチャーチの海ですが、地元感覚では、すでに海開きのようです。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
ツルニチニチソウの花が咲いていました。我が家の庭にあるのは、斑入りの葉のツルニチニチソウでしたが、今回ポットで咲き出していたのは緑葉のツルニチニチソウでした。 さて、このツルニチニチソウは、どこからやって来たものなのか? ツルニチニチソウは、キョウチクトウ科のツルニチニチソウ属(ビンカ属)で、つる性の多年草または亜低木です。英語圏では、Vinca major, bigleaf periwinkleで知られています。 (ワンポイント) *繫殖力が旺盛な常緑植物です *グランドカバーやハンギングに向いています *挿し芽で簡単に増やせます *斑入りのものより緑葉のものの方が花付きが良い (ツルニチニチソウの花言葉) 「幼なじみ」「生涯の友」「楽しい思い出」「優しい追憶」 これらの花言葉は、フランス革命に影響を与えた「社会契約論」を書いた、哲学者ルソーの自伝『告白』にちなんでいます。ルソー15歳、ヴァランス男爵夫人29歳の時に二人の出会いがあり、別れと出会いを繰り返した青年時代でした。ルソーは男爵夫人との昔を懐かしみ書いた自伝の中で、ツルニチニチソウを見かけ、他愛ない会話を楽しんだ遠い恋の思い
今日は、一日中強風が吹くクライストチャーチ(NZ全国的に)でした。夕方6時のニュースでは、クライストチャーチで家の木が倒れ、路上駐車の車が破損している映像が流れるほどの強風が吹いていた日でした。 春になり1か月が過ぎ、家のヨモギも40㎝ほどの高さに成長しましたので、下部を10㎝ほど残して刈り取ってみました。昨年は、春の刈り取りをしなかったので、高さが1mを越してしまいましたので、今年は、細目に剪定しながら低く抑えて管理したいと考えています。 ヨモギは、春の新芽が柔らかく、アクが少ないので食用に向いていると言われています。我が家では、今までヨモギを使って、入浴剤、石鹸などを作って楽しんでいます。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
ハグレー公園の桜並木の桜の花がすっかり散った頃、街の木々の新緑が目立って来るクライストチャーチです。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
今晩、クライストチャーチでも中秋の名月が見ることが出来ました。春のクライストチャーチで、中秋の名月というのもなんですが・・・ 陰暦では、毎月15日が満月とされていまして、8月15日の夕方に出る月を「中秋の名月」と呼ばれていました。陰暦では、7月、8月、9月が秋とされていたので、8月が秋の真ん中に当たることから、8月を中秋と呼ばれていたようです。 ちなみに太陽暦では、中秋の名月は9月7日~10月8日の間で、毎年日付が変わります。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
ハグレー公園の桜並木の桜が散り出す頃、リトル・ハグレー公園のブルーベルが見ごろになって来ます。 時期的に少し遅かったのか、青色のブルーベルより白色のブルーベルの花が目立っていました。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
2023年9月26日 火曜日 今日は仕事で南島の東海岸にあるカイコウラへクライストチャーチから往復5時間の運転。 新しく雪が山に降ったみたい。カイコウラにある…
乗り越える 春に入り、クライストチャーチの街並みが華やいで来ています。桜が散り出した中、藤の花が咲き出して来ています。 藤の花と言うと、戦国武将の黒田官兵衛が家紋(藤巴)に用いたのが藤の花でした。 この藤巴の家紋に関しては、黒田官兵衛が、信長に謀反を起こした荒木村重を説得するために有岡城へ乗り込み、地下牢に幽閉されてしまいます。過酷な幽閉生活を乗り越えることが出来たのが、小さな窓から見えた藤の葉の生命力だった。命からがら救出された黒田官兵衛は、それで黒田家の家紋を藤巴にしたという伝説がありますが、実際は、黒田官兵衛の父が 小寺家に養子に入った時に、小寺性と藤巴紋を賜っています。 「藤の生命力に命を助けられた」ということを黒田官兵衛は、子孫や家来に伝えて行きたかったから出来た伝説なのではと想像しています。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
9月(春)、クライストチャーチの裏庭のポートヒルに、この時期ならではのエニシダの花の絶景が出現します。 観光客のみならず地元の人も意外と見落とししている春の絶景ポイントです。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
ハグレー公園の桜が散った後は、ヴィクトリア広場のチューリップが見ごろになってきます。毎年、違った色のチューリップが植えられるので、毎年雰囲気が変わります。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
2023年9月23日 土曜日 先日、クライストチャーチのボルダリングジム「アップライジング」に行ってきました。このジムでは様々なホールドが用意されており、最近…
週が変わり、満開だったハグレー公園の桜の花も散り出しました。強風が吹いたせいか、今年は散るのが早い気がしています。 それにしても、ハグレー公園の桜人気は、年々増してきているように感じています。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
2023年9月16日 土曜日〜17日 日曜日 エルニーニョの影響か凄まじく風が強い。 エルニーニョ現象とは?エルニーニョ現象とは、太平洋東部の赤道付近(エクア…
クライストチャーチで、桜というとハグレー公園の桜並木が有名ですが、住宅地の中にも隠れた桜の名所があります。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓
1870年に建設された石造りのお屋敷(The Old Stone House)
このお屋敷は、1870年にジョン・ウイルソン卿によって建てられました。 ジョン・ウイルソン卿(1808-1881)は、インドで生まれ、イギリスで教育を受けた後、インドのデリー行政長官を務めていました。 1854年に退職に伴い、オーストラリアへ旅したウイルソン卿でしたが、残念ながらオーストラリアは、彼の気に入る地にならず、そこで知り得たニュージーランドのカンタベリーの地に興味を持ち、1854年4月にリトルトンの地に上陸しました。 ウイルソン卿は、ポートヒルの108ヘクタールを含む、沢山のカンタベリーの土地を購入しました。そして、その土地の管理を長男に任せてインドに戻りました。 1859年、ウイルソン卿は妻を伴いカンタベリーに戻って来ました。彼の管理する土地で働いている召使(インド人やユーラシア人)たちが、貧相な小屋で生活しているのを痛ましく思い、大家族として共同で生活できる屋敷の必要性を感じました。 1971年7月10日土曜日に、火災が発生して屋根と上層階が完全に消失してしまいました。 1979年11月17日に、改修が終わり、公式にオープンしました。 2010年、2011年のクライストチ
2023年9月09日 土曜日 今週はいい天気が続いてる。 9月に入り、雨の日数も減ったお陰で濡れた岩場も乾き始めている。ブリテンクラッグへ行って『Angel …
クライストチャーチでは、春の訪れを告げる花の代表各は水仙の花だと思っています。9月になる前からクライストチャーチのいたる所で水仙の花を目にするようになります。 そんな水仙が似合う教会が、写真のSt Barnabas Church(セントバーナバス教会)です。この教会は、クライストチャーチ国際空港からクライストチャーチ中心地区に向かう道沿いに位置していますので、沢山の旅行者の目に触れている教会です。 セントバーナバス教会は、1876年に木造建築で建設され、現在の石造りの教会は、1925年に基礎石が置かれて、1926年11月20日に完成しました。この教会は、第一次世界大戦での戦死者を追悼する意味も込めて建てられています。 2011年2月のクライストチャーチ地震の被害を受けましたが、無事修復され再開されています。 ブログを読んで頂きありがとうございます。 もしよろしければクリックして下さい。 ↓↓↓↓↓