マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・42
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載42回目である。なお、英訳された『九十五箇条の提題』を、当方で日本語訳して掲載することとした。17〔42〕キリスト教徒は、教皇が、恩赦を買う(贖宥)ことと、慈悲の行為とを比較するつもりがないことを、教えられるべきである。訳は当方この記事では、贖宥と、慈悲の業とが、比較されることでは無いことを知るべきだという。この場合の、「慈悲の業」とは何を意味しているのだろうか?それは、イエスによる罪の購いを指すという。いわば、イエスがゴルゴダの丘で処刑された一事をもって、「慈悲の業」としているようである。つまり、イエスによる慈悲の業と、贖宥状との機能とは、比較できることでは無いと示しているのである。【...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・42
2023/02/24 19:03