Windows には「Exping」という便利なツールがあるのですが、ExpingはLinuxでは使えません。でも、Linuxには「fping」があります。今回は、「fping」の使い方をまとめてみました。
システムエンジニア、IT技術コンサルタント、IT技術分野の英語通訳及び翻訳、科学分野の中国語翻訳及び通訳をやってます。 IT技術の学習メモや、食べたもの、見たもの、外国語学習メモなど、幅広くいろいろブログにしてます。
列島を凍り付かせた未成年たちの凶行3~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~第三話
最初は出まかせのはずだった。強がりのはずだった。みんな何も言わなかった。そんな理由で、彼らは超えてはならない一線を越えた。
列島を凍り付かせた未成年たちの凶行2~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~第二話
金城ふ頭でカップル二組を狩った不良たちは、次なる狩場として大高緑地公園に向かった。そのころ同公園にはこの事件の被害者となる野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)が車でやってきていた。
列島を凍り付かせた未成年たちの凶行~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~ 第一話
1970年代生まれの私は1988年2月に発生した名古屋アベック殺人をよく覚えている。未成年でまさかこんなことをする奴らがいるとは思えなかったとその時感じたものだ。
最近、Youtubeで知ったまだ無名のアーティスト「FIID」の曲を紹介したいと思います。 曲調はヒップホップ。葛飾推しとのことで、歌詞の所々に葛飾の名前や葛飾区の名所の名前が出てきます。
1990年・ドラクエ Ⅳ 放火事件 ~ドラクエ熱で焼けた家~
ドラゴンクエストシリーズが始まったばかりでファミリーコンピュータ版しかなかった時代は熱かった。発売日には長蛇の列で瞬時に完売。たとえ買えても帰り道にヤンキーに脅し取られたりもしてたほどだ。だが、熱くなるあまり自分の家を燃やしてしまったバカも存在した。
目指せ!暴力団構成員 ~1973年・現役ヤクザが熱血指導!~
昭和の古新聞を見ていると時としてとんでもないが笑っちゃう事件の記事に出くわすものである。昭和48年(1973年)6月に発覚したこの事件もしかりで、何と現役の暴力団組員が「暴力団員養成塾」を開き40人以上の少年に悪事のコツを指導していたのだ。
Linux で iSCSI イニシエーター設定 (Ubuntu 編)
Linux のディスク容量が少なくなったので、QNAP の iSCSI 領域をマウントして使おうと思いました。その時の設定の備忘録としてのメモです。
1954年・日光参道で修学旅行生同士が乱闘 ~広島県立山陽高校vs.青森市立第一高校~
修学旅行に行った先で他の学校の生徒たちとモメたあげくに大乱闘。こんなありそうでありえないマンガみたいな出来事が今から70年前の昭和の昔、栃木県日光市で実際に起こっていた。
サンバのリズムにキレた男 2016年・杉並サンバ祭り会場火炎瓶事件
全人類が皆サンバを好きなわけではない。中には耳障りだと思う人間もいる。だからと言ってやっていいことと悪いことがある。
愚か者たちが夢の跡「福ちゃん荘」~1969年・大菩薩峠事件~
学生運動が激化した1960年代後半、活動を先鋭化させていった新左翼団体の赤軍派は首相官邸を襲撃しようと計画。その襲撃のための訓練をしようと1969年11月3日、山梨県の大菩薩峠の山荘「福ちゃん荘」に集まったが…。
神秘の世界をのぞいた代償~女子トイレをのぞいた元少年の懺悔~
中学時代に女子トイレで片思いの同級生の排便をのぞいたことがバレた橋本は学年中からいじめに遭い、登校拒否になる。その11年後もニート生活をつづけながらその件を悔やみ続けていたが…。
ドブネズミカップルに絶たれた青年の夢 ~1994年・青山学院大生殺人事件~
有能で前途がある人間が無能で社会に迷惑をかけるしかできないゴミに殺されるのは何とも許しがたい。1994年東京都世田谷区で起きたこの青山学院大生殺人事件はまさにそんな事件であった。
震災後は余震と津波、そして犯罪者に備えよ ~能登半島地震後に起きていること~
地震の後に気をつけなければならないことは多々ある。余震、津波、火災、避難所での健康管理、今後の生活…。これ以外にももう一つある。それは震災に便乗した犯罪だ。
人命第一の裏で見捨てられた命 ~2024年羽田空港航空機事故~
1月2日に羽田空港で発生したJAL516便と海上保安庁機の衝突事故。海上保安庁機は大破して5名の死者が出たが、516便の側は機体が全焼する前に乗員乗客全員が避難に成功した。だが、貨物室内に取り残されたペットが焼死したことが後日発表されて議論が巻き起こっている。何とか助けることはできなかったのだろうか?
加害者も加害者なら被害者も被害者という事件は時々起きるようだ。昭和61年に起きたこの殺人事件だが、被害者に同情できる要素が見当たらず、加害者も仕方なくだがそれに至った経緯から見てもツッコミどころ満載であろう。
オレの代わりに受験しろ! ~替え玉受験させるために軟弱陰キャ大学生を脅して猛勉強させた男~
どうしても受かる自信のないテストを目前に控えて、「誰かオレの替わりに受けてくれないだろうか?」と思ったことはないだろうか?普通そんなことは実現不可能だが、昭和の昔、それを実行に移そうとした奴がいた。
90年代 MMA ファイターのベンチマーク? ポール・ヴァレランス
90年代にUFCやバーリトゥードルールの試合が好きだった方ならばポール・ヴァレランス(Paul Varelans)というファイターを覚えておられる方も多いのではないだろうか。
戦後の日本で銃撃戦はどれだけ起きたことだろう?あさま山荘事件?あれは犯人が一方的に撃ってたようなもんだから違うだろう。銃撃戦とは銃器を持った双方がお互い相手を狙って発砲し合うことを指すはずだ。そういう意味で言えば1964年愛媛県松山市で起きた暴力団抗争事件こそは正真正銘の銃撃戦と言っても過言ではないはずだ。
若さゆえの過ちがとてつもない代償を払うことになることがある。1982年の夏、家出して歌舞伎町にやって来てしまった高校1年生の少女のように…。
高度経済成長の時代、地方の農村の中卒者や高卒者が都会へ集団で就職する「集団就職」が行われていた。年端も行かぬ少年少女たちは慣れぬ土地や環境でホームシックに苛まれながらも厳しい労働に耐え、やがて経済大国日本の礎となった。だが、礎になれた者ばかりではなかった。あまりにもひどい労働環境や待遇に耐えかね、ドロップアウトし、「高度経済成長の餌食」になった者もいたのだ。
Linux上で、Pythonのスクリプトを定期的に実行したいと思い、Cronを使うことにしました。今回は、Cronの基本的な設定方法と記入の仕方についてまとめています。
植民者の天国? ~昭和34年の毎日新聞が報じたポルトガル植民地時代のアンゴラ~
1959年(昭和34年)の毎日新聞の記事に、まだアフリカの多くの国がヨーロッパの植民地だった頃、そのうちポルトガル領だったアンゴラに関する記事を見つけた。
1982年(昭和57年)福岡県で一人暮らしをしていた体の不自由な老人を23人もの小学生や中学生の悪ガキたちが入れ替わり立ち替わり37回も恐喝。面白半分に暴行を加えるなどして老人の唯一の収入源であるなけなしの年金を脅し取り続けるという卑劣な犯罪が発生した。
「超ムカつく」だの「超かわいい」だの、veryの意味で形容詞や動詞の頭に「超(チョー、チョウ)」をつけるようになって久しい。では、この言葉遣いはいつから始まったんだろう?
ラストワン。それはナンバーワンのように不安定ではなく、オンリーワンのごとき無価値でもない永遠不動の最終勝者。本ブログではそんな高貴な存在たるラストワン、江戸時代に生まれた最後の日本人を紹介する。
高校野球で乱闘は起きたことはあるのだろうか?実は暴動なら発生したことがある。それは1969年7月夏の全国高校野球大会長野予選の一回戦第二試合で起こった。
21世紀の銃剣突撃 ~2004年イラク戦争・ダニーボーイの戦い~
現代の戦争は兵器のIT化、ハイテク化によって相手の見えない戦争となりつつあると言われる。もはや敵味方が銃剣を振りかざして肉弾戦を行うような白兵戦は起こりえないのではないか?いや、そうでもない。21世紀になってからも白兵戦は行われたのだ。それも先進国である英国の軍隊によって。
友情を食い物にした女 ~中野区中国人留学生殺害事件(江歌案)~
2016年11月3日、一人の中国人女子留学生・江歌が殺された。犯人は同じ中国人留学生の男だったが、殺された江歌と同居していた中国人の女子留学生・劉鑫の元彼氏だった。江歌は元彼氏からストーカー行為を受けていた劉鑫をかばって殺されたのだ。だが、その後助かった劉鑫が江歌の母に対して取った行動は極めて不誠実なものであった。
海外のドラマや映画(主に米国もの)を見るのが好きで、そこで使われている面白い表現や使えそうなスラングだったり、自分の同僚や上司、友達と話をしていてネイティブだなあと思える表現を集めて紹介していきたいと思います。
君子報仇(二)十年不晩 ~中学時代の怨師に二十年越しのお礼参り・2018年中国河南省~
2018年中国河南省で、中学時代にさんざん体罰を加えてきた元担任教師に二十年越しのお礼参りをした男が現れた。
Server Name Indication (SNI) とは
Server Name Indication (SNI) がどういうものなのか、何となくしか知りませんでしたが、Linux LPIC レベル2 の合格の際に学んだ範囲の中に出てきました。備忘録として、ちょっとまとめてみたいと思います。
アルバム Down by the Main Street の一曲目からロックな曲調で始まる MONEY。この歌の舞台は、広島県呉市だという説が有力です。ですが、浜田省吾が大学時代に住んでいた神奈川が、その舞台だという説もあるのをご存知でしょうか。今回の聖地巡礼は、神奈川の白楽に行ってみました。
ベトナムマフィアについてイメージできる方はどれだけいらっしゃることだろう。当然ベトナムにも悪い奴らの集団=マフィアはいる。本稿では日本では取り上げられることの少ないベトナムマフィアを紹介する。
無自覚な男の身勝手な夢に奪われた児童六人の命 ~2011年・鹿沼市クレーン車暴走事故~
公序良俗に反してまで自分の権利をごり押しする奴が少なからずいる。2011年に起きた鹿沼市クレーン車暴走事故はそんなバカの一人によって引き起こされたものだった
どん底からの這い上がり方 ~勝利の女神に貢がせるホスト・涼風つばき~
何をやってもうまくいかず、何をしたらいいかもわからないどん底にいる人はいるだろうか?もしあなたがそうであって、なおかつヒマだったら、涼風つばきというホストをやっている男の物語をのぞいてみないか?
Udemy を活用して勉強をしているのですが、これの字幕で日本語が選択できなくても、日本語で表示できる機能を見つけました。
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Windows には「Exping」という便利なツールがあるのですが、ExpingはLinuxでは使えません。でも、Linuxには「fping」があります。今回は、「fping」の使い方をまとめてみました。
海外のドラマや映画(主に米国もの)を見るのが好きで、そこで使われている面白い表現や使えそうなスラングだったり、自分の同僚や上司、友達と話をしていてネイティブだなあと思える表現を集めて紹介していきたいと思います。
世界経済の大きな部分を牛耳り、多くのノーベル賞受賞者をも輩出するユダヤ人。 その本拠地のイスラエルは中東のシリコンバレーともいわれる頭脳立国である。 だが、彼らは悪さをしても一流であった。
のび太は過去のトラウマと職場での叱責をきっかけに、武への憎悪を増幅させていく。彼の思考は被害者意識に満ち、周囲の善意を歪んで解釈し、孤独と恨みの中で武への復讐を決意する。友情や過去を断ち切り、暴走する憎悪が物語の核心を形作る。
のび太は倉庫での勤務中、責任感の欠如や怠慢な態度で周囲から孤立し、武から厳しく叱責される。叱られた屈辱感から武への逆恨みが募り、歪んだ思考の中で復讐心が強まっていく。一方、武も仕事と家族の間で葛藤し、のび太の存在が家庭に影を落とし始める。
野比のび太はジャイアンの会社での職場適応に失敗し、逆恨みから武や静香への不信感を募らせていく。一方で、のび太の行動に不安を感じる静香と武の間には次第に亀裂が生じ、家族の安全をめぐる緊張が高まる。
野比のび太はジャイアンの助けで引きこもり生活から脱出し、初出勤に挑む。しかし、職場での孤立感や運動不足による辛さに苦しむ中、静香がジャイアンの妻であり母である現実に直面。彼の心は大きく揺れ動く。
剛田武(ジャイアン)は、引きこもり続ける野比のび太を立ち直らせるため野比家を訪問。荒れ果てた部屋に閉じこもる彼に、自身の会社での仕事を提案し、新たな一歩を踏み出すきっかけを作ろうとする。過去のいじめへの償いと友情からの決意が、のび太とその家族に小さな希望を灯すが。。。
野比のび太は33歳となり、引きこもり続ける中、両親は疲弊し行政窓口に相談するも解決策は見えない。旧友・剛田武(ジャイアン)は過去の罪悪感から、のび太を救おうと決意。しかしその善意が、思わぬ悲劇を招く。再生と責任が問われる。
30歳になった野比のび太は、過去への執着と現実逃避により、引きこもりと肥満に苦しんでいる。母・玉子との関係は悪化し、家庭内暴力も経験。彼は依然としてドラえもんの帰りを待ち続け、自立できないまま絶望と怒りに囚われている。
武と静香は結婚後、仕事と家庭で支え合い、静香は剛田商店の秘書として活躍。二人は娘・葉音と息子・優士を授かり、愛情あふれる家庭を築く。仕事も家庭も調和し、夫婦の絆と共に会社も成長し続けた。
剛田武は静香との再会で新たな恋心を抱き、デートを重ねて距離を縮める。プロポーズ後、華やかな結婚式と幸せなハネムーンを経て、二人は新たな人生の一歩を踏み出す。
剛田武は孤独な日々の中で幼馴染の静香と再会し、彼女の失恋と苦悩を知る。再び心を通わせる中で、武は静香への新たな感情に気づき始める。
剛田武はビジネスで成功するも孤独を感じていた。ある日、過去の幼馴染・源静香と偶然再会。彼女は婚約破棄後、実家に戻り傷ついていた。再会を機に、武は静香との新たな関係を築く可能性に気づき、心に変化が生まれる。
27歳の剛田武は成功した実業家として派手な生活を送っていたが、幼馴染の静香が婚約破棄後、日本に帰国したとの噂を聞き、心にざわめきを覚える。静香の存在は彼に過去の記憶を呼び起こし、武の遊び中心の生活に変化の兆しをもたらし始める。
27歳の剛田武は成功した実業家として派手な生活を送っていたが、幼馴染の静香が婚約破棄後、日本に帰国したとの噂を聞き、心にざわめきを覚える。静香の存在は彼に過去の記憶を呼び起こし、武の遊び中心の生活に変化の兆しをもたらし始める。
中学入学後、いじめと孤立に苦しむ野比のび太は、心の支えだったドラえもんの不在を嘆きつつ、次第に学校や社会への拒絶を強める。11月の事件を機に、不登校となり、自室に引きこもる日々が続く。家庭も状況を改善できず、のび太の希望は完全に断たれる。彼の心は崩壊し、社会から孤立したまま、未来への展望を失っていく。
真夜中の東京拘置所の単独室、眠れない死刑確定者の野比のび太は社会からはじかれることになった中学一年生の13歳の時を思い出していた。あれさえなければ、そもそもここにいることはなかったと毎日欠かさず思い出しては歯ぎしりする思い出である。
大学を中退し、負債を抱えた家業を継いだ剛田武は、ネット通販への転換を決意。幼馴染スネ夫の支援を受け、地元特産品を全国、さらに世界へ展開し成功を収める。フォワーダー事業へも進化し、剛田商店はグローバル企業へと成長。挑戦と友情が生んだ再生。
剛田武(ジャイアン)は「ガキ大将」から中学での挫折を経て成長し、野球で輝かしい未来を描いていたが、父の病と家業の危機により進路を転換する。家族を支えるため、夢を諦め「剛田商店」を再建する新たな戦いに挑む。青春時代のいじめ、友情、恋愛の記憶が彼の人間性を形作り、責任感と決断力で未来に立ち向かう。
最初は出まかせのはずだった。強がりのはずだった。みんな何も言わなかった。そんな理由で、彼らは超えてはならない一線を越えた。
金城ふ頭でカップル二組を狩った不良たちは、次なる狩場として大高緑地公園に向かった。そのころ同公園にはこの事件の被害者となる野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)が車でやってきていた。
1970年代生まれの私は1988年2月に発生した名古屋アベック殺人をよく覚えている。未成年でまさかこんなことをする奴らがいるとは思えなかったとその時感じたものだ。
最近、Youtubeで知ったまだ無名のアーティスト「FIID」の曲を紹介したいと思います。 曲調はヒップホップ。葛飾推しとのことで、歌詞の所々に葛飾の名前や葛飾区の名所の名前が出てきます。
ドラゴンクエストシリーズが始まったばかりでファミリーコンピュータ版しかなかった時代は熱かった。発売日には長蛇の列で瞬時に完売。たとえ買えても帰り道にヤンキーに脅し取られたりもしてたほどだ。だが、熱くなるあまり自分の家を燃やしてしまったバカも存在した。
昭和の古新聞を見ていると時としてとんでもないが笑っちゃう事件の記事に出くわすものである。昭和48年(1973年)6月に発覚したこの事件もしかりで、何と現役の暴力団組員が「暴力団員養成塾」を開き40人以上の少年に悪事のコツを指導していたのだ。
Linux のディスク容量が少なくなったので、QNAP の iSCSI 領域をマウントして使おうと思いました。その時の設定の備忘録としてのメモです。
修学旅行に行った先で他の学校の生徒たちとモメたあげくに大乱闘。こんなありそうでありえないマンガみたいな出来事が今から70年前の昭和の昔、栃木県日光市で実際に起こっていた。
岐阜県の闇の郷土史
全人類が皆サンバを好きなわけではない。中には耳障りだと思う人間もいる。だからと言ってやっていいことと悪いことがある。
学生運動が激化した1960年代後半、活動を先鋭化させていった新左翼団体の赤軍派は首相官邸を襲撃しようと計画。その襲撃のための訓練をしようと1969年11月3日、山梨県の大菩薩峠の山荘「福ちゃん荘」に集まったが…。
中学時代に女子トイレで片思いの同級生の排便をのぞいたことがバレた橋本は学年中からいじめに遭い、登校拒否になる。その11年後もニート生活をつづけながらその件を悔やみ続けていたが…。
有能で前途がある人間が無能で社会に迷惑をかけるしかできないゴミに殺されるのは何とも許しがたい。1994年東京都世田谷区で起きたこの青山学院大生殺人事件はまさにそんな事件であった。
地震の後に気をつけなければならないことは多々ある。余震、津波、火災、避難所での健康管理、今後の生活…。これ以外にももう一つある。それは震災に便乗した犯罪だ。
1月2日に羽田空港で発生したJAL516便と海上保安庁機の衝突事故。海上保安庁機は大破して5名の死者が出たが、516便の側は機体が全焼する前に乗員乗客全員が避難に成功した。だが、貨物室内に取り残されたペットが焼死したことが後日発表されて議論が巻き起こっている。何とか助けることはできなかったのだろうか?
加害者も加害者なら被害者も被害者という事件は時々起きるようだ。昭和61年に起きたこの殺人事件だが、被害者に同情できる要素が見当たらず、加害者も仕方なくだがそれに至った経緯から見てもツッコミどころ満載であろう。
どうしても受かる自信のないテストを目前に控えて、「誰かオレの替わりに受けてくれないだろうか?」と思ったことはないだろうか?普通そんなことは実現不可能だが、昭和の昔、それを実行に移そうとした奴がいた。
90年代にUFCやバーリトゥードルールの試合が好きだった方ならばポール・ヴァレランス(Paul Varelans)というファイターを覚えておられる方も多いのではないだろうか。
戦後の日本で銃撃戦はどれだけ起きたことだろう?あさま山荘事件?あれは犯人が一方的に撃ってたようなもんだから違うだろう。銃撃戦とは銃器を持った双方がお互い相手を狙って発砲し合うことを指すはずだ。そういう意味で言えば1964年愛媛県松山市で起きた暴力団抗争事件こそは正真正銘の銃撃戦と言っても過言ではないはずだ。
若さゆえの過ちがとてつもない代償を払うことになることがある。1982年の夏、家出して歌舞伎町にやって来てしまった高校1年生の少女のように…。