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””Re3: サンクチュアリ「女性は麻薬」。アヘン戦争の再発か?―コメ欄(Mケイさんへ)
>Mケイさん 自称ルポライターtomy4509は「世界平和統一家庭連合」の教会員でありますが、本部教会を代弁してではなく「自称ルポライター」としてブログを…
”Re2: サンクチュアリ「女性は麻薬」。アヘン戦争の再発か?――女性陣は断固抗議を!!”
諸星くると氏記事「二代王様による絶対性!奥さんは自分の麻薬になる!神様がくださった麻薬なので中毒になっても大丈夫!」のリブログ記事にMケイさんから自称ルポラ…
サンクチュアリ教会公認ブログからは、遂に「六マリア」を公式路程として是認する「二代王妃の見解」が発表されています。では、亨進牧師はその「六マリア」の(血分)儀…
人々はなぜ亨進に従うのか・家庭連合の悲惨な現実を目の当たりにして
統一運動のとても悲惨な現実を目の当たりにしてーー人々はなぜ亨進に従うのか以前にも一部載せたことがありますが、内容が現在の状況にもピッタリ合っているので、また紹介したくなりました。英語圏の一世女性(元信者)YRの秀逸なエッセイをなるべく分かりやすいよう翻訳しました。https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/733161465493798912/faced-with-the-acutely-disturbing-reality-of-theFaced with the acutely...
迫力満点!文鮮明氏の血分けの御言葉は 神の名を借りた支配欲の発動前回の記事のコメント欄から、文氏本人が説教の中で血分けの事実を語ったとの証言です。同時期のジャルジンでの777双の証言や、イーストガーデンでのスピーチ(公的記録)とも、内容が合致しています(資料末尾)その頃、文鮮明さんは80歳を目前に控え、何やら語りたくなっていた時期だったのかもしれません。【6マリアとは文鮮明の種を伝える代表的な女性...
第七章:証言-私達が体験した事実劉孝敏:統一協会の経済的基盤に貢献しながら裏切られた劉孝敏(ユ・ヒョウミン):文鮮明の初代秘書役だった朴正華のあとを継ぎ、二代目秘書役。いとこの劉孝元・劉孝永兄弟とともに、統一協会の発足から基盤づくりに大きな
レポート/大林高士(ジャーナリスト)あのソウルで行なわれた統一教会・合同結婚式から1年、この新興教団は外界からの強い関心を集めながら、いまも多くの謎につつまれている。資金は?政財界とのつながりは?布教の方法は?そして、彼らが信じる宗教的規範
第四章:犠牲にされた女たち文鮮明を囲むマリア(人妻)たち左から:不明 姜賢実 朴貞淑 文鮮明 玉世賢 李得三 金順哲大功労者、玉世賢の末路前項まで私は、当時の克明な日記やメモをもとに記述してきた。警察などの執拗な追及を避けて生き延びた何冊も
【崔先吉】文鮮明 最初の妻が告白/週刊ポスト1993年10月
最初の妻 崔先吉女史 が告白!「文鮮明教祖の性の秘密」血分け」論争でさらなる重要証言者に遭遇レポート/大林高士(ジャーナリスト)統一教会草創期の頃をよく知る金徳振牧師(80)が蹟罪の意味を込めて書いた手記は、「血分け儀式」の体験者として、そ
韓国の清心大学院神学研究科の金振春(キム・ジンチュン)教授が、2022年4月19日、「独生女の本質」と題した講義を行った。その際の一幕「アボニムの尻尾を取り除くこと」の内容が、しばらく前にブログ村で話題になっていた。金振春教授の話(抜粋):
Change of Blood Lineage Through Ritual Sex in the Unification ChurchChange of Blood Lineage Through Ritual Sex in the Un
ちゃぬの裏韓国日記より七男(文亨進)が世界会長だった2010年10月の日本全指導者会議でも「六マリアが事実であった」ことを認めた発言をしましたが、世界会長を解任された後、2015年3月15日の説教で再び「六マリアを肯定」する発言をしました。
2014年7月ワシントンDCで開かれた、国際カルト研究学会(ICSA=International Cultic Studies Association)主催の講演会で、文鮮明氏の実子である朴サムエル氏がスピーチした。上記、サムエル氏の英文ス
【崔淳永】私の一族は統一教会の餌食にされた/週刊ポスト1993年11月
大韓生命会長が全告白崔淳永氏の母・李得三と二人の姉は、崔淳永氏が12歳のころ、釜山にある文鮮明の統一教会に入会した。崔氏の妹・催淳華(米国ではAnnieとして知られている)は朴サムエル(サム・パーク)の母親だ。崔淳永氏は以前新聞で報道された
第五章:再臨メシアの正体 当時の六マリアの一人、李英玉*(左)と食事中の文鮮明(1960年頃、青坡洞教会)原理と実践の矛盾私の手記は真実の記録私は、興南収容所で、文鮮明を知り、一年六か月間を一緒に生活した。六・二五動乱(朝鮮戦争)で出獄した
第六章:真のサタンは文鮮明だ生き証人の利用価値再婚して新天地へ私は文鮮明に裏切られ、ソウルの駅前の簡易宿泊施設で辛うじて生き延びていた。そんな私を救ってくれたのは、厳徳紋だった。私は彼の助けで釜山へ行き、住宅建設の仕事をするようになった(彼