私が曹洞宗の坐禅を根本とした仏道修行を始めてから、お寺での生活を通して気が付いた事、学んだ事、坐禅を通して見い出した事、また、本を読んだり、インターネットを見たり、話を聞く等して知り得た事等を、私なりの解釈でご紹介して参ります。
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空腹で、お腹が「グー」と鳴った時、それは、身も心も大いに喜べる、大変有り難い至高の時。
江戸幕府の三代将軍、徳川家光公の時代、沢庵宗彭(たくあんそうほう)という、将軍家、諸大名、一般庶民にも、広く名前の知られた、大変立派な高僧としても有名な、臨済宗の和尚さんがおられました。徳川家光公は、この沢庵和尚と出会い、一目見るや否や、我が心の師匠として帰依し、大変に尊敬し、その教えをよく聞いていたのだそうです。ある時、家光公は、沢庵和尚の元に訪れ、「近頃、余は、何を食べても美味しいと感じられな...
空腹で、お腹が「グー」と鳴った時、それは、身も心も大いに喜べる、大変有り難い至高の時。
江戸幕府の三代将軍、徳川家光公の時代、沢庵宗彭(たくあんそうほう)という、将軍家、諸大名、一般庶民にも、広く名前の知られた、大変立派な高僧としても有名な、臨済宗の和尚さんがおられました。徳川家光公は、この沢庵和尚と出会い、一目見るや否や、我が心の師匠として帰依し、大変に尊敬し、その教えをよく聞いていたのだそうです。ある時、家光公は、沢庵和尚の元に訪れ、「近頃、余は、何を食べても美味しいと感じられな...
我欲を捨て去り、煩悩を滅し、悩み、苦しみの世界から脱する為の方法、その王道こそが、坐禅。
徒(いたずら)に百歳(ひゃくさい)生(い)けらんは、恨(うら)むべき日月(じつげつ)なり悲(かな)しむべき形骸(けいがい)なり設(たと)い百歳(ひゃくさい)の日月(じつげつ)は声色(しょうしき)の奴卑(ぬび)と馳走(ちそう)すとも其中(そのなか)一日(いちにち)の行持(ぎょうじ)を行取(ぎょうしゅ)せば一生(いっしょう)の百歳(ひゃくさい)を行取(ぎょうしゅ)するのみに非(あら)ず百歳(ひゃくさい...
坐禅はする程に、続ける程に、自分自身の命、縁により繋がっているあらゆる存在の尊さ、恩恵が、色濃く感じられていく。
生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あきら)らむるは仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし但(ただ)生死(しょうじ)即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得(こころえ)て生死(しょうじ)として厭(いと)うべきもなく涅槃(ねはん)として欣(ねご)うべきもなし是時(このとき)初(はじ)めて生死(しょうじ)を離(はな)...
全ての存在に慈しみの心を持ち、愛せる人は、全ての存在から慈しみの心を持たれ、愛される人。
無事是貴人(ぶじこれきにん)(臨済録 臨済禅師)この言葉の中の「無事」とは、大変な事、困った事が取り立てて起こらず、平穏無事に、普段と変わりない、平凡な日常が過ごせている、という意味ではありません。日々、自己を律して、仏道修行に猛進し、励もうとする心も、時に、煩悩に打ち負かされ、自己を律する事無く、怠慢な日々を過ごそうとする心も、そのような、善きも悪しきも、何かを求める心を完全に手離して、ありのま...
ありとあらゆる生きとし生けるものの幸せを願う事、それは、自分自身の幸せを願う事。
衆生(しゅじょう)を利益(りやく)すというは四枚(しまい)の般若(はんにゃ)あり一者(ひとつには)布施(ふせ)、二者(ふたつには)愛語(あいご)、三者(みつには)利行(りぎょう)、四者(よつには)同事(どうじ)是(こ)れ即(すなわ)ち薩埵(さった)の行願(ぎょうがん)なり(修証義、しゅしょうぎ 道元禅師、どうげんぜんじ)世の人々を幸せにするには、四通りの尊い仏の教えがあります。一つ目は、布施(ふせ...
原始仏教から現代仏教に至るまで、代々実践され、受け継がれてきた、心を整える「止観(しかん)」。
諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、一切皆苦(いっさいかいく)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)前述の言葉は、お釈迦様が説かれた仏教の教えの中でも、特に重要な4つの基本理念として、「四法印(しほういん)」と言われています。仏教においては、特に大切にされている教えであり、仏教の教えの根本でもある教えとされています。「諸行無常」とは、全ては常無し、全ては変化し続ける、という事で、こ...
為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは、己が為さぬなりけり。
一心欲見仏(いっしんよっけんぶつ)、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)、自我及衆僧(じがぎゅうしゅそう)、倶出霊鷲山(ぐしゅつりょうじゅせん) (妙法蓮華経如来寿量品偈、みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんげ) ただ一心に、仏を見たいと願い、真実を見定めたいと強く念じながら、心を一つにして、集中して、没頭して、仏の道をひたすらに信じ切る事。 そのような心で、身命を惜しまず、捧げ尽くす気...
欲の少ない人は、多くを求めたいと思う心が無く、名誉や利益にも執着せず、悩み、苦しみが生じない、仏の世界を生きる人。
多欲(たよく)の人(ひと)は利(り)を求(もと)むること多(おお)きがゆえに、苦悩(くのう)もまた多(おお)し。 少欲(しょうよく)の人(ひと)は無求無欲(むくむよく)なればすなわちこの患(うれい)なし。 ただちに少欲(しょうよく)すらなおまさに修習(しゅじゅう)すべし。 (仏垂般涅槃略説教誡経、ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう) 今から2,568年前、旧暦の紀元前486年2月15日は、お釈迦様の...
一人の人が、ほんの一時でも坐禅をする無限の功徳は、全宇宙の諸仏が共に力を合わせても、推し量る事はできない。
それ、修証(しゅしょう)はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道(げどう)の見(けん)なり。 仏法(ぶっぽう)には、修証(しゅしょう)これ一等(いっとう)なり。 いまも証上(しょうじょう)の修(しゅ)なるゆゑに、初心(しょしん)の辨道(べんどう)すなはち本証(ほんしょう)の全体(ぜんたい)なり。 かるがゆゑに、修行(しゅぎょう)の用心(ようじん)をさづくるにも、修(しゅ)のほかに証(しょう)をまつ...
いついかなる時も、目の前に現れた、ありとあらゆる出来事は、自分を磨く為の修行であり、本当の宝に気付く為の因縁。
從門入者不是家珍。 門(もん)より入(い)る者(もの)是(こ)れ家珍(かちん)に非(あら)ず。 (碧巌録、へきがんろく 雪竇重顕禅師、せっちょうじゅうけんぜんじ) この言葉は、唐(中国)の時代を生きた雪峰義存(せっぽうぎぞん)禅師が、巌頭全奯(がんとうぜんかつ)禅師と共に、行脚していた時の逸話と言われています。雪峰義存禅師は、「三登九至(さんとうきゅうし)」又は「三登投子九至洞山(さんとうとうすき...
自分に与えられた仕事は、今、できる時に、精一杯の力で取り組む。それが禅の教えであり、仏の生き方。
他不是吾、更待何時。 他(た)は是(こ)れ吾(わ)れにあらず、更(さら)に何(いず)れの時(とき)にか待(ま)たん。 (典座教訓、てんぞきょうくん 道元禅師) これは、道元禅師様が、禅の本場である宋(中国)に渡り、修行生活を送られていた頃のお話しです。 それは、ある夏の暑い日の事でした。 道元禅師様が昼食を終えられ、自分の部屋に戻ろうと、廊下を歩いていました。 すると、仏殿(仏像を安置している建物...
たった一人の少しの坐禅でも、その行いの功徳、因縁は、 全世界、全空間へ伝播し、それが人類を救う事になる。
仏道(ぶつどう)をならふといふは、自己(じこ)をならふなり。 自己(じこ)をならふといふは、自己(じこ)をわするるなり。 自己(じこ)をわするるといふは、万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるなり。 万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるといふは、自己(じこ)の身心(しんじん)および他己(たこ)の身心(しんじん)をして脱落(だつらく)せしむるなり。(正法眼蔵、しょうぼうげんぞう 現成公案、げんじょ...
愛語こそ、財が無くとも誰もができる布施であり、縁ある人々、周囲の人々を幸せにして、 自分も幸せになる方法。
愛語(あいご)というは、衆生(しゅじょう)を見(み)るに、先(ま)ず慈愛(じあい)の心(こころ)を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)を施(ほどこ)すなり。 慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)の懐(おも)いを貯(たくわ)えて、言語(ごんご)するは愛語(あいご)なり。 徳(とく)あるは讃(ほむ)むべし、徳(とく)なきは憐(あわれ)むべし。 (修証義 道元禅師) このお...
周囲を支える人は、周囲から支えられ、周囲を喜ばせる人は、周囲から喜ばれ、周囲を愛する人は、周囲から愛される。
紀元前の古代中国では、秦の始皇帝によって中国全土が統一される以前の時代を、春秋戦国時代と呼び、斉、楚、秦、燕、韓、魏、趙という7つの国が存在し、激しい争いを繰り広げていました。そのうちの斉の国の君主である威王と、魏の国の君主である惠王とが、相互親善を目的に、狩猟をしていました。その時に、魏の惠王が、斉の威王に問いかけます。 「ところで威王、あなたは、どのような宝をお持ちですか。」 斉の威王は、 「...
男女のご縁、因縁においても、身口意(行動、言葉、心)の行いが原因となり、それに応じた結果を引き寄せる。
このお話しは、唐の時代の中国で、元和12年、第14代憲宗皇帝の時で、今からおよそ1,200年前の出来事として、言い伝えられている昔話です。唐(中国)のとある町に、信仰心が薄く、神仏を一切信じない人達ばかりが住んでいる町がありました。 その町に、毎朝、一人の美しい女性がたくさんの魚を入れた籠を手にして現われ、魚を売り歩いていました。その土地の青年達は、競い合ってその女性に近づき、籠の中の魚は、いつも、あっと...
食事の偏りが多くある人程、偏った心身が形成され、心身の不健康、不調、ひいては病気を招く。
五観の偈(ごかんのげ) 一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二(ふた)つには己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全欠(ぜっけつ)を計(はか)って供(く)に応(おう)ず。 三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るるは貧等(とんとう)を宗(しゅう)とす。 四(よ)つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とする...
真の安心、安楽という心の平安、幸福は、手に入れるものではなく、心からそのように感じる事。
同じ寺院で長い間修行を積んだ二人の僧侶がいて、二人は親友でした。 二人は、二、三ヶ月のうちに相次いでこの世を去りましたが、一方は極楽浄土に生まれ変わり、もう一方は虫となって糞の中に生まれました。極楽浄土に生まれた方は、ありとあらゆる無上の喜びを味わい、至福の時間を過ごしていました。けれど彼は、「友はいったいどこへ行ったのだろう。」と考えはじめました。そこで極楽浄土をくまなく探しましたが、友は見付か...
人間として生まれる事は、一億円の宝くじに百万回連続して当たる確率と同様の、天文学的な奇跡の確率。
ある時、お釈迦様が、阿難陀(あなんだ)という弟子に、 「そなたは人間に生まれた事を、どのように思っているか。」と尋ねられました。 「大変喜んでおります。」 阿難陀様がそう答えると、お釈迦様が、重ねて尋ねられました。 「では、どれくらい喜んでいるか。」 阿難陀様は答えに窮します。すると、お釈迦様は、一つの例え話をされます。 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。」 「その亀は、百年に一度...
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光陰(こういん)は矢(や)よりも迅(すみや)かなり、 身命(しんめい)は露(つゆ)よりも脆(もろ)し 何(いず)れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか、過(す)ぎにし一日(いちにち)を復(ふたた)び還(かえ)し得(え)たる (修証義 道元禅師) 「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」という言葉もありますが、これは、光陰(月日)が過ぎ去る事は、まるで飛ぶ矢のように、あっと言う間で速い、という意味...
坐禅の実施こそが、この宇宙に自分自身の全てを捧げ尽くす、最高、最上の善行。
大凡(おおよそ)因果(いんが)の道理(どうり)、歴然(れきねん)として私(わたくし)なし 造悪(ぞうあく)の者(もの)は堕(お)ち、修善(しゅぜん)の者(もの)は陞(のぼ)る 毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり (修証義 道元禅師) 「修証義」とは、曹洞宗の開祖、道元禅師様が、宋(中国)での修行を終えられ、日本に帰国してから晩年までの約20年間を費やして書き残された、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう...
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