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人間関係のイメージ 信頼関係 『信頼とは対等な関係性にのみ築ける相互間の平等な利益である』 …by 静岡のカウンセラー 信頼とは、約束なり契約なりを、過不足なく、滞りなく勤められること、 それは、片方にのみ喜ばれることでも、片方にのみ利益が生まれることでもなく、 双方に同時に発生するものである。 例えば、直径20cmのイチゴのケーキを明日の3時までに依頼されたら、 直径は15cmでも25cmでもなく、全く同じ大きさの同じ味のケーキを時間通りに提供できること。 もし、直径が25cmであったりイチゴの数が多ければ、それはあくまでもサービスであって、信頼とは、本来なんら関係のないことである。 むしろ…
人間関係のイメージ 本気な関係 自分を出してぶつかって、それで切れる関係なら、それはそもそもそれだけのもの。 その関係が合わないというだけ。 喧嘩してさらけ出して、そこで切れるなら、そりゃそこまで。 でも、多くの人はそこまでも行ってない。 つまり、ぶつかったりさらけ出したり喧嘩したり、 そういうことを避けて、妙に仲良しごっこ上っ面な付き合いばかり。 本気の会話などどこにもない。 虫の居所が悪い時や、ミスや思い通りにいかない時、ムカついたりイラついたりするし、 本気で付き合っている人が側にいたらそれを隠さないし、 そういう自分を出したら、そりゃ喧嘩や不穏な雰囲気になると思うんですよ。 それが出し…
49. 求めているのは、アドバイスをしてくれる人ではなく、そのままを認めてくれる人です
カウンセリングのイメージ 求めているのは、アドバイスをしてくれる人ではなく、そのままを認めてくれる人です 人は、その人自身がそう思わないと変われないものです。 いくら自分のことを考えてくれる人の意見やアドバイスでも、 嫌なものは嫌だし、動けないものは動けない。 そう、行動の原動力とは自分の内側にあるのです。 となると、人に求めるもの、それは、よきアドバイスや正しい教えではなく、 ありのままの自分を認め、理解してもらえること。 そういう人に、自分が安心感を感じられるのです。 例えば、著名な学者や立派な有名人の言葉に、「凄い!明日から実践しよう」 と思っても長続きできないのは、自らが本気でなれると…
カウンセリングのイメージ 良いカウンセラーを望んでください お客さんから「そう、そういうことなんですよ!」とか 「うん、その通り!」という言葉がよく出る。 特に、他のカウンセリング経験や通院経験の多い方ほど、強く言われる。 これ、気持ちや感覚が通じた証というか、 この人には伝わった・解ってもらえた!という安堵感、腑に落ちたような、 しっくりくるものを体感した瞬間なんですね。 初めて解ってもらえた伝わった喜びは安堵感を生みますが、それより、 「そう、そう!」「そういうこと!」というように、自分がしっくりくる感じ、 感覚を掴んだ瞬間を体感したということが、何より大事なんです。 そして、この腑に落ち…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングの現場から 残念ながら、自己受容できていないカウンセラーは山ほどいるけど、 本来、自己受容者であるべきカウンセラーでなければ、 クライエントを自己受容に導ける筈はない。 自分を受容しているカウンセラーには、絶対的安心感と絶対的安定感がある。 それは、上手くやる自信を持っているということではなく、 どんな状態、好癖、性癖、個性などに対しても批判や評価がなく、 どんな話を聞いてもブレずにただ認められること。 甘えさすことや、まして依存させることでもなく、愛だの慈悲だのとも違い、 怒り、憎しみ、殺意など表現されても、カウンセラー側が毅然とその話に 敬意を持って…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングで見えてくるもの お客さん達と話していて思うのは、話や訴えに筋が通っているということです。なんだけど、それについて長いこと確信が持てず、その為に、 自分以外の他者の眼を自発的に気にしてきたように思うのです。 筋というのは、話が道理にあっていること。しかし世間の次元では、筋よりもタテマエや空気の読み合いが重んじられることも多く、時に不可思議で胡散臭い大人の世界に立ち尽くすのみになってしまうのことがあります。 順序よく混乱を解き、自己否定と思い込みを外して紐解き、自分が引っ掛かかっていたものが解れば解るほど、そこに見えてくる自分の根本的な悩みの原因が、『世間…
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カウンセリングのイメージ 事実を知っていく 通常カウンセリングの原則は受容と共感だと言われる。 そりゃ最もなことです。 だけど、「それが気になってるんだね、心配だね」と受容し 不安を受け止めたところで何も変わりはしない。カウンセリングは「本当のことを明らかにしていく」これが必須です。 ですから、不安や恐怖をただ事実として、その中に自分が入れるかどうか。自分の前に立ち、不利なことを否認したり自分自身をも誤魔化してきた段階から過ぎて、言ってみれば、自分から逃げなくていいんだと気づき始めること。 今までなら、親や恋人に対して、「自分は愛されているのか?」という疑念から逃れるために「自分が悪いから辛い…
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カウンセリングのイメージ 理解について 人との会話ややりとりをしていく時、双方の理解に食い違いが生じることがありますね。ここでは「理解」していくとはどういうことなのかを改めて書いてみます。 理解するということは腑に落とすということです どの会話も、自分がしっくりこない腑に落ちないことは納得できませんね。会社で、上司の命令に心から頷けないと遂行しがたく、不満・不全感は付随するでしょう。自分がいつも不安だったり何かに怯えていたとして、それを人からどう説得どう慰められても、自分が心からそうだよなと感じられなければ、不安は解消されません。 自分が気になっていることを気のせいだと言われても 消えることは…
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カウンセリングのイメージ 過去を過去にする 今の苦しさの基を探っていく時、過去の済んでいない想いを、きちんと済ませる必要が出てきます。カウンセリングでは、「気持ちを吐き出すこと」や「感覚を感じなおすこと」をしながら過去を過去にしていきます。ここではそれについて書いていきます。 ①吐き出すこと 過去を思い出して、あぁ悲しかった、ひどいな、寂しい、許せないなどの 感情に気づいてくると、当然それを出したくなります。 その気持ち・感情を、どんどん出していくのが吐き出しです。 例えば、親に我慢してきた方には、その抑えていた感情があるでしょう。 あの時はこうだった、こう感じていたのだけれど解ってもらえなか…
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カウンセリングのイメージ 自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁 当初、多くの方は、自分の状態や症状を、普通じゃない・恥ずかしいと認識しているので、治そう・克服しようとし、ある時点で行き詰まり、途方に暮れ絶望しています。 そんな中、自分を見つめろなんていう言葉は、どうにも怖くてたまらない。何故なら絶望している人にとっては、さらに反省しろ・頑張ってやれと言われるように感じてしまう。これまでに嫌というほど味わってきた自分の劣意識を、更につきつけられる感じがして、更にダメな自分を実感してしまうからですね。 また上手く出来ない自分や、最後まで続かない自分にずっと嫌悪し、そういう自分を醜く汚いと思っているの…
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カウンセリングのイメージ 自分を見つめるということ カウンセリングの姿勢として先ず、自分を知ろうとすることが必要なんですが、そのための作業を「自分見つめ」という言い方をします。何故自分を見つめるのかというと、そうしていくことで本来の自分がちゃんとわかる。わかることで自分本来の視点を見つけられ或いは取り戻せ、その視点を意識することで自分主体に納得して生きられるようになるからです。 自分見つめには、今までの人生を振り返ることになるので、それなりの時間はかかります。 しかし、見つめる中で見えてくる自分の姿は、決してダメなものではありません。 その中にこそ自分の眼は息づいています。 その眼からくる視点…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングですること さてここからは、カウンセリングではどういうことをしていくのかについて書いていきます。先ずは「自分の眼と他人の眼」から書き始めます。 自分の眼と他人の眼 多くの人間は、良くも悪くも自分以外の他者の眼、つまり人の眼を気にしながら比較・判断することで自分の言動を鑑み、選択材料としています。しかし悩める人の特徴としてあるのは、人の眼が過剰に気になってしまい、自分の考えや気持ちが分からず混乱し、どうしたらいいのか分からなくなってしまっています。 なので当然、相手によって自分の言動が変わるのですが、それは人を気にしているようでいて、自分にとても関心がある…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングで大事なこと カウンセリングにおいて、今の自分の苦しさや不安を、あの時こうだったからこうなったんだとか、親や環境がああだったからだと解っていくことがあります。 そしてそれはその通りなので、親に当り散らすのは一向に構わない。とことんぶつけて行くのはいいのですが、「親のせい」にしているうちは、これまた何も見えてこない。 大事なのは、じゃあなぜ自分はその時そうしたのか、どういう気持ち、どういう想いでそうしたのかというような、自分の中で感じていたことを深く深く知っていくことこそが大事です。 また、ただただ根っからの自分という人間の本性を知っていく時、思いもかけな…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングは他力では得られない 心理カウンセリングとは、自己受容、自己一致、自分適応、自己発見であり、自力本願、自己治癒、自己修理です。これに記したように、カウンセリングそのものは 他力では成立しません。そしてカウンセラーの役割はナビゲーターです。 また、カウンセリングというものは病院で行われる診断や治療でもない。 強い精神論や体育会系の厳しさや更生・克服が求められるのでもなく、欠点や悪いものを探すことでもありません。ただ、「諦め」や「卑下」そして「寄生」や「依存」から抜け「自立」を掴みたいと思い始めたときから始まるものです。 自分がなぜそう思い何が引っかかってい…
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カウンセリングのイメージ 心の回復とそれに必要なこと カウンセリングの過程で何を求めるか?カウンセラーにできるのは、自分の意思で回復或いは脱却したい方への アプローチでしかありません。なので、カウンセラーが治してくれると思っているうちは、理解以上の変化を求めても何も変わりません。欲しいものを求めることは凄くいいこと、ただし受け身でいるうちは 内面からの手応えや変化は起きにくいのです。 少し手厳しいように感じるかも知れませんが、これが真実です。 どの症状にせよ、カウンセラーに相談する時期というのは悩み疲れた時、困ってしまった時、そしてカウンセリングの変化を感じ始めるのは、「自分の問題」だという認…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングとはどういうものか いよいよカウンセリングとはどういうものなのかについて、細かく書いていきます。 先ずカウンセリングの入り口として「傾聴」「受容」「共感」というものがあります。これらの言葉は色んなサイトでお目にかかっている方も多いと思います。字の如く、自分の話に否定なく耳を傾けられ、受け止められ、そして共に感じるということでしょうか。 実際これを正しく出来る人も多くはないのですが、ここまでなら、勉強と訓練を積めばそこそこ出来る。しかし、ここ止まりでは何も変わらないのが現実です。 カウンセリングを受けるということは、そこからが入り口となって自分の心の奥に入…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングを受けるタイミング 人は誰でもが社会の一員です。 社会とは自分と世間(自分以外)の総括です。ですから生きている限りは、誰でもが漏れなく社会の会員です。 さて、生まれて3.4年もすれば大方の人は幼稚園などの共同社会に1人で入会させられます。それは立派な社会人なので、どうしても、否応なく、他人を意識しはじめ比較するのは自然なことです。 勝った負けたの喜びや悔しさ、称賛と蔑み、楽しさや屈辱、それら人と居てこそ味わう感覚は次第に芽吹くもので、自我の中では成長も苦悩も生まれます。 長い人生のなかでは良いことばかりとはいかず、自分の立ち位置を見失い、正しい判断や選択…
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カウンセリングのイメージ カウンセリングは謎解き、最大のパズルです 人の生き方というか、物の見方や行動の仕方には、その人となりが必ず表れています。 それぞれ、その人本来の視点・軸のようなものといいましょうか、 その人の持って生まれた個性がアンテナとなり、自分の見方、行動を形づくります。 しかし、親や環境あるいは取り巻く大人たちの価値観などの影響力が大きく、本人の気質に影響を与えてしまうと、その視点・軸はぐらつき、 ブレた行動パターンになっていきます。 親に似た他人に敏感に反応しやすく自分を出せなかったり、学校や社会での人間関係が上手くいかなくなったり、周りの価値観が自分の価値観に付着し過ぎると…
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33. 天動説から地動説に気づくとき。カウンセリングってそんなもの。
カウンセリングのイメージ 天動説から地動説に気づくとき。カウンセリングってそんなもの。 天動説から地動説に気づくとき。カウンセリングってそんなもの。 自分の全てが自分の内側から動き出す。 他人の眼から自分の眼に変わってくる。 カウンセリングって、眼から鱗。 それは、地動説を発見したときと変わらないほどの衝撃です。 自分は全く変わらないのに、全てが違って見えてくる。 自分仕様に動き出す。自分色に輝きだす。 心底自分を面白がれる。 そういうもの。 ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします にほんブログ村
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アダルトチルドレンのイメージ こころの孤児からの脱却とは こころの孤児からの脱却は並大抵のことではない。 なぜなら、先ずは自分にそういう自覚がなく、 だからこそ自分に何が起きているのかがまったくわからないことで、 ただ漠然と苦しく虚しい日々が続いてしまうからです。 これは、AC(アダルト・チャイルド)の自認と似ていますが、 それよりシンプルでわかりやすいと思うのは、 自分がこころの孤児であると自覚するという時点で、 親から脱却するという話ではなく、ただ「自分」にだけ視点を持てること。 勿論、親や家族のこと、その関わりについての対話はあるが、 多くの人が無自覚ゆえに掴めていない、寂しさや甘えにつ…
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アダルトチルドレンのイメージ こころの孤児の親 こころの孤児たちの親もまた、こころの孤児の場合が多い。 では何故、自分の子供をもまた孤児にしてしまうのか。 それはこういうことです。 こころが孤児のままの人が親になったら、その親はこころが孤児である故に 親という、つまりその子の保護者として、その子に興味・関心を抱くことができない。 正確に言えば、どう接したらいいか、その接し方がわからない。 こころが孤児の親は、自分が家族を持ち子供を持つことで、 こころが孤児である自分のこころを埋めようとする。いえ、埋めてもらおうとする。 勿論、無自覚なまま。 子供こそ自分の分身であり、一番身近な存在である故にそ…
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アダルトチルドレンのイメージ こころの孤児 夫は「こころの孤児」です。 ずっと話していて、この言葉に行き着いた。 何不自由のない裕福な家庭に生まれ育ちながら、孤児とはなんたるこった。 しかしながら彼を物語るとき、どうやらこの言葉がしっくりとくる。 だからといって、親が悪いとか被害者ぶりたいのではなく、 誰にも自分の心を悟られず、見破られず、それが自分の本意であったにせよ いっつも一人ぼっちであったことには違いない。 孤児という視点からすれば、甘えるだとか頼るだとか、望むだとかは、ない。 そうして生きてきた。 それが普通だった。 だから、人と接するとか関わるとか、交わるなんて怖くてしかたない。 …
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アダルトチルドレンのイメージ どんなによくてもゼロの日々 親から興味・関心を持たれなかった子供は、 その穴を埋めるため 頑張る。 自分の空虚を埋めるため、 自分の価値を感じるため、 自分の居場所を確保するために 一生懸命に頑張る。 何を頑張るのかと言うと、 自分を謙(へりくだ)らせることで 相手をいい気分にさせる。 相手に尽くすことで 必要とされる。 おどけて見せることで その場を維持する。 そんな毎日 そんな日々に 満足は無い。 あるのはただ 不安な毎日。 焦りと緊張の中、 やりすごすことだけ。 よくてゼロ。 最高でもゼロ。 その穴を埋めるだけの日々… その毎日に安堵などない。 自分に安心感…
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アダルトチルドレンのイメージ 被害者と認識できない人々 被害者意識についての記事を書いたことがありますが、お客さんたちと話していると、ご自身のされたことに対する被害者としての自覚のない方が多々いらっしゃることに驚かされます。被害者意識というのは、自分が被害者だと思いたい意識のことを指し、その認識は主観です。が、事実、被害者であるという認識は、自分がされたことに対する客観的な眼があることが必要なのですが、所謂それがないのです。 つまりそれは、自分は人からそうされるべき存在またはそうされて仕方のない身分であると、受け入れてしまっているということです。どうしてかという一番簡単な認識は、「初めからそう…
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アダルトチルドレンのイメージ 感謝の気持ちがわからない…食を通して 「感謝の気持ちが解らない」とNちゃんは言う。 例えばご飯をご馳走になった時、「ありがとう」が言えない。 ありがとうの気持ちがないから言えない。ご飯を食べたときの感謝とは、シンプルに言えば「これ、美味しい!」と口に出ること。感じれること。 思ってもいないのに言う人もいるけれど。(それも礼儀のひとつでもあるけれど。) しかしNちゃんの問題は、食べることに対してメンタル的な満足感が全くないことにある。 「食」に対して、無防備に心から感じる自由がない。 いつから拒否したのか、食べること自体が窮屈で、感謝の気持ちなど出ようがないのだ。 …
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アダルトチルドレンのイメージ 子供に興味・関心を持てなかった親たちへ 親に興味・関心を持たれなかった子供はね、普通は当たり前に持っている、「自分でいていいという安心感」がなく、だからいつでもどこでも、相手からの評価が気になってしまい、おびえ続けるんだ。自分に価値があると思えずに、苦悩し続けてしまうんだよ。でもだからと言って、関心を持てなかった親から謝罪されたい訳じゃない。ただ、「本当にそうだった」と認めてほしいんだよ。 そうして初めてその境遇の中で自分が生きてきたということが確かな事実として受け入れられる。自分の感じていたこと、やっぱりオレに興味なかったんだってことが正しかったと思えるんだよ。…
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アダルトチルドレンのイメージ ヘビに睨まれたカエル 親から興味・関心を持たれてない子供。 その子供がその家族の中に居場所を見出すにはどうすればいい? 例えます… それまではどちらかというと大人しい子が、 楽しい高校生活を送りたいと意気込んで 高校へ入学しました。 さっそく、 ちょっとイキガッテる子と出会い 今までにない楽しい毎日が始まりました。 初めは楽しく過ごせそうだったのですが… …次第に友人の言動に息を呑み、 躊躇するようになっていきました。 …からかい、イジメ、恐喝… しかし やらなければ。自分がやる側の 仲間でいるうちは大丈夫… その子には それ以外の選択肢はありませんでした。 違和…
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アダルトチルドレンのイメージ 親から興味・関心を持たれなかった子供 親から興味・関心を持たれなかった子供は、自分の気持ち・感情に対しても興味と関心を持つことを放棄する。寂しいとか、悲しいとか、嫌だとか、悔しいとか…たいがいは不満とかが多いけれど、次第に喜怒哀楽全般に及んでいく。だって、持ってたら、感じていたら、やってられないもんね…。それは相当早いうちに出来上がると推測。おそらく生後2歳にはできあがる。そしてその後は、たったひとりでやっていくことになる。その、「ひとりで」とは、ひたすら心を閉ざし、なるべくトラブルに巻き込まれないように、人と関わりを持たずに過ごすだけ。 自分が生きてていいという…
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育児のイメージ 「あんたの為」は聞き飽きた 「あんたの為」は聞き飽きた。 「あんたの為」を連発する人は、本当は誰の為に言ってるのか解っていない。 なぜなら、あんたの為と本気で思っているなら、そういう言葉は言わないから。 「あんたの為」という言葉を連呼している人は、「あんた」を「私」に置き換えて言ってみてください。 「あんたの為」と言われ続けている人は、「あんた」を、「あんたの為と言ってるその人(例えば母親とか上司とか)の為」 と置き替えてから考えてください。 そうしたら、すごく解りやすくなります。 そうしたら、言っている人も、言われている人も、行動しやすくなるでしょう。 ブログ繁栄のため、バナ…
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育児のイメージ 「みんな仲良く」の落とし穴 以前、ある母親がこんなことを言っていた。 自分の子供A子ちゃんがB子ちゃんと遊ぶ約束をしていた。 ところがそのあとC子ちゃんからも遊びの誘いを受け、C子ちゃんと遊ぶことも了承、 その後A子ちゃんの家に、B子ちゃん、C子ちゃんが遊びに来た。 そこで問題が生じた。 B子ちゃんはC子ちゃんを仲間に入れようとせず、C子ちゃんを泣かしてしまった。 A子ちゃんは二人の仲裁に入りみんなで遊ぼうとするが上手く行かない。 お母さん曰く、A子ちゃんはいつも損な役回りばかりだという。 いつも巻き込まれてしまう のだそう… そのお母さんは子供に、いつも「みんなで」「仲良く」…
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