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1958年製ポンコツ https://breakbeat83.hatenablog.com/

ブログを作ろうと思ったキッカケは先日友人と飲んでいて フィリピンの事を話していたとき自分の記憶が曖昧だなぁと感じ 記憶が飛ぶ前に記しておこうと思ったからです。 宜しくお願い致しますm(__)m

桃内
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2024/10/08

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  • スーパーカブ/ウインカーレンズ/シート交換

    ウインカーレンズ落とした?! たぶんなのですがサイドバックに押されているうちにネジが緩んだか曲がってしまい 走行の振動で外れてしまったんだと思います💦 後日市原屋さんに行ったらC100のウインカーレンズがたくさんあったので 合いそうなものを付けたら年式?純正?リブロ?なのかは定かではありませんが ウインカーレンズの大きさが微妙に違うのと(言われるまで僕は気がつきませんでした) ネジの太さも違うんです。 CA100(輸出仕様)はフロントウインカーがクリアなのでこの際クリアに変えようと 前後クリアになりました✨ 輸出仕様は後ろのウインカーは本来ないんですが日本だと職質とか整備不良とかで うるさいん…

  • 世界最速のインディアン

    僕の好きな映画の一つに世界最速のインディアンという作品があります。 原題はThe world's fastest Indian ストーリーはバイク好きな爺サンが最速を目指して愛機インディアンモーターサイクルの1920年製953ccの「スカウト」の改造車ストリームライナーと共に ニュージーランドからアメリカユタ州にある塩湖跡「ボンネビル・ソルトフラッツ」に 旅立ちその道中にはアクシデントやたくさんの人との出会いがありました。 www.youtube.com あたり一面が塩で覆われた標高1280mに位置するこの平原は年に一度8月のおよそ 1週間にわたって世界中のスピードに取り憑かれた者たちが集まり…

  • 寶泉山玉眞院(玉川大師)/地下霊場

    寶泉山玉眞院(玉川大師)に行ってきました。 創建は大正時代。 その後、深さ5m・長さ100mの巨大な地下霊場を創設し四国88カ所・西国33カ所霊場の お大師様・観音様を迎えこの霊場を順拝することで実際にお遍路をしたのと同じご利益を 賜ることができるといわれています。 そもそもお遍路とは 四国遍路の概念が確立されたのは江戸時代初期と言われていますが その始まりは平安時代にまで遡ります。 都が置かれていた京都から遠く離れた四国は修行者の修行の地として知られ 空海(のちの弘法大師)もその修行者の一人だったと伝えられているそうです。 そんな修行僧たちの遍歴の旅が四国お遍路の原点となりました。 大師堂に…

  • キャブとマフラー

    2025/01/11の記録 僕は前々から公言しているようにメカ音痴なのですが特にキャブレターは大の苦手で 今まで普通に動いてたキャブでも新品のキャブをマニュアル通りに取り付けても 僕が弄ると壊れ仲間からは桃さんキャブ弄るの禁止な❗と言われるくらいです(笑)💦 そんな僕が市原屋さんが基本から丁寧に教えてくれキャブを組むことができました🎵 そして抜けすぎてスカスカで中の板の溶接が外れてバタバタ暴れて煩かったマフラーに市原屋さんがあるブツを仕込んでくれトルクも上がり静かになりました👍 作業も終わり試乗がてらご近所をプチツーリングしながら調子のよかったカスタム50に 少しでも近づけるために今後の課題を…

  • 子どもたちへ

    大きくなった子どもたちはみんな理解してくれていますが クリスマスにも正月もフィリピンに帰れなかったので小さい子どもたちから ダディはやっぱり日本がいいの? いつ帰ってくるの?と言われ正直すぐにでも帰りたい気持ちになります。 そんな時はこんな言葉を子どもたちに伝えます。 独りぼっちだったり困りはてていたり誰かの助けが必要なときはまぶたを閉じてわたしを思いわたしの名前をよびなさい。 kapag nagiisa ka nahihirapan o kailangan mo ng tulong ng ibaipikit mo ang iyong mga mata, isipin mo ako, at t…

  • おそうじ

    年末年始そして今日はお昼まで仕事だったので帰って慌てて大掃除・・・ じゃなくて拭き掃除しました😅 フィリピンの家では子どもたちや動物や植物に囲まれて暮らしていますが 日本では小さいマンションに自分ひとりなので知り合いの女性に愚痴ったら 3年くらい前に観葉植物とメダカを連れてきてくれました😊 観葉植物も環境的にはそんなに良くないのにグングン育ち数も増えました。 そのうちジャングル状態になって自分の居場所がなくなるんじゃないかと(笑)💦 メダカも去年産まれた子どもたちは室内で元気に育っていますが ベランダの長老たちは冬眠体制に入りましたがもう三年目だし冬を越せるか心配です。 ウチの職員さんや看護師…

  • 2025

    あけましておめでとうございます㊗ 市原屋さんのガレージに眠っていたオサルが我が家にホームステイ🎵なので2025年の事始めは磨き始めです✨ 本年もよろしくお願いいたしますm(__)m

  • 2024ありがとう

    このブログを始めたのが今年の10月でした。 キッカケは友人と飲んでいてフィリピンの事を話していたとき 自分の記憶が曖昧だなぁと感じ自分ではまだまだと思っていても歳だし 脳梗塞も経験しているので記憶が飛ぶ前に記しておこうと思ったからです。 そんな自分宛のブログというかジジィの痴呆予防のブログに遊びにきていただき 本当にありがとうございましたm(__)m そして三日坊主の自分が続けられたのはコメントや応援が励みになりました✨ ありがとうございます。 今はカブや最近の話ですがフィリピンでの事もまだまだ残しておきたい話もあるので 2025も宜しくお願い致しますm(__)m

  • C100を育てる/マフラー編

    年内になんとか間に合ったC100純正風マフラー 本当はリブロやコピー品ではなく純正を装着したかったのですがお高い💦 リブロだからかOHVとOHCエンジンの形状の違いなのか装着すると微妙にズレていて 何度も調整しながら付けては外しを繰り返しやっとの思いで装着できました。 それでもキックがまだ当たる時があるしバッフルがないからフルストレートで爆音(笑) 当然抜けまくりで走りづらいと市原屋さんに相談したら大掃除の合間に即席で バッフル作ってくれました😁いつもありがとうございます🙏 この普通のモナカマフラーでもよかったのですが C100にはやっぱり平べったいモナカマフラーが似合うなぁと自己満😁👍 遠め…

  • C100を育てる/シート編

    C100の納車時は黒の行灯カブ用?のシートでした。 色も黒でタヒチアンレッドも引き締まって見えシートポジションも良かったのですが シート生地に今にも切れそうな線が入っていたので 試しに赤の薄いシートにしてみました。 最初は違和感があったものの慣れてくるとこれはこれでアリかなぁと思ったのですが どこか自分のイメージとは違うと納得できない自分もいて悩んでいる時に 市原屋さんの知り合いの方のご厚意で純正のシートが手に入り そのシートを見た瞬間 自分が探し求めていたシートはコレだと思わずシートを抱きしめていました(笑) 色もタヒチアンレッドに合っているしスライム型の純正シートはレトロ調で 座り心地も良…

  • スーパーカブC100の良い所と気になる所

    仕事の帰りにスーパーに寄ったら紅葉がきれいでした🍁 今日は僕が勝手に思っているC100について良い所・気になる所について お話させていただきます。 良い所 このスタイル! 僕は行灯カブもC100顔にしちゃったくらいこのC100のスタイルが大好きで C100やC65などの時代の後はウインカーやテールレンズなどの大きさや位置など 規制で変更しなくはいけなくなり今のカブのデザインになったと聞いています。 そしてこれはいろんな意見があり乗りづらい操作しにくいという方もいるのですが 自分にとっては体形が合っているのか今までのカブよりも安定し乗りやすいです。 余談ですがこのスタイルとタヒチアンレッドのおか…

  • Merry Christmas/スーパーカブC100

    フィリピンではクリスマスは大イベントでクリスマスのために一年間 一生懸命働いて貯めたお金を全部使ってしまうくらい大切な日なんですね。一般的には9月くらいから街もクリスマスムードになってきます。 ウチもご多分に漏れずほぼ強制的にこんなでかいツリーを飾らされますです💦 ちなみにフィリピンではクリスマスシーズンは別名「ベル・マンツ」と呼ばれていて ベルは「ber」マンツは「month」で要するに末尾にberの付く月という意味で スペイン語訛りになっています。 September、October、November、Decemberの4ヶ月ですね。これらがフィリピンではそのままクリスマスシーズンというわ…

  • スーパーカブ/カスタム50

    そうなんです今までのカブはできるだけオリジナルを崩さずカスタムしてきましたが この角目カブはシートとマフラーを変えたくらいでエンジンもそのままでした。 走行距離は60000キロを超えていましたが給油の時にはフューエルワンを投入し オイルも1000キロ前後で交換していたので走りもスムーズでイザという時にも すぐに反応してくれ純正の安心感と素晴らしさを教えてくれた一台でした。 純正といっても今までのカブ同様ブルードットは外せませんでした…自分の拘り😅 そしてGANZ GARAGEオリジナルのテールバイザーにカズさんが桃さんのイメージと フレアを彫ってくれました・・・キャリアで見えないんですがこれも…

  • カブ専門店での感動ストーリー/市原屋

    スクーターで市原屋というカブ専門店に遊びに行った時カスタム50の話になり その話には心打たれるストーリーがあり後日会いに行きました。 そこには今まで眠っていたかのような油と埃まみれになったカスタム50がいて 正直カブの中で角目はあまり興味がなかったのですがシートをポンポンと叩いた瞬間 何か感じるものがありエンジンをかけたら目が覚めたように元気なエンジン音を響かせ ウチに嫁いできてくれる事になりました。 掃除をすると油は保管する際に錆ないようにと全体的に塗っていたそうで 油を拭くとピカピカの車体が蘇り前オーナーの愛情を感じ嬉しくなりました✨ スタイルはタイやフィリピンでよく見かけた純正のタイカブ…

  • 仲間に感謝!/疲労骨折

    茅ヶ崎に遊びに行ったある日 左足に違和感を感じ帰る頃には足首が動かなくなりチェンジペダルも踏めなくなり 約50キロ2速のまま帰宅しました(笑)💦 翌日病院に行くと疲労骨折と診断されカブは当分乗れないねぇと・・・_  ̄ ○ ガク 痛みとカブに乗れないもどかしさで落ち込んでいると仲間からブツが届きました。 段ボール箱を開けると中にはたくさんの食材とメッセージが入っていました。 これはもう嬉しくて元気もらいました😁👍 見舞いにも来てくれ感謝❗ 治療やリハビリも順調にすすみそろそろ仕事に行きたいなぁと思っていた時に 友だちからわたし乗ってないからこれ使ってればぁとヒョウ柄シートのスクーター(笑) ス…

  • 日帰り700キロツーリング/6V最終型

    行灯カブに別れを告げた後ウチに来たのは6V最終型のスーパーカブでした。 FUCK THIS RIDEと書いてしまったくらい(笑)💦フロント足周りガタガタで フロント足回りに手を入れたついでに以前SILENT HILL WORKSのサトちゃんに 譲ってもらったスポークの多いホイールをGANZ GAREGEで調整してもらい マフラーはフィッシュテールで味を占めた自分はフィッシュゴードンマフラーを装着し GANZ GAREGEオリジナルのホイールカバーでまとめました🎵 おかげでこんな雪の日でも普通に走ってくれたし・・・人間がGIVE UP😅 雑誌の撮影会にも参加させてもらいました。 そんなこんなで調…

  • 思い出をありがとう/行灯カブ

    行灯カブに乗った当初はオリジナルを崩さずカスタムしようと思っていたのですが 仲間のカブやいろんなイベントやミーティングでたくさんの刺激をもらいました。 自分の行灯カブにも少しカスタムしてみようかなぁと思っていたた時にガレセで 使えるかどうかもわからないまま買っちゃって放置していたヤツだけどもらってと 差し出されたのがフィッシュテールマフラーでたしかに装着してもスカスカで 使いもんなならないだろうなぁと思いましたがスタイルも好きだし〇〇〇円だし 使えなきゃ飾っても画になるし売っても〇〇〇〇〇円にはなるだろうなぁと思い 再度ほんとにいいの?と確認しゲットさせていただきました! 調べてみたらハーレー…

  • 行灯カブ/ツーリングの思い出

    行灯カブで初めてみんなとツーリングに行ったのは奥多摩でした。 その後は富士や箱根・河口湖や狭山・名古屋などいろんなところに行きました🎵 まだまだ載せたい写真はあるのですが続きはまた 楽しかったなぁ思い出をありがとう🎵

  • 行灯カブ/オリジナルを崩さずカスタム

    行灯カブのデザインは1960年代後半から1970年代初頭のモデルになります。 当時はこの行灯カブをどう料理してやろうか考えカスタムするかノーマルのままいくか 悩んだ末できるだけオリジナルを崩さずパッと見はノーマルよく見るとカスタム的な 行灯カブにしようと決めました🎵 まずはエンジン部分をサンブラ(サンドブラスト)&レーザー加工したものに交換し モナカマフラーはGANZ GARAGEのカズさんにフレアをサンブラしてもらいました。 GANZ GARAGEカズさんのyoutubeもヨロシク😊👍 そしてエンジンや足回り関係も仲間たちに手伝ってもらい・・・っていうか 僕は以前にも公言しているとおりのメカ…

  • ありがとうカモメそして行灯へ/スーパーカブ

    かもめカブに出会って通勤はもちろん休みの日にはツーリングに行ったり イベントやミーティングがあると参加し仲間も増えいろんなカブに会えました。 カスタムされたカブやノスタルジックにボテ箱を載せたカブなどたくさん見てきた中で 自分が気になっていたのが行灯カブの存在でした。 行灯カブはかもめカブよりも古くヘッドライト下にポジションランプがあるのが特徴で 別体タンクからモコッと流れるリアフェンダーのフォルムがセクシーでレトロ感のある デザインに一目惚れしてしまいそれからは行灯カブが頭から離れず購入しました! この行灯カブが相棒となり仕事や遊びにもいつも一緒で今までで一番思い出をくれたカブになるとはこの…

  • のらねこ

    介護の仕事に携わってから初歩から学ぶ事も多く仕事に勉強にと結構ハードでした。 しかしそんな自分をリフレッシュさせてくれていたのがノラネコたちでした。 今は河川工事でノラネコはだいぶいなくなってしまいましたが 当時の多摩川にはたくさんのノラネコがいて早朝の散歩は気持ちいいし ノラネコたちにも会えて自分にとっては一石二鳥で毎日癒され日課になっていました。 歩いていればついてくる子や じゃれて抱っこしてくる子 横着して寝たまま挨拶するヤツ(笑) 挨拶しに来てくれる子などなど日本では一人暮らしの自分には天国でした♪ www.youtube.com youtubeもやっているのでよかったら見てくださいm…

  • 介護のキッカケ

    母の会社も母がいなくても軌道に乗りはじめ自分も営業や経営学を少し学べたし ホームシックだしそろそろフィリピンに戻っても問題ないなぁと思っていたのですが ここで余計な考えが頭をよぎります💦 初めてフィリピンに訪れた時に会った病院のインターンたちの献身的な姿に感銘を受け LOLO(お爺さん)のフィリピン移住の決め手になったインターンたちのホスピタリティ✨ この事で自分もフィリピンに興味をもちはじめたのは確かだし 機会があれば自分も学んでみたいという気持ちもあったので せっかく日本にいるんだしこの機会に学んでみようと介護の世界に入りました。 それにカブを通じていろんなカブのイベントに参加しカブ仲間も…

  • ホームシック

    フィリピンから帰国して約三か月で既にホームシックになっていました😅 フィリピンの家では子どもたちや動物たちがいて家でお酒なんかはイベント以外は ほとんど飲む事はなかったんですが今では寝るためにお酒を飲むようになりました。 そして心配だしさびしいからとフィリピンに電話します☎ そしてフィリピンからも子どもたちや彼女からも電話がかかってきます。 しかもワン切り・・・フィリピンパブのタレントと客か(笑) 余談ですが彼女からのワン切りにはルールがあってワン切りのあと2分以内に 電話しないと浮気しているのではないかと疑われます(笑)💦 そんなんですので毎月の電話代が30000円から50000円❗ これは…

  • カブ沼にハマる😁

    かもめカブはレトロなスタイルも雰囲気も最高なのですがとにかく遅い❗ いやいや遅いのは原付なんでアタリマエだし納得済みなんですが 家の近くの緩い上り坂でスピード落ちるのはツライなぁと思っていたらsnsに投稿した 写真を見てくださった方からカブミーティングをやるので時間あればいかがですかと コメントをいただきカブってミーティングするほど乗っている人が多いのかと思い 興味が涌いてきたので参加させていただきました。 着くとたくさんのカブが並んでいてみなさんにご挨拶したあとカブ談議になり かもめカブもみていただきキレイだとかセル付きなんですねとかお褒めの言葉を いただいたのですがライトは暗いし坂は上らな…

  • はじめてのカブ

    車はあきらめたものの移動手段が公共交通機関だけじゃなぁと原付免許を取得し バイク雑誌や某オクを漁りながら原付でもスクーターはないなぁと探していました。 初スクーター そうなんですスクーターにはほろ苦い思い出がありまして当時の僕はバイクの走りには ちょっと自信があってその頃に付き合っていた彼女と大島というところに行きました。 大島でレンタルバイクを借りたのですがそれが原付のスクーターでタンクを挟まず そのままチョコンと座る姿勢に戸惑い彼女に笑われながらトロトロ走っていました。 それがクヤシイやら恥ずかしくてトラウマになりました(笑)💦 某オクを漁っていると一台のバイクにピンときました👀 スーパー…

  • 初出社

    母の仕事を少しだけならと引き受けましたが日本の会社だし営業職だから 普段着では行けないよなぁと思い十数年ぶりにスーツを引っ張り出すとカビ臭い💦 とりあえずボロボロのスーツ一式をクリーニングに出して出社しました。 会社に行くと社員さんは6人の小さなオフィスで皆さん真面目そうないかにも THEサラリーマンって感じで今までノホホンと生きてきた自分とは真逆すぎて 空気間の違いに最初は馴染めませんでした(笑) みなさん一人一人とご挨拶が終わると既にアポイントのマニュアルが用意されていて 書の事をまるで知らない自分でもなんとか電話応対できましたが たまにタガログ語が出てしまいごまかすのに必死でした💦 前ブ…

  • 帰国

    仕事をしているとき日本の親族から電話があり母親が入院したという事で すぐにチケットを手配しちょっとそこまで感覚でみんなに母が入院した事を話し 何も持たず急遽帰国しました。 成田空港に着いて教えてもらった病院に直行すると自分が子どもの頃にも年に数回しか 会った事がなかったのですがそれでもわかるくらい母は衰弱しており親族に聞くと 肝臓の病気という事がわかり現在は治療と検査の段階だという事でした。 帰国二日後日本に帰ってきて急に衛生管理のしっかりした食事をしたからか? フィリピンでもなった事のない食中毒になってしまい数日寝込んでしまいました(笑)💦 母が入院している病院に通院しながら見舞いをしている…

  • キャンプ

    テレビで海外のドキュメンタリー番組を見ていた子どもたちが 今度の旅行はキャンプがしたいと言いだし僕も彼女もイイねーとは言ったものの それまでの自分はキャンプをした事もなければキャンプ道具も持っていなかったので とりあえず友人や周りの人に聞いてみるとテントを二つ借りる事ができました。 さっそく家の庭でテント張りの練習を何回もやりキャンプで使う道具も揃えました。 行くのはウチの家族とキャンプに詳しい僕の仲間と子どものクラスメイトたちとなり 人数は多い方が楽しいに決まっていますが責任も重大だなぁと思いながら出発! 最初はのんきにピクニック気分でしたが・・・ 道はだんだんに険しくなり僕と友人はこういう…

  • 絵本より

    きっと嵐って、朝日がそのあとにのぼってくるためだけに、あるんじゃないかなあby ムーミン ほんとにねぇ嵐の去ったあとの空気や風景ってきれいだよね。きっと人間が汚した地球をきれいにしてくれているのかもね。 たまには変化も必要ですわ。わたしたちは、おたがいにあたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない?by ムーミン人間ってのは文明の利器に頼らなくても自然のなかで生きていけるんだよね。自然の恵みを農民さんや漁師さんが育ててそれを美味しくいただいている。それをあたりまえと思わず自然や育ててくれた人たちに感謝だよね。 ただ天災によって家屋を失った方たちや せっかく育てた作物や漁に行けない人たちに…

  • 台風

    フィリピンには現在4つの台風が発生していて3週間で家屋や農地に被害を受けた人は 900万人以上で死者は160人以上と報道されています。 一日も早く台風が去り一日も早く復興できるよう願います。 今回ウチの周りや地域は免れたのですが過去には何度か直撃された事があります。 地震はいきなりなのでどうしょうできませんでしたが台風は予測ができるので 大きい台風が近づいてきた時はできるだけ1階の電化線品や家具は2階に運び ガレージや隙間のある窓やドアなどはテープで補強したおかげで難を逃れましたが 周りは樹木が倒れ屋根や物が吹き飛び宙を舞い台風が去った後の光景は悲惨なもので 8日間電気も水も止まり経験の薄い僕…

  • 介護の日

    今日11月11日は介護の日でもあります。 そして偶然にも何もわからず初めてフィリピンに来た日でもあります。 空港でポリスと出会いダバオの病院に行きLOLOの病状や手術の手配をし この時はLOLOの手術が終わったら帰国できるだろうと思っていました。 手術が無事終わり数日様子を見て帰ろうと思っていましたがダバオの自然に魅了され 介護をしてくれていたインターンたちのホスピタリティに感謝と感激していた僕は もう少しフィリピンを知りたいと思うようになっていました。 若い頃の自分は介護なんてものにはまったく興味がなかったのですが この出来事があって今の自分があると思っています。 フィリピン人のなかにはもち…

  • モーニングルーティン

    フィリピンの朝は早い ニワトリのコケコッコーと共に起こされます💦 まだ早いっちゅうねんもう少し寝かせてくれ❗ 珈琲飲みながら一服して☕ 子どもたちを起こしスキンシップ🎵 みんなで一緒にごはんを食べて🙏 子どもたちは学校に行き 僕と彼女も仕事に向います。 極々あたりまえの日常ですがあたりまえに感謝ですよね🙏 降りれないヤツ(笑)これも日常👍

  • 家族

    ウチには僕と彼女と子どもたちそして犬や猫などが一緒に暮らしています。 犬や猫は子どもが生まれていただいた子もいればノラなど自由きままな子もいました。 僕は子どもの頃からズッとばあちゃんと犬と一緒に暮らしていて犬とはいつも一緒で ばぁちゃんが怒ると僕を守ってくれて僕にとっては強い味方でもありました(笑) フィリピンに初めて行った当初もタガログ語がまったくわからず唯一日本語で 愚痴を聞いてくれたのがローカルレストランで知り合ったノライヌでした。 そんなウチの家族を今回は紹介していきますみんな顔出しOKだし(笑) 朝はいつも僕の座布団を占拠し寝ているノラ 悔しいので早く起きて先に陣取ろうと思ったらふ…

  • 家族旅行

    考えてみれば仕事で旅行する事はあっても家族では行った事はないなぁと思い みんなに旅行に行こうと提案したら大ハシャギだったのでどこに行こうか相談し みんなのスケジュールや彼女のイチゴが食べたいというとみんなも賛成したので バギオというところに決まりました。 車で約6時間半という事で朝日と共に出発しバギオ目指して車を走らせました。 途中にアンヘレスという文字の案内標識版に無意味に反応ワクワクドキドキしながら 行きたいという思いを押し殺して我々一行はバギオを目指すのであった!アンヘレスというところはGOGO BARなどが建ち並ぶ男のパラダイスなんです バギオは標高約1500メートルと高いので近くにな…

  • ストリートチルドレンの現実と課題

    2024/11/03現在ジェニーや他の子どもたちは結婚して孫ができたり就職したりで 家を出ていますが今もウチには6人の子どもたちがいて僕は今日本なのですが 彼女やポリス近所の方々が子どもたちの面倒をみてくれています。 子どもたちのなかには僕ら大人が経験した事のない辛い経験をしてきた子もいます。 そしてストリートチルドレンってなんぞやというメッセージもいただいたので 今日はストリートチルドレンについて少しお話をさせていただきます。 ストリートチルドレンとは主に家族や家のない子もしくは家計を支えるために 学校にも行けず路上で働く子どもの事を指します。 子どものなかには幼い兄弟の面倒をみながら働いて…

  • 1,000ペソに秘めたる想い

    こどもが二人増えた事で生活費がかさむだろうなぁと思っていましたが 元々ジェニーも彼女や二人の兄弟もスクワッターエリア(貧困地区)育ちだし 僕も約半年間お世話になったので彼女がやりくりをしてくれたおかげで 以前の生活費とかわらないくらで暮らせていました。 今回はそんなお金の事を少し記していこうと思います。 1000フィリピンペソの裏に描かれた棚田はルソン島北部イフガオ州にあり 天への階段とも称されています。1995年には世界文化遺産にも登録され2000年以上前にイフガオ族が神への捧げものとして造ったとされ文化と共に守り継がれてきたところです。 そして紙幣表に描かれている3人の方は第二次大戦時に日…

  • 子どもの成長

    ある日ポリスから後で行ってもいいかという電話があり待っていると ポリスが男の子と女の子を連れてきて実はこの子たちも身寄りのない子でと話しだし ピンときた僕は彼女にジェニーとポリスが連れてきた子どもたちにお使いを頼み ポリスの話を聞くと子どもたちの親はある事件で犯罪に手を染め亡くなったという事で 路頭に迷っていた子どもをポリスが保護しウチにはジェニーもいるし落ち着くまで 預かってくれないかという事でした。 ウチには縁で繋がったジェニーがいて本当の親子のように接し幸せに暮らしているし そもそも彼女とジェニーとも相談しないと僕だけでは決断できない。 いろいろ考えていると買い物のあと公園に行っていたと…

  • 自分にとっては初めての横型エンジン/カブ

    という事でガンマを手に入れた僕は毎日ウキウキで走り回っていたのですが ジェニーと彼女は一緒に遊びに行けないとか後ろに乗せてもお尻が痛いとか 恐いとかご機嫌斜めでしかたなく車でドライブに誘うと機嫌もよくなって タガイタイまで遊びに行き一日遊んで楽しい時間をみんなで共有して過ごしました。 タガイタイとはこんな所です 帰りにまたガンマの話になり彼女がバイク屋さん寄ってみようかと言いだし 近くのバイク屋さんに行くと彼女がこれなら3人で乗れそうと指さしたのが ビッグスクーターで僕はスクーターにはまったく興味がなかったのと 製造国が中華っていうのも良いイメージがなく あまりノリ気ではなかったのですが彼女と…

  • フィリピンでバイク

    ジェニーとの生活も安定してきて僕も少し自由な時間ができたので みんなと一緒に食事をしている時にそろそろバイク乗りたいなぁとボソッと言ったら 彼女から危険だから絶対ダメと即答され却下されたのですがどうしても乗りたかった 僕はなだめすかしながら説得しても危険だからと首を縦に降ってくれませんでした。 危険だと反対する気持ちもわかるんです。 当時のフィリピンの道路は金魚が飼えるんじゃないかと思うくらい道路事情は悪く 車だったらバーストするかパンクで済みますがバイクで突っ込んだら・・・💦 そんな時タイミングよく(悪く?)僕がバイク好きというのを知っているポリスが来て 知り合いが日本製のバイクを持っててお…

  • ダディと呼ばれて

    女の子の名前はジェニーといいます。 一緒に住み始めた頃は父親との辛い思い出があり悲しい顔をしていましたが 休みの日は一緒に公園や買い物に出かけジェニーの大好きなジョリビーでランチをし いつのまにか近所の子どもたちとも遊ぶようになり少しづつですが笑顔もみせてくれ ジェニーに学校行くか?と聞いたら頷いたので近所の学校に通い始めました。 家の斜め前のサリサリストアの奥さんは元日本に何回も行ったタレントさんで 日本語もペラペラで僕と彼女が学校の送迎ができない時は奥さんが行ってくれたり ジェニーが外で遊んでいる時はいつも見守ってくれていたりお菓子をくれたり 他の近所の方たちも優しく接してくれジェニーの過…

  • 新生活への一歩

    女の子は当然ですがまだ不安と悲しみでいっぱいでしたがジョリビーと彼女のおかげで少しづつ話してくれるようになったのでまずは女の子の住むところを考えねばと 彼女そして僕とポリスでこれからどうするかを話し合いをしました。 その時の僕の現状は昨日のブログでも記したようにチュウブラリンの生活だったので ・彼女の家 ・コンドミニアム この2択しかなかったのですがコンドミニアムはいつ出されるかという不安もあり 彼女の家にはお父さんお母さんもいるし子どもたちのいるので女の子にとっては 一番いいのではないかという結論になりました。 もちろん彼女の家は狭くみんな寝るとパンパンなので僕がコンドミニアムに戻れば 女の…

  • 家族の別れ:女の子の未来を考える

    久しぶりにポリスと再会した僕は今回の件と空港で声をかけてくれた事に感謝し 今までの経緯などを話しポリスもニコニコしながら聞いていたのですが でもなぁお前は日本人なんだからああいう場面に遭遇してもできるだけ避けないと どんなトラブルに遭うかわからないし危険だから気をつけろとポリスが言うと 続けて実はと話しだしあのシ〇ブ中のお父さんは当然刑務所に入り 女の子のお母さんは数年前に逃げて探したが行方が分からないとの事。 そうなると女の子は施設に入るかストリートチルドレンになるしかないんだよと。 ストリートチルドレンとは家庭や保護者の支援を受けずに路上で生活する 子どもたちの事をいい彼らは貧困・家庭の問…

  • 住めば都

    一泊でしたが彼女とその家族そして近所のフレンドリーな方たちとの交流で 自分の中の悪い虫が騒ぎ出しもっとリアルなフィリピンを見たいと思ってしまい 彼女に話すと大喜びしてくれてお父さんお母さんも喜んでくれて 僕としては数日間のつもりだったのですが住めば都とはよくいったもんで 数日後には貧困地区での生活も慣れてしまい約半年間お世話になりました。 もちろんガイドの仕事もあったのでコンドミニアムはオフィスとして使い 仕事の時だけ通っていました。 半年間住んでいるといろんな事が起きたので記憶に残っている話をいくつか ピックアップして記しておきます。 1 コンバース事件 普段はビーサンで生活していたのですが…

  • ウルルン滞在記

    泊まっていけと言われてもどこに寝るの?ってくらい部屋は狭いのに 一階はお父さんお母さんと長男夫婦で二階は子どもたちと妹そして僕と彼女で あ~ら不思議川の字で寝るとピッタリ収まるじゃないですか。 それにしても窓は開いていても風は入ってこないで虫ばかりが入ってきて暑い! みんなが寝静まったころ僕もようやく寝れそうになったとき頭の上でガサガサと? 何かと見てみたら子どもたちが食べ残したお菓子にネズミ!これじゃまるでウルルン滞在記じゃないか! 結局その日は眠れず朝を迎えお母さんが出してくれた珈琲を飲んでいたら お兄さんの子どもに海に行こうと誘われ近所の子どもたちと行ってきました。 帰ってきてみんなで朝…

  • スクワッターエリア(貧困地区)

    生活も仕事も安定してきてそろそろ移住の事を本気で考えないとなぁと 思っていた時に彼女のお父さんが病気になり彼女と二人で家に行きました。 ご両親には以前お会いして食事をした事があるのですが家に行くのは初めてで 大通りから路地に入ると正直すごい所に住んでいるなぁという印象でした。 そこは所謂スクワッターエリア(貧困地区)というところで これがよくいうフィリピンの3K(臭い・汚い・危険)かと思いました。 家に着くと彼女の家はコンクリートとトタンのシンプルな2階建てで そこにお父さんお母さん彼女のお兄さん夫婦と子ども2人そして彼女の妹1人。 一応流しはありますが料理と洗濯は外でトイレとシャワーは階段の…

  • ジェラシーと監視:フィリピンパブでの出来事

    ブログをはじめてよかった事はもちろんガイドの仕事が増えたことですが 日本との情報交換・交流は僕にとって欠かせないものになりました。 そしてガイドの仕事でいろんなところを巡ったり夜はカラオケで遊んだり フィリピンではフィリピンパブ(キャバクラみたいなお店)をカラオケといいます お客様の中にはリピートしてくれる方も多く楽しい時間を過ごさせていただき 彼女や日本語ができる女の子もお店をやめてガイドの仕事に専念してくれ お客様たちからも好評でした。 が 彼女の情報網の凄さを思い知らせれました! お客様とカラオケのお店に入って数分で電話が鳴り出ると 彼女が今○○というお店でしょ○○ちゃん指名してあげてね…

  • インターネット苦悩の日々とブログ開設

    ガイドをするといっても宣伝はどうしようと考えた時にブログをやろうと閃きましたが 当時のフィリピンはインターネットがやっと普及し始めたばかりで ネット会社のスタッフが繋がらなくてアタリマエ繋がったらラッキーと言うくらい 繋がるまで時間はかかるし繋がっても重くやっとの思いでブログを立ち上げました! 初めの頃はアクセスも少なかったですがフィリピンパブ大好き紳士様が増え始め コメントもいただけるようになり写真も載せた方がいいですよというコメントを いただきブログに初めて載せた写真がコチラです。 ここはタガイタイといってマニラからも近く日帰りでも観光できるスポットで タール火山とその周囲に広がるタール湖…

  • ローカル免許取得

    コンドミニアムに住むようになり当然の流れで彼女も住みつくようになり 彼女は夜になると仕事に出かけ僕はその間に掃除や洗濯をしてまるで主夫かヒモ! そんなヒモ生活も一週間もすれば飽きて仕事をしなければといろいろ考え 調べたらフィリピンでは短期間であれば観光ビザでも仕事はできるそうで 短期間や観光ビザしかないという事はどこかに就職するという選択肢はないから 会社とかは立ち上げずフリーで動いた方がいいなと勝手に思い ネオン街を歩いているとやたら日本人が多いのに気づき彼女にお店でお客さんに 日本語の話せる女性のガイドがいたらどうする?というリサーチをしてもらいました。 リサーチの結果は予約するや助かるが…

  • フィリピンでの生活が始まる

    皆さまお察しのとおり僕はいつのまにか彼女からmahal ko(マハルコ)と 言われるようになり僕はまだそんな気持ちではなくまだ早いだろうと言っても そんなのお構いなしに外で普通に抱きついてくるはキスしてくるはで お客さんやスタッフに見られたらマズイだろと言ってもそんなの関係ないと言い そんな日々が続いておりましたが帰国する日が近づいてきました。※mahal ko(マハル コ)とは恋人同士が呼び合うフィリピン特有の呼び方です。 彼女はビザの延長をしろと泣きながら訴えてきて少し考えて けっきょく僕は延長をする事にし彼女と移民局のオフィスに向いました。 ダバオの時もそうでしたがビザの延長は意外と簡単…

  • マニラで初デート

    ビガンに3泊しマニラに戻ってきました。 バスの疲れもあるし宿も決まっていなかったので観光する元気もなく とりあえず安くて湯船のあるホテルを探しバックパッカーなどがよく泊まる ホテルはシャワーしかない事が多いので今回は少し大き目のホテルを何軒かまわり ようやく値段も手頃で湯船があってお湯も出るホテルがみつかりチェックイン! 振動と音が恐怖のエレベーターを降り部屋に入るとサブッと言いたくなるくらいの クーラーがこれまた音と振動でとにかく風呂だと湯船にお湯を入れると水? フロントに聞くとちょっと待っててーと言われ待っているとお湯が出てきたので ゆっくり浸かりベットで寝て起きたら夜になっていたのでゴハ…

  • 日本人が守った街ビガン

    バスに揺られること約9時間やってきましたVIGAN(ビガン) そこはバスで異国に来てしまったのかと錯覚するくらいダバオともマニラとも違う 雰囲気でバスの疲れも吹き飛ばすくらいの素敵空間でした。 LOLOのお嫁さんのお母さんがわたしの故郷は日本人が守ってくれたんだよという 言葉が気になっていたので僕なりに調べたのでここに記します。 1945年アメリカ軍がルソン島に上陸してマニラを奪還。 マニラは空爆により廃墟となりました。もはや敵の侵入を防ぐ戦力すら失った日本軍は各地の司令官に諸都市を破壊して 山中に撤退しゲリラ戦を展開するよう命令する。 少し時間を戻して1941年。コルディリェーラ山地を任され…

  • 初マニラ(正確にはマカティ)

    マニラの空港には何度も来ていましたが、いつもダバオにいくため 空港からバスに乗って国内線の飛行場に行っていたので僕にとっては 今回が初マニラでした。 日本でいつもお世話になっていた旅行会社にマニラ行きのチケットを予約したら 今回はダバオじゃないんすね?と聞かれたので今回は遊びだよと言ったら ハマりましたねニヤッとしながらホテルは何泊予約しますか?と聞かれたので 2泊だけであとは自分で探すという事で予約してくれていたホテルに向かうため タクシーに乗り空港を後にしました。 ダバオとは違うマニラの景色を楽しんでいると歓楽街っぽいところに入っていき タクシーは止まり着いたよとホテルを指さしたので降りる…

  • フィリピン料理

    日本に帰ってきてもモヤモヤのまま仕事をしモヤモヤのままゴハンをいただき 日本の料理はもちろん美味しいのですがゴハンをいただいている時でも フィリピンの料理を思い出してしまう… というわけで本日はフィリピンではポピュラーで僕の大好きなフィリピン料理を いくつか紹介させていただきます. Sinigang/シニガン フィリピンの国民的料理で肉や野菜の入った 具だくさんの 酸っぱいスープです。 二日酔いの時や体調が悪い時に飲むと楽になる 魔法のスープなんです。 Sisig/シシッグ 細かく刻んだ豚肉をしょう油、ビネガー、にんにく、 唐辛子で炒めた鉄板料理でご飯と一緒に食べても ビールの おつまみとして…

  • 帰国への想いと感動のサプライズ

    LOLOが新居でフィアンセの家族と暮らすようになってから一年。最初はみんなギクシャクしていましたが流石フレンドリーなフィリピン人 すぐにみんな溶け込みLOLOも車椅子がなくても立てるようになりました。 僕もその間は日本とフィリピンを行ったり来たりでLOLOの生活を見守っていました。 みんなLOLOの事を大切にしてくれているしLOLOも安心して生活できているとうだし LOLOの口からわたしはここで骨を埋めるつもりだという言葉を聞き 僕はもうお払い箱だなぁと感じたので一旦日本に帰る事にしました。 しかしフィリピンの風景・人・雰囲気・空気・食べ物・常に危険な香りすべてが 好きになってしまっていた僕は…

  • 愛のカタチ

    話は飛びますがLOLOの新居も完成し車椅子でも不自由ない作りになっていて 結婚の許可もおりて二人はめでたく夫婦になりました。 その頃には僕もLOLOのフィアンセと仲良くなっていたのでズッと思っていた 疑問をフィアンセに聞いてみました。 30年以上前の記憶なので正確ではないですがLOLOの事を本当に愛していて 結婚をしたのかと…彼女の口から出た言葉はフィリピンでは日本人はブランドで 日本人がいれば家族は安泰だからわたしも家族もLOLOの事を大切にすると。 それにLOLOは優しいしLOLOといる時はわたしも幸せです。 だから愛しているとはちょっと違う感覚だけど本当に好きです。 この事はLOLOにも…

  • フィリピンの庶民の足

    そうなんです移動中なにが楽しいかってそれはフィリピンの乗物なんです。 それは日本にはない乗物でジプニーやトライシケという乗り物です。はじめはLOLOのフィアンセやインターンの子たちと乗りましたが 慣れたら一人で乗るのが楽しくてどこに行くにもジプニーでした♪ ジプニーは元々戦後アメリカ軍が残したジープを改造して作られたもので オーナーが自分好みにカスタムした外観とカラフルな装飾が特徴で バスのように乗客を運ぶフィリピンではもっともポピュラーな公共交通手段です。 停留所があるところもありますが手をあげれば停まってくれるし好きな場所で 降りる事も出来ます。 降りる時はPara(パラー)と声をかけたり…

  • セカンドライフ

    万事休すのLOLOの答えはフィアンセの家にお世話になるでした。 しかしフィアンセの家には家族もいるし車いすでの移動には狭くて無理があります。 フィアンセとその家族インターンたちと相談していたらフィアンセのお父さんが 家は小さいが庭があるから建て直してくれれば車椅子でも不自由しないんじゃないかと 言ってくれたので翌日フィアンセの家を見せてもらいにいきました。 街からは少し離れていますが環境はいいし庭は広いしセカンドライフをおくるには ちょうどいいんじゃないかとLOLOに話し日本のじいちゃんにも事情を説明して ドクターにも相談したら知り合いのカルピン(大工さん)を紹介してくれるという事で 話は進み…

  • LOLO万事休す!

    日本に帰国し2日間滞在してフィリピンに戻ったのですが その2日間で話は進んでおり退院後は通院もあるから病院の近くのホテルに滞在し その間に僕とロロのフィアンセそしてインターンたちも手伝ってくれると言うので できるだけ段差がなく車椅子でも不自由なく移動できる一軒家を探すという 話になっており翌日からそのミッションは遂行されました。 といっても僕は地理も言葉もチンプンカンプンなので探してくれたのはフィアンセと フィアンセの家族そしてインターンたちでした。 しかしここで問題が発生しました僕はもちろん他のみんなも知らなかったのですが フィリピンでは外国人は家は買えますが土地は買えないという事を。 どう…

  • 人間と動物の共存

    日本に一時帰国した僕はまずはじいちゃんにお兄さんは日本に帰らない事を告げ 最初は驚いていたもののニヤっと笑いやりやがったなと嬉しそうでした。 そして帰るのを待っていてくれた方々のマッサージをしてその日は終わりました。 帰国して感じた事は日本の医療制度はやっぱありがたいなぁと。 フィリピンではほとんどが前金制です。 例えば病気になって病院に行き診察してもらいますよね(ここまでは普通だと思います) 診察が終わるとドクターから処方箋を渡され本人もしくは連れの人が薬局に行き 注射器や針・薬などを買ってドクターに渡しそこで初めて治療がはじまります。つまりお金がないと診てもらえないという事です。 もちろん…

  • ロロ移住決断

    お兄さん…日本のじいちゃんのお兄さんだから今までお兄さんと書いてきましたが これからはみんなが呼んでいたLOLO(ロロ)に変更させていただきます。 ちなみにLOLO(ロロ)はタガログ語でおじいちゃんでLOLA(ロラ)はおばあちゃんです。 ロロは半身不随になってしまいましたがみんなの献身的な介護により元気になり 退院の日も近づきましたがすぐには日本へは帰れないので車椅子でも安全な ホテルを探さなきゃなぁと思っていたところインターンの子たちも探すと言ってくれ 一人の子が明日は休みだから一緒に行くと言ってくれ約束をしていたのですが ロロから話があると呼ばれ病室に行ってみるとロロとフィアンセがいて 実…

  • 感動の日本語サポート!フィリピンでの心温まる絆

    お兄さんの手術も無事に終えましたが目を覚ますと体は動かず話す事もできず 周りはフィリピン人だけで不安と辛さでパニックになり落ち込んでいました。 泣いている時もあり介護の経験もない自分には周りのお世話をするくらいしか できませんでしたがお兄さんのベットの前を通るインターンがお兄さんに だいじょうぶですか?と日本語で話しかけてきたのでビックリ! それからは他のインターンもベットの前を通るたびに日本語で話しかけてくれ 最初は挨拶程度でしたが「ゴハンタベテゲンキニナッテネ」とか会話になり お兄さんの顔色も少しづつよくなり微笑むようになってきました。 インターンにどうして日本語が話せるようになったのか聞…

  • ダバオで衝撃の真実

    ダバオに着くとガイドさんが迎えに来てくれていてそのまま病院に行き ドクターに病院に担ぎ込まれた経緯や病名などの詳細を聞き手続きをして 日本で心配しているじいちゃんに電話をして手術の日取りも決まり 僕はガイドさんと食事がてら病院の周りを散策しに出かけました。 しかし僕の気持ちの中にはモヤモヤしている事がありじいちゃんにまた電話しました。 そもそもじいちゃんのお兄さんはなんでフィリピンにきていたのか? それは日本のフィリピンパブでたまたま隣に座った女の子の接客態度がよく お兄さんはデレデレになり毎日通ううちに好きになりプライベートでもデートをし 3カ月目には結婚の約束をし彼女は日本での仕事も終わっ…

  • 路上でのコーヒータイム:マニラからダバオへの旅路

    僕がマニラのニノイアキノ空港に着いたのが夜の10時半頃で そこから国内線の空港までバスで移動し飛行機でダバオという所に行くのですが その飛行機が飛ぶのは朝の6時半で約8時間何していようと思いながら とりあえず空港内の両替所で5000円だけ円からペソに両替して空港内探索。 ブラブラしていると警察官らしき人に声をかけられ何をしていると聞かれたので 身振り手振りと簡単な英語でダバオに行くと伝えると時間はまだあるから ついてこいと言われガイドブックや旅行会社の人が言っていた悪い警察官だったら ヤバイよなぁと思いながら好奇心とヒマには勝てず付いていくと空港の外に出て 建物沿いに歩いていくと路上におばあさ…

  • 人生の分岐点

    1985年9月?頃の夜フィリピンのニノイアキノ国際空港に降り立ちました。 経緯は友人の家族が三軒茶屋で営む薬屋に寄ったら友人は忙しそうだったので 僕は店の隅で待っていたら待合室にいたじいちゃんがこっちにきて座れと 呼んでくれたので座ったら周りはお年寄りばかりでどこから来たとか どこか悪いのかとかいろんな事を聞かれ僕は元々ばあちゃんに育てられたので そのうち会話も弾み流れでマッサージをしたらウケがよかったのか 今度はいつ来るとか楽になったとか気持ちよかったとか言われ僕も嬉しくなり それからはたまに顔をだしていました。そうしたら突然じいちゃんから近くに使っていない家があるから そこでマッサージ屋や…

  • はじめまして

    はじめまして1958年製のポンコツです。 このブログを作ろうと思ったキッカケは先日友人と飲んでいて フィリピンの事を話していたとき自分の記憶が曖昧だなぁと感じ 自分ではまだまだと思っていても歳だし脳梗塞も経験しているので 記憶が飛ぶ前に記しておこうと思ったからです。 なので誰かに読んでもらうというよりかは自分宛のブログになるので 記憶間違い・誤字脱字・言葉遣いなど多めです。あとは感じた事や趣味・好きな事などを残していこうと思います。 でもたまたま飛び込んできた時はこんなジジイもいるんだと読んでくれたら 嬉しいです。

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