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#大航海時代
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海域調査したくなさすぎてポートロイヤルもどうでもいいって思いはじめる
本日のセビリア時報前の麗しい風景布団を着ているのはうちのイケメン担当No.2彼は倉庫整理のために駆り出されているので3/27までとなりまっするさて海域調査がほんっとにおもろないポートロイヤル発見の前提らしいので嫌々やってたけどもーーー本気で頭痛するしもううんざり
2024/03/16 01:06
大航海時代
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ヒモになっとくれ贅沢させるからさ
またしても戦闘冒険家なのに最近の戦闘率高いなあ海域調査もしてやっとクエストが出たのでポートロイヤルを無事発見したやれやれ・・・・・のあとの戦闘海事クエなのでこうなるわなー太陽の護符大活躍ほんじゃポートロイヤルの観光写真闇商人 密売人 女海賊アツイ!でも扱
2024/03/16 01:05
夕ざくら けふも昔に 成にけり ー小林一茶
ジョッキの数がすごいって?え?飲んでにゃいっ!いや、マジれマジれげふ…あのれすねちょっと聞きたいんらけろ歩んできた道に思いを馳せることはあるますかあの分岐点で違う道を選んでいたらとかまあ そゆことれす最近転生もの多いれしょコミック・アニメ・小説・ドラマ流
2024/03/16 01:04
8-3-1 大艦隊の発航
『アジア専制帝国世界の歴史8』社会思想社、1974年3鄭和の南海経略1大艦隊の発航永楽三年(一四〇五)の初冬、福州にほど近い閩江(みんこう)の江口をうずめるように、六十二隻の大艦隊が碇泊した。ひとつひとつの艦が、また巨大なものである。長さは約一四〇メートル、幅は五八メートルもあって、一隻に四百五十人もの人員をのせることができる。乗組の総員は、二万七千八百余という大勢であった。旗艦には、容姿すぐれた武将が坐乗している。司令長官の鄭和(ていわ)である。雲南の出身で、旧姓を馬といい、父祖三代にわたるイスラム教徒であった。永楽帝がまだ燕王であったころから、宦官(かんがん)として仕え、靖難(せいなん=国の危機を救う)の師をおこすのに功労があったところから、宦官の長官たる太監に任ぜられ、鄭の姓をたまわった。しかも、こ...8-3-1大艦隊の発航
2023/12/14 23:56
探検585 キリスト教アジアへの野心
それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)だが、ただし、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり曲者で、むしろ「布教後」の展望に重きを置いたものになっていたともい
2023/11/17 09:43
岡山市立オリエント美術館 大航海時代へ マルコ・ポーロが開いた世界 観てきました
会期が明日までなので、 行ってきました。 www.city.okayama.jp 14時前に入館したら、 たまたま、14時からの 学芸員によるギャラリートークに 参加できて、 気がついたら16時でした。 まだまだ終わる気配もなかったので、 途中抜けして帰宅しました。 学芸員さんがわかりやすいように話されるので、 あんまり興味ないテーマで、 夫が行きたがっていたのに、 わざわざ行かんわ〜と行かなかったのに、 行ってみたら、 とても勉強になった気分でした。 ラクダ🐪の話がとても興味深かったし、 ガラスの器を、伝わるうちに 表面を加工していったことや チンギスハーンと記載のある当時の通行証。 ジパン…
2023/11/11 21:12
7-8-1 日本にいたエラスムス
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年8ヒューマニストの運命1日本にいたエラスムス栃木県の西南、佐野市上羽田(旧足利郡吾妻村)にある竜江院(りゅうこういん、禅宗)の山門をくぐると、左手に小さな観音堂がある。この観音堂に江戸時代の初期から大正時代の末期まで、観音さまとともに「貨狄(かてき)さま」と呼ばれる木像が安置されていたが、それは高さ一メートルばかり、大黒帽に似た頭巾をつけ、右手に開いた巻き物を持った立像である。この「かてき」については、カテキスム(カトリック教の教理を問答体で書いたもの)、またカテキスタ(信者と教理問答を行う役僧)から出たとか、あるいは中国で大むかしにはじめて舟を作ったと伝えられる人のことだとか、いろいろと解釈されている。この木像の存在が日本でも注目を集めはじめたころ、そ...7-8-1日本にいたエラスムス
2023/10/11 06:16
7-5-5 ローマの掠奪
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年5斜陽のイタリア半島――イタリア・ルネサンスの片影Ⅱ――5ローマの掠奪(りゃくだつ)軍事的であるという点で非難されたユリウス二世は、その剛毅果断な性格をもって、聖職売買のような悪習を禁じ、腐敗堕落を正した。そしてミケランジェロにシスティナ礼拝堂の天井画を描かせ、ブラマンテにイタリア・ルネサンス最大の記念物、聖ピエトロ寺院の改築を行なわせ、ラファエロにバティカン宮の壁を飾らせたのも、この気宇(きう)雄大な教皇であった。ユリウス二世のあとをついだのは「豪華王」ロレンツォの次男で、ピエロの弟にあたるメディチ家のジョバンニ(一四七五~一五二一)であり、一五二二年教皇レオ十世となった。彼は政治的野心においても、文化の保護においても、アレクサンデル六世やユリウス二世...7-5-5ローマの掠奪
2023/09/22 22:04
7-4-4 「豪華王」ロレンツォ
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年4フイレンツェの支配者――イタリア・ルネサンスの片影Ⅰ――4「豪華王」ロレンツォ理想化されたコジモの孫のロレンツォ「豪華王」コジモの子ピエロ(一四一六~六九)は痛風を病みながらも、五年のあいだ、メディチ家の勢威を守った。彼は病気のため公の場所に出ず家にひきこもりがちで、多くの歴史家の評価はさえないが、金融家として蓄財に努力し、外には平和政策をとるとともに、熱心な文芸保護者でもあった。この点、彼が長生きしていたならば、父にまけない文芸のパトロンになったかもしれない。そしてピエロの妻、才媛ルクレティアはみずから詩作し、学芸に対する理解も深く、夫によく協力した。なおピエロの弟ジョバンニ(一四二四~六三)も魅力あふれた人物で、才能にも恵まれていたが、一四六三年父...7-4-4「豪華王」ロレンツォ
2023/09/17 21:11
7-3-5 銀と香料
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年3大航海時代5銀と香料コンキスタドレスには、自分の生命をも粗末にした者が多かった。彼らはスペイン中南米植民地初期の政治、軍事未分化の状態の産物であった。その後の中南米社会の主役は、カトリック教会の僧侶に肩がわりされる。ヨーロッパでとかく保守的反動的な役割を果たした僧侶たちも、中南米では積極的な社会建設の役割を果たすのである。このあいたにスペインの植民地経営方式は、コロンブス流の分配方式から委託方式というのに変わった。一五二一年からスペイン王が、原住民の保護を条件に、スペイン人領主に土地と住民を委託するということである。一五一七年からは黒人奴隷の輸入が、ネーデルラントの業者の請負として許可された。この権利は後に持ち主がジェノバ人に変わり、十八世紀はじめには...7-3-5銀と香料
2023/09/13 03:33
7-3-3 マジェランの世界一周
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年3大航海時代3マジェランの世界一周ポルトガル王家が新領土の保証を、絶えずローマ教皇に求めていたことは前に書いた。一四八八年バルトロメウ・ディアスが喜望峰を発見した。その帰路は海岸づたいではなく、北北西にアフリカ大陸後頭部に直航している。もはや大西洋はポルトガルにとって、使いやすい海となりつつあった。さらにアフリカ東岸のようすも、陸路の調査とディアスの航海でだいたい見当がついていた。あとは船の改良など準備をととのえて、アフリカ東岸とインドへの航海に出かければよいと思っているところへ、降ってわいたコロンブスの「インド発見」のショックである。コロンブスの新世界は一四九三年、教皇アレクサンデル六世によってスペイン領とみとめられた。どんな認めかたかというと、地球の...7-3-3マジェランの世界一周
2023/09/11 17:41
7-2-2 セウタ(イスラム海賊の本拠地)攻略
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年2航海王という名の王子――ポルトガル夜話――2セウタ(イスラム海賊の本拠地)攻略エンリケの父ジュアン一世の政治家としての立場は、はじめけっして楽でなかった。彼は王族とはいえ、妾腹でポルトガルの大貴族たちからは内心軽んじられていた。王室財政は戦争のため極度に悪化しており、ごたぶんにもれず、貨幣改鋳による利益に頼らねばならなかった。リスボンの繁栄はめざましく、商人たちはたしかに新しい王家を支持していたが、封建領主としての王家は商人から上手に多くの税を吸い上げる習慣がなかった。もともと封建領主は地主であり、農業から収入をあげるのがたてまえである。しかしたとえば一三四五年王家が発見したカナリア諸島の場合、これはジェノバ商人への課税という独占的利益をもたらした。ジ...7-2-2セウタ(イスラム海賊の本拠地)攻略
2023/09/06 06:32
7-2-3 騎士団長
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年2航海王という名の王子――ポルトガル夜話――3騎士団長エンリケ王子はこの遠征でアフリカと深く結びつけられた。セウタの占領は多くの無理をしながらつづけられ、一四一八年と三七年には、エンリケみずから遠往軍を指揮しなくてはならなかった。西アフリカがある程度までしかイスラム化されておらず、キリスト教布教の可能性があるという事実がしだいに判明した。またセウタ確保の費用をひねり出すことにも、新しい富を求めて探検を開始する理由があった。エンリケは一つには王室の一員として、一つには「キリスト騎士団長」としての立場から、その役目を果たしたのであるが、この団長の地位は、コンスタンツ公会議できまった統一教皇マルティヌス五世(在位一四一七~三一)から認可されたものである。ところ...7-2-3騎士団長
2023/09/06 06:29
航海王という名の王子――ポルトガル夜話――
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年2航海王という名の王子――ポルトガル夜話――1イギリスの血(写真:エンリケ航海王子。ロカ岬のこの像には「ここに地終わり、海始まる」と刻まれている)ポルトガルの「ヘンリー航海王」というひとが、コロンブスやバスコ・ダ・ガマの先輩として航海事業に手をつけた。ヘンリー航海王は英語のヘンリー・ザ・ナビゲーターの邦訳。直訳なら「航海者」であって、けっして「王さま」ではない。英語からの邦訳者は「第一人者」の意味で、こうしたのであろう。ヘンリー(ここでは以下、ポルトガル名エンリケを使用する)は王子として、一三九四年から一四六〇年まで生きた。日本では足利義満の時代から、太田道灌が江戸城をつくったころまでにあたり、日明(にちみん)貿易と倭寇(わこう)の時代にもあたっている。...航海王という名の王子――ポルトガル夜話――
2023/09/04 05:03
7-1-5 女性論
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年1「カンタベリー物語」の世界5女性論一方、『カンタベリー物語』における色欲のとりあつかい、それにともなう女性への不信、結婚生活への皮肉は有名である。この点では、ダンテの『神曲』に対して『人曲』といわれ、人間の赤裸々な描写でイタリア・ルネサンス文学を代表するボッカチオの『デカメロン』(『十日物語』、十四世紀中ごろの作)と、『カンタベリー物語』はよく似ている。(ただし、この両者の関係の有無については議論が多い)女の忠言は多くの男の身をあやまらせるとか、女性は秘密をかくしえないから、自分の妻にもそれをうちあけるべきではないとか、女は魔性でその性は悪であるとか、いろいろ示されているが、とくに妻の不貞にあざむかれている夫へあびせる笑いは、『カンタベリー物語』にもよ...7-1-5女性論
2023/09/03 08:46
海外交易を制した覇権国家の移り変わり 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-
・ポルトガル・スペインが大航海時代をけん引・中継貿易で栄えたオランダが経済の中心に・いち早く産業革命を迎えたイ
2023/08/23 14:50
世界を変えた 大航海時代 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-
・オスマン帝国の東地中海進出で東方貿易の不安が拡大・航海術の発達でスペインとポルトガルが新航路を発見・新大陸ア
2023/08/02 16:07
Chapter 2: The Time When the United States Moved - The Ambition of Prince Henry the Navigator
Prince Henry the Navigator ascended to the position of Duke of Viseu due to his achievements in the conquest of Ceuta. It is said that he heard the legend of Prester John in Ceuta. Prester John is believed to be the king of a legendary Christian nation that exists in the East or Africa. There were p…
2023/08/01 11:43
The moment the United States moved 1: In 1415, Prince Henry the Navigator conquered Ceuta.
In 1415, Henry, the son of King John I of Portugal, conquered the city of Ceuta at the northwest tip of Africa. Ceuta is a city located on the opposite shore of the Strait of Gibraltar from the European side. Ceuta is a city built by the Phoenicians in the 7th century BC, and after that, it was unde…
2023/08/01 00:33
タジン鍋のためのモロッカン・スパイスミックス。
スパイスミックスを作るのが好きな理由のひとつ。 そこから作る料理も楽しみだけれど、眺めていると音楽が聴こえてきたり、いろいろな風景が浮かんできたり、空想の連鎖…
2023/06/14 13:23
株式会社の起源から考える資本主義の問題-例外の標準化
今日、株式会社の形態は、企業の典型的なモデルとして全世界の諸国において採用されています。誰もが同形態に疑いを抱くこともなく、あたかも空気の如くの当然の存在と見なしていると言っても過言ではありません。しかしながら、よく考えてみますと、経済に採りまして、必ずしも株式会社が最適の形態であるとは言えないはずです。何故ならば、経済活動を行なう主体性としての権利が十分に保護されておらず、株主という存在によって完全なる所有とまでは行かないまでも、そのコントロール下に置かれてしまうからです。言い換えますと、株式会社とは、他者から拘束を受ける極めて不自由な境遇にあるのです。それでは、何故、このような不自由なモデルが誕生し、かつ、全世界に広がってしまったのでしょうか。株式会社の起源は、1602年に設立されたオランダ東インド会...株式会社の起源から考える資本主義の問題-例外の標準化
2023/06/13 12:45
探検545 失敗した秀吉の一石二鳥プラン
それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)とされているが、これ以後も多くの宣教師が訪れ熱心な布教活動を展開した。ただしダ、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり
2023/01/13 08:02
楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 大航海時代が島国ジパングにもたらした影響
世界は大航海時代となり、黄金の国と呼ばれた日本には西洋文化やキリスト教が伝来し、戦や人々の信仰に影響していく。
2022/11/29 12:03
「プラントハンター」とは?「ガーデニング」の発展との関係は?
1.「プラントハンター」とは「プラントハンター(Plant hunter)」とは、「主に17世紀から20世紀中期にかけてヨーロッパで活躍した職業で、食料・香料・薬・繊維等に利用される有用植物や、観賞用植物の新種を求め世界中を探索する人」のこ
2022/11/18 07:34
グローバリズムと奴隷制との親和性が高い理由
グローバリズムが描く人類の未来像は、しばしば国際的イベントのプロモーションや企業のコマーシャルなどを通して、人々の頭の中に視覚的なイメージとしてインプットされています。それは、雑多な人種や民族が混じり合った世界であり、画面上に登場する全ての人々が笑顔を振りまいています。理想郷の到来を笑顔で表現しているのでしょうが、果たして、グローバリズムは、人類に笑顔があふれる世界をもたらすのでしょうか。グローバリズムの行く先を予測するに際しては、過去の前例を検証してみることも大切です。何故ならば、グローバリズムとは、80年代以降に始まったものではなく、むしろ今日の国民国家体系が成立する以前の、国境が曖昧であった時代に類似しているように思えるからです。例えば、イベリア半島の二国が先陣を切った大航海時代は、しばしば第一次グ...グローバリズムと奴隷制との親和性が高い理由
2022/10/20 12:36
第5集への中間報告2
第5集への中間報告2 3uwl1b こんにちは。 ブログ 「差別と歴史上の人物」 は第4集の記事公開が終了してから、現在第5集の公開に向けての準備中です。 すでに3か月以上も経っていますが、準備は予定の約5分の1がやっとできたところです。 まだまだ長い時間がかかりそうなので、2回目の中間報告をして、併せて歴史や人権などに関するできごとで、最近僕が感じた雑感などを 「場つなぎのためのミニ記事」 として簡単...
2022/09/24 06:03
アメリカの歴史No05「大航海時代、スペインとポルトガルによる世界分割」
「15世紀頃の北アメリカ先住民の文化と生活」(アメリカの歴史_No04) http://blogs.yahoo.co.jp/futoritaimon/folder/1518271.html 【スペイン・ポルトガルの発見・征服事業】 14世紀~15世紀、ヨーロッパでは天文学、地理学が発達し、羅針盤が実用化され、多くの船乗りがより遠くの海まで活動範囲を広げ、15世紀後半から大航海時代へとなって行った。 大航海時代の先駆けとしてトップ争いをしていたのがポルトガル王国(以下本文ではポルトガルと呼ぶ)とカスティーリャ王国とアラゴン王国の連合王国であった。 イスラム勢力からのイベリア半島奪還戦争(国土回復…
2022/06/18 07:27