今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
和装ショール・風呂敷のお買いもの@大阪 天蚕糸・ベルベットのショール、縮緬・木綿の風呂敷、かんざし
今回は、久しぶりのお買いもの@大阪です。 旧ブログ時代に買った、和装ショールや風呂敷、かんざし、ベルベットのミニ丈コートです。↑野蚕糸の紬のショール、インド製、新品、2000円。 いつものお店でたまたま見つけました。お値打ちに買えたと思います。 呉服の世界では、希少な野蚕糸(天蚕糸)を使った商品がブランド化されていて、高級品のイメージがあるそうで、私も興味があったので買ってみました。<参考記事>公...
みんなが着物を着ていた時代は、旅行・労働など目的に合った着物と着方があった。女性は着物で寝そべったり、立て膝で座っていた。
今回は、戦後の着物のイメージしか知らない人が勘違いしてしまいやすいことをピックアップしてみました。 私が気付いたことの一つに、今の着物の着こなしや着付けは、戦前の上流階級が持っていた高級呉服の着物文化であり、着物の理論と現実が生活にそぐわないため、そのために着物が敬遠されたり、着物が誤解される原因となっているように思うからです。 例えば、現代日本人が着物を敬遠する理由として、「着物は着付けが大変...
着物警察はなぜ生まれたのか?初心者向けの安全パイ基準を絶対基準と勘違いしてしまった?
今回は、着物警察はなぜ生まれたのかシリーズで、着物警察が初心者向けの安全パイ基準を絶対的な正義だと勘違いしている可能性についてです。 着物のことを調べるうちにわかってきたことは、今の着物の格とTPOのルールは1970年代以降に商業的に作られたものであり、初心者向けに許容範囲を狭くして作られた「安全パイ基準」とも言うべきものだということ。 例えば、昭和後期のおかしな言説にあるような、「紬の着物には金糸の...
92歳のお婆さんの話 黄八丈に若向きのイメージはない。戦前は裕福な年配世代の着るものだった。
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前の黄八丈と格子の着物のイメージについて聞いてみました。私:「和裁士さんの価値観を見ていると、昭和後期の呉服の世界では、『黄八丈は町娘の着るイメージがある』『黄八丈は(黄色だから)若向きだ。(=年配は着れない)』という説が流布されていたそうです。 戦前に、黄八丈にどういうイメージがありましたか?」 ↑『演目別歌舞伎の衣裳』丸山伸彦、東京美術(2014)より...
92歳のお婆さんの話 「紬は格が低い」などと庶民が言えるようなものではない。
今回は、92歳のご近所のお婆さんのお話シリーズで、戦前の大島紬・結城紬のイメージについてです。私:「大島紬や結城紬については、昭和後期の呉服の世界では、空前の紬ブームと言われて高級紬が飛ぶように売れていた一方で、『紬はいくら高価でも格の低いものだ』『大島紬はあくまでカジュアル着だから、下駄を合わせてもいいくらいだ』『紬は元々は農家がクズ繭で作って着ていた庶民的で野卑なものだ」「紬は庶民的なカジュアル...
色留袖にはパーティードレス用の色留袖がある?紋なしの色留袖の話
今回は、パーティードレスとしての色留袖があるというお話です。 大阪の中古市場の色留袖を見ていて気付いたのは、紋なしの色留袖が多いこと。 紋なしの色留袖や一つ紋の色留袖の中には、式典用の古典柄とかではなく、趣味性の強い絵柄や季節が限定される絵柄、洋柄のドレス感覚のものがあるのです。 一般的なイメージでは、色留袖は結婚式や初釜など改まった席で着る格式の高い着物というイメージがあるため、和裁士さんは...
スワトウ刺繍・蘇州刺繍・相良刺繍の良し悪しの見方 ~和裁士さんのお話~
今回は、和裁士さんのお話シリーズで、刺繍の加工の良し悪しの見方についてです。 和裁士さんによると、もしリサイクル着物をお値打ちに買えるのであれば、刺繍の良し悪しを見分けて、昔の腕のいい職人さんの刺繍を買うといいそうです。 和裁士さん:「スワトウ刺繍&蘇州刺繍は中国の伝統的な刺繍で、バブルの頃はテレビの知名度も高くて、訪問着は50万円以上、総刺繍のものは百貨店では200万円以上の値段がつくことも普通...
被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○(後編)
(前編・中編に続き、今回は最後の後編になります。) 次に、国立民族学博物館の身装文化データベース(回顧編)を見てみます。====================================○http://htq2.minpaku.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi 私(1879~1941)の娘時代(1899c)は羽織はコート代用で寒い時に家の中で着る位で、目上の人の前ではあまり着なかった。堅気の家の娘や女中はみな家の中では着な...
被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった。(中編)
(前回からの続き) 次に、学術的な資料で被布について調べてみます。 まず、図書館のレファレンスサービスで、被布のことが載っている書籍が調査・公開されていたのので載せておきます。======================================〇参照元:被布(ひふ)の成り立ちや着用例について記載された資料はあるか。現代のものではなく、江戸時代頃に着られ... レファレンス協同データベース (nd...
昭和後期のおかしな言説 被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○。(前編)
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、被布のコートについてです。↑被布コート。画像はネット上より拝借しました。 和裁士さんの価値観や昭和後期の着物本を見ていて気が付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「被布は若向きだ(=若い女性しか着てはいけない)」「いい年して被布のコートを着るのは若造りになる」という言説が流布されていたようです。 結論から先に述べると、これについても昭和後期のおかし...
飛び絞りの帯揚げは小紋・紬だけ×→戦前は留袖~紬まで幅広く合わせていた〇 ~昭和後期のおかしな言説~
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、飛び絞りの帯揚げは、戦前までは留袖~紬までは幅広く合わせていたというお話です。 戦後の昭和後期~平成に出版された着物本には、飛び絞り(輪出し)の帯揚げについて、小紋・紬にしか合わせられないかのように書かれている本が多く、昭和後期の呉服教育を受けた人の中には、「飛び絞りの帯揚げはカジュアル用だ。小紋か紬にしか合わせてはいけない。」と思っている人が多いと思い...
買い物では垂れ物(染めの着物)と紬(織りの着物)は別々の視点で見る。~和裁士さんのお話~
今回は和裁士さんのお話シリーズで、お買い物する時の心づもり(?)として、紬は紬の中で、垂れ物は垂れ物の中で比較して買うと良いというお話です。 呉服の世界では、生地の素材や作り方によって、「柔らかもの(=留袖・振袖・訪問着・附下・色無地・小紋)」と「カタモノ(=紬・御召・麻・木綿)」と呼んで分けていて、イメージとしてはカジュアル着とフォーマル着とで分けています。 これ以外にも、「太物(ふともの):...
92歳のお婆さんの話 戦前の農村は浴衣に半幅帯、戦争が始まると盆踊りも自粛ムードに
今回は、前回の話に続いて、92歳のご近所のお婆さんのお話シリーズで、戦前の浴衣の着方や盆踊りについてです。私:「浴衣についての質問です。呉服の世界では、『昔は浴衣は湯上りに着るバスローブのようなもので、昼間の外出着にはならなかった。今はお祭りの日に昼間から着るけど、どこまで行っても浴衣は格が低いものだ。』という言い方をする人がいます。 でも、実際に浴衣の歴史を調べてみると、湯上りのバスローブとして...
昭和後期のおかしな言説 浴衣には半幅帯が正当派だ×→戦前は浴衣に帯締め&お太鼓結びが正当派だった○
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣に合わせる帯についてです。 浴衣の着方について、昭和後期の呉服教育を受けた人を中心に、「浴衣は半幅帯を合わせるのが正当派の着方だ」「浴衣に長襦袢を着ずにお太鼓結びをするのは玄人さんの着方だ」「浴衣を夏着物として(長襦袢+足袋)着るのならいいけど、そうじゃないのに名古屋帯を合わせるのは間違いだ」と考えている人がいるようです。 ところが、上記の話につい...
92歳のお婆さんの話 戦前の庶民の嫁入り道具は木綿着物が常識だった。愛知の結婚式と出立ての話。
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前の嫁入り道具の様子と愛知の風習についてです。 他の方も異口同音におっしゃっていましたが、戦前の庶民の嫁入り道具は木綿着物が常識で、正絹の着物を持っていける人はほとんどいなかったそうです。(当ブログでは、登場人物の年齢は2018年現在で固定しています)私:「戦前の嫁入り道具はどういうものでしたか?」 お婆さん:「私は今92歳だけど、結婚の時は戦中・戦後のどさく...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...