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晴れています。暑いです。今朝、窓には結露が発生していました。 最近、過去の出来事で腹が立ったことを思い出す機会が多いです。何故だ。まだ、そのことを消化できて…
短い言葉の中に、どんな意味が込められているのかなんて、発信した側は受け取り手の自由だからと言うのもありだけど、今回はお伝えしたく書かせていただきました。過去の出来事がどんなであろうとOKにすることは、果たしてどうなんでしょう?
お互い良好な関係であるために。相手の境界線に踏み込まないこと。大事にしたいと思うんです。あ、でもね、勿論以前から知っている人であったとしても苦手な人は近づいて欲しくないもんですけどね。
つまり気を遣う使い方。何を恐れて何を目的として人に気を遣っているのか?その結果、自分の感情はどんな感情を奥底にしまい込んでいるのか?そこを頭の片隅に置きつつ…読み進めてみてください。・愛情は愛ではありません。いつもブログで言うてますが💦
色んな心理療法がありますが、やっぱり直接呪縛を入れ込んだ相手からの謝罪が一番です。赦せなかったとしても。終戦を知らされていなかった横井庄一さんのように指令を下した人から直接任務を解かれて初めてジャングルから出られたように。
完璧を求められて完璧にできなかった私が子供ができた時、子供が失敗したら、どうやって許せば良いのかその許し方がわからず負の連鎖が始まったんですね。それぞれに背景があります。つまり私と同じように早口の人がいたとしても私と同じ、又は似たような背景かどうかは謎です。
私がいつも言う「その子供に責任はありません。」っていうのはそこからです。その人がそうなったのにはその人にしか分からない背景があってそこを見ずに受け止めずに表面だけ見て抑えつけて自分を偽らせて生きさせるようなことはあってはならない。
獅子座13度 「揺れている年取った船長」*過去を振り返ることで知恵を生み出す
獅子座下弦の月。月のサビアンシンボルは獅子座13度 「揺れている年取った船長」です。「追憶」を意味するシンボルとされます。「これまでの体験」を「学び」に変えるには?
これは全てに当てはまるわけではないですが、表に見えているものなんて本当ではないです。その裏にある、表に出ていない奴の方がえげつなかったりします。「おっちゃん、ホントのこと知ってるで!」その子の母親が居ないところで言ってあげたのはせめてもの配慮ですよね。
できない自分を一切責めなくて良いです。変われないのは貴方が〇〇していないからです。それはアドバイスではなく攻撃です。そんなに〇〇できている人は偉いのか?素直に聞けないのにはちゃんと理由があります。
お前は人とは違う。アウェイだ。普通ではない。劣等生だ。不出来だ。皆と同じラインにいられる人間ではない。あ〜💦なんて可哀想なことを自分に対して言うてんねん😅でも、その時は気がつけない。そもそも、その「どんな自分も受容される育み」を受けていないんだから。
傷がない人は居ないと思います。その傷を排除しようとしないで。その傷を思い出すと苦しいのなら癒していく伴走をしていきます。そしてその傷を思い出しても苦しくなくなり、あ、そこに居るね。そう思えるようになったら生きていくには十分かなと思うのです。
自分を不当に扱われたとしても、どんな感情を外に出して良いのか分からない。本当は感じている感情があったとしてもそれは正解なのか感じていい感情なのか自分でもわからないから。外部の言葉一つで自分の身が安全で無くなったりする経験の積み重ねが自分の感じることを封印し我慢することで身を守り続ける。
#225 読書会一回目終わって…人の話がうまく聴けないあなたへ。
インナーチャイルドの癒しインナーチャイルドワーク催眠療法などなど聞いいたことがある方もおられるかと思います。インナーチャイルドも大事ですがインナーアダルトを育てることのほうがもっと大事です。今日は私の体験談も交えて。
どうして人は誰かや誰かや誰か達みたいに自分もなれないとダメだと思ってしまうのでしょう。誰かみたいになれないと生きていくのが辛いと感じてしまうのでしょう。それでも生きていかないといけない時、感情を切るか蓋をするかして生き延びるのではないでしょうか。
赦す。許す。恕す。どの「ゆるす。」であっても共通するのは、相手のことを「ゆるせないでいる自分をゆるす。」そこから始めてみませんか?ゆるせなくてもいいんですよ。
#223 人に合わせられないのではない。今まで合わせてきたからやめたいのです。
自分ばっかり我慢を強いられてきているのに、たまには自分に合わせてくれよ!そう思うよね。合わせられないのではないのです。今まで出来ないのに必死で合わせてきたから逆に合わせることをしてもらいたいと思うのです。
#222 人が大切にしている物はあなたのものではないからね。
人が大切にしているものをそうとは知らずに私達は勝手に自分の価値観で判断してものを言い相手を無自覚に傷つけてしまっていることあると思います。自分の物差しは自分の為に使うものであって誰かのために使うものではありません。
だから毎回ではなくてもたまに良い子にしていたことで褒められたりした経験が麻薬になって態度がコロコロ変わるその人を見てもそれでも良いところだけを信じてこの人はそんな人ではない。と思いたいのです。人を疑いたくないと思うその子供が悪いのではないのです。
私とやりたいんだと言われても、そこに愛情のかけらも感じない。これだけの負担を背負っているのに。仕事を仮にしていなかったとしても子育てはとっても大変。なぜその大変さを半分請け負おうと思わないのか?あなたの子供でもあるのに!世間ではいい旦那ツラして!
#217 あなたが元気がないと亡くなった人が浮かばれないですよ?
自分のせいでこうなった。そう思っている人を「責めなくて良いですよ。」は、その人を否定している言葉なんです。カウンセラーは、そのクライエントがしたい事について見ていて痛々しいと感じてそう言うのならそれはカウンセラーの問題です。
まだ心が認めていない時期に周りから言われることは残酷な事です。当事者の気持ちを大切に思うなら万能薬の言葉みたいに可哀想とか気の毒に。とか、まして大変でしたね。辛かったね。なんて言わない事です。言うタイミングを間違うとそれは共感ではなく否定になりますから…
#215 見えるものはわかりやすいけど見えないものは分かり辛い。
見えない消えて行く言葉などは日本語として分かっていても与えられてこなかった言葉達は自分の口から発することは難しい。だから目に見えない心の傷もどれほど自分が傷ついた状態なのか認識し辛い。そしてそれを自分で癒せるようになるには先に他者から与えられてからでないとね…
#214 自分の内側で未消化の傷があるから激しく反応するのです。
あの経験は受け止めきれず痛すぎて傷が生々しくてまともに見れない時。人は鎧を沢山着込んで自分をその傷から身を守ろうとし鎧を着込むことで強くあろうとする。でも、酷い目にあった。悲しい目にあった。辛い目にあった。だから生きるために鎧を着込んだ。それは正解です。
「こうしたらこうなるはずだ!」(だって私だったらそうするもん!)普通とか常識とかね。自分の中で教え込まれ叩き込まれた普通と常識ですね。でも相手はその仮説通りには反応してはくれない。何故自分と同じ反応しないのでしょう?そこが見えてくるといいですね。
誰かの機嫌の責任を取るために消費していますから自分がしたいことや言いたいことや意見や考えなんて、いつしかどこかへ捨て置いてきます。相手を怒らせないように。相手の機嫌がいい🟰自分の身の安全は保障されますから。これは生き延びる為とはいえ過酷なことです。
ケアが足りていなかったり傷がまだ癒えていないと弱みを見せたくないから強がってみせるかも知れない。何なら怒りを出して威嚇して触らせないようにするかも知れない。その下に隠れている感情見せたくないからね。怒りは安全な場所でね。外はゴミ箱やないからね。
最近では就活に親がついてくるけケースが多いらしい。それがいけないのではない。私は自分の子供達には高校から先はついて行ってないけれど。行きたい親御さんの気持ちは否定しません。問題があるとしたら子供の未来を案じ、親が就職先を決めてしまうことです。
今の時代は携帯スマホがあるから昔みたいに不自由ではないけれど、その便利の良い物も嘘をつくことでバレることあるしね💦互いの生い立ちや当たり前や前提が違うと見る方向が違うので話し合いは噛み合わない。そこを少しでも解消できたら良いですね。
色んな場面において人生は賭けみたいなもんやなと改めて感じた事があったので話してみました。中でもカウンセリングという目に見えないものへの対価を支払う行為は勇気が要ることだと思います。その勇気を、私は尊敬するし歓迎します。
#199 幼少期の私の声。本当の罪人は少しは恥を知った方が良い。
本当の罪人はその子をそこまでに追い詰め無視をしぞんざいに扱い自分の問題を押し当てた周りの環境達です。この子に全ての責任を負う義務はありません。その周りの環境達は恥を知った方がいい。私はそう思います。
会話が難しかったり理解できない行動に悩まされたりも分かる。(私の夫とも、そんなことありましたからね。)その断片的にしか分からない者に片方の経験しかない者が集まり集う。対岸にいる人がモノを言う空気はそこにはなく、もし発言してしまったらえらいことになるからね💦
ただ不安と恐怖を与えられるだけの教えや学びなど必要ないです。不安と恐怖で煽って罰が当たるぞ。と言うならば、当たった方がマシ。それでやりたいことも罪悪感を感じながらやって、いつバチが当たるのかと心のどこかで怯えながら生きる人生なんて。
夫婦・カップルカウンセリングで良くある一つ。理想とする家族像への執着。
叶わないのに相手がそれをやってくれないからと躍起になっていたら益々理想から遠ざかるし、相手の心は離れていく。それは本意でしょうか?その思い描く家族像こそが自分の生い立ちからくる傷だとしたらそこをケア受けることで自分達のオリジナルの幸せの形が見えてくるかもしれません。
発達に限らずではありますが子育てで子供が何か困り感があってどうしても皆のように出来ない事があったとき。その「出来ない。」ということへの親からの承認は育みの中でとっても大事だなと思うんです。その承認の育みがその子の未来に大きな影響を与えるんだと。
#193 貴方なら大丈夫。この言葉が相手を傷つけることもある。
貴方なら大丈夫。この、「貴方なら」の「なら」が相手を傷つけることがあります。相手に良い意味で言ってるつもりかもしれないけれど、逆効果。心理職者なら知っておいてほしい言葉です。
カウンセリングってハードル高いと思います。だから色んな人のブログや音声配信から少しでも今の状況を打破したくて。そうやって探して求めて、これ!というのが見つかれば、恐る恐る一歩を踏み出せるかもしれませんね。それは小さな一歩な様で大きな一歩です。
思い、考え、行動が一致していた場合のダイレクトに伝わるエネルギーの強さ。また社交的に思ってなくても祝福しないといけない時もありますよね。そんな時はどうするか。などお話ししてます。
自分の過去の生き辛さから紐解いたものです。そして様々な愛あるサポートを受けたお陰で見つけたもの。誰もがそうだと思いますが、意地悪な人とも出会いましたがその対極に愛ある方々との出会いもあっての今だなと思うのです。
今日はよくお問い合わせで聞かれる「夫婦・カップルのカウンセリングの流れについて」話してみました。これは私の場合のやり方であってどこのカウンセリングルームでも同じやり方とは限りませんのでご注意を💦
私達は自分が持たせてもらえなかったと感じることを親に求め、親に求めたけれど拒絶されて今度は他者に求め、(パートナーや友人)…そうなると自分が求めるものは何一つ手に入ることはなく自分を理解してくれる人もこの世に存在しないんだと感じるのではないでしょうか。
子供は自分だけの力で何とかしたいんです。その邪魔をすることが子供から経験を奪い力を奪い生きる力も奪うことになります。これ、命に関わるとしたら?って思いませんか?「もう、これ以上は無理だ。」っていう判断も自分でできる力を奪うことになりませんか?
#188 それは親の問題(荷物)子供のせいにしてはいけません。
いつまでも親は子供の手荷物を持ってあげられないし親も持ち続けることに疲れて「あなたのせいで肩こりしたわ!」なんて通らない話です。
3「子離れ」とは、子供のことを心配したり不安に思わなくなることが子離れではないです。
子離れできないあなたが悪いのでは無いんです。そういう環境で育っても生き延びたことをまず褒めましょう。そしてこの先はそういうやり方で生き延びなくても済む方法を見つけられるかもしれません。自分の気持ちを知ってあげること。それが自分と深く繋がるということ。
結婚前に夫と交わしたタイムマシーンの話が自分達にこんなに早い時期に似た感情を味わうとは思わなかったですけどね。誰もがあると思うけど仮にこれが事実であったとしてもだからって、どーすることもできなかったあの時の自分への無力感は無くならない。時間を戻してタイムマシーンで助けようとしたとしても、それは叶わない。
カウンセリングの場は自分では気が付けない本当の気持ちを知るところ。
例えば、外に出る気力もない人に「太陽にあたって…お散歩でもして…」そんなこと言うてしもたら深海で生きている魚を一気に海面に上げたら目は飛び出すし肺は破裂する。そういうことが人でも起きると思うからね。だから言われた時の違和感が大事。
「人とうまく繋がれないんです。」「人が怖いのです。」そういう悩みを気がつけば持っていたりする。「人とうまく繋がれない。」「人が怖い。」怖いですよね〜〜〜💦私も時々生きてる人間が一番怖いやろ💦って正直思うことがあります😅
今、目の前にいるクライエントさんを1ミリも変えようとしてはいけない。人を変えるだなんておこがましいことです。クライエントさんの多くは今の自分を変えたくて来られます。それは今の自分じゃダメだって…言うておられるんです。私はまず、今のあなたを良しとしたい。
時々見かける「あの経験はきっと良い経験に変わる時が来るからね。」これはホンマにちゃうからな!そこも押さえておいて欲しい。過去の話だけれど、今も、その過去の中で生きているかのような感覚で思い出すと体が震えるとか怒りが湧くとかね。そういう人には当てはまらない。
人間の脳は過去の出来事のなかでもイヤだったこと、腹が立ったことは特に強く記憶するようにできてるという、10年前、20年前の理不尽な言動は忘れないで楽しかったことはあまり思い出さない、これは自己肯定感が高いとか低いに関係ないと脳科学者の中野信子氏は著書のなかで述べている。 確かにそうである、私自身、楽しかったことよりいやなことは鮮明に覚えてる、本当は楽しいことも多かったはずだが、なぜか遠い記憶のような実感のない出来事だったと思うことがある。 しかしなぜだろう?当時は生きがいと思いこんでた仕事や仲間たち、今では色褪せたものになってしまった、齢をとると楽しかったことより、いやなことを思い出す、だからこそ今が大切、決して否定的にならないで今を生きていきたい。いやな思い出は忘れない