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今日は3.11。失われた魂と、今だに難儀を受けている人たちに心から寄り添っています。震災に強い衝撃を受けた私も、10年後にやっと読めることになったドキュメント…
住んで、泣いて、記録した。東日本大震災直後に受けた内示の転勤先は宮城県南三陸町。瓦礫に埋もれた被災地でともに過ごしながら、人々の心の揺れを取材し続け、朝日新聞に連載された「南三陸日記」は大反響を呼んだ。開高健ノンフィク ...
2011年の東日本大震災以降、最も大きな津波警報が発令された能登半島地震では、発生後6~7分で半数以上の人々が避難を開始していた。この事実は、スマートフォンの位置情報の分析によって明らかにされた。
前回の続きです。宮城県で東日本大震災を経験された牧師先生の証です。 山登りと夢実現 高校は工業高校の機械科で学びました。また、山岳部に入り、山登りと勉強…
【東日本大震災 宮城県石巻市震災遺構】大川小学校・大川震災伝承館 過去の災害に学ぶ
今回は、宮城県石巻市にある、東日本大震災の震災遺構『大川小学校』を紹介します。 2024年1月1日に発生した『
震度7と大津波と原発事故。未曽有の震災被害をもたらした2011年の東日本大震災。これらは相当な教訓を私たちにもたらしました。その記憶が薄れないうちに今回の震災です。 専門家にはそのときに大変な後悔があ
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今年で12年が経ちました。この震災では、多くの人々が亡くなり、甚大な被害をもたらしました。
いつか来る東京直下型地震に全員が備えるべきこと。東日本大震災100キロ先マンションでの体験談
いつか発生する首都直下型地震。東京直下型の大震災の備えはできていますか?私は東日本大震災を被災地から約100キロ離れた地点で体験しました。 東京と熱海ぐらいの距離で何が起きたのか?何を準備していれば良かったのか。何の防災グッズを準備すればいいか悩んでいる人へ、東日本大震災の体験を伝えます。
2011年4月。 10日間の避難生活を終え、また仙台での生活が始まりました。仙台ではなかなか買えなさそうなお米など大阪から自宅に送っておきました。仙台を離れる前から比べるとだいぶ食材を手に入れやすくはなっていました。そしていつもと変わらずいつも通る広瀬川沿いの桜が咲き始めました。 「それでも桜は咲くんだ、、、」 あの時ほど複雑な気持ちで桜を見たことはありませんでした。津波で大きな被害を受けた仙台空港、4月...
こんにちは!mikacyocoです。 本日は震災から12年。 いろんなことがありましたが、結局はあっという間でしたね。 当時は双子は中学2年、三男は小学校4年生でした。 旦那は、町中のスーパーの屋上で助かりま
12年前の震災の記録、、、3月20日、ダンナさんの会社が手配してくれたバスで仙台を後にします、、、。地震でガタガタになった東北自動車道ですが急速に修復され緊急車両に限って通行が可能になっていました。私達の乗ったバスも緊急車両扱いとなり東北自動車道を通ることができました。途中国見SAで休憩でした。 この国見SAの光景が、、、。この震災の状況を私は一枚も写真に残していませんでした。今から思えば記録として撮っ...
高校生がSNSに投稿した1本の動画が、大きな波紋を呼んでいる。3月11日、2011年に発生した東日本大震災の犠牲者に向け、多くの著名人たちが追悼コメントを発表するなか、埼玉栄高校の生徒が、追悼をパロディ化した不謹慎な動画を投稿したのだ。 動
12年前の震災数日後、埼玉に住む友達からハガキが届きました。「心配しています、無事だったらいつでもいいので連絡ください」と。こんな混乱している中、ハガキを我が家まで届けてくださった郵便局の方々に本当に感謝。そしてその頃は年賀状だけのやりとりになっていたその友人が心配してくれてハガキを出してくれたこと、本当にうれしくて心強く思いました。震災後は毎日食べるものを心配する毎日でした。さすがにそれまで備蓄し...
12年前の忘備録です。地震後、通信も混乱していて電話もメールも全くつながりません。私達の無事を父母や兄弟に伝えたくても伝えることができませんでした。地震直後に 「私と娘は無事、自宅にいます」 と録音した 「災害用伝言ダイヤル 171」 を義兄夫婦が聞いくれていて私と娘は無事だということは伝わったようです。この災害用伝言ダイヤル、本当に便利です。 災害用伝言ダイヤル→https://www.ntt-east.co.jp/saigai/v...
おはようございます。3.11から1日遅れてしまいましたが、東日本大震災から12年が経過しましたので当時の事を思い出したくて急遽ブログを書くことにしました。...
東日本大震災から12年。忘れない為に、その日を知らない子供達のために。当時の体験談。
今から12年前。思い出したくない方はこの記事を読むことをご遠慮ください当記事、筆者のマメカの住む地域も被災しました。幸い、知り合いで亡くなった方はいませんでした。正直、この記事を書くことも悩みましたが忘れてはいけないことそして当時を知らない
今日で東日本大震災から12年。昨年の3・11にあの時のことを忘れないようにここに書き記しておこうと思ってたのに震災3日目までしか記していませんでした。東日本大震災の記事はこちらから3日目、それまで出ていた水が出なくなりました。 「○○方面から、それまで出ていた水が出なくなっている」 というのを聞いたため湯舟、水をいれることができる容器という容器に水をためておいてよかったです。地震の時、揺れた直後は水が出る...
「3.11 ”あの日”から 東日本大震災報道写真展(読売新聞写真部)」(福島県双葉町)
「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問した日、2階のギャラリーで、「東日本大震災 報道写真展 ”3.11「あの日」から”」(読売新聞写真部)が開催されていたので観覧した。東日本大震災・原子力災害伝承館 (fipo.or.jp)にほんブログ村にほんブログ村
震災・原発事故の記憶を未来に繋ぐ ~その2「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島県双葉町)
東日本大震災・原子力災害伝承館 (fipo.or.jp)にほんブログ村にほんブログ村
震災・原発事故の記録を未来へ繋ぐ ~その1「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島県双葉町)
今も、町のほとんどの区域が帰還困難区域となっている双葉町において、避難指示が解除されている一部の当区域では、除染のために取り除いた土壌等を処理する中間貯蔵施設が設置されている。① 保管所:受入・分別するまでの間、土壌等を保管。② 受入・分別施設:搬入され