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文学のお散歩 https://masapn2.hatenablog.jp/

東京近郊、近代文学を中心に作家、作品ゆかりの地をご紹介します。

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2022/08/23

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  • ぽん多本家

    上野の老舗洋食店「ぽん多本家」。 こちらは川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)や池波正太郎(大正12.1.25~平成2.5.3 小説家)が贔屓にしていたお店なのだそうです。 創業は明治38年。 宮内省大膳寮で西洋料理を担当していた島田信二朗氏が開業しました。現在の店主は4代目なのだそうです。 外から中の様子が見えないので一見さんには入りにくい雰囲気ですが、思い切って入店! 重厚な玄関を入ると(とっても重い扉!)4席のみのカウンター。 とっても静かな店内。 カウンター越しの厨房では、3名の職人さんが黙々と仕事をされています。 客席は2階がテーブル席、3階がお座敷になっている…

  • 「異端の奇才ビアズリー展」~於:三菱一号館美術館

    只今、三菱一号館美術館では「異端の奇才ビアズリー展」開催中です。 トーマス・マロリーの『アーサー王の死』やオスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵で一躍有名になった挿絵画家オーブリー・ビアズリーの展覧会。 蝋燭の光を頼りに、精緻な線描や大胆な構図のモノクロの色彩からなる、洗練された耽美的な作品を描いたオーブリー・ビアズリー。 革新的な文芸雑誌『イエローブック』の美術編集者に抜擢されなど、時代の寵児としての活躍をみせたビアズリーでしたが、ワイルドが同性愛の科で逮捕されるとその余波で職を失い、その後起死回生を図るも、困窮の中わずか25歳で夭折。本展はそのビアズリーの初期から晩年までの作約220点を、時…

  • 根津神社の「つつじまつり」

    只今、文京区根津神社では「つつじまつり」開催中です。 まだ満開というわけではないけれど、けっこう花開いていました。 境内の西側につつじ園があり、100種3000株のつつじが色とりどりに咲き誇っています。 新緑と赤鳥居とのコントラストも美しく(満開だったらもっとキレイだったな💧) 平日でも多くの花見客で賑わっていました。 江戸時代から植えられていたという根津神社のつつじ。近くに住んでいた森鷗外や夏目漱石も、きっと愛で楽しんだことでしょう。 masapn2.hatenablog.jp 今年はまだまだこれから、花の見ごろが続きそうです。 根津神社 東京都文京区根津1-29-9 ☎0338220753…

  • 常盤会:旧久松邸~正岡子規居住跡

    日本橋浜町にひっそりと佇む「常盤会ー久松邸跡ー」の看板。 常盤会とは、旧伊予松山藩主久松家によって設立された、在京の旧藩士子弟たちの学習援助組織。日本橋浜町に屋敷を構えていた、久松家の邸内に設置されていました。 常盤会は、在京の旧藩士子弟たちに旅費や学費を支援。東京で勉学に励む学生たちの心強い後ろ盾となっていました。 初代給費生の中には、松山を代表する俳人で歌人の正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19)も。 (正岡子規) 子規は明治16年6月に、松山から単身上京したあとここ浜町久松邸の書生部屋に、しばらくの間寄寓していたのだそうです。 その後常盤会は給費生たちの便宜をはかって、…

  • 太田の原(千駄木ふれあいの杜)

    千駄木、藪下通りから西に入り、 masapn2.hatenablog.jp 何やら新旧綯交ぜになった階段を登り、 その左を、これまた趣のある古い石段を下っていくと・・・ 「千駄木ふれあいの杜」という公園に辿り着きます。 ここは江戸時代、太田摂津守の屋敷であったところで、廃藩後は材木が散在し「太田の原」と呼ばれていたところ。 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)が住み、「吾輩は猫である」(明治38.1~39.8 『ホトトギス』)を執筆した千駄木の家(通称猫の家)からもほど近く、「猫伝」の冒頭で吾輩が捨てられていたところでもありました。 ふと気が付いて見ると書生は居ない。沢…

  • 「坂本龍一 音を視る 時を聴く」展~於:東京都現代美術館

    只今、東京都現代美術館では「坂本龍一 音を視る 時を聴く」展開催中です。 音楽家故坂本龍一氏の展覧会。当ブログのコンセプト「文学散歩」とは一見無縁な感じがしますが、読書好きとしても知られている「教授」こと坂本龍一。 本展は夏目漱石の「夢十夜」、能の「邯鄲」、荘子の「胡蝶の夢」にインスピレーションを受けた映像に教授の音楽がのせられていたり、文学との融合もある豊かな展示でもあるのです。 教授が作曲するさい、参考にしていた本の展示も。 教授の辞世の言葉「ars longa,vita brevis(芸術は長し、人生は短し)」は、漱石の「心」初版本の見返しにも記されていた言葉。 教授の父坂本一亀氏は、三…

  • 国立国会図書館

    千代田区永田町、国会議事堂隣にある「国立国会図書館」。 帝国図書館、帝国議員図書館を前身とする、蔵書数約4800万冊を誇る日本最大級の図書館です。 「真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与すること」を使命として設立された図書館。 国会議員の研究、行政のための図書館ですが、もちろん成人であれば全国民が使うことのできる図書館でもあります。 納本制度により国内で出版された書籍・新聞・雑誌は全てある(ないものもたまにありますが・・・)調査・研究の最後の砦。頼りになる図書館です。 本館と新館からなる図書館。(左側が本館。右側が新館です↑) 私が学生だった…

  • 夏目漱石生育の地・妓楼伊豆橋跡

    幼少期、塩原昌之助・やす夫妻の養子として育てられた夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)は、内藤新宿・大宗寺前に寄宿していた時期がありました。 masapn2.hatenablog.jp masapn2.hatenablog.jp 漱石の養父塩原昌之助は、漱石の実父夏目小兵衛直克から四谷大宗寺門前名主の株を買ってもらい名主を務めていましたが、その後浅草41番組添年寄となって浅草三間町に移転。その後添年寄を免ぜられて、また新宿に戻るということになり、明治5年から大宗寺前にあった「大きな四角な家」に住むことになっていたのでした。漱石の小説「道草」(大正4.6.3~9.14 『…

  • 銅造地蔵菩薩坐像~大宗寺

    芥川龍之介(明治25.3.1~小説家2.7.24 小説家)が本所両国から内藤新宿に引っ越したあと、遊びに来る友人のために描いた地図を見ると、道中の目印として電車通りに面して「大きな笠をかぶった大佛様」というのが記されています(明治44.4.25 山本喜誉司宛書簡)。 masapn2.hatenablog.jp (田端文士村記念館『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼窟」誕生までの物語』展パンフレットより。この書簡は現在開催中の本展初公開の資料でもあります。) それがこの仏像。 「大宗寺」という浄土宗のお寺にある「銅造地蔵菩薩坐像」です。 昭和27年の区画整理で大宗寺の敷地が縮小されたため、現…

  • 「111枚のはがきの世界 伝えたい思い、伝わる魅力」展~於:森鷗外記念館

    只今、森鷗外記念館では「111枚のはがきの世界 伝えたい思い、伝わる魅力」展開催中です。 江戸千家家元・川上宗雪氏寄贈による、鷗外記念館収蔵の111枚のはがきの展覧会。 鷗外をはじめ、明治から昭和に活躍した文学者、美術家、ジャーナリスト等の数々のはがきを見ることができます。 明治4年に始まった近代日本の郵便制度。明治6年には官製はがきが発行され、明治33年には私製はがきの使用も許可されるようになり、明治36~37年に日露戦役記念はがきが発行されると、絵はがきブームがおこりました。 旅先からのもの、ちょっとした所用の知らせなどなど、通信手段の中心が郵便であった時代の人々の暮らしぶり、文人墨客の交…

  • 「建築プロムナードー建築特別公開日」~於:慶應義塾大学三田キャンパス

    慶應義塾大学三田キャンパスでは、11月12,13日にかけて「建築プロムナードー建築特別公開日」が開催されます。 www.art-c.keio.ac.jp 日頃は通常非公開の「演説館」や「ノグチ・ルーム」も、室内を見学することができます。 masapn2.hatenablog.jp 年に数日ほどの機会です。 興味のあるかたは、ぜひご覧になってみてください。 入場無料、学食やカフェもご利用いただけます。 受験生の見学にも。 masapn2.hatenablog.jp masapn2.hatenablog.jp 慶應義塾大学三田キャンパス 東京都港区三田2-15-45 ランキングに参加しています。ポ…

  • 鎌倉学散策「川端康成邸 庭園公開」募集中!

    只今、鎌倉芸術館では、『鎌倉学散策「川端康成邸 庭園公開」』の参加者を募集しています。 年に一度ほどしかない貴重な機会です。私も昨年参加し、とても興味深く拝見してきました。 masapn2.hatenablog.jp 興味のある方はぜひ応募してみてはいかがでしょうか。 申し込みは10月28(月)まで! ランキングに参加しています。ポチっとしていただけると嬉しいです。 ご覧いただきありがとうございました。 にほんブログ村 本・書籍ランキング

  • 『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼窟」誕生までの物語』展~於:田端文士村記念館

    只今、田端文士村記念館では、『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼窟」誕生までの物語』展開催中です。 芥川龍之介が田端に転入してきて、100年になることを記念しての展覧会。 芥川龍之介は大正3年の22歳から、昭和2年35歳でこの世を去るまでの13年間を田端で過ごしました(海軍機関学校教官時代を除く)。 本展では、田端に居住しはじめた若き日の芥川の、文学者の道への目覚めと不安、夢と期待を、友人へ送った書簡などの資料の数々で紹介しています。 特に、友人でのち妻となる塚本文の叔父山本喜誉司宛書簡には、今回初公開、新収蔵となる資料も多くあり、見どころが豊富です。 婚約中の文に宛てた、「小鳥ノヤウ二幸…

  • 新宿~芥川龍之介居住跡

    明治43年の水害を機に、本所両国から田端へ引っ越すことになった芥川家。 masapn2.hatenablog.jp 本所の家を釣具屋の石井さんに譲ったあと、明治43年10月から大正3年10月に田端の新居が出来るまでの約4年間、新宿に仮住まいしていた時期がありました。 masapn2.hatenablog.jp その場所がここ。 現在の「四谷警察署御苑大通交番」のある辺りです。 えっ⁉なんでこんな所に⁇ ここに芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が住んでいたの⁇ 今となってはそんな驚きの声が聞こえそうな、地下鉄新宿三丁目駅の真上、靖国通り沿いの新宿2丁目という交通量も多い繁華…

  • ローマイヤ

    妙子は銀座まで出かけるなら、話に聞いているニュウグランドかローマイヤアへ行きたいと云うので、ローマイヤアということにしたが、あたしも行ったことがないねん、数寄屋橋ので降りてどう行くのん、と、姉がかえって幸子に尋ねる始末であった。(中巻) 谷崎潤一郎(明治19.7.24~昭和40.7.30 小説家)の小説「細雪」(「上」昭和18.1,3『中央公論』『中巻』昭 和22 .2 中央公論社「下」昭和22.3~12『婦人公論』)の姉妹たちが、上京の折にしばしば訪れたのは、銀座のドイツ料理レストラン「ローマイヤ」。 今ではすっかりデパ地下のハム・ソーセージ売り場でお馴染みの、あの「ローマイヤ」が営むレスト…

  • かつ吉

    水道橋駅東口を出てすぐ、東京ドームシティの道を挟んで隣にあるとんかつの「かつ吉」。 ここはかつて川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)と三島由紀夫(大正14.1.14~昭和45.11.25 小説家)の、文豪仲良しコンビが贔屓にしていたお店です。 店舗は地階。 黒光りした豚さんがお出迎え。 坪庭のようにしつらえられた趣のある玄関を入ると、 店内もやや薄暗く、古材を使った梁や調度品が趣のある重厚な雰囲気を醸し出しています。 棚には骨董品のお猪口がずらり! 呼び鈴にも古めかしい雰囲気。とてもビルの地下とは思えない佇まい。川端康成と三島由紀夫が通ったというのも納得の空間です。 メニ…

  • 資生堂パーラー

    銀座の目抜き通り本店を構える「資生堂」。 誰もが知る化粧品メーカーである「資生堂」の創業は明治5年。洋風民間調剤薬局として、福原有信(嘉永1.4.8(陰暦)~大正13.3.31 実業家)が創業しました。日本初の練歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」や、脚気の特効薬「脚気丸」などを発売。明治30年からは化粧品部門にも進出し、化粧水「オイデルミン」を発売します。 明治35年には資生堂薬局内に、当時まだ珍しかったソーダ水やアイスクリームを製造販売する「ソーダファウンテン」を設け、これが後の「資生堂パーラー」へと発展していくことになりました。 (福原有信) ハイカラな「資生堂ソーダファウンテン」は、新橋の芸者衆…

  • 「初版本コレクション」展~於:漱石山房記念館

    只今、漱石山房記念館では「初版本コレクション」展開催中です。 明治38年初版の『吾輩は猫である』から大正6年の『明暗』まで、漱石の出した書籍は当時から装丁・造本の傑作といわれるほど美しく、美術的にも評価の高い書籍たちでした。 美しい本を作りたいと常に願い、橋口五葉や津田青楓、中村不折らの画家・書家とともに本を作っていった漱石の足跡をめぐる展覧会。 夏休み時期の現在は、子どもも楽しめるワークシートの配布もあります。 現代人の目にも非常にモダンで斬新な装丁の数々。 お好みの装丁がみつかるでしょうか。 展示をみたあとは、「CAFE SOSEKI」でひと休み。 漱石の好きだった祇園坊柿を使ったアイスを…

  • デモクラシー~慶應義塾その7

    「デモクラシー」 慶應義塾大学三田キャンパス生協食堂を飾る壁画です。 この壁画、もしかしたら三田の生協食堂に来たことがなくても、なんとなく見覚えがあるような気がする方がいらっしゃるかもしれません。というのもこの壁画、なんと上野駅中央改札の壁画にそっくりなんです。 それもそのはず、作者は共に猪熊弦一郎(明治35.12.14~平成5.5.17 洋画家)。 上野駅の壁画のタイトルは「自由」。多くの人々が幸せそうに集い、語らい、周囲には多くの動物を配しています。「デモクラシー」も「自由」も、戦後の民主主義の自由の謳歌を描いたものなだそうです。どうりで似たような壁画なわけですね。 「デモクラシー」はかつ…

  • 「鷗外の『意地』のはなし」展~於:森鷗外記念館

    只今、森鷗外記念館では「鷗外の『意地』のはなし」展開催中です。 大正元年9月13日。明治天皇の大喪の日に陸軍大将・乃木希典が殉死。この事件をきっかけに鴎外は、「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」「佐橋甚五郎」など次々と歴史小説を書き始めました。 翌大正2年には、上記3作品を収めた初の歴史小説集『意地』を刊行。 鷗外はなぜ歴史小説を書き始めたのか。 乃木の殉死の直後に、江戸時代の殉死事件を扱った、まさに殉死小説ともいえる「阿部一族」を書いたのはなぜか。 「観察」「時代背景」「心理描写」に重点を置き、「新しき時代に於ける歴史小説」を試みた鴎外の、時代や社会に向き合う姿に迫った展覧会です。 展示をみ…

  • 柴崎牛乳本店

    柴崎牛乳本店。鎌倉・長谷にある老舗の牛乳屋さんです。 明治22年に、横須賀の軍艦造船所に勤めるフランス人技師たちに向けて牛乳を販売するために、この地に開店されたのだそうです。 レトロな佇まいのかわいらしいお店。なんでも近くにある鎌倉文学館をまねて、地元の大工さんが建てたのだそう。(築年は昭和12年以降のようです。) masapn2.hatenablog.jp この牛乳屋さんには、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が牛乳を買いにきていたという情報が、ネット上で見受けられます。 けれど残念ながら、芥川の書簡やエッセイなどに記述は見られず・・・ソースは何だろう?言い伝えかな・・…

  • パーラー「扉」

    鎌倉土産「鳩サブレ―」でお馴染みの「豊島屋」。 鎌倉駅前店は「鎌倉の扉になれ!」という願いを込めて、鎌倉文士であった久保田万太郎(明治22.11.7~昭和38.5.6 小説家・俳人)が「扉」店と命名しました。 1階は名物「鳩サブレー」などのお菓子の売店と、「扉店」限定のパン屋さんがありますが、3階は「パーラー」になっています。 ちょっとそっけないくらいの、レトロ感のあるパーラーです。 メニューの扉には「扉」。 コースターにも「扉」。おしぼりは豊島屋らしく鳩ぽっぽです♡ そしてさらに愛らしいことに、ペーパーナフキンにプリントされているのは「鍵」! 「扉」を開ける「鍵」ってことですよね。憎いなあ。…

  • 元八幡~芥川龍之介居住跡

    横須賀で海軍機関学校の英語教官をしていた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、大正7年2月に塚本文(明治33.7.6~昭和43.9.11)と結婚。翌3月、下宿先の横須賀から鎌倉町大町字辻小山別邸内に居を移し、新妻文、伯母、女中を迎え新婚生活に入りました。 (芥川龍之介) 小山別邸は元鶴岡八幡宮の近く。 由比若宮とも呼ばれる元八幡は、鎌倉の代名詞といえるあの鶴岡八幡宮が最初に鎮座されたところ、鶴岡八幡宮の元となったところです。 鎌倉駅から徒歩15分ほど、バスだと「元八幡」下車1分。横須賀線の線路沿い材木座1丁目辺りになります。 現在の大きな鶴岡八幡宮と比べると、小さくてとて…

  • 円覚寺

    彼は門を通る人ではなかつた。また門を通らないで済む人でもなかつた。(二十一の二) 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の小説「門」(明治43.3.1~6.12 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)の舞台となったことで知られる北鎌倉の円覚寺。 (総門) 親友安井の内縁の妻を奪った主人公宗助が、安井との再会を恐れて参禅した円覚寺。 実は作者の夏目漱石も、明治27~28年にかけて円覚寺に参禅しています。「門」の舞台設定は、その時の経験が大きく反映されています。 (山門) 山門を入ると、左右には大きな杉があつて、高く空を遮つてゐるために、路が急に暗くなつた。其陰気な空気に触れた時…

  • 鎌倉 北橋~旧加賀谷邸

    鎌倉・長谷の「旧加賀谷邸」が、長期の修復工事を経てようやくオープンしました。 工事中、外側から養生で囲まれたお屋敷を見て、まだかまだかと心待ちにしていた「加賀谷邸」。それも「カフェになったりしたらいいなぁ。」なんて思っていたら、なんと本当にカフェになってオープンされたので嬉しさもひとしお。 早速伺ってみました。 「鎌倉 北橋」。きれいに修復されたお屋敷は、和館側がお蕎麦屋さん。 洋館側が珈琲のお店です。 お昼時だったので、まずはお蕎麦屋さんへ。 中はすっきりとした洗練された和の佇まい。 縁側の広々とした窓からお庭が一望できます。 この屋敷には作家の山口瞳(大正15.1.19~平成7.8.30 …

  • 伊藤左千夫の墓・耕牧舎跡

    亀戸天神の隣に、鬱蒼とした樹々に覆われた「普門寺」というお寺があります。 伊藤左千夫(元治1.8.18(陰暦)~大正2.7.30 歌人・小説家・酪農家)のお墓のあるお寺です。 「民さんは野菊のような人だ。」 山口百恵や松田聖子主演の映画でもよく知られた小説「野菊の墓」(明治39.1『ホトトギス』)の作者ですが、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 歌人・俳人)に師事した根岸派の有力歌人でもあり、子規没後に機関紙『馬酔木』や『アララギ』の中心歌人としても活躍した人物です。 (伊藤左千夫) そんな左千夫のお墓のあるお寺ですが・・・鬱蒼と樹々が生い茂り草はボーボー。 もとはきっと立…

  • 法泉院~芥川龍之介生育の地番外編

    太田道灌(永享4~文明18.7.26 室町時代の武将)が、江戸築城のさい城内鎮護の祈願所として開いた墨田区太平にある「法恩寺」。 その塔頭である「法泉院」には、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の田端の家にあったという「灯籠」があります。 芥川龍之介は築地入船町に生まれ本所両国で育ち、その後内藤新宿での仮住まいののち、大正3年から亡くなる昭和2年まで田端に暮らしました。 その終の棲家となった田端の家にあったというこの灯籠が、なぜここにあるのか。 芥川の菩提寺は日蓮宗の「慈眼寺」。田端の隣である駒込・巣鴨にあり、芥川のお墓もここにあります。 masapn2.hatenabl…

  • 臥龍梅(亀戸梅屋敷)跡~芥川龍之介生育の地その10

    芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)最終章は、「方丈記」と題して「僕」「妻」「父」「母」「伯母」の会話形式で綴られていきます。 僕「けふ本所へ行つて来ましたよ。」 父「本所もすつかり変つたな。」 母「うちの近所はどうなつてゐるえ?」 僕「どうなつてゐるつて・・・・・・釣竿屋の石井さんにうちを売つたでせう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋もあつた。」 と「僕」が見聞してきた本所の変貌を、家族が追想と驚愕を交えて聞いていきます。その中で、 父「臥龍梅はもうなくなつたんだらうな?」 僕「ええ、あれはも…

  • 船橋屋~芥川龍之介生育の地その9

    僕等は「天神様」の外へ出た後、「船橋屋」の葛餅を食ふ相談をした。(「天神様」) masapn2.hatenablog.jp 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)の「僕等」一行は亀戸天神に詣った後、参道出てすぐ側にある「船橋屋」へ。 「船橋屋」は江戸時代の文化2年に創業された和菓子処。初代勘助の出身地である下総・船橋の名にちなんで命名されました。 名物の「くず餅」は江戸時代にはもうすでに人気で、亀戸天神の参拝客でお店もたいそう繁盛していたのだそうです。 明治~大正期にかけてこの辺りに住んでいた芥川龍之介も、よく訪れ…

  • 亀戸天神~芥川龍之介生育の地その8

    芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)、「萩寺」を出た一行は亀戸天神へ向かいます。 masapn2.hatenablog.jp 亀戸天神は言わずと知れた、学問の神様菅原道真(承和12.6.25~延喜3.2.25 平安貴族・学者)を祀った神社。 寛文2年、明暦の大火の復興事業として江戸幕府から土地を寄進され、ここ亀戸に建立されました。 社殿をはじめ楼門、心字池、太鼓橋など、九州の太宰府天満宮に倣って造営され「東の太宰府」と称されています。 いつも受験生をはじめ、多くの参拝者で賑わう神社です。 梅園や藤棚など、四季折々…

  • 柳島・萩寺あたり~芥川龍之介生育の地その7

    芥川龍之介が幼少期の回想を交えながら綴ったルポタージュ「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)は、両国停車場・両国橋からスタートし、その後「一銭蒸気」と呼ばれた小型の遊覧船に乗り、隅田川を遡上していきます。 現在の両国橋下 隅田川を行く屋形船 かつて隅田川には20以上の「渡し・渡船場」がありました。芥川が幼少の頃よく使っていたのは「富士見の渡し」で、これに乗って親戚の家などに行っていたのだそうです。 (小国政『東京風景 両国代地富士見の渡し』庁田長次郎 明治26 国立国会図書館デジタルコレクション) けれど関東大震災以後、震災復興事業で次々と隅田川の架橋が進み、「渡し」は廃…

  • 百本杭・お竹倉跡~芥川龍之介生育の地その6

    隅田川河畔両国橋のやや北寄りに、江戸から明治にかけて何本もの杭が打たれていたところがあります。 「百本杭」。 水量の多い隅田川。両国橋辺りは川の湾曲が強く特に水勢が強い所であるため、それを和らげるための杭が、この辺りに何本も打たれていたのだそうです。 現在の総武線鉄橋の辺りです。 江戸の風物としてもよく知られており、歌舞伎の『十六夜清心』では冒頭に「稲瀬川百本杭の場」が出てきます。稲瀬川は鎌倉を流れる川ですが、隅田川に見立てるため「百本杭」を引いているのです。「○○川と名前は違えど『百本杭』」とくれば、観客は隅田川を連想するのが当時のおきまり事だったのだそうで、それほど「百本杭」が知れ渡ってい…

  • 「友情から生まれたもの 文士村の青春アンサンブル」展~於:田端文士村記念館

    只今、田端文士村記念館では「友情から生まれたもの 文士村の青春アンサンブル」展開催中です。 大正時代、田端には文壇で活躍する多くの文士たちが集いました。 中でも芥川龍之介や室生犀星を中心に集った若き文士たちは、互いに肩を寄せ合い、励まし合いながら創作活動に精をだしました。 菊池寛の『文藝春秋』、まだ無名であった堀辰雄や中野重治らの『驢馬』、室生犀星と萩原朔太郎による詩壇への反逆ともいえる『感情』などの新進気鋭の文芸雑誌も、ここ田端の地から、若き田端文士たちの友情を支えに発刊されていきました。 また本展では、芥川龍之介の全集未収録(新発見⁉)の俳句が書かれた、田端の料亭「天然自笑軒」での親睦会の…

  • 松栄亭

    神田淡路町にある洋食屋「松栄亭」。 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)が食したという「洋風かきあげ」がいただける、明治40年創業の老舗洋食屋さんです。 漱石が、東京帝国大学で教鞭を取っていたフォン・ケーベル邸を、訪れていたときのこと。「何か変わったものが食べたい。」という漱石の要望に応えて、当時ケーベル邸で専属料理人をしていた初代松栄亭主人が、即興で作ったのがこの「洋風かきあげ」なのだそうです。 卵と小麦粉の衣の中に、玉ねぎと角切りの豚肉がゴロゴロ。 ラードで揚げてありボリューム満点のお品。 お腹いっぱいになります。 大きくて食べ応えがあるので、テーブル上のソースやか…

  • 「『門』―夏目漱石の参禅―」展~於:漱石山房記念館

    只今、漱石山房記念館では「『門』―夏目漱石の参禅―」展開催中です。 明治27年から翌28年初めにかけて、夏目漱石は鎌倉円覚寺に参禅しました。 今年はその130年の記念の年です。 本展は漱石の参禅を記念した展覧会です。 参禅したものの、結局、漱石は悟りを開くことなく帰京しました。けれど漱石の禅的な思考は、漱石作品の随所に散見されることになり、禅が漱石に与えた影響の深さをみることができます。 漱石参禅の経験が、最も如実に表れているのは小説『門』。主人公宗助も、漱石と同じく、参禅したものの悟りを開くことなく帰京しています。 本展では、漱石が禅の指導を受けた釈宗演や、交流のあった若き雲水たちとの交わり…

  • 両国橋~芥川龍之介生育の地その5

    両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支ない。たゞ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋にーー狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかゝつてゐた。僕は時々この橋を渡り、浪の荒い「百本杭」や蘆の茂つた中洲を眺めたりした。中洲に茂つた蘆は勿論、「百本杭」も今は残つてゐない。(「両国」) これは昭和2年5月2日から22日にかけて、当時毎日新聞社の社員だった芥川龍之介が社命を受けて、『東京日日新聞(夕刊)』に「東京大繁盛記(46~60)」の標書の…

  • 両国高等学校~芥川龍之介生育の地その4

    両国高校は、明治34年に東京府立第一中学校(現・日比谷高校)の分校として開校した学校です。当時は府立第三中学校といい、明治38年から43年まで芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が在籍していた学校としても知られています。三中時代の芥川は、英語と漢文が抜群にでき、第一高等校(旧東大予備門)への進学も、成績優秀のため無試験で合格するほどだったそうです。 芥川の旧制中学5年間の担任は、のち三中二代目校長となる広瀬雄(明治7~昭和39 教育者)。広瀬はいち早く芥川の才能を見抜き、自宅に呼んでまで英語の講義をしてやるほと熱心に指導していました。そんな広瀬を芥川も終生師として仰ぎ、交友…

  • 『人間失格』パン

    以前、近所のショッピングモールで開催されていた「ご当地パンフェスタ」で見つけていた『走れメロス』パン。 masapn2.hatenablog.jp 今回は、前回売り切れで購入できなかった『人間失格』パンをGETすることができましたw。 太宰治(明治42.6.19~昭和23.6.13 小説家)の故郷青森の工藤パンが作っているご当地パン。 前回購入した『走れメロス』パンは、黒糖のカステラ生地にチョコレートクリームがサンドされていましたが、今回の『人間失格』パンは、プレーンなカステラ生地にミルク風味のクリームが挟まっています。 やっぱりこちらも『走れメロス』パン同様のビッグサイズ! 18.5×13㎝…

  • 「教壇に立った鷗外先生」展~於:森鷗外記念館

    只今、森鷗外記念館では「教壇に立った鷗外先生」展開催中です。 医師であり小説家であった森鷗外には、教師という顔もありました。 医学校で医学を教えるほか、東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)や慶應義塾大学では、審美学の講義も行っていました。 修身や唱歌の国定教科書の編纂にも携わっています。 現在でも「高瀬舟」や「舞姫」など、数々の鷗外作品が教科書に掲載されていますね。 国語の授業で鷗外を学んだという人も、きっと多いことでしょう。 本展では、教師としての鷗外の一面を、鷗外の編纂した教科書や、講義を受けた学生のノート、書簡など多数の資料を通して興味深く紹介しています。 また、館内併設のモリキネカ…

  • 「芸術村のお住居拝見」展~於:田端文士村記念館

    只今、田端文士村記念館では「芸術村のお住居拝見 アトリエでの創作と暮らし」展開催中です。 明治・大正・昭和初期、田端には多くの芸術家が住んでいました。 本展では芸術家たちの社交場ポプラ倶楽部や、板谷波山、小杉放菴など、田端に住した芸術家たちのアトリエの間取り、生活空間を詳細に紹介することによって、名作の生まれた背景に迫っています。 また、現在建設準備中の「芥川龍之介記念館」建設予定地周辺から出土した、丸善のインク瓶や楽天堂医院(芥川のかかりつけ医)の薬瓶などなど、芥川が使ったかも?と思われる興味深い品々も展示中です。 会期はあと1週間!5月26日(日)まで! 田端文士村記念 東京都北区田端6-…

  • 蓮玉庵

    上野仲町通りにある「蓮玉庵」。 安政6年創業の老舗のお蕎麦屋さんです。 このお店は、森鴎外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)の小説「雁」(明治44. 9~大正2.5『スバル』)に「その頃名高かった蕎麦屋」として登場します。 (森鷗外) このお蕎麦屋さんには鴎外の他にも、坪内逍遥(安政6.5.22(陰暦)~昭和10.1.28 小説家・評論家)や、樋口一葉(明治5.3.25~29.11.23 小説家)、斎藤茂吉(明治15.5.14~昭和28.2.25 歌人・医師)、久保田万太郎(明治22.11.7~昭和38.5.6 小説家・俳人)、谷崎潤一郎(明治19.7.24~昭和40…

  • 『芥川龍之介展』~於:日本近代文学館

    只今、駒場公園内「日本近代文学館」にて『芥川龍之介展』が開催されています。 今回の展覧会は、日本近代文学館の刊行物『芥川龍之介文庫目録 増補改訂版』の刊行を記念しての展覧会です。 部門構成としては、第一部「原稿と初版本でたどるその軌跡」第二部「旧蔵書に見る知の宇宙」第三部「書画と来簡に見る交友」第四部「生涯」の四部構成。 特に第二部では、芥川の蔵書の中の書き込みや、挟まれていたメモ、押し花などの展示もあり、芥川がその本を読んで何を思い、考えていたかの軌跡をたどることができる、興味深い展示となっています。 同時開催は『川端康成の名作Ⅰ』。 川端康成の文壇デビューから戦中までの前期作品を、原稿や同…

  • 染井霊園

    芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)や谷崎潤一郎(明治19.7.24~昭和46.7.30 小説家)の眠る慈眼寺の前には、大きな都営の墓地「染井霊園」が広がっています。 masapn2.hatenablog.jp 染井霊園は、明治7年に開設されてた公営墓地。同時期に作られた雑司ヶ谷、青山、渋谷、谷中、亀戸などと同じ共葬墓地になります。 大きな墓地なだけあって、染井霊園にはたくさんの著名人のお墓があります。 墓地の入り口には案内板が立ててありますが、案内板の区分が見分けづらく、ひとつひとつ訪ねて歩くにはなかなか骨が折れます。 文学者を中心に入り口から回りやすい順に行くと、まずは…

  • 慈眼寺~芥川龍之介の墓

    JR山手線の巣鴨~駒込間にある「染井霊園」の先に、「慈眼寺」という日蓮宗のお寺があります。どちらかというと、おばあちゃんの原宿でお馴染みの巣鴨から行った方が近いのですが、あえて駒込で下車。というのも、慈眼寺には芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)のお墓があり、田端に住んでいた芥川家の人々は、隣の駒込からお墓参りに向かっていたからです。 芥川龍之介の妻文(明治33.7.8~昭和43.9.11)は、『追想芥川龍之介』(1975.2.15 筑摩書房)で、 「慈眼寺は染井の墓地の中を通り抜けた所にあります。染井の墓地も駒込から八丁といわれて歩くとかなりの距離ですが、その街を貫く一本…

  • 幻の門~慶応義塾その6

    「幻の門ここすぎて叡智の丘に我等立つ」(堀口大學作詞・山田耕筰作曲『幻の門』)と歌われたのは、慶応義塾大学三田キャンパス東館奥にあるこの門。 旧島原藩中屋敷跡地に建つ慶応義塾大学三田キャンパスは、大正2年に中屋敷時代からあった木造の門を改造して、左右に花崗岩の門柱を4本据え、鉄の門扉を付けてこの門を正門としていました。 昭和34年の南校舎竣工と同時に南門ができると、正門の名を南に譲り、この門は東門として使われていくことに。 「幻の門」といわれるようになったいわれは、「門標が掲げられていなかったから」などといわれることもあるようですが、やはり冒頭にあげた応援歌の『幻の門』によるというのが一般的な…

  • 「芥川龍之介と美の世界 二人の先達ー夏目漱石、菅虎雄」展~於:神奈川県立近代美術館は山

    只今、神奈川県立近代美術館葉山館では、「芥川龍之介と美の世界 二人の先達ー夏目漱石、菅虎雄」展が開催されています。 美術に関心の深かった芥川龍之介。その師夏目漱石と菅虎雄にまつわる展覧会です。 それぞれの師との交流を軸に、芥川の美への眼差しと、作品世界に投影された美術作品に注目していきます。 芥川の師であり、漱石の友人である菅の筆による、二人の書斎に掲げられたそれぞれの扁額「我鬼窟」と「我猫庵」など、見どころたくさん!書簡や自筆原稿、初版本、絵画作品も豊富に展示されています。 館内にいる5匹の河童をみつけると「芥川河童ステッカー」が貰える、「河童三昧」というチャーミングなイベントも開催中です。…

  • 『走れメロス』パン

    近所のショッピングモールで行われていた「ご当地パンフェスタ」で見つけた、その名も『走れメロス』パン! 太宰治(明治42.6.19~昭和23.6.13 小説家)の故郷青森の工藤パンが作っているご当地パンです。 太宰もびっくりしそうな、18.5×13㎝というビッグなサイズは、単行本の形を模して作られているのだそうです。 でっかい板状のパン! この大きさで260円。お手頃価格ですね。 袋の脇が、本の背表紙のようにもなっています。 お味は「黒糖カステラ」。 間にチョコレートクリームがサンドされています。 なぜにメロスパンが、黒糖&チョコ味なのかは不明です。 ちょっとぱさっとした感じの軽いカステラ生地に…

  • 回向院~芥川龍之介生育の地その3

    両国にある回向院は、江戸時代に起きた明暦の大火(振袖火事)で亡くなった方々を、供養するために開かれた浄土宗のお寺です。 江戸市街の6割が焼失し、10万人もの命が失われた明暦の大火。亡くなった方々ほとんどの身元や身寄りがわからなくなってしまっていたので、当時の将軍徳川家綱(寛永18.8.3~延宝8.5.8 第4代将軍)が、隅田川の東岸に万人塚を設け、大法要を行わせたのがこのお寺のはじまり。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」ことを理念とする当院には、明暦の大火をはじめ、安政の大地震、関東大震災、その他飢饉や水難事故等、さまざまな災害で亡くなった方々の…

  • 両国小学校と吉良邸跡~芥川龍之介生育の地その2

    両国4丁目にある墨田区立両国小学校は、もとは両国回向院の民屋を借り受けて開校された学校で、かつては江東尋常小学校と呼ばれていました。近くに養家のあった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の母校としても知られている学校です。 小学校の一角には卒業生芥川を記念して、芥川の年少文学の名作「杜子春」(大正9.7.1 『赤い鳥』)の文学碑が設置されています。 小学校時代の芥川は、非常に読書欲が旺盛で、「小説を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い」(大正8.1.1『新潮』)によると、 小学校に通つてゐる頃、私の近所にあつた貸本屋の高い棚に、講釈の本などが、沢山並んでゐた。それを私は何…

  • 芥川龍之介生育の地

    JR総武線両国駅東口を出て、横綱横丁を抜けると「芥川龍之介生育の地」があります。 左側に、 この案内板。 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、生後約7カ月で母ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)発狂のため、ここ両国の地にあった、ふくの実家である芥川家に引き取られ、養育されるようになりました。 龍之介が引き取られた芥川家には、ふくの兄芥川道章(嘉永2.1.6(陰暦)~3.6.27)とその妻とも(安政4.4.11(陰暦)~昭和12.5.14)、道章の妹でふくの姉のふき(安政3.8.29~昭和13.8.4)が住んでおり、龍之介は3人の伯父伯母によって育てられて…

  • 手付け最中 学問のすゝめ

    三田のお土産として人気の「学問のすゝめ最中」。 販売しているのは、慶応義塾大学東館(東門)隣の「文銭堂本舗」です。 本の形を模した箱の中には、 手付け最中が入っています。 手付けなので皮はパリッと香ばしく、甘さ控えめの餡子は、ちょっと欲張って詰めちゃっても重くならず、とっても美味しい最中です。 詰める作業も楽しい最中。 文銭堂、目印は諭吉のお顔です。 三田にお越しの際は、ぜひどうぞ。 オンラインショップはこちら↓ bunsendohompo.raku-uru.jp 文銭堂本舗 三田店 東京都港区三田2-13-9 ☎0334516604 https://bunsendohompo.com 営業時…

  • 三田演説館~慶応義塾その5

    慶応義塾大学三田キャンパスの南校舎隣り、稲荷山にある「三田演説館」は、日本最古の演説会堂です。 演説、スピーチ、ディベートというと、今では自分の意思を多数の相手に伝える手段として広く行われていることですが、日本に初めてこの方法を伝えたのは、福沢諭吉とその門下生たちでした。 西洋で行われている演説を、日本に広める必要性を強く感じた福沢諭吉は、明治7年に三田演説会を組織し一般に公開。演説や討論の仕方の手ほどきを記した書籍等を発表し、普及に努めました。スピーチを「演説」、ディベートをと「討論」と翻訳したのも福沢です。 日本初の演説会堂となるこの三田演説館は、明治8年5月1日に開館。 建物は、木造瓦葺…

  • 福沢諭吉終焉の地

    2月3日は「雪池忌(ゆきちき)」。 福沢諭吉(天保5.12.12(陰暦)~明治34.2.3 啓蒙思想家・教育者)の命日です。 慶應義塾の創設者である福沢諭吉の終焉の地は、慶應義塾大学三田キャンパスの東南の側。ちょうど図書館(新館)の裏側にあります。 福沢は、義塾を芝・新鮮座から三田に移したさい、自宅も三田に置き、その最後もここで迎えました。 享年68歳。死因は脳出血でした。 三田の福沢邸は、元は約400坪ある大きな邸宅でしたが、昭和12年の東京都市計画で敷地を削られ、その後東京大空襲で焼失してしまいました。 現在ここは、ささやかながら「福沢公園」として整備され、知る人ぞ知る憩いの場となっていま…

  • 芥川龍之介生誕の地

    築地、聖路加国際病院の北側辺りに「芥川龍之介生誕の地」があります。 芥川龍之介は明治25年3月1日、新原敏三(嘉永3.9.6(陰暦)~大正8.3.16 耕牧舎経営業)ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)の長男として、この地、東京市京橋区入船町8丁目1番地(現:東京都中央区明石町1-25辺り)に生まれました。 辰年辰月辰日辰刻に生まれたため「龍之介」と命名。 父新原敏三は山口県の出身で、明治8年頃に上京。渋沢栄一(天保11.2.13(陰暦)~昭和6.11.11 実業家)の経営する箱根の牧場で働いていましたが、その才覚を買われて、明治16年からここ入船町の耕牧舎の経営を任されるよう…

  • 新富座跡

    東京メトロ有楽町線新富町駅からすぐ、築地橋を渡った京橋税務署の角に「新富座跡」があります。 新富座は、江戸三座(中村座・市村座・森田座)のうち、森田座を守田座と改称し、明治5年に12代目守田勘弥が、浅草猿若町から京橋新富町に移設し開場した歌舞伎劇場です。 「新富座」と改称したのは明治8年。 市川団十郎、尾上菊五郎、市川左団次などの名優を集め、積極的な興行をしましたが、明治9年、京橋区数寄屋町から始まった大火で類焼してしまいます。 けれども明治11年には、ガス灯などの設備を備えた近代的歌舞伎劇場として再建。 太政大臣や各国大使を招く、盛大な西洋風落成式が華やかに行われました。 (三代目歌川広重「…

  • 築地小劇場跡

    東京メトロ日比谷線築地駅を出てほど近い、築地2丁目11番地辺りに「築地小劇場跡」があります。 築地小劇場は、今からちょうど100年前の大正13(1924)年に開設された、日本で初めての新劇の常設劇場です。 100坪弱の平屋建て、468の客席を持つこの劇場は、ドイツの演出家マックス・ラインハルト(1873.9.9~1943.10.31 俳優・舞台監督・演出家)の小劇場をモデルに作られた、ゴシック・ロマネスク様式の建物で、内装・外装共にグレーで統一された洒落た建物でした。 電気を用いた世界初の照明施設を持ち、高い天井にクッペル・ホリゾントと呼ばれる湾曲壁、可動式舞台を備える、「演劇の実験室」とも呼…

  • 鎌倉大仏殿高徳院

    かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな 与謝野晶子(明治11.12.7~昭和17.5.29 歌人)がこう詠んだのは、鎌倉長谷にある高徳院の大仏。 鎌倉といえば、この大仏を真っ先に思い浮かべる人も、きっと多いことでしょう。 今ではすっかり外国人観光客で溢れかえっている高徳院ですが、高徳院にはこの有名すぎる大仏の他に、ひっそりといくつかの文学碑が佇んでいます。 与謝野晶子が詠んだ先の大仏の歌の歌碑は、境内の奥、大仏の左側の廻廊の裏を進んだ先にある、売店や観月堂の奥にあります。 晶子がこの歌を詠んだのは、明治37年に鎌倉を訪れたとき。『恋衣』(山川登美子・増田雅子・与謝野晶…

  • 文学の丘~慶應義塾その3

    慶応義塾大学三田図書館旧館八角塔脇の小道を入っていくと・・・(入っていいんだろうか?と、一瞬躊躇してしまうような裏道感のある所ですが・・・入っていいんですw) 何やら小高くなっている所があります。 ここは「文学の丘」(丘?っていうか、石が積まれ土がこんもり盛り上がっているだけのような・・・いや、でも丘なんですw)。慶應ゆかりの文人たちの、文学碑や石像の並んでいる丘です。 まず目に入ってくるのは、吉野秀雄(明治35.7.3~昭和42.7.13 歌人・書家)の歌碑。 図書館の 前に沈丁咲くころは 恋も試験も 苦しかりにき 群馬県高崎出身の吉野は、『福翁自伝』(福沢諭吉 明治31.7.1~32.2.…

  • 慶応義塾大学三田図書館旧館

    慶應義塾大学三田図書館旧館。 赤レンガ造りネオ・ゴシック様式の美しい建物です。 正面入口上部には「創立五十年記念慶應義塾図書館」とあります。 この図書館は、明治40年に迎えた慶應義塾開設50年を記念して建設されたもので(竣工は明治45年)、開館当時は地上2階地下1階、20万冊の収蔵能力と200席の閲覧室を持つ施設で、同時代の大学図書館としては、他に類を見ないものでした。 明治45年5月18日に行われた開館式には、800名もの来賓が訪れ、三田通の商家の軒先には塾旗が掲げられ、街をあげてのお祝いムードになるほどだったのだそうです。 この図書館が建設されたころの慶應は、ちょうど文科の刷新時期。森鷗外…

  • 大佛次郎記念館

    横浜山手の港の見える丘公園、神奈川近代文学館の隣、沈床花壇の前に、とても特徴的なデザインの、赤いレンガタイルの洋館が建っています。 この建物は「大佛次郎記念館」。 横浜の出身の作家大佛次郎(明治30.10.9~昭和48.4.30 小説家)の記念館です。 (大佛次郎) 大佛次郎は、横浜英町(現・中区英町)に生まれました。この記念館のある港の見える丘公園から、谷戸坂を下った先にある、山下公園前のクラッシックホテル「ホテルニューグランド」に仕事場を置いたり、結婚したのち鎌倉に居を定めるなど、神奈川にゆかりの深い作家、まさに神奈川が生んだ小説家です。 「大佛次郎・おさらぎじろう」というペンネームも、鎌…

  • 「没後50年 大佛次郎展ー戦後の仕事」展 於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今コーナー展示「没後50年 大佛次郎展ー戦後の仕事」展開催中です。 (大佛次郎展)神奈川近代文学館では12/2から常設展と併設で「没後50年大佛次郎展―戦後の仕事―」を開催。チラシをゲット。「天皇の世紀」を読むと命とは何なのか。考えさせられます。えっ?そこで切腹しちゃうの?事実は壮絶です。#大佛次郎 #天皇の世紀 #パリ燃ゆ pic.twitter.com/rCZjVQkpCC — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) November 23, 2023 「鞍馬天狗」シリーズでお馴染みの大佛次郎(明治30.10.9~昭和4…

  • そば処浅野屋~田端その5

    田端文士村記念館横の江戸坂を上って、コンビニの角を右折し進んで行くと、 右手に「そば処浅野屋」というお蕎麦屋さんが見えてきます。 ここは芥川龍之介が贔屓にしていた、といわれているお蕎麦屋さんです。 創業は大正5年。芥川が田端に住み始めたのが大正3年なので、その2年後に開業したお店ですね。 店内は、どこか懐かしさのある、落ち着いた暖かみのある雰囲気。 芥川が好んで食べていたのは、天ぷらそばだったのだそうです。 こちら↑が「上天ぷらそば」。 大葉とかぼちゃと茄子の天ぷらがひとつずつ、大きな海老の天ぷらが2本入っています。結構なボリューム。出汁は濃い目の関東風。冷えた体に、熱いおそばが染みわたります…

  • 『古典的作品の再現者 芥川龍之介「宇治拾遺物語」から「千夜一夜物語」まで』展 於:田端文士村記念館

    改修工事のため、4月から休館していた田端文士村記念館が、11月から再開館しています。 再開初の企画展示はやっぱりこの人、田端のスター芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)です。 (芥川龍之介) 今回の企画展は、『古典的作品の再現者 芥川龍之介「宇治拾遺物語」から「千夜一夜物語」まで』展。 芥川には「羅生門」(大正4.1.1『帝国文学』)や「地獄変」(大正7.5.1~22 『大阪毎日新聞』)をはじめ、「かちかち山」や「桃太郎」(大正13.7.1『サンデー毎日』)などのお伽噺等、古典を材料にした小説が多数あります。 本展は『宇治拾遺物語集』から『千夜一夜物語』まで、和漢洋の古典に…

  • 慶應の銀杏

    ひともと銀杏葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語 (「酒、歌、煙草、また女ー三田の学生時代を唄へる歌」『閑談半日』昭和9.7 白水社) (佐藤春夫) 佐藤春夫(明治25.4.9~昭和39.5.6 詩人・小説家)がこう唄ったのは、慶應義塾大学三田キャンパスの銀杏の木。 慶應の三田キャンパスには銀杏の木が何本もあるので、どの木を詠んだのか特定されてはいませんが、三田の銀杏といえばこの中庭の大銀杏。 この銀杏が金色に色づいてくると、春夫のこの詩を思い出します。 詩人も、試験には苦労したんですね。 三田キャンパスの大銀杏。 もう一本は、塾監局玄関前の銀杏の木。 …

  • 旧加賀谷邸~山口瞳旧居

    甘縄神明神社の目の前にある「旧加賀谷邸」。 屋根に宝珠の棟飾りを付けた洋館と和館からなる、鎌倉市の景観重要建築物に指定されている建物です。 建てられたのは大正時代(14年?)。白塗りの壁にグリーンのラインが、可愛らしくも美しいこの和洋折衷の館は、戦後借家になっていた時期があり、その時、後に作家・エッセイスト・サントリーのコピーライターとしても有名になる山口瞳(大正15.1.19~平成7.8.30 小説家・随筆家)が、一家で住んでいたことがあるのだそうです。 (山口瞳) その頃山口は20代。映画・演劇界に多くの人材を輩出した、鎌倉アカデミアという私立学校に在籍していました。 この邸宅の目と鼻の先…

  • 「山の音」~甘縄神明神社と川端康成邸

    鎌倉長谷にある甘縄神明神社。 和銅3年に行基が草創し、豪族染谷太郎時忠が創建したといわれる、鎌倉最古の神社です。 天照大御神、伊邪那岐尊、倉稲魂命、武甕槌命、菅原道真公を祀り、源頼朝が相模守として下向したさいに参詣し、八幡太郎義家を授かったことから、源家によって篤く崇敬された神社です。 同じ境内には秋葉神社。 五所神社。 万葉の歌碑などもあります。 鎌倉の山を背景にして建つこの神社は、川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)の「山の音」(昭和24.9 『改造文藝』)の舞台となった場所でもあります。 (川端康成) 鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音か…

  • 弥生美術館 竹久夢二美術館

    本郷、言問通りから別れる暗闇坂を入っていくと、東京大学弥生門のほぼ斜向かいに見えてくるのが「弥生美術館 竹久夢二美術館」。 1984年に、弁護士鹿野琢見(大正8.4.15~平成21.10.23 弁護士)によって創設された、私設の美術館です。 鹿野琢見は9歳の時、当時一世を風靡していた挿絵画家高畠華宵(明治21.4.6~昭和41.7.31 画家)の絵を見て大いに感動。長じて後、戦中戦後華々しい活躍ができなくなり、すっかり生活に困窮していた華宵に手紙を送ったのをきっかけに、半ば鹿野が華宵を支援するような形で、2人の交流がはじまります。華宵亡きあとは、鹿野が華宵作品の著作権を得ることになり、この「弥…

  • 『千駄木の鴎外と漱石~二人の交流と作品を歩く』展~於:森鷗外記念館

    現在、千駄木団子坂上の森鷗外記念館では、『千駄木の鴎外と漱石~二人の交流と作品を歩く』展開催中です。 明治を代表する二大文豪、森鷗外と夏目漱石。 二人が実際に会ったのはほんの数回でしたが、互いに意識し合い、才能を認め合い、自著を贈るやり取りや、そのお礼の手紙のやり取りなどの交流は、細やかにあったそうです。 また期を異にして、偶然にも二人が住んだ千駄木58番地の家、通称「猫の家」(漱石がこの家でデビュー作「吾輩は猫である」を書いたことからこう呼ばれる。詳しくはこちら↓)や、 masapn2.hatenablog.jp 千駄木を舞台にしたそれぞれ小説、その登場人物らの交錯から、二人の関わりをこの展…

  • 『芥川龍之介がみた江戸・東京』展 於:たばこと塩の博物館

    東京・墨田区にある「たばこと塩の博物館」で、只今『芥川龍之介がみた江戸・東京』展開催中です。 芥川龍之介(明治24.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、東京市京橋区入船町(現・中央区明石町)に生まれましたが、生後約半年で母方の実家芥川家に預けられ、後養子として育てられます。 当時、養家の芥川家があったのは本所両国。大川(隅田川)の流れとともに、江戸情緒を色濃く残しながらも、鉄道や工場、学校の建設など、近代化の波も続々と押し寄せてくる地域でした。そんな大川端で、18歳までの少年期を過ごした芥川。大川はじめ、この地への愛着も深く、長じて作家になってからも、「大川の水」(大正3.4.1 『心の花』…

  • 『没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル』 於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今『没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」開催中です。 (井伏鱒二展情報)明日(9/30)から神奈川近代文学館で井伏展が始まります。井伏から開高へ伝授された「福田蘭堂開発鮎餌釣技法」の秘伝巻子本を見たいな。蘭堂の父はあの青木繁なんだよね。 文アル情報もまもなく掲載されるのかな。#井伏鱒二 #開高健 #文アル #福田蘭堂https://t.co/uNZsfDopai pic.twitter.com/eojp2RpYpl — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) September 29, 2023 高校の教科…

  • 和田塚~芥川龍之介居住跡

    江ノ電和田塚駅。鎌倉の隣の無人駅。江ノ電の中でも、特にこぢんまりとした駅です。 和田塚には、その名の通り「和田塚」があります。 「和田塚」は、鎌倉前期の建暦3年、鎌倉で起きた和田義盛の乱で、北条義時と戦って敗死した和田義盛とその一族を埋葬したお墓です。 和田一族を供養する、複数の石碑や小さな五輪塔が静かに並んでいます。 この和田塚の近くには、大正5年11月下旬から翌6年の9月まで、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が住んでいた場所があります。 (芥川龍之介) 芥川龍之介の家は、東京田端にありましたが、大正5年、東京帝国大学英吉利文学科を卒業後(引き続き同大学院に籍を置きま…

  • 力餅屋

    江ノ電長谷駅を海側へ出て、極楽寺方向へ進んで行くと右手に、まるでタイムスリップしたかのような、古色を帯びたお店が見えてきます。 「力餅屋」。 創業は江戸元禄年間の、由緒ある和菓子屋さんです。 平安時代の武将、権五郎景政の武勇を伝え偲ぶよすがにと、代々伝えられてきた「権五郎力餅」が名物。近くには権五郎の御霊を祀った御霊神社もあります。 「権五郎力餅」。 つきたてのお餅に、控えめな程よい甘さのこし餡が載っています。 箱にきっちり詰まっていますが、ひとつひとつは小ぶりなお餅です。 餡とお餅のバランスがよく、何個でも食べられてしまいそうです。 この権五郎力餅は、鎌倉文士たちにもこよなく愛され、大正5年…

  • 「プロレタリア文化運動の光芒」「川端康成が見出した作家たち」~於:日本近代文学館

    駒場公園内「日本近代文学館」では、秋季特別展「プロレタリア文化運動の光芒」開催中です。 【秋季特別展開催中】本日9/18(月)は祝日につき開館しております。展示室では「プロレタリア文化運動の光芒」、「川端康成が見出した作家たち」を開催中。残暑厳しい中ですが、ぜひご覧ください。京王井の頭線「駒場東大前」駅徒歩7分開館・9時半~16時半(最終入場16時)https://t.co/qbrV3mFyT2 pic.twitter.com/nyn9Yienb8 — 日本近代文学館 (@bungakukan) September 18, 2023 (小林多喜二) 同時開催は、「川端康成が見出した作家たち」。…

  • 糸瓜忌 子規庵特別展示のお知らせ

    9月19日は糸瓜忌。正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の命日です。 根岸の子規庵では、糸瓜忌特別展示が開催中されています。 2023糸瓜忌特別展示開催中。目玉は初公開の明治30年1月2日の歳旦帳ですが、子規の日常生活に使用した遺品も同時に展示しています。明後日9月19日は子規の命日です。今日の午前中も50人近いお客様がご来庵。まだまだ暑いので、熱中症に気をつけてお出かけください。#糸瓜忌 #獺祭忌 #子規 pic.twitter.com/yvOGRP9C1f — 子規庵 (@shikian1) September 17, 2023 明日以降の糸瓜忌特別展示公開…

  • 長谷寺

    江ノ電長谷駅から大仏に向かう手前にある長谷寺。 天平8年創建の、いわずと知れた鎌倉有数の名古刹。 紫陽花寺としても有名で、修学旅行や遠足の子どもから外国人観光客まで、人足の絶えることない人気のお寺です。 そんな多くの参拝客で賑わう長谷寺の、入り口入ってすぐの所に、ほとんど誰も見向きもしない像がぽつんと立っています。 久米正雄(明治24.11.23~昭和27.3.1 小説家)の胸像です。 久米正雄は夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の門弟で、同門の松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と漱石の娘筆子をめぐって、三角関係の恋に破れてしまったことでも知られ…

  • 日本近代文学館

    京王井の頭線駒場東大前駅からほど近い、駒場公園内にある「日本近代文学館」。 明治以降の日本文学の資料を、収集・保存・展示する資料館です。 所蔵品は、9万3千点余りの原稿や草稿、日記、遺品、48万冊を超える書籍、2万8千タイトル60万冊を超える雑誌という膨大な量を誇り、芥川龍之介文庫や太宰治文庫、志賀直哉コレクションや有島武郎・生馬コレクションなどなどの、文庫・コレクションも160を超える豊かさです。 資料のほとんどが、作家や遺族、出版社からの寄贈によるものなのだそうです。 一般向けの公開講座や、文学館職員・大学院生対象の文学館演習などの教育活動も盛んで、展示室は通年開設。季節によって展示内容が…

  • 根津神社~根津裏門坂・権現坂

    日本医科大学付属病院と東大弥生キャンパスの間に位置する「根津神社」。 日本武尊が創祀したという古い伝承を持つこの神社は、朱塗りの社殿に唐門、透塀など、権現造りといわれる江戸時代の遺構が良く保存された神社で、文学作品にも良く登場します。 宝永3年、五代将軍徳川綱吉が、綱豊に世継ぎしたときに造営された社殿は、7棟の建物が、重要文化財に指定されています。また、境内の斜面に植えられた、約2千本のつつじが咲き誇る5月のつつじまつりや、乙女稲荷神社の奉納鳥居のトンネルなども有名です。 楼門の脇には、近くに住んでいた森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9)や夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正…

  • 夏目漱石旧居跡~猫の家

    薮下通りを下り切り、根津裏門坂に突き当たると左右が日本医科大学。 masapn2.hatenablog.jp 右手本郷通に向かって坂を登って行き、日本医大前の信号(一炉庵という和菓子屋がある所)を右折し、進んで行くと日医大同窓会橘桜会の建物の敷地内に、「夏目漱石旧居跡」があります。 ここは、夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)がイギリス留学から帰国した明治36年の3月から明治39年12月まで暮らした家があった所です。 漱石がこの地に暮らしたのは、わずか3年と10カ月でしたが、この地は漱石の作家デビューの地。あの「猫伝」こと「吾輩は猫である」(明治38.1~39.8 『ホ…

  • 『「おまけ」と「ふろく」展ー子どもの夢の小宇宙』~於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今『「おまけ」と「ふろく」展ー子どもの夢の小宇宙』開催中です。 (おまけ展情報)神奈川近代文学館では7/29~9/24まで「『おまけ』と『ふろく』展-子どもの夢の小宇宙」を開催します。 ポケットにグリコのおまけを詰め込んでいた子供の頃が懐かしいな。チラシをゲット。会期後半に北原照久氏の講演会も開催予定。#おまけ #ふろく #北原照久 #グリコ pic.twitter.com/8bc3CR0ICO — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) June 10, 2023 子どもにとって、身近でささやかな宝物であるお菓子や雑誌の「…

  • 生誕120年森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~於:森鷗外記念館

    現在、千駄木団子坂上の森鷗外記念館では、「生誕120年森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~」展開催中です。 【開幕】コレクション展「生誕120年 森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~」当館新収蔵・初公開資料や『森茉莉全集』未収録原稿を含む50余点を、2部構成で展覧しています。鴎外の長女として生まれ、現在も多くの人々を魅了する作家へと成長した茉莉の姿をご覧ください。10月1日までの開催です。 pic.twitter.com/OYwN3TTd48 — 文京区立森鴎外記念館 (@bunkyo_moriogai) July 14, 2023 森茉莉(明治36.1.7~昭和62.6.6 小説家・エッセイ…

  • 芥川龍之介記念館建設開始⁉

    田端の芥川龍之介旧居跡の隣地に、ずっと建設予定だった「芥川龍之介記念館」が、ようやく着工へ向けて始動しそうです。 www.asahi.com 北区が平成30年から建設を予定していた「芥川龍之介記念館」。 コロナ禍を挟んで、ずっと建設が延期されたままになっていましたが、いよいよ始まると、先日北区より発表がありました。 開館は、令和8年予定しているとのこと。 本来の開館予定は、昨年令和4年のはずだったので、ずいぶんと遅れてしまいましたが(このまま立ち消えになってしまわないかと心配になってしまったほど)、話が進んでいるようでよかったです。 建築費の一部は、クラウドファンディングで賄うそうです。 ww…

  • 薮下通り

    団子坂上の鷗外記念館から、根津神社方面へ下っていく坂道が「薮下通り」。 昔は本郷台地の中腹から根津方面に抜ける間路であり、踏み分け道であったこの道は、 江戸時代の切絵図(区分地図)を片手に、日和下駄を履いて蝙蝠傘を持って、東京市中の路地や坂道を、方々歩いていた永井荷風(明治12.12.3~昭和34.4.30 小説家)の、お気に入りの道でした。 荷風はこの薮下通りを通って、敬慕する鴎外の観潮楼に通っていました。 今ではすっかり整備され、立派な住宅が立ち並び、踏み分け道の感はどこにもありませんが、かつては道幅も狭く、雪の日には積もった雪の重みでしなった笹竹で、通るのも困難になるほどの道だったそうで…

  • 森鷗外記念館

    千駄木の団子坂を上りきると、左手に「森鷗外記念館」(旧・鴎外記念本郷図書館)があります。 森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)が、明治25年から大正11年に亡くなるまで、30年に渡って居住した「観潮楼」跡地です。 「観潮楼」とは、潮を観る楼(建物)。 昔はここ千駄木から、品川沖を臨むことができたそうです。 確かに団子坂を上り切った高台。団子坂にも汐見坂という別名がありますが、遮る物がなければ、ここから海が見えるのでしょう。 現在は遮る物だらけで、残念ながら海は見えません。 藪下通り側の入り口には、「観潮楼址」のプレートが。 津和野藩(現・島根県鹿足群津和野)典医の…

  • 団子坂

    東京メトロ千代田線千駄木駅を出ると、すぐ西に上がる坂が「団子坂」。 名前の由来は、昔、坂の下に団子屋があったからとか、急な坂なので雨降りのとき、転ぶと泥団子のようになるから等々、いわれのある坂道です。 他にも「潮見坂」「千駄木坂」「七面坂」という異名もあります。 団子坂はこれまで、数多くの文学作品の舞台となってきました。 有名どころでは、江戸川乱歩(明治27.10.21~昭和40.7.28 小説家)の「D坂の殺人事件」(大正14.1 『新青年』)。 (江戸川乱歩) 「D坂」とはもちろん団子坂のこと。D坂の古本屋で起きた密室殺人事件を、素人探偵明智小五郎が解き明かす推理小説です。乱歩が生み出した…

  • 上の坂から与楽寺坂、天然自笑軒跡~田端その4

    田端の高台にある芥川龍之介居住跡から東南に下っていくと、 masapn2.hatenablog.jp 階段状の細い小さな坂道があります。 看板をみると「上の坂」。 坂の名の由来は不詳だそうです。 近くに住んでいた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)、香取秀真(明治7.1.1~昭和29.1.31 鋳金家・歌人)らの名前と、芥川の田端の家の庭を詠んだ歌が記されています。 坂の町田端らしい、ひっそりとした路地裏といった趣のある、階段の続く小さな坂道です。 この上の坂を下りきると、その先には芥川家のホームドクターであった下島勲(明治3. 8.25~昭和22.5.30 医者・俳人)の…

  • 喜久屋洋菓子舗

    横浜、元町商店街にある「喜久屋洋菓舗」。 大正13年創業の老舗洋菓子店です。 創業者は石橋豊吉。ヨーロッパ航路の貨客船で、パン職人、料理人を務めたのち、元町にこの店を開きました。 元町通りが、山手の外国人居留地と、山下町の外国人商館とを結ぶ通勤路として賑わいを見せていたころ。ヨーロッパのパンや菓子が、まだ日本では珍しかった時代に、石橋がヨーロッパ各地から持ち帰ったレシピで作る洋菓子やパンは、人気を博しました。 また、外国人居留地のスイスの婦人が持ち込んだケーキのレシピを石橋が再現すると、たちまち評判になり、それを機に各国のケーキのレシピが集まるようになり、当時どこの店よりも早く、ヨーロッパのケ…

  • 神奈川近代文学館

    横浜、港の見える丘公園から伸びた霧笛橋を渡った先に、ひっそりと佇む円形の建物。 ここは「県立神奈川近代文学館」。 神奈川にゆかりのある近代文学の作家・作品の資料を蒐集・保存・展示している文学館です。 開港の地横浜や、古都鎌倉を擁する神奈川には、多くの文士が居住し、神奈川の地を舞台にした数々の文学作品が生まれました。 神奈川近代文学館の展示室では、常設展とさまざまな企画展で、神奈川ゆかりの文学を、魅力的に紹介しています。 常設展示室に入って、まず目に付くのは「漱石山房」という夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の書斎を復元したコーナーです。 紫檀の文机やペルシャ絨毯、蒔絵…

  • 鎌倉文学館

    江ノ電由比ヶ浜駅から北へ7分ほど歩いていくと、緩やかな石畳の坂道があり、その先にあるのが「鎌倉文学館」。 加賀百万石藩主前田利家の系譜である、旧前田侯爵家の鎌倉別邸だった洋館です。 前田家の鎌倉別邸は、もとは明治23年に和風建築の館が建てられましたが、明治43年に焼失し洋風に再建。今ある建物はそれを昭和11年に全面改築したものなのだそうです。 ハーフティンバー様式に切妻屋根と深い軒出などを合わせた、和と洋が混在する独特なデザインの外観。内部もアールデコ調の洋風を基調としながら、随所に和風様式も取り入れた和洋折衷な建物で、国の登録有形文化財にもなっています。 第二次世界大戦後は一時期、デンマーク…

  • 芥川龍之介旧居跡~田端その3

    大正3年10月末、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)一家が、北豊島郡滝野川町字田端435番地(現田端1丁目19-18)に家を新築し、引っ越してきました。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川の家は、もとは本所両国にありましたが、明治43年の夏、本所界隈は大雨に見舞われ、約3000戸が浸水。芥川家もあと1㎝位で、水が床につくところまでくるという被害にあいました。これを機に、芥川家は水の多い本所から、高台の田端へ転居することになります。 芥川が、この地に越してきたのは22歳のとき。それから35歳で亡くなるまで(一時的に鎌倉・横須賀)に住んでいたことはありますが)、ここ田端の家が終の…

  • 古桑庵

    自由が丘駅正面口を出て右、お洒落なショップ建ち並ぶカトレア通りを、5分ばかり進んで行くと、ふと駅前の喧騒が晴れ、静かな住宅地の趣になり、右手に落ち着いた古民家が現れます。 突然、タイムスリップしたかのような景色。とても自由が丘とは思えない異空間です。 ここは「古桑庵」という茶房ギャラリー。 小説家松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と友人の渡辺彦が、隠居後2人が楽しむ茶室として、昭和29年に作った建物です。 かつては住居として使われていたそうですが、平成11年に人形作家の渡辺芙久子が茶房としてオーブン。現在は、彦の孫で芙久子の娘にあたる方が、引き継いで運営しています。 「古…

  • 江戸坂から童橋公園~田端その2

    田端は坂の多い町です。 大正3年、田端に越してきたばかりの、当時まだ東京帝国大学の学生であった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が、友人の井川恭に宛てた手紙(大正3.11.30)で、 「たゞ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ そこで雨のふるときは一寸学校が休みたくなる」 と書いて送るほど。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川が田端に引っ越してきた頃の田端駅は、けっこう長い間工事中で、現在の田端駅の場所とは違うところ(現在の田端駅より北西、京浜東北線と山手線が分岐…

  • うさぎの潜む空き地~KeMCo新春展2023

    慶應義塾ミュージアム・コモンズにて、ただいま「うさぎの潜む空き地 鏡花のお気に入りたち」展開催中です。 今年の干支である、卯にちなんだ展覧会。 泉鏡花(明治6.11.4~昭和14.9.7 小説家)は、向かい干支がうさぎであったことから、たくさんのうさぎ雑貨をコレクションしていました。 向かい干支とは、自分の干支から数えて7番目の干支。ちょうど時計回りに干支を並べていって、自分の干支と反対側にある干支のことを指します。 向かい干支は、裏干支、逆さ干支、守り干支とも呼ばれ、これをあしらった物を持つと幸福が訪れるという慣わしがあり、鏡花は最愛の母鈴から、水晶のうさぎを貰い受けたことから、うさぎグッズ…

  • 漱石山房記念館~夏目漱石終焉の地

    地下鉄東京メトロ東西線早稲田2番出口を出て東側、夏目坂とは反対方向へずんずん進んでいくと、「漱石山房通り」という標識があります。 masapn2.hatenablog.jp この標識沿いに進んでいくと、左手に見えるは「漱石山房記念館」。 「漱石山房」とは、夏目漱石が明治40年9月、本郷西片町から転居し、大正5年12月に亡くなるまでの9年間を過ごし、終の棲家となった家のことです。 漱石は、ここに転居した年の3月、東京帝国大学英文科講師などの教職をいっさい辞し、朝日新聞社に入社。職業作家として文筆に専心する決意を固めました。 「三四郎」(明治41.9.1~12.29)「それから」(明治42,6,2…

  • 夏目漱石誕生之地~夏目坂

    地下鉄早稲田駅(東京メトロ東西線)2番出口を出てすぐの交差点を、市谷方面に上がっていく坂道があります。 この坂道は「夏目坂」。 そう、あの文豪、夏目漱石の「夏目」です。 この「夏目坂」のふもと、地下鉄早稲田駅出てすぐの交差点の近くで、慶応3年1月5日、夏目漱石(本名夏目金之助)が生まれました。 夏目漱石が生まれた所だから、目の前の坂道が「夏目坂」と命名された?と、ぱっと見思ってしまいますが、実はそうではありません。 もちろん夏目漱石にゆかりはあるのですが、命名したのは漱石の実父の夏目小兵衛直克。直克は当時名主として、牛込馬場下横町など11か所を治めるかなりの勢力者でした。「夏目坂」という名称は…

  • カフヱーパウリスタ

    銀座に現存する最古の喫茶店「カフヱーパウリスタ」。 明治44年に、南鍋町(現在の銀座6丁目)にオープンしました。 創業者は水野龍。ブラジル移民を仲介する、皇国殖民合資会社の社長でした。 水野は、ブラジルへの日本人移送の見返り、及びブラジルコーヒーの宣伝普及のため、 サンパウロ州からコーヒー豆の無償提供を受け、大隈重信の協力もあって、パウリスタを開業。(ちなみに日本初の喫茶店は、明治21年黒門町(現在の上野1~3丁目辺り)にできた「可否茶館」。また明治44年には、同じく銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」も開業しています。) 「サンパウロっ子」という意味を持つ「パウリスタ」。 …

  • 羽二重団子

    「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食ひませうか。先生あすこの団子を食つた事がありますか。奥さん一返行つて食つて御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」⦅「吾輩は猫である(五)」夏目漱石『ホトトギス』第八巻第十号 明治38年7月1日⦆ 夏目漱石の通称「猫伝」こと「吾輩は猫である」に登場する、猫のご主人と多々良君の会話にでてくるお団子。それがこの「羽二重団子」です。 店名もズバリ『羽二重団子』は、江戸時代文政2年の創業。 東京は根岸、芋坂の脇にあるお団子屋さんです。 開業当初は『藤の木茶屋』と称していたそうですが、供する団子が絹の「羽二重(柔らかく光沢のある絹織物の一種)」のよう…

  • 子規庵

    台東区根岸二丁目。山手線の鶯谷駅を北口から出て、五分ほど歩いたところに、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の居住跡である「子規庵」があります。 四国は愛媛県松山の出身である正岡子規は、明治16年に上京したあと、都内で数回転居していますが、この根岸の子規庵が終の棲家となりました。 子規といえばわずか21歳で、当時まだ不治の病であった結核にかかり喀血。病は高じて結核菌は背骨まで侵し脊椎カリエスとなり、明治32年32歳以降は、この小さな庵で寝たきりの暮らしになります。 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」(『病床六尺』19…

  • 『朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神』~田端文士村記念

    10月から田端文士村記念館の展示が変わりました。 『朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神~タバタ二サクタロウキタリ』と題した企画展で、萩原朔太郎没後80年、室生犀星没後60年、芥川龍之介生誕130年をそれぞれ記念した展示会です。 \今日から開幕/ 🐈 🐟 🐉◆企画展◆朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神~タバタニサクタロウキタリ~ #萩原朔太郎大全2022◆特別展◆🐉芥川龍之介と夏目漱石🐱🌕童謡に込められた雨情の詩心🦀ご来館記念にフォトスポットで記念撮影をどうぞ📷秋晴れの田端にぜひお越しください! pic.twitter.com/IP6n9D8p66 — 田端文士村記念館 (@bunshimu…

  • 田端文士村記念館

    東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に住んでいた芸術家や文学者たちの、作品や原稿、書簡などを展示し、その業績や、田端での暮らしぶりを紹介する区立の施設です。 田端は明治中頃までは閑静な農村でしたが、明治33年に画家で歌人の小杉放菴(明治14.12.29~昭和39.4.16)が移り住んだのを皮切りに、数々の芸術家・文学者が住むようになりました。 放菴のあとには、明治36年に陶芸家の板谷波山(明治5.3.3~昭和38.10.10)が、40年に彫刻家の吉田三郎(明治22.5.25~昭和37.3.16)が、42年に鋳金家で歌人の香取秀真(明治…

  • うさぎや

    上野広小路にある「うさぎや」。 大正2年創業の和菓子屋さんです。 「どらやき」が有名な、現在でも行列の絶えない人気店です。 創業者は谷口喜作(明治35.6.16~昭和23.5.25)。 俳人でもあり、河東碧梧桐(明治6.2.26~昭和12.2.1)主宰の俳句雑誌『海紅』(創刊大正4.3)や、『三昧』(創刊大正14.3)などに、句やエッセイを掲載したこともある、文人趣味のある店主でした。 文化人との交流も多く、滝井考作(明治27.4.4~昭和59.11.21)の随筆集『風物誌』(砂子屋書房 昭和13.8.25)や、短編集『積雪』(改造社 昭和13.12.18)などの装丁にも関わっている人物です。…

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