中野栄フリーマーケットで見られる「ネコバス」改造車です!
春に大郷町方面へ桜巡りに出かけると、いっつもこの桜の咲く風景が目に留まるんです。車を運転し、「支倉常長メモリアルパーク」を通り、道の駅「おおさと」なんかがある方へ向かう途中。他の季節も通ることがあるけど、その時は、全然意識したことがない。そばにある朱色に塗った小さなは橋がいいんでしょうね。「萬作橋」っていう名前だそうです。
大郷町の羽生(はにゅう)にある「築館公園(つきだてこうえん)」の桜です。 ここは本当にいい。ここは、神社としても、また同じ羽生という珍しいお名前の羽生結弦さんの聖地としても有名な「羽生天神社(はにゅうてんじんじゃ)」の近く。2021年にその神社に行った時、周辺はどんな場所なんだろうとウロウロしていたら、この公園を見つけたんです。
桜 大郷町【粕川稲荷堂で道端に見かけた桜】 (宮城県の桜090)
春に大郷町を車で走っていたら、道端にいい桜を見つけたので写真を撮っておきました。ここは大郷町粕川稲荷堂というらしいです。道路より少し高い所にあって、晴天なこともあってきれいに見えたのかな。まだ小さな桜ですね。
岩沼市(いわぬまし)に「岩沼市民図書館」という場所があるようだったので、どんな場所か見に行ってみた。
桜が咲いているこの神社を見つけました。宮城県道40号から一本裏に入った道路。鳥居が建っていて、その奥に境内へ上がる参道の階段がありました。境内にあった桜は10本ほど。歩いてみると、桜の風景がすてきな神社でした。
「長谷寺横穴墓群(ちょうこくじよこあなぼぐん)」という遺跡がある場所を見に行きました。「北長谷東公園(きたはせがわひがしこうえん)」という場所に、白い案内柱を見つけました。『長谷寺横穴墓群(C地点)』と書いてあって、説明文はなし。
桜 大郷町【支倉常長メモリアルパークの桜】 (宮城県の桜088)
大郷町にある「支倉常長(はせくらつねなが)メモリアルパーク」の桜です。藩主・伊達政宗の時代の仙台藩士・支倉常長のお墓がある場所。公園になっていて、駐車場と公衆トイレがあり、入口に建つ「支倉常長像」銅像から遊歩道を歩いて行くと、支倉常長のお墓があります。
町指定天然記念物 内海家の種まき桜 幹回りが約5.1m、高さ約10.1m、推定樹齢300年以上。地元では「種まき桜」と呼ばれ、昔は農作業の目安とされていた。開花時は特に地元の人々の目を楽しませ、心のやすらぎを与えている。
[01] 2021年[02] 2021年公園内にある八坂神社の桜風景[03] 2021年二の丸跡の桜の風景[04] 2021年すこし離れた所から撮った「大窪城址公園」の桜[05] 2021年[06] 2010年[07] 2010年[08] 2010年[09] 2021年[10] 2021年「大窪城址公園
[01] 2021年[02] 2021年公園内にある八坂神社の桜風景[03] 2021年二の丸跡の桜の風景[04] 2021年[05] 2021年[06] 2010年[07] 2010年[08] 2010年[09] 2021年すこし離れたところから撮った「大窪城址公園」の桜。[10] 2021年「大窪城
大郷町味明(おおさとちょうみあけ)の「飯綱神社(いいつなじんじゃ)」前にあった一本桜。 2013年撮影。
紫式部と同じ時代を生きた「源氏物語」光源氏のモデルの一人でアラサーになって京都から宮城に来た“超イケメンな実力派・天才歌人”和歌の才能に優れ、中古三十六歌仙に選ばれた一人。職務をしながら様々な歌枕(和歌に多く詠まれる名所)を訪ねて回った。
道端に「黒川神社」という矢印看板を見つけました。「黒川神社」の拝殿。林のなかにあって、境内の空気は清らか。
川崎町の本砂金(もといさご)という地名の場所。なんでも、「青池」という青い色をした美しい池があるらしい。 おもしろそうだから、見に行ってみました。とりあえず何でも見るのが好きなんです。
名取市の海から遠い辺り、宮城県道39号を車で走っていたら、道沿いに広がる冬の田んぼのなか、1本だけやけに目立つ木がある。あれは、たぶんイチョウかな。ただのイチョウにしては、やけに印象的な風景。もしかしたら、この辺の人たちに親しまれている名のあるイチョウなんだろうか。
マルホンまきあーとテラス【石巻市博物館】を見に行った 宮城県石巻市
「マルホンまきあーとテラス」というそうです。「マルホン」は、ネーミングライツによる地元の建設会社名。 「まきあーとテラス」は、公募で決まった愛称で、石巻とアートを合わせた造語だそうです。ちなみに、正式名称は「石巻市複合文化施設」だとか。
岩出山【有備館の森公園】伊達家カブトの屋外複合遊具/宮城県大崎市
「有備館の森公園」へ。公園には、ずっと前はボロい屋外遊具があった気がするけど、いつの間にかまるっきり新しくなっていました。よく見ると甲冑の兜みたいな飾りも付いていて、戦国武将感があってカッコイイ。重たい曇り空で天気は良くないけど、せっかくだから写真を撮って行くことに
Sendai Tosyogu[01] 仙台東照宮の桜(2017年春撮影)宮城県仙台市青葉区にある「仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)」は、徳川家康公を御祭神とする神社。仙台藩初代藩主・伊達政宗公の嫡男で2代藩主・伊達忠宗公によって1654年(承応3年)に創建された。本殿や唐門
国道108号から脇道へ入り、細い坂道を上り始めると、突如どーんと現れる古くて立派な塀。道路沿いだけでも100mくらい続いていて長い。思わず目に留めてしまう風景じゃないでしょうか。ここは「齋藤氏庭園(さいとうしていえん)」という場所。
全部2018年春に撮った写真です[01] 柴田町入間田の愛宕山山頂の桜[02] 山頂の愛宕神社と桜。[03] 愛宕山山頂からの眺めと桜。[04] 山頂の方ではスミレの花が咲いていた。 他にもカタクリの花も見られた。2018年春。宮城県の柴田町と岩沼市をまたぐ愛宕山
【佐藤忠良ギャラリー】絵本おおきなかぶの挿絵を描いた人 宮城県大和町
2階に『佐藤忠良(さとうただよし)ギャラリー』という入場無料の展示室がありました。なんと佐藤忠良氏は、絵本『おおきなかぶ』の挿絵を描いた方でした!あの『おおきなかぶ』です! 巨大に育ったかぶが抜けなくて、おじいさん、おばあさん、孫、犬……、と皆で引っ張ってようやく抜ける、といったお話。
今から400年近く前、ここの「北野天満宮」から勧請(かんじょう)したのが、仙台市にある「榴岡天満宮」とのこと。あの宮城県内で有名な「榴岡天満宮」のルーツとなっている神社だった!いやあ、知らなかった。これはすごい神社だ。驚きと鳥肌。
大柳の由来元の柳は、しだれ柳である。天を圧する大木で、幹周り約三米、高さ三十米以上、樹齢二百五十年ほどと推定される。川崎駅から野上駅までの距離が一里八丁(約四千九百米)あり、川崎駅から丁度一里の所の目印と一休みの場所ということから江戸(宝暦年)時代植栽され、大木に成長して大柳の名称が生まれた。度々落雷に見舞われ、特に昭和三十年の被害は甚大で、倒木の恐れがあるため、伐採の止む無きに至ったものである。
室町時代末期に、奥州探題の大崎氏の家臣である一栗兵部隆春が築いて居城とした東西約600メートル、南北約400メートルの範囲に、中館(本丸)、東館、小館、西館が馬蹄形状に配置され、それぞれが深い谷や断崖を防衛に利用している。
「民謡お立ち酒全国大会」というのを見に、大和町にある「まほろばホール」へ。宮城県での位置的なことをいうと、大和町があるのは、仙台駅がある仙台市の中心部から車で北へ40分くらい行ったところ。
昭和八年三月三日午前二時三十分突如強震あり。鎮静後約四十分にして異常の音響と共に怒濤澎湃し来り、水嵩十尺、名取川を遡上して西は猿猴囲に到り、南は貞山堀広浦江一帯に氾濫せり、浸水家屋二十余戸、名取川町裏沿岸に在りし三十屯級の発動機漁船数艘は、柳原囲の畑地に押上げげられ、小艇の被砕せられたるもの尠からざりしも、幸人畜には死傷なかりき。
「内藤以貫の墓(ないとういかんのはか)」という案内板。仙台市泉区の方でたまに見かける「泉史跡めぐり」っていう案内板ですね。いくつかその場所を見たことがあります。興味があるので行ってみることに
川崎町の本砂金(もといさご)という辺りを車で走っていたら、路上に野生のサルが!路上といっても、道路の反対側へ渡してある電線の上です。サルの真下を車で通過したけど、───逃げないもんですね。上からこちらを見ていました。
「勿来の関伝承地(なこそのせきでんしょうち)」という場所が気になったので、ちょっと見て行くことに。場所は、利府町にある「惣の関ダム(そうのせきだむ)」のすぐ下。脇道へ曲がる所には、今まで気付かなかったけど、「勿来の関跡入口」や「勿来曽神社(なこそじんじゃ)」という道しるべもありました。
大崎市の岩出山(いわでやま)で開催された「大崎バルーンフェスティバル」です!たくさんの熱気球が空へ飛び立つところを見られる、宮城県では珍しいイベント。 江合川の河川敷が開催地。ブログに書くのは、なんと17年振り。 また行きたいとはずっと思っていたけど、・・・このイベント朝早いからなあ。
陸奥上街道【天王寺追分】歴史の道百選という場所 宮城県大崎市
陸奥上街道上街道は大崎市岩出山上野目天皇寺から真山、栗原市一迫真坂から栗駒岩ヶ崎、岩手県一関市を結ぶ街道です。元禄2年(1689)3月27日(新暦5月16日)に、松尾芭蕉が門人の河合曾良を伴って江戸を出発し、欧州、北陸を旅した「おくの細道」の行脚経路の一つとして知られています。芭蕉は同年5月14日(新暦6月30日)に一関を出発し、上街道を通り岩出山に一泊しました
今冬の泉ヶ岳(いずみがたけ)は雪が少ない。2月初めとは思えない泉ヶ岳の風景です。写真に写っている雪が多い白い帯の場所は、泉ヶ岳スキー場。人工降雪機でがんばっているみたいです。雪が多いのも嫌だけど、少ないのも寂しい。
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中野栄フリーマーケットで見られる「ネコバス」改造車です!
作並温泉の手前にある新川の「新川ほたるの里」でホタル観賞をしました。
多賀城跡あやめ園での夜の花のライトアップ「光のインスタレーション」に行ってきました。
多賀城跡あやめ園の小さい池に野鳥のバン親子が住み着いていました。
「朴島」にあった「神明社」という神社と「八大龍」と刻まれた石碑。
白菜の採種で栽培されているという浦戸諸島「朴島」のナノハナ畑の風景です。
浦戸諸島の朴沢島で島歩きをしながら「弘安十年銘供養碑」というのを見に行きました!
政府備蓄古米のアイリスオーヤマ―「和の輝き」をダイシンで買いました。
浦戸諸島の朴島。島の北東では防潮堤そばにナノハナ畑がありました。
浦戸諸島の有人4島のひとつ「朴沢島」へ上陸!浦戸諸島巡り2島目をはじめました!
寒風沢島散策で島歩きをしながら撮って来た島の風景の写真です。
寒風沢島の北東にある美女浦の辺りを歩いてみました。極たまに海の景色も見えたりして意外とおもしろかった。
寒風沢島と宮戸島の間にある鰐ヶ淵。ここを寒風沢島側から見てみたかったんです!
【宮城県塩竈市】2023年5月に浦戸諸島(うらとしょとう)にある「寒風沢島(さぶさわじま)」を散策したことを書いています───「寒風沢島」にある「六地蔵」。 初めて島を歩いた時もじっくり見たけど、また近くを通ったし、印象に残った場所だったから今回も見て行くこと
【宮城県塩竈市】2023年5月に浦戸諸島にある「寒風沢島」を散策したことを書いています───[02] 島歩きの続きをしに「寒風沢島」へ船で渡り、最初に見たのはこのレプリカ「十二支方角石」。船着き場のすぐそばなのに、前回島を訪れたときは、この存在に気付かなか
浦戸諸島の寒風沢島。1度目の島歩きで全部行けなかったので、再び島へ渡りその続きをしました。
坪沼八幡神社から大仏岩へ向かう道路に水が出ている場所があった。湧き水ではなさそうだし、何だろう?
坪沼八幡神社の近くに大仏岩という道しるべがあったので見に行ってみました。
宮城県庁の県政広報室でやっていた「みやぎ絆大使」の展示を見てきました。あと18階展望ロビーからの眺めも。
新庁舎建設中の仙台市役所。工事見学スペースに工事のようすを見に行ってきました。
女川町(おながわちょう)で「いのちの石碑」というのをいくつか車で見て回った日、途中、見晴らしのいい場所が何ヶ所かあって、女川町中心部が眺められたりしました。今回のせるのは、そんな場所で撮ってきた写真です
女川町の堀切山にある「熊野神社」へ。 約800年の歴史を持つ神社だそうです。15年くらい前にもこのブログに書いたことがある神社。 現在の状態になってからは写真を載せるのは初めてです。
石巻市の牧山にある「零羊崎神社」神苑で、シャクヤクの花を見てきました!ここにシャクヤク園ができていたんですね。この数日前に、牧山でシャクヤクの花が見頃を迎えたという話題を聞いて、初めて知りました。5年ほど前に植え始め、約1000株あるそうです。神苑の斜面に咲くきれいなシャクヤクの花々。いい香りがしていました。
今年2月末で一旦閉館し、長期休業中の「仙台フォーラス」。このあいだ前を通った時、現在の風景もブログに残しておきたいと思い、すこし写真を撮ってきました。1975年「ジャスコ仙台店」として開業、1984年「仙台フォーラス」に改称。建物が築48年で老朽化しているので、大掛かりな調査をして改装工事をする予定だとか。建て替えや閉館ではないそうです。 再開は未定。
歴史の道「おくの細道」 芭蕉(ばしょう)と弟子の曽良(そら)は、元禄二年(1989)旧暦五月十日(太陽暦6月26日)松島を出発、小野を経て、石巻へ向かった。梅雨のあい間のむし暑い日であった。 ここ町頭から七十七銀行のあたりまでを新田町といった。新田町で二人は急に咽が渇いたので湯をもらおうと頼んだが、家ごとに断られたと曽良の随行日記(ずいこうにっき)に書かれてある。
【宮城県女川町】昔デジカメで撮ったある写真を探していたら、2007年に女川町に出かけた時に撮った写真がいろいろ出てきました。その時の女川町でのことはブログに書いて写真も載せたけど、使っていないものがたくさんありました。女川町には何度も行っていて、東日本
「せんだい農業園芸センター」にバラの花を見行ったら、入口の前にある畑で、一面に白い花が咲いていました。これってたぶん、ジャガイモの花ですよね。宮城県内でもジャガイモ畑を見かけたことはあるけど、このように広い畑で花が咲いている風景を見たのは初めてです。きれいなもんですね。
誰かの銅像が。「伊丹栄三郎翁像」と書いてあるようでした。あとからネットで検索すると、七ヶ浜町関係の伊丹栄三郎氏という人物は、七ヶ浜町第14代町長として名前が残っていました。100年ちょっと前で、まだ七ヶ浜村だった時代だろうから、当時の村長さんということになります。
『マツコの知らない世界』で取り上げていた「須賀神社(すがじんじゃ)」を見に行ってきました!"開運神社の世界" で、神社ソムリエとうい方が紹介した2024年に行くべき最強スポット神社の1ヶ所として「須賀神社」が紹介されていました。
「利府町(りふちょう)郷土資料館」に行ってきました。場所は、JR利府駅(東北本線利府支線)の300mくらい西にある「利府町中央児童センター」の3階。 入館無料。展示は、利府町内にあるいろんな古墳の解説、多賀城創建期(1300年前)の窯跡の大きな模型と解説、利府城の解説、古い時代の農具などでした。
サザエさん達が来て、多賀城市民のみなさんと一緒に「多賀城あやめ音頭」を踊っていました。なんでも、3ヶ月くらい前にTV放送されたサザエさんスペシャル『宮城・多賀城へ美味しい考古学の旅』で、サザエさん一家が多賀城跡を旅行で訪れたのが縁での参加だそうです。そのアニメでは、多賀城跡の政庁跡、復元南門、多賀城碑などを見て歩いていました。サザエさんたちが多賀城で輪踊りに参加するなんて、きっと今年限りの貴重な光景!
七ヶ浜町の湊浜にある砂浜に行ったら、変な形の植物が生えていました。どうやらハマボウフウというらしいです。希少な植物だとか。七ヶ浜町や、同じ宮城県内の名取市の方では、以前からずっとハマボウフウの移植や種まきなどの活動をしている方たちがいらっしゃるようです。たぶんこの砂浜のも、その方たちの活動によるものなんでしょうね。
「割石(わりいし)」という幽霊のイワレがある石があるそうです。以前、多賀城市の観光情報サイトで見かけました。場所は多賀城市を流れる七北田川のそば。昔、川に堤防を造るときに、人柱にされた女が幽霊になって現れたという曰く付きの石。どんな石なのか実際に見たかったから、このまえ近くを通った時に見てきました。
ついこの間、復元工事中の築地塀を覆っていたものがなくなって、その形があらわになりました!「多賀城跡あやめ園」であやめ祭りが始まったところだったので、それに間に合わせたのかもしれませんね。築地塀はこの後どうなったら完成なのか僕ではちょっとわからないけど、とりあえず外から見られるようになったので、周りをグルッと歩いてそのようすを撮ってきました。「多賀城南門」の2024年6月半ばの風景です!
草むらの細道を数メートル進んだらこんな洞窟が。きっと、これも「旧鮫ヶ浦漁港」付近にいくつかある特攻艇「震洋(しんよう)」の格納庫だった洞窟だろう。 と思いきや、この洞窟、向こう側に出口がある。どこかへ通じているトンネルのようでした。無骨なトンネル。 人が歩いた形跡もあるし、向こう側がどうなっているのか見たいから、トンネルを進んでみることに。
奥松島にある「旧鮫ヶ浦漁港」へ───。奥松島は、日本三景松島の東側にあって、風情ある自然風景が見られる地域。そのなかでも、奥の方にあるのが「旧鮫ヶ浦漁港」。太平洋戦争中、震洋隊(しんようたい)の基地があった場所だそうで、「第146震洋隊基地跡」でもあるそうです。日本が太平洋戦争をしていた今から80年近く前、第146震洋隊の基地があったそうです。 洞窟はその痕跡。宮城県には戦争の痕跡を簡単に目にすることができる場所が少ないので、ここは貴重な場所です。
多賀城市にある「志引石」を見に行った時、近くに公園があったので、何か花でも咲いていないかと、ちょっと見てきました。公園の端には「志引集会所」というのも建っていました。多賀城駅の西方約500mといった位置。 車通りの多い道路から離れた住宅街のなかにあって、きっとこの辺に住んでいる人しか知らないような公園じゃないかなあ。
仙台第一高校の南側に広がる一方通行だらけ住宅街。道端に何かの説明板が!なんだろう?と気になったから、じっくり見てきました。『林子平(はやししへい)ゆかりの地』という説明板でした!林子平は、仙台人なら名前を聞いたことがある人も多い人物。
これが「下がり松」だそうです。 太い枝を横に伸ばし、丸太の支柱も組まれた立派な松。町指定文化財(天然記念仏) 下がり松正確な樹齢は不明だが、樹高5.4m、幹囲2.1m、最長樹枝9.15mのクロマツである。明治時代以前に植えられたとされ、その枝ぶりから「下がり松」の名で知られている。
伊達家当主・伊達泰宗(だてやすむね)さんの火縄銃演武「仙台青葉まつり」本祭に行ってきました!火縄銃の音がでかい! もちろん空砲だったけど、ズドン!と鳴り、定禅寺通りにとどろいていました。