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雄勝湾(おがつわん)の方へ車で行った時、久しぶりに「支倉六右衛門造船地(はせくらろくうえもんぞうせんち)」の石碑を見てきました。10年振りくらいかな。この石碑があるのは石巻市雄勝町の呉壺(くれつぼ)という場所。およそ400年前、海を渡ってヨーロッパへ行くため、仙台藩によって、「サン・ファン・バウティスタ号」という船が造られた場所ではないかといわれています。
岩出山(いわでやま)にある「内川親水広場(うちかわしんすいひろば)」という公園から内川沿いにずーっと通っている遊歩道を歩いて行くと、「牛洗淵(うしあらいぶち)ポケットパーク」という場所がありました。「学問の道」と呼ぶらしいこの道にあるちょっとした公園です。
角田市(かくだし)にある「牟宇姫(むうひめ)」のお墓を見に行ってきました。「牟宇姫」という人物は、伊達政宗(だてまさむね)公の娘です。伊達政宗公には子どもが14人(10男4女)いて、「牟宇姫」はそのうちの9番目で、側室・お山の方の子です。 女の子としては2人目だったので、次女です。
青葉山公園の追廻に造っている【杜のリビングガーデン】がだいぶできていた、2023年3月
青葉山公園の追廻(おいまわし)に造っている「杜(もり)のリビングガーデン」という新しい大きな公園。今年の4月26日から開催される国内最大級の花と緑の祭典『第40回全国都市緑化仙台フェア 未来の杜せんだい2023~Feel freen~』という大規模な催しのメイン会場になるという場所です。おととい、そばを通ったので、もう時期完成するであろう公園は今どんなかんじなのか、ちょっと見てきました。
真田幸村子孫「真田幸清筆子塚」と「真田豊治墓碑」、矢附真田の郷歴史公園 宮城県蔵王町
矢附舘島(やづきたて)という地名の場所にある「矢附真田(やづきさなだ)の郷歴史公園」です。「真田幸清筆子塚(さなだゆききよふでこづか)」と「真田豊治墓碑(さなだとよじぼひ)」というのを見る場所。ここには以前も一度訪れたことがあったけど、ブログに書かないままでした。その時はたしか2016年で、テレビのNHK大河ドラマで真田幸村を主人公にした『真田丸』の放送があった年です。
「茂庭家霊屋」松山の石雲寺にある仙台藩重臣の茂庭家の墓所 宮城県大崎市
石雲寺(せきうんじ)にある「茂庭家霊屋(もにわけおたまや)」を見に行きました。霊屋いうのはお墓に建てる建物のこと。松山には御本丸公園の桜、アジサイ、コスモスなど、季節の花をたまに見に行ったり、イベントでは一ノ蔵の蔵開放、松山邑(むら)まつりなどを見に行ったことがあるけど、「茂庭家霊屋」はまだ行ったことがありませんでした。
月浦(2/2) 月浦漁港の「南蛮井戸」・「月浦出帆三百五十年記念」碑・「支倉六右衛門常長解纜地碑」
「月浦漁港」には「南蛮井戸(なんばんいど)」跡、石碑・板碑など、木造船「サン・ファン・バウティスタ号」と支倉常長関連のものがいくつかあります。観光スポットというほどの場所じゃないけど、この船や支倉常長の使節団に興味のある人はぜひ訪れておきたい場所ではないでしょうか。
『政宗公まつり』の本まつりを見に行ってきました!岩出山は、仙台藩祖「伊達政宗」公が、仙台へ移る前に居城していた岩出山城のある場所です。600人規模のパレードだという「伊達武者行列」は、本物の馬を使った騎馬武者、そしてこちらでは非常に珍しい「牛鬼」などが練り歩き、非常に見応えがあります。
月浦は、今からおよそ400年前、伊達政宗公の命により家臣の支倉常長という人物が、太平洋を渡りローマへ行くため、サン・ファン・バウティスタ号という木造船で出航したという場所。現在は、宮城県道2号から横道に入ってすぐの高台の場所に支倉常長像のある公園があり、その下の漁港には石碑などがあります。
ダテマエ!だった昔仙台駅にあった有備館駅の白い「伊達政宗公騎馬像」
大崎市岩出山(いわでやま)に行った時、久しぶりに有備館駅(ゆうびかんえき)にある白い『伊達政宗公騎馬像(だてまさむねこうきばぞう)』を見てきました!この白い『伊達政宗公騎馬像』は、2008年まで仙台市の仙台駅にあったやつです。「仙台駅」2階のステンドグラスのそばにあって、“伊達前(だてまえ)”、“騎馬像前(きばぞうまえ)”、“政宗前(まさむねまえ)” などと呼ばれる仙台人定番の待ち合わせスポットでした。
伊達政宗公が鹿狩りの時に泊まったという牡鹿半島の「御仮屋跡」
牡鹿半島を車で巡った時に見た場所です。ここらはたぶん大原という辺りだと思うんですけど、海近くの道路を走っていたところ、なにやら案内板があったので見に行ってみました。この御仮屋は、元和五年(1619)に、藩祖伊達政宗が遠島(牡鹿半島)の鹿狩りに御出馬の際の、宿泊所として建てられ、四代綱村の寛文四年(1662)に廃止された。古記によれば、 一、御仮屋家四つ 一、御座之間 三間 拾間 一、御広間 二間半 拾壱間 一、御長屋 二間半 拾六間半 一、御仮屋惣廻柴垣 百三拾五間 持ち高 五百八文 御仮屋守る掃部左衛門とあり、相当の規模であった。政宗も二代忠宗も遠島の鹿狩りを好み、しばし出馬し、その都度此御仮屋に泊まったと言われる。 大原や小塩も此所に陸奥の波の花こそ 見事なりけれ(大原にて) 政宗 ゆききせしむかしの跡と思うにぞ 見ぬ世も忍ぶ海つらの宿 五代忠宗
「伊達政宗の座った石」や「仙台藩磯浜唐船番所跡」がある『磯崎山公園』 宮城県山元町
このまえ久しぶりに山元町(やまもとちょう)にある「磯崎山公園(いそざきやまこうえん)」に行きました。 15年振りくらいになるかな。山元町があるのは宮城県の海沿いの南端。 そんな山元町の中でも「磯崎山公園」があるのは海のすぐそばの南端の辺りで、福島県との県境付近。本当に宮城県で海沿いの南端という位置です。「磯浜漁港」がそばにあって、少し高くなった土地の上に公園があります。
「伊達政宗公騎馬像」の石膏原型の胸像。それと“人面土器!”。 しばたの郷土館
「船岡城址公園」のところにある「しばたの郷土館」で、『伊達政宗公騎馬像 石膏原型(だてまさむねこうきばぞう せっこうげんがた)』を見てきました。この『伊達政宗公騎馬像石膏原型』は、「仙台城址・本丸跡」(仙台市)にある仙台のシンボル「伊達政宗騎馬像」を造る時に使われた石膏の原型だそうです。いわゆる像を造る鋳造(ちゅうぞう)の工程で使われたものになるんですが、僕は鋳造というものの詳しいことがよく分からないので、後でのせる「しばたの郷土館」にあった案内板の画像をぜひ見てみてください。この石膏原型は、宮城県人には一見の価値あり!の貴重なものです。
一関市大東町大原、一関市役所大東支所、一関市大原市民センターの裏手、大東勤労者体育センターやグラウンド一帯が田手館跡となっています。 奥州仕置後、この地を治めた伊達政宗がかつて大原氏の居城であった山吹城の城下に建てた近世の居館です。 以後、地頭として粟野大膳、伊達忠房、伊達村興、但木土佐などが勤めました。 天明元(1781)年より平賀源蔵が移封されましたが、仙台より移らなかったために自然廃館となりま...