chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 線か円か。

    人生も時間も世の中も。線か円かで大違い。線、それを引けば前後上下左右順番ができ、前の人は追い越せない。円、前も後もよくわからず、上下左右もおぼつかない。追い越す追い越されるの概念は無である。一円相。線か円か。

  • よるさるこんさる。

    みざるきかざるいわざるよりもかまわざるこそまさるなりけれ。よるさるこんさる。

  • 叶に休祥。

    叶福助さんは実在の人物だという。出所知らずながら、福を扶けるも福に助けられるも叶うさま、福不可量まことにもってである。あやかれや。叶に休祥。

  • 旬の神様。

    新たま於いて新にんにくのよろしい季節。大蒜と玉葱で滋養強壮の神なんちゃって。旬の神様。

  • 又三郎とスナフキン。

    風の又三郎とスナフキンはちょっと似ている。どちらも風来坊で妖精っぽい。又三郎とスナフキン。

  • なぜなら。

    わし、つよいなぜならよわいからわしこわくないなぜならしらんからわしかしこいなぜならこれからやからせやからわしたのしい2020/12/18なぜなら。

  • とどのつまり。

    一口に芸者のために男が堕落するとよくいわれますけれども、芸者のために堕落するような人間は芸者がなくてもとどのつまりは堕落するので、あるいはそれ以上の毒を流し罪を創るかもしれません。現代の紳士淑女の人々に、芸者への攻撃を立派にできる資格のある人がいくたりあるでしょうか。それが問題です。ー石井美代酒が人間を堕落させるというような人がいるようだがわかっちゃいない。もともと堕落するような人間が酒を呑んだだけじゃあないか。というようなことを言ったのは確か立川の談志師匠。とどのつまりとはそういうことだ。とどのつまり。

  • 涙香さん。

    黒岩涙香さんは、土佐のいっごっそうだ。予は客を愛する。長居しない客を大いに愛する。なかでも来ることのない客をもっとも愛する。涙香さん。

  • 益軒先生。

    貝原益軒先生は牡丹が大変好きであった。花の咲くのを楽しみに丹精込め育てたそれらは、開花時期になると庭一面咲き乱れたそうである。ある日の先生留守中の事、書生二人が庭で相撲を取ろうということになった。最初は気を付けていたがつい夢中になってしまい、先生の牡丹をほとんど踏みにじってしまう。先生が帰ってくると二人はどんなに怒られても仕方がないとあやまりにあやまった。が、先生は「あ、そうか」といったきりである。もしや聞こえなかったのかと、もっと大きな声で牡丹を踏みにじってしまったともう一度おおいにあやまったが、やはり「あ、そうか」というばかり。困惑した二人は、「先生どうぞ私たちを叱ってください」というと、先生はこう云ったそうだ。「私が牡丹を育てるのは花を楽しむために育てるのじゃ。ここで私が腹を立てたら、腹を立てるため...益軒先生。

  • 主従表裏のたぐい。

    こんな話がある。幕末の漢詩人として知られる燕石は、博打が三度の飯より好きと言う人で、よく門人から諫められていたという。「先生、詩人の名に傷がつきます。やめてください」すると燕石笑ってこう応じたという。「詩人の博打うちだと云うからいけない。博打うちが詩をつくっているといえば美しいじゃないか」また、豊臣秀吉があるとき侍臣らに、「わしを猿に似ているという者たちがあるがほんとに似ておるか」と問うた。だれも答えるのを憚っていると、曾呂利新左衛門が進み出て、「いやいや殿下は猿に似ているのではありません。猿が殿下に似ておるのです」。とまた、こんな話を思い出した。新地のホステスが、「私、実は女子大生なんです」するとある男がこう言って返した。「女子大生のホステスかあ。てっきりホステスが女子大に通ってるのかと思っていた」主(...主従表裏のたぐい。

  • 売茶翁

    獅子舞をやるから何かの役をやれという。仕方ないので笛を吹く役も太鼓を叩く役も辞退して後足の役を願い出た。いやあこれが一番気楽でええわい。茶を売る翁と称された人の洒脱な精神が喜ばしい。売茶翁

  • 谷木因さん。

    芭蕉さんと仲が良かったといわれる木因さん。裏散りつ表を散りつ紅葉かなと一句詠んだ。木因さんと良寛さん(うらをみせおもてをみせてちるもみじ)。山中鹿之助はん(憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試さん)と熊沢蕃山はん(憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の心試さん)。寺山修司氏と井伏鱒二氏(さよならだけが人生だ)。といったリレーションシップに時代や歴史を超えた何かをおもいます。谷木因さん。

  • 一酔

    青銅好く著す布嚢の中去って人間の小臥龍に謁す久しぶりにあなたとお酒を酌み交わそうと思っていたのに、お金のある時に限って逢わないなんて。こりゃまた残念。良寛さん、これまたしかり。一酔

  • コクトーさんのスタイル。

    私がジャン・コクトーさんを好きな理由は、おしゃれだからである。私の好きなおしゃれはファッショナブルということではなく、スタイリッシュな様子にそれを感じます。曰く「詩人はモノを描写するのではない。詩人はあるべき姿を解きほぐし、また違った風に結びなおすのだ」。絵を描かせたら、描きすぎを嫌い心に浮かぶものを線に乗せてしかもスピード感あふれてその世界を纏め上げてしまうのです。ファッショナブルな人はたくさんいるけれどスタイリッシュな人はなかなかいない。コクトーさんのスタイル。

  • 鐘も鳴るなり法隆寺

    ながむればわがこころさえはてもなくゆくえもしらぬ雲の影かな鐘も鳴るなり法隆寺

  • なにをくよくよ。

    水はどんな体になろうと文句は言わない。凍ろうが沸騰しようがおかまいなし。どこに行こうと頓着しないし、昼夜をおかずとどまることもない。岩に当たって激しても淵に嵌って沈しても無心だ。「随流識得性無喜無憂」流れに随いて性を識ること得れば、喜も無く憂も無し。水の流れをみて暮らそ。なにをくよくよ。

  • 良寛さんと貞心尼はん。

    良寛さんの前に座った貞心尼は、才媛もさることながら、清楚で匂いたつような美貌の人であった。道をひたすら歩いてきた良寛さんへの、仏からの贈り物のようにも思える。良寛さん70歳、貞心尼はん29歳のひとせである。師の君にはじめてこうやっておめにかかり、嬉しくていまだに覚めない夢のような気持ちです。夢ならばやがて覚めるでしょうか。と、貞心尼はん。夢のようなはかないこの世の中で、もううとうとと眠って夢を見、またその夢を語ったり夢を見たりするのも、その成り行きに任せましょう。と、良寛さん。梅の香りの桜花が柳に咲いた。そのような精神的な恋愛に、憧れにも似た感情が湧きます。良寛さんと貞心尼はん。

  • 真向いの翁。

    薮内竹心紹智、通称竹心という人、茶人ながら邪道に落ちた茶道を嘆き門を閉ざして俗との交わりを絶つ。その際「わしゃ真向勝負を挑むのに背面(そむく)と見る人これ笑止なり」と自賛した。評伝によると、その性、滑脱にして洒落、また剛毅にして権門に屈せず、時流に卓越し、常に茶道の正風を求めた人であったという。真正面からその面構えを見てみたい歴史上の人物の一人である。真向いの翁。

  • 猪兎亀ばあちゃん。

    干し芋がムシロに並べられている。干し柿の粉が陽光に輝いている。生垣の影の用土の上の満ち足りた膨らみに光が筋をつける。かまどで燃えるパチパチの木が、くゆらせたなびかせる層雲。まるまった暖かい相貌を崩して、ばっさまが静かに笑う。木綿の縞が幾重にも重なって深い情愛の風景を纏っている。そんな日和の風景が確かにあった。お袋にも、親父にも、じいさんにもない。ばあさんの日和が。近づくと、手に取ると、するりと零れるような日和。なんでだろうか。ばっさまは笑う。猪兎亀という芽出度い名前そのままで。浮きことも。浮かざることも。過ぎざれば。ただ夢の如くある。猪兎亀ばあちゃん。

  • 人が嫌がること。

    ゴマカサレルコト。シハイサレルコト。ナメラレルコト。ケッテイケンヲウバワレルコト。ゴカイサレルコト。蟷螂も斧を構える。惜しむ。からではない。守るために立ち上がり構える。生き物は、そっと触られると構える。不安定さに構える。圧力をかけ、ギュッと抱きしめると素直になる、という。恐る恐るは伝播するのだ。構えさせたくなければ。シハイショウトシナイコト。ゴマカソウトシナイコト。アマクミナイコト。ソンチョウスルコト。攻撃する為に構えるのではない。ドキドキだから構えるのだ。構えさすほうも構えるほうも。本意ではないことは多い。人が嫌がること。

  • ふうせん。

    すがるおひともおりゃせぬみなら。いだくるおもいはこのきのふうせん。ふうのきままにいくてをたくし。ねんげみしょうのかぜのふね。ながれるかわにせもあるほどに。あたしゃこのきでうかびもあがらせ。ういたはれたはこのよのえにし。どうせのるふねかぜのふね。ああ風の船。無山人2007-02-24 なんとなく落書。ふうせん。

  • 酒ありて。

    おお酒よ乾いていた心は潤い弱っていた心は蘇り散らばっていた心は次第にひとつに纏まってくるただちに心の栄養となる。酒ありて。

  • 狐の嫁入り

    降るか降らぬかわからぬ雨ハ持つか持たぬかわからぬ笠ヨそんなこととは露知らズ差すか差さぬかこぬかの雨ハさすもささぬも抜き差しならズなせばなるよの日も差した。狐の嫁入り

  • 闇と青。

    鍋に入れる具をそれぞれが持ち寄り、暗闇の中で各々が鍋に入れ、その食感において雑多で多様な発見と面白きを得るのが闇鍋だ。なかにはゲテモノや草鞋が入っていたりするがそれも一興と笑い飛ばすのがルールである。人生は闇鍋なりそれにつけても空の青さよ。闇と青。

  • 使節団と魯迅。

    昔、景気の良かったものは懐古を主張し今、景気の良いものは現状維持を主張し未だ、景気の良くないものは革新を主張する。使節団と魯迅。

  • 鮎は瀬に枯木に烏、人は情けのうちに住む。

    だましはきかず泣き言もきかず叱咤もきかずきくのはおのれの内なる声のみ。鮎は瀬に枯木に烏、人は情けのうちに住む。

  • 城窓から山間を望んで。

    芸術的手段や創造的衝動に我々が駆られるのはそこに自己という客観者の存在を認めたいからではないか。主観的なものを客観的な方法を用いて弁証することは人生の処方箋をつくることに役立たせる。という意味において。城窓から山間を望んで。

  • 潔(いさぎよ)さ。

    男子の本懐とはなんぞや女子の本懐でも構わん諸子におけるいだきしほんぶんのところを述べよ。潔(いさぎよ)さ。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、musanjinさんをフォローしませんか?

ハンドル名
musanjinさん
ブログタイトル
南無煩悩大菩薩
フォロー
南無煩悩大菩薩

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用