江戸時代初期は、まだまだ気軽に『正法眼蔵』を学べる時代ではなかった。これは、中世は各寺院に秘蔵され、容易に閲覧出来なかったためである。そこで、そういった時代から徐々に、世に出てくる状況にあって、『正法眼蔵』の評価がどのようになったのかを見ておきたいと思う。其の次に、正法眼蔵を以て残缺の書と為す。此の書、固より舛駁謬●(業+頁、類の異体字か)無しと言うべからず。渠、法門の大意を知らず。是に於いてか、観るべし。夫れ貝多真典流布に落ちざるもの、幾多なるかを知らず。静琬智苑の石経、坐読すべし。東陽資福の化典、往誦すべきか。然りと雖も、末世不刊の修多羅、千万年不朽の法宝なり。外家に就いて之を言えば、金簡玉書酉陽逸典紳経秘籙及び汲家竹書穆天子伝、代わりて宝惜すべき、句読と為すこと難し。正法眼蔵の如きは、誠の蔵書なり。...梅峰竺信禅師『林丘客話』に見る『正法眼蔵』の評価について