8-5-2 宦官と内閣
『アジア専制帝国世界の歴史8』社会思想社、1974年5暗雲こめる大明2宦官と内閣「永楽年間の宦官は、五府(軍事機関)、六部(りくぶ=行政機関)に派遣されると、府部の役人から一丈はなれてあいさつし、路上で公侯にあえば、下馬して道をさけた。のちの王振、汪直、劉瑾のころには、府部の役人をじぶんの配下の者のように呼びつけ、公侯と路上であえば、公侯らがさけるようになった。まことに主客転倒もはなはだしいというべきか。」洪武帝は創業の功臣を一掃した。永楽帝は一族の諸王を無力化し、宦官を皇帝の耳目や手足とした。こうした皇帝独裁の体制の確立がまねいたものは、宦官の横暴というおきまりのコースである。王振、汪直、劉理らは、これを代表する明代中期の有力な宦官であった。永楽帝をついだ洪煕帝は在位わずか一年で世を去り、子の宣徳帝が五...8-5-2宦官と内閣
2023/12/30 15:15