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  • カモメたちに

    えさを欲しがってカモメたちはついてくる。あいにく手持ち不如意であった。せめて唄でもと思って。我ときて食えや歌えや飽きるまでカモメたちに

  • 老様(おいざま)。

    つつましやかに又親しく人に交わり元気にわかりやすくものを言い自らは加わらないが若い者の喜悦をまじめに擁護しいろいろと気をもちいて世話を心がけ周囲が喜ぶことに満足と好感とを示すことのできる老人になるためには何が必要か。老様(おいざま)。

  • 雲があれば

    運があれば運にしたがうように。雲があれば

  • 湖があれば

    海があれば海を想うように。湖があれば

  • 道があれば

    路があれば路を往くように。道があれば

  • 仏法

    ぶっぽうはるかにあらずこころのなかにしてすなわちちかし般若心経秘鍵仏法

  • 如是性

    ある人、自己の欠点を知悉し得ない処に、一切の悩みと悲しみとは生まれる。ゆえにまた一切の苦悩の超克と解脱は自己の「如是性」の徹見あるのみ。と宣う。さは如何に。如是性

  • わしら、哺乳類。

    飛べないよとかんがえている哺乳類より飛べるかもとかんがえている哺乳類のほうが好きだしましてや飛んでいる哺乳類が存在することに私は感動している。わしら、哺乳類。

  • 2017/08/13

    title:72年前の、ある一枚の写真-焼き場にて-少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた。・・佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で...2017/08/13

  • 売りに出る無意識

    (picture/source)フロイトの説いたものは意識についての無意識だったのか、無意識における意識性といったものであったのか。ものごとの「もの」の説明はいま、ものごとの「もの」の説明は一世紀ほどの間にいかほどの発展があったのかは定かでもない、人にまとわりつくそのものやそうでないものといった無防備なもの、フロイトの説いたものは意識についてのものだったのか、無意識についてのものであったのか。ストリップを学問したひとのスリップが無意識とともに売りに出されている、49ドル99セントで、無意識のようなものも一緒に。すぐ着た方がいいのか買った後で脱ぎ捨てるべきなのか、テンポラリー・コンテンポラリーを体現する機運、僕はこれはアートという芸術運動の浮世絵ではないかとにらんでいる。名前は、まだ無い。売りに出る無意識

  • 白楽天もしくは白居易

    飢えては喰らい楽しくて呑み穏やかなる眠りに安んず死生は可もなく不可もなく達せるかな達せるかな漢詩の良いところは、意味の謂わんとするところ、心情に沿うところの感得、それらを自由にさせてくれる遊び、とでもいいましょうか、私にとっては、その懐の深さにあると思っとります。また、特に酒を愛でることにおいて、李白と白楽天は大好きなご両人なのであります。はてさて達せるかな達せるかな白楽天もしくは白居易

  • 良寛さん

    災難に逢う時節は災難に逢うがよく候死ぬる時節には死ぬるがよく候是はこれ災難をのがるる妙法にて候。良寛さんは好きというよりも存在してくれたことに有難さを感じています。私にとっては、愚で愁で厳でなお了。というものをちらりはらりと大事の時に見せてくれるところなのです。良寛さん

  • 四季のこと。

    春は青く夏は朱く秋は白く冬は黒い。人生も四季の如く移ろう也や否や。人の一生、その成り行きは焼かれるまでわからんとも言うが。それ我が移ろいの終わるとき。そうしきと呼ばれる。四季のこと。

  • 2012/07/13

    title:まちなかの仙人出すぎたことを気にかけ、くたびれてはいても態度は朗らか、、言葉は少ないながらも解り良く声を出し、若い者の喜びを真面目に見守りそれを楽しむ。目は剥かず、剥く歯はなく、肩にも自我にも入れる力は忘れている。なによりも、自分が人を傷つけ芽を摘むことを恐れている。そして少しの茶気といくつかの魔法を持っている。佳き事佳き人は、順番に巡り行きかつ往来することを信じて生きる。2012/07/13

  • 2012/11/08

    title:心のまことかまぼろしか。子供には色々なものが見えるという。そして大人になるに随って見えなくなるものがあるという。超現実的世界を全否定するつもりはないが、こんな話がある。毎夜枕元に立つ幽霊に悩まされた男が和尚を訪ねる。和尚はその男に対し大豆を幾粒か手に握りしめさせてからこう告げる。決してこの手を開いて中を見てはならぬ。そのまま夜まですごし、幽霊が現れたらこう聞け「この手に握っているものはなにか?」すると幽霊は「大豆」と答えるだろう。そしたら「では何粒あるか?」と問え。幽霊はしばらく考えるじゃろうが、たぶんスッと消えていなくなるはずじゃ。その夜やはり幽霊が現れたが、和尚の云われた通りのやりとりが起こり、幽霊は数を答えられずスゥ~と消えていなくなった。次の日男は和尚にそのわけを聞くと、「おまえさんは...2012/11/08

  • ほとけの子

    タケノコ竹になる。仏教では死ねば皆仏(ほとけ)とよばれる。ということで親が他界している私らは皆、仏の子である。仏になれるかどうか。1+1=2というのは算術だが、術では説明のつかない1+1=1ということがしみじみとくる今日この頃である。一滴に一滴を足しても二滴にはならない、またかわった一滴になるだけだ。ほとけの子

  • 瞬歩進歩春歩、不易流行のこと。

    KeyframeAIVideoMadewithLumaandMidjourney新しいものは常に新しく、古いものは順番に古い。ということがにわかにわからなくなってきた。それとこの頃思うことがもう一つ。なんとなくいらないと想っていたものがはっきりといらなくなってきた。瞬歩進歩春歩、不易流行のこと。

  • ルバイヤート(四行詩)より

    魂よ謎を解くことはお前にはできないさかしい知者の立場になることはできないせめて酒と盃でこの世に楽土を開こうあの世でおまえが楽土に行けるとは決まっていないいつまで一生をうぬぼれておれようあるなしの論議などに耽っておれよう酒を呑めこう悲しみの多い人生は眠るか酔うかして過ごしたがよかろうルバイヤート(四行詩)より

  • 2013/04/27

    title:T.レックス。Q:あなたは後世に何を残しましたか?A:骨。Q:あなたはこの生々しい現実をどう思っていますか?A:これは錯覚ではない、事実。しかし具体的な現実は私にとっては偉大な錯覚。Q:あなたが探していながら見つからなかったものは何ですか?A:未来。Q:あなたは何を最も恐れましたか?A:恐がること。Q:真実ということについて聞かれたらどう答えますか?A:真実ということについて。Q:あなたは幸せですか?A:時々。Q:あなたは肉は好きですか?A:はい、新鮮であれば。Q:あなたは肉体と魂は違うと考えてますか?A:食べられる方が肉体で、食べる方、つまり食べられない方が魂。Q:あなたにとって合理的とはどのようなことですか?A:錯覚の反対側にあるもの。Q:最後に今のあなたの状況について教えてください。A:...2013/04/27

  • 落首の妙

    豊臣の秀吉が豪華絢爛たる聚楽第を建造した時、その柱に、「驕れるもの久しからず」と落書きされた。くだんの祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・・に掛けてであるが、さすが大物秀吉怒るどころか、「驕らなくても久しからず」と返歌を書いたという、嘘か本当かよくできた逸話がある。この話をなんとなく想い出して、二つ並べて書いてみた。久しからず。落首の妙

  • 正法眼蔵

    生きる時はただ生き死ぬときは死に向かってただ従う。厭ったり願ったりしてはいけない。薪は燃えて灰になるが、だからといって灰は後、薪は先と見てはいけない。その前後関係はあくまで断ち切れており、あるのは現在ばかりなのだ。人の生死も同じで、生が死になるのではない。生も死も一時の在り方に過ぎない。ー道元禅師正法眼蔵

  • 2014/06/19

    title:随意と不随意。随意と不随意を司るトップ同士には軋轢があった。脳が指示を出す「休め」、心臓は答える「休むことはできないのだ」脳が言う「おれの命令が聞けないのか」、心臓は突っぱねる「一身を賭してもできかねる」・・やがて心臓は寿命を迎え力尽きた、脳は薄れゆく意の下で最後につぶやく、「だから休めといったのだ」・・。そして脳も心臓も一緒に働いた組織は全員が静かに土に還る準備を始めた。しかしそれが休息を停止を意味したわけではない、この世界が休むことはない、腐敗の中にも発酵はある。より大きな「意」のなかに転化したのだ。2014/06/19

  • それ花の去る様。

    梅は綻び、桜は散り、椿は落ちる、牡丹は崩れ、菊は舞う。咲かない花が散ることはないように、生きない人が死ぬることもない。どのように散ろうが、それは咲いたということだ。それ花の去る様。

  • 桜花によせて花讃題。

    ちるさくらのこるさくらもちるさくらー詠み人知らずたったよしのもみるひとけりゃはなももみじもたにのちりー頼山陽みんひとのためにはあらでおくやまにおのがまことをさくさくらかなー白隠禅師桜花によせて花讃題。

  • 今死んだ。

    死を想え。メメント・モリはそうした共通感覚にふさわしい響きを持って問いかける。死というものを。いわんや生を。*今日で毎日遺書を書くつもりでblogを初めてはや7506日目である。ということでもういつ死んでも悔いはない。また、様々なこと思い出すブログかな。ということでこの間の想い出も少しはある。ということで、「メメント・モリ」と「アーカイブ」というカテゴリーをつくってみたったりしました。今死んだ。

  • 待庵 妙喜

    人は折々裏腹の表情を見せる。表情の裏にあるもの、心の躊躇に焦点を当てる。例えば認知症の人が歩き回るのがなぜ問題なのか。不用意に歩かれて困る人が周りに存在するからだ。言葉そのものででなく、誰かが乱暴な言葉と決めつけて初めて、それは暴言と呼ばれるようになる。優劣は、そこに優と劣の線を引かない限り存在しない概念でしかない。そんなここんなを待つ心の庵、それが妙喜庵である。待庵妙喜

  • ゆめみし夢

    むかしみしゆめふりすてていまはむかしのゆめこいし。ゆめみし夢

  • 藻の掻きかた。

    (gif/originalunknown)蛙の住んでいる環境でクロールは似合わない。やっぱり平泳ぎだ。水は掻かねばならない。牛乳の壺に落ちた蛙があきらめず藻掻いていたらやがてそれがバターになってきて命からがら逃げだせた。なんていう話もあるようにモガキは大事である。ただ悪あがきはいけない。藻の掻きかた。

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南無煩悩大菩薩
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