今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
大阪の胴裏・八掛は正絹が当然なのがすごい!? ~和裁士さんのお話~
今回は、和裁士さんのお話シリーズで、胴裏・八掛けについてです。 和裁士さんによると、大阪のリサイクル着物は普通の着物にも良い正絹の胴裏・八掛が当然のように付いているのがすごいのだそう。和裁士さん:「私が大阪の中古市場の着物を見ててすごいなと思ったのは、ほとんどの商品の胴裏・八掛に当然のように正絹を使ってあることなの。 愛知県では、私が見てきた他のお店の様子や知人の嫁入り道具では、そこまで高級品じ...
収納の話 着物はスチールラック、帯はプラ引き出し、帯揚げ・帯締めは布ゴムでまとめる。
前回からだいぶ間が空きましたが、今回は収納のお話です。 私が色々試行錯誤してたどり着いた、今の収納方法をご紹介します。 過去記事にも書きましたが、大阪の店員さんによると、私のようにタンスに入りきらない枚数の場合、ダンボール収納や呉服屋さんの棚のように重ねて積んでおくのがオススメだそうです。 日光は着物を変色させ、湿気はカビの原因になるので、湿気の少ない暗い場所で保管するのが大事だそう。 今の私は...
明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着ていた。(後編)
(前回からの続き) 次に、明治以降の衣更えの様子を見てみました。 国立民族学博物館の身装文化データベース(身装電子年表)によれば、明治時代になると江戸時代のしきたりを守る感覚が薄れ、庶民の衣更えの感覚は気温に合わせてイージーになっていたことがわかりました。 参考資料:近代日本の身装電子年表 (minpaku.ac.jp)↑「東京にて袷を着る時節は誠に不規則にて、昔なら『端午の帷子・重九の袷』などと気候の寒暖に構...
戦前の庶民は高級呉服の衣更えは知らなかった。明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着たりしていた。(前編)
今回は、「昭和後期のおかしな言説」シリーズで、戦前までは高級呉服の衣更え(衣替え)は庶民は知らなかったというお話です。 和裁士さんを見ていて気付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「衣更えは厳格なしきたりであり、守らなければならない日本文化であり、着物のマナーだ」「衣更えを守らない人は非難されても仕方ない(=他人が堂々と非難してもよい)」「衣更えのしきたりを知らないのは物知らずと思われるし...
今回は、久々の「お買いもの@大阪」シリーズです。 振袖は、元が高価なので、大阪のいつものお店でもそれなりのお値段することが多く、基本的には良いものは予算2万円~を目安にしたほうがいいですが、たまにお値打ちなものにも出会えるので、その時に私は買いました。↑総絞りの大振袖、中古品、3240円。 総絞りで目がきれいなものを見つけました😍 一部目立たないシミがありますが、状態良し。 表がピンクで八掛...
92歳のお婆さんの話 衣更えの話は高級呉服を着る極一部の裕福な人の話であり、庶民は関係なかった。
今回は、ご近所の92歳のお婆さんのお話シリーズです。 戦前の着物の衣更え(衣替え)のしきたりはどのような雰囲気だったか聞いてみました。(※当ブログでは、登場人物の年齢は2018年現在で固定しています。) 私:「呉服の世界では、衣更えのしきたりを遵守するかどうかで論争となったり、着物警察が生まれる原因となっているようです。 戦後の着物本には、衣更えの決まりごとについて、帯や着物や和装小物に至るまで、何...
袷に見える胴抜き仕立ての単衣の話と「オシャレは我慢」の誤解 ~着物警察はなぜ生まれたのか?~
今回は、胴抜き仕立ての単衣の話と「オシャレは我慢」の誤解についてです。 有名着物ブロガーさんの記事で、「袷の時期でも暑い日は単衣を着る」という話や、「胴抜き仕立ての単衣は毎日の着物生活では不都合が多い」という話について述べておられました。、<参考記事>日常に着物を着るのに「ルール」は必要? / オシャレは我慢? /「胴抜き仕立て」をする、しない。 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きもの...
昭和後期のおかしな言説 金襴の羽織袴は悪趣味で下品だ×→江戸初期は金襴だった○
今回は、江戸時代の初期は、戦国時代の続きで金ピカの裃・羽織袴が普通だったという話についてです。 こちらは昭和後期に流布されたおかしな言説というほどではありませんが、誤解している人が多いので、昭和後期のおかしな言説シリーズにしてみました。 よく、七五三や成人式の男物の貸衣装に金ピカの袴の貸衣装がありますが、呉服関係者さんの中には、「あんな着物はバカ殿みたいだ」とか「成金趣味で下品な人が着るものだ」...
着物警察はなぜ生まれたのか?昭和後期の呉服教育によって大量に輩出され、着物の衰退とともに取り残されてしまった!?
今回は、「着物警察はなぜ生まれたのか?」シリーズの第二回目です。 前記事を前置きに、着物警察が昭和後期に大量に製造され、着物の衰退とともに取り残されてしまった可能性について考察してみました。 結論から先に述べると、戦後は、1970年代に今の着物のルールが作られ、商業的に着物の決まりごとや着付けを複雑化させた時期であり、かつ、その時期に呉服教育を受けた人たちが大量に輩出され、その後に着物が衰退する中で...
着物警察はなぜ生まれたのか?着物警察は昭和後期の呉服教育により作られた?私が出会った着物警察の話
今回は、「着物警察はなぜ生まれたのか」シリーズの第1回目です。 着物の世界には「着物警察」という言葉があり、着物を着ている人の着付け・着こなしを注意したり、安価な着物を悪く言ったり、着物のあり方や方向性などの思想を押し付けたりする等、警察のごとく取り締まりしてしまう人がいるようです。↑『マツコの知らない世界』の池田重子さんの回。画像はネット上より拝借しました。 着物警察に関するわかりやすい記事が...
友達と着物で京都観光する時の着替え場所と着付けの工夫 日帰り旅行@京都
GO TOトラベル再開の話で、全国的に旅行ムードが高まってきていますね。 今回は、友達と一緒に着物で観光する時の準備やオススメの方法を書きたいと思います。 朝から京都に集まって着物で観光するとして、着付けのできる私が着物も和装小物も一式持参して、みんなで着るという設定でお話します。(夏物ではなく単衣~袷の時期) レンタル着物に渋っていたり、着物に興味ない友達にも着物を楽しんでもらういい機会になりま...
日帰り旅行@大阪 大阪で現地調達して「いきなり着物ファッション」をしてみた話
今回は、日帰り旅行で着物を現地調達して楽しむ話です。 京都ではレンタル着物で気軽に着物を楽しめますが、大阪で日帰り旅行で現地調達しても着物で観光できるか試してみました。 結果としては、事前に着付けグッズを準備していけば、現地調達しようと思えばできてしまうことがわかりました😊 忙しいですが、いきなりステーキならぬ「いきなり着物ファッション」、けっこうイケるかもしれません(笑)(このブログは2018年か...
古代は左前、琉球やアイヌは戦前まで左前だった。着物雑誌も戦後すぐに左前で着る提案をしていた。(後編)
(前回からの続き) 次に、戦前まで琉球やアイヌでは左前だったという話について。 調べてみると、琉球やアイヌ民族は、江戸時代までは左前が伝統(正式)であり、明治新政府に風俗改正を強制されたことにより右前に変えられ、それでも戦前・戦後まで右前と左前が混在していた時期が長かったということがわかってきました。 まず、沖縄の左前に関する情報を探してみると、以下の情報がありました。==============...
古代は左前、琉球やアイヌは戦前まで左前だった。着物雑誌も戦後すぐに左前で着る提案をしていた。(中編)
(前回からの続き) 次に、江戸時代について調べてみると、江戸時代の絵巻や風俗画を見ているとほとんどが右前に統一されているのですが、それでも極稀に左前の人がいました。↑七十一番職人歌合絵巻(江戸時代/1846年、法印養信・法眼雅信:模写、東京国立博物館本)出典:研究情報アーカイブ 右の売茶翁は左前になっています。↑『秘蔵古写真 幕末』、日本カメラ博物館、山川出版社(2019)より。 未亡人の被布らしきコートの...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...