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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

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西住りほ
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2022/07/12

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  • 東郷神社(東京都渋谷区)を訪問しました

    東郷神社(→東京都渋谷区神宮前1丁目)は、1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を全滅させ、日露戦争の勝利を決定づけた東郷平八郎を祭神として祀る神社です。1934(昭和9)年5月30日に東郷平八郎が86歳で死去すると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創立を求める要望書と献金が相次いだといいます。その中に旧岡山藩主池田氏の子孫の池田宣政(のぶまさ)がおり、池田侯爵家が所有す...

  • 琴平神社本殿・拝殿(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    久しぶりに武州柿生 琴平神社本殿(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5丁目)を訪問しました。赤い大鳥居があるほうは儀式殿・社務所・摂社などがある場所で、「琴平神社」交差点を挟んだ石の鳥居と長い石段を登りきった高台にあるほうが本殿と拝殿になります。江戸時代後期の1826(文政9)年に建立された奥院にあたる本殿と拝殿を含む御社殿は、2007(平成19)年に放火によって全焼しました。本殿の天井には渡辺崋山(わたなべかざん)...

  • 香林寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    南嶺山 香林寺(→神奈川県川崎市麻生区細山3丁目)は、鎌倉五山第1位の臨済宗建長寺派に属する禅刹で、本尊は十一面観音菩薩像で「身代わり観音」とも呼ばれています。寺紋は建長寺と同様に鎌倉北条氏(→建長寺を開基)の家紋・三鱗紋(みつうろこもん)を使用しています。↓↓巨福山 建長寺についてhttps://rashimban1.blog.fc2.com/blog-entry-399.html香林寺は、戦国時代の1525(大永5)年に仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区)の...

  • 細山神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    細山神明社(→神奈川県川崎市麻生区細山)は、「神明社」の名前の通り天照大神(あまてらすおおみかみ)を主祭神として祀る神社です。拝殿や本殿のある山の中腹には江戸時代以前の神仏習合時代の名残りを思わせる地蔵尊がいくつも建っています。しかし、それら地蔵尊の多くは首が修復されており、明治時代初期に行われ廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動で破壊された痕跡が見てとれます。社伝によると細山神明社は鎌倉時代初期に創建され...

  • 旧乃木邸(東京都港区)を訪問しました

    旧乃木邸(→東京都港区赤坂8丁目)は、日清戦争(1894年~1895年)や日露戦争(1904年~1905年)を戦い、1912(大正元)年9月13日の明治天皇の大葬の日に自刃(→殉死)した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)夫妻の邸宅です。乃木坂(のぎざか)に面した乃木公園の中にあり、昨日ご紹介した夫妻を祭神とする乃木神社に隣接しています。乃木希典の略歴は昨日ご紹介しましたので、本日は施設のみのご紹介とさせていただきます。乃木邸は室内には入れ...

  • 稲荷神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    稲荷神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)にある小さな祠で、旧王禅寺村の鎮守五社の1つである山王社の石段の中間地点の左手にあります。稲荷神社専用の石段もあります。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』の山王社条(→ページ)には「末社稲荷社。本社に並びてあり、小祠なり」と書かれています。江戸時代には山王社の末社として並んで建っていたようですが、現在は山王社の石段の中間地点あたりに朱塗り...

  • 乃木神社(東京都港区)を訪問しました

    乃木神社(→東京都港区赤坂8丁目)は、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)と妻・乃木静子(のぎしずこ)を祭神として祀る神社で、大正時代末期の1923(大正12)年11月1日に創建されました。旧乃木邸は乃木希典夫妻が明治天皇の大葬の日に殉死する当日まで暮らしていた邸宅で、神社に隣接する場所にある東京都の史跡です。〖祭神〗・乃木希典(のぎまれすけ)・乃木静子(のぎしずこ)〖摂社〗・正松神社……1963(昭和38)年創建。 →乃...

  • 伊勢社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    伊勢社(→神奈川県横浜市青葉区新石川)にある神社で、創建年代は不詳ながら江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』にも記載があり、旧石川村の鎮守八社として古くから信仰を集めていたようです。大日孁貴(おおひるめのむち)、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀っています。神仏習合の世界では天照大神は本地(ほんち→本体)である大日如来の垂迹(すいじゃく→仮の姿)とされてきましたが、...

  • 日本水準原点(東京都千代田区)を訪問しました

    日本水準原点(→東京都千代田区永田町)は、水準点(→正確な高さを求める測量を行うため国土地理院が作った高さの基準となる点)の高さを定めるため、明治時代中期の1891(明治24)年に設置されたものです。離島を除く全国の主要な道路沿いに設置されている水準点の高さは、この日本水準点に基づいて水準測量によって決められ、この水準点がその地域において行われる高さの測量基準となります。社会科の地利で地図の読み取りの学習で三角...

  • 日比谷公園(東京都千代田区)を訪問しました

    日比谷公園(→東京都千代田区日比谷公園)は、東京メトロ日比谷駅から徒歩3分ほどの場所にある東京都公園協会が運営する歴史ある公園です。東京ドーム4個分にあたる16.2ヘクタールの敷地には、江戸時代に長州藩毛利氏・肥前藩鍋島氏・盛岡藩南部氏・狭山藩北条氏などの大名屋敷(上屋敷)があり、明治時代にそれらが撤去されて陸軍練兵場になりました。そして明治時代後期の1903(明治36)年に日本初の洋風公園として日比谷公園が開園し...

  • 潮音寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    萬松山 潮音寺(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に鎌倉五山第1位の建長寺89世・日峯法朝が開基した臨済宗建長寺派寺院がもとになっていまます。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、戦国時代に廃寺同然となり、菅(すげ)村の臨済宗建長寺派寺院寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷)の末寺になった後、武田氏滅亡後に徳川家康の家臣(御家人)となり高石の地...

  • 旧近衛鎮台砲兵之墓(東京都港区)を訪問しました

    旧近衛鎮台砲兵之墓は、明治時代前期の1878(明治11)年8月23日夜に起きた竹橋事件の殉難者(→56名が銃殺刑)を埋葬した合葬墓と供養塔で、青山霊園(→東京都港区南青山2丁目)の端にあります。青山霊園には大久保利通(→紀尾井坂の変で暗殺された明治時代初期の最高権力者)、小村寿太郎(→ポーツマス条約の締結や関税自主権を回復させた明治時代の外務大臣)、加藤友三郎(→大正時代の内閣総理大臣・海軍大臣)、乃木希典(→日露戦争で旅順を...

  • 遊就館(東京都千代田区)を訪問しました

    遊就館(→東京都千代田区九段北)は、靖國神社の境内にある戦争博物館ともいえる施設です。「遊就」とは中国の古典『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」が選ばれたものです。本来は高潔な人に交わり学ぶという意味ですが、近代日本(→大日本帝国)が経験した戦争によって命を失った戦没者(→英霊と呼ばれる)の遺徳に触れ、学びの場とするという願いが込められていると思います。展示...

  • 靖國神社(東京都千代田区)を訪問しました

    靖國神社(→東京都千代田区九段北)は、1869(明治2)年6月29日に明治新政府によって建てられた「招魂社」に遡ります。近代国家建設の過程でおきた戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)で戦死した官軍将兵の鎮魂とその事蹟を後世に伝えるために明治天皇の発願という体裁で建設されました。1877(明治10)年の西南戦争を経て招魂社は1879(明治12)年6月4日に「靖國神社」と改称されて、現在に至ります。なお、「靖國」とは「國を靖んずる(→国家...

  • 景徳院(山梨県甲州市)を訪問しました

    天童山 景徳院(→山梨県甲州市大和町田野)は、戦国時代後期の1582(天正10)年3月11日に田野合戦に敗れて滅亡した武田勝頼公・同夫人(北条夫人)・武田信勝及び殉難した家臣一同の菩提を弔うため、本能寺の変後、甲斐国の争奪戦(→天正壬午の乱)に勝利した徳川家康が、武田旧臣の小幡景憲(おばたかげのり)を普請奉行に命じて建立した曹洞宗寺院です。武田勝頼公に殉じた小宮山友晴(こみやまともはる)の弟で僧侶の拈橋倀因(ねんきょうち...

  • 稲毛浅間神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    久しぶりに稲毛浅間神社(→千葉県千葉市稲毛区稲毛)を訪問しました。稲毛浅間神社は、平安時代前記の808(大同8)年に富士山の御神体とされる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神として分霊した神社で、中世の豪族千葉氏の崇敬の厚い神社としても有名です。千葉氏の家紋の1つである九曜紋をかたどった神紋と社殿からも、千葉氏との関係性が窺えます。鎌倉時代を通して下総国守護を務めた有力御家人千葉氏も、鎌倉時代後期から南北朝...

  • 天神宮(千葉県千葉市稲毛区)がありました

    薗生神社本宮から千葉市立柏台小学校に向かう一本道を歩いていたら、「エル シエロ アズール」というマンションの前に天神宮(→千葉県千葉市稲毛区園生町)と書かれた小さな神社(祠)がありました。面白いことに道路に背を向けるように、鳥居や祠がマンションを向いて建てられています。マンションのオーナーが個人的に建てたのでしょうか。燈籠には昭和時代末期の1985(昭和60)年9月、鳥居には1988(昭和63)年11月吉日と刻まれているの...

  • 薗生神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    薗生神社(そんのうじんじゃ)は千葉県千葉市園生町にある旧園生村の総鎮守で、創建年は不詳ながら現在も園生総鎮守として地元の崇敬を集めています。薗生神社は妙見社の本宮と拝殿がかなり離れた場所にあるのが特徴で、祭神は17柱も祀っています。今回訪問したのは本宮のみです。旧園生村は本宮近くの金蔵院付近にあり、中世には金蔵院裏山に千葉氏が治めていた園生城(そんのうじょう)がありました。薗生神社本宮の主祭神の天之御中...

  • 愛親覚羅溥傑仮寓(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    愛親覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ→千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目)のある稲毛は、明治時代中期以降、保養地として多くの文人たちによって海岸線(→現在の国道14号線)の松林を中心に別荘や別邸が建てられました。また、国鉄(現在のJR)稲毛駅・西千葉駅・千葉駅周辺は陸軍施設が多くあり、大正時代後期の1921(大正10)年に京成電鉄の稲毛駅が開業して以降、浅間神社周辺には陸軍関係者や政治家の別荘・別邸も多く建てられまし...

  • 松陰神社(東京都世田谷区)を訪問しました

    松陰神社(→東京都世田谷区若林)は、1859(安政6)年の安政の大獄で老中暗殺を企てた罪人として伝馬町牢屋敷(→東京都中央区日本橋)で斬首された長州藩士吉田松陰(よしだしょういん)を祀る神社です。吉田松陰は江戸で松代藩士佐久間象山(さくましょうざん)に師事し、君主の下に万民が結集する一君万民論を説きました。1854(嘉永7/安政元)年のペリー再来の際には下田(→静岡県下田市)で海外密航を企てましたが失敗し、幽閉中に長州萩近...

  • 豪徳寺(東京都世田谷区)を訪問しました

    大谿山 豪徳寺(だいけいざん ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある曹洞宗寺院です。室町時代の1480(文明12)年に世田谷城主吉良政忠(きらまさただ)が創建した臨済宗寺院の弘徳院が前身で、戦国時代に曹洞宗に改宗され、江戸時代前期の1633(寛永10)年に世田谷が譜代大名筆頭の彦根藩主井伊氏の知行地となってからは江戸における井伊家の菩提寺となりました。寺号は2代藩主井伊直孝(いいなおたか)の法号「久昌院殿豪徳天英...

  • 将門塚(東京都千代田区)を訪問しました

    将門塚(→東京都千代田区大手町)は、東京メトロの大手町駅から徒歩3分という一等地に立つ平将門(たいらのまさかど)の首塚と伝わる後世建てられた供養塔です。平安時代前期に父の遺領問題で叔父の平国香(たいらのくにか)を殺害した平将門は、国司と在地領主の所領紛争の仲介をしたため、国衙(→国司の役所)の在庁官人(→役人)と争うようになり、これが朝廷への反逆と見なされたため、939(天慶2)年に平将門の乱を起こしました。将門は常...

  • 神田明神(東京都千代田区)を訪問しました

    「江戸の総鎮守」として名高い神田明神(→東京都千代田区外神田)は、1868(明治元)年の神仏分離令以降正式には神田神社といい、現在でも東京の中心地である神田・日本橋・秋葉原・丸の内・旧神田市場・豊洲魚市場・108町会の氏神として崇敬を集める東京有数の神社です。社伝によると、神田明神は奈良時代の730(天平2)年に出雲一族の真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村(→東京都千代田区大手町)に創建したと伝わります。平安...

  • 江戸城(東京都千代田区)を訪問しました

    江戸城(→東京都千代田区千代田)は平安時代中期の11世紀に秩父平氏の江戸重継(しげつぐ)が館を構えたのが始まりとされます。室町時代の1457(康正3/長禄元)年に武蔵国守護の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家宰・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城しました。戦国時代には小田原北条氏が扇谷上杉氏を破って武蔵に進出すると、江戸城は1524(大永4)年に小田原北条氏の2代北条氏綱(うじつな)の支配下に入りました。1590(天正18)年7月...

  • 世田谷八幡宮(東京都世田谷区)を訪問しました

    世田谷八幡宮(→東京都世田谷区宮坂1丁目)は、江戸三相撲名所としても有名な八幡神を祀る神社です。創建は平安時代中期の1091(寛治5)年のことで、東北地方の戦乱である後三年合戦(1083年~87年)を平定した源義家(みなもとのよしいえ)が陸奥守(→陸奥国司の最高ランク)を解任されて帰途する際、この地で豪雨に遭い、天候回復をしている間に豊前国宇佐八幡宮(→大分県宇佐市)の分霊を勧請して創建したと伝わります。室町時代の戦乱で社...

  • 國安稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    神社には都道府県神社庁の管轄下にある神社以外にも個人や企業が創建した神社や祠、海上自衛隊の護衛艦内にある艦内神社など、様々な形があります。久しぶりに訪れてみると、かつてそこにあったはずの神社が忽然と無くなっていたり、宅地造成のために移転していたりすることも稀にあります。私が通っていた小学校の近くにあった神社も跡形なく無くなっていたため、所管の神社庁に問い合わせてみたものの「分からない」とのことでし...

  • 須賀神社(東京都新宿区)を訪問しました

    須賀神社(→東京都新宿区須賀町)は、建速須佐能男命(たけはやすさのおのみこと)と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)を祭神とする四谷の産土神(うぶすながみ→土地の神とされる)で、「四谷18カ町の総鎮守」と謳われる神社です。もともとは、清水谷(→東京都千代田区麹町)にあった稲荷大明神を祭神とする稲荷社と日本橋大伝馬町(→東京都中央区)にあった牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする牛頭天王社という別々の別当寺(→神仏習合の時...

  • 九段会館(東京都千代田区)を訪問しました

    九段会館(→東京都千代田区九段南)は、1928(昭和3)年11月10日に行われた昭和天皇の即位の礼を記念する「昭和御大礼記念事業」の一環として「軍人会館」の名称で建設された、戦前期に多く見られた屋根が日本城郭風の帝冠様式(ていかんようしき)の建物です。1936(昭和11)年2月27日には前日に発生した二・二六事件(→陸軍皇道派の将校が「昭和維新」を唱えて約1400人の兵士と起こした反乱)を受けて戒厳司令部が設置され、1937(昭和12)年...

  • 東京大学赤門(東京都文京区)を訪問しました

    東京大学本郷キャンパスにある赤門(→東京都文京区本郷)を訪問しました。本郷キャンパスの場所は江戸時代には加賀藩上屋敷が置かれており、赤門の名で知られるこの門はその御主殿門(→御住居表御門とも)でした。もとは15ⅿほどキャンパス寄りの場所に位置していましたが、1903(明治36)年に医科大学創設のため現在の場所に移されたようです。加賀藩上屋敷の御主殿門(赤門)が造られたのは江戸時代後期の1827(文政10)年のことです。江戸...

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