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小さい頃、神戸電鉄に乗って祖父母のところへ帰る。「まだかな、まだかな、」母と兄妹三人、一番前の車掌のドアにかじり付いて、各駅停車をひとつずつ、ひとつずつ。。とっても長かったけど、あのワクワクはずっと覚えている。一人で帰った時は、祖父は足が悪
子供の頃、三条に行くと八幡宮で猿や孔雀をみたり姉妹で遊んでいる時の楽しい記憶はあっても、お祭りだからと遊びに行ったはずなのにお祭りなんて見たこともない(笑)同時期東京の会社に就職した父の妹が里帰りしてた時に一度だけ一緒にデパートに連れて行ってもらったことがあり、子供心に楽しみについては行ったけどデパートの宝石売り場に直行し、おばあさんが叔母にネックレスを買ってあげ、その後寄り道なく帰ってきたり、挙句夜寝ている時、おばあさんに手を踏まれて、骨にヒビが入ってしまったことがあって、痛くて泣いていた私におばあさんが「そんなとこに手を置いて寝てるのが悪い」と言われる始末(笑)三条に行く時は両親が送ってくれ数日して迎えにきてくれる感じで家族5人で泊まったこともない。迎えにきてくれた日から、新潟の海近くの民宿や佐渡に行...解決は出来なくても時がくれば色んな意味で笑えることもある
祖父の部屋に行った時のことだった。 祖父が寝ていたベッドからあるものが見えた。 それは・・・・祖母の満面の笑みの写真。 私が小学生の時に亡くなったのでかれこれ…
我々が帰ったあと、おばあちゃんは千羽鶴と一緒に写真を撮ってほしいと言ったそうで後日、はなちゃんは大事そうに千羽鶴を胸に抱いたおばあちゃんの写真を見せてくれた。 この千羽鶴はずうからおばあちゃんへの思いだけでなくいろんな人の、いろんな思いやりが結集して形と
長女気質か、持って生まれた性質かスイッチが入った時のはなちゃんの馬力は半端ない。はなちゃんを筆頭にパパやちゅみ、TちゃんDちゃんなどなどみんなが協力してくれた千羽鶴。そこで気になったのは果たしてこの亜種を折ったのは誰だったのだろう?ということ。折り紙の種類
そう言えば、読み聞かせた本の中に千羽鶴が出てきたお話があった。病気のおばあちゃんに何かしてあげたい→そうだ、こういう時は千羽鶴だ!とまあ、ここまでは良いのだが問題はタイミング。本当なら一番勉強に集中してほしい時期なのだがおばあちゃんの体調を思うと入試が終
ちゅみは辛うじて本当のおじいちゃんの記憶が残っているがずうに至ってはほぼ皆無、そして二人共おばあちゃんというものは一切知らずに育つところだったのだが口約束を律儀に守ってくれたモアイ君のご両親のおかげでおじいちゃん、おばあちゃんの暖かさに触れながら育つこと
私が大好きだった祖母は新聞を読む時には必ず死亡欄を見ていました。 誰が何歳で亡くなったのかがとても気になっていたのだと思います。 小さい子供だった私にもよく「誰だれがこんな若くなくなっているね」「80歳まで生きたんだねえ
私がいつも見ていたポメ君とアラサー男性のYouTube動画。 しばらく実家の福島の事情でお休みすると知って心配していました。 そして昨日、ようやく投稿が再開されましたが、男性のおばあ様が亡くなったとの知らせでした。&nb