多摩丘陵地域での暮らし、テレワークと首都圏の通勤、知的財産関連の仕事の情報などを紹介しています。
現在暮らしている多摩丘陵の情報や、首都圏での通勤、テレワークなどで感じることなどを共有していきます。
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偽私 ( … ぬるい寝床を走る繊毛 … ( … いくつもの眼、小さな歯 … ( … 肌を焦がしながら分断し … ( … 、 … 、眠れない … 、 … 、 … 紐が捩れながら束になり 甘く肉の焼ける匂を追い 分散し数匹の蟻になり 穴を開け押し広げ潜り 「層」の断片を掘り出し ...
駅/発酵 (…ああ、季節が、かわる… …散り積もった枯葉、を、掻き分けるように掘る、と、底、に… …じゅくじゅく、と、醗酵し始めた厚い腐葉土の層、さらにその、下、に… …雨、が、近づいてくる、その響きが指先に伝わる、雨は、深い底で、降っている… …鼻、先、を過ぎる風の、生臭さ、...
ブログで記事を投稿し始めた頃に立ち返る というのはどうだろうか
2005年にYahooブログでブログ運営を始めました。 その時は、現代詩をほぼ毎日書いて投稿していました。 ブログを始めるまでは「現代詩手帖」の新人投稿欄に毎月投稿。 3回入選し、掲載されました。 「現代詩手帖」を読んでいて、次のようなコメントが書かれているのを目にしました。 「...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃 まとめ
昭和五一年~昭和五二年の記事をまとめます。 この頃は、友達との付き合いの中で、色々と学んだ時期でもありました。 いつも、あまりたくさんの友達とは過ごしていないという人との付き合い方が、なんとなく出来上がってきていた頃かもしれません。 それと、現在に続く読書生活の基本も、...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)④ 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃
小学校の同級生のお通夜に参加したのは、それが最初で最後。 その後、現在まで、一度もありません。 それで、とても忘れられない出来事になっています。 少し前の、自分の祖父の葬儀の時とは、まったく違いました。 祖父の時は、いつかくるものという心の準備が出来ました。 同級...
【過去一の名勝負】書店員トライアスロン 〜有隣堂しか知らない世界130〜 今回は終盤のデッドヒートに手に汗握ります
今回も他のことをやっていて出遅れたのですが、観ました。 面白いです。 書店員の基本ワザトライアスロン。 観ていて、だんだん力が入ってきました。 終盤、お二人の進捗が並ぶあたり、盛り上がります。 最後の罰ゲームのモノマネも見どころ?です。 有隣堂、いいな。 自称ゆーりんちーの暖淡堂...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)③ 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃
不安に過ごした夜が明けました。 父母の会話で、大体の事情は分かりましたが、はっきりと聞いたのはその日の夜のことでした。 そのとき、どのように感じたのかは覚えていません。 ただ、うまく説明のできない無力感があったように思います。 【沙河】昭和五一年~昭和...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)② 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃
近所の大人たちが夜遅くまで、外で何かを探しているようでした。 呼びかけるような声が、寝ている僕にもずっと聞こえていました。 なにが起こっていたのかは知らされていませんでした。 いつもと違う、とても不安な夜でした。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃
小学生の頃の、一番悲しい出来事です。 今でも時々思い出したりします。 のんびりとした田舎でしたが、事件といってもいいようなことも起こりました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 通学に使っていた道路は、車がほとんど走っていなかった。...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)④ 北海道の砂川で過ごした小学校高学年の頃
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 ...
葬儀が終わると、遠くから来ていた親戚は、一度我が家に移動しました。 簡単な食事をして、お酒を飲む人たちは改めて飲み直しました。 それから帰る人と、そのまま家に泊まる人に別れて、家に泊まることになった人たちはさらに飲み続けました。 雨は止んでいましたが、空は暗かった...
通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。 生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。 お経の意味はもちろん解らず、すぐに飽きてしまい、本堂のあちこちを見たりして過ごしていました。 雨が降っていて本堂の中は暗く、ロウソクの灯りが揺れると、ご本尊の表情が変わる...
祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。 特に鳴家に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。 「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いくつかのエピソードがあって。 法...
会社のお盆休みは今日まで。明日からは通常の「営業日」になります。多くの社員は明日から仕事です。 8月12日(金)に年休を取ると6連休。連休を1日取るだけで長期のお休みになります。なので、ほとんどの社員は8月12日(金)をお休みにしていました。 が、僕は勤務しました。...
最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものがあるのだと、なんとなく...
夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。 祖母は祖父の枕元に...
入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。 あ...
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やって...
自分が生まれてから昭和50年頃までの部分をまとめます。 それぞれの記事へは下記リンクからアクセスしてください。 次回からは昭和51年〜昭和52年の内容になります。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (一) 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二)① ...
学校には図書室という部屋があって、たくさんの本が並べられているということを知りました。 それ以来、図書室は学校の中での一番のお気に入りの場所になりました。 小学校は木造の校舎で、炭鉱での採掘が盛んだった頃に建てられていたもので、とても大きな建物でした。 職員室のあ...
いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】ここにタイトル ...
ついに小学校の入学式の日が来てしまいました。 小学校には母親と二人で出かけました。 雪解けの水で、道はぬかるんでいました。 半ズボンの下にはいた白いタイツに泥水が跳ねたのを、母親は気にしていました。 入学式が終わって、家に帰ってもまだ、春の雪は降り続いていました...
いよいよ小学校入学時期が迫って来ました。 家の中でヌクヌクと過ごす最後の冬です。 その冬も終わり、春じわりと近づいて。 暖かな風が吹く頃になりました。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (十)② 秋が来て、家の中で遊ぶことが多くなった。私は雑...
登園を拒否し続けて、引きこもり状態の園児だった僕も、小学校入学の準備をしないといけない時期になりました。 相変わらず一人きりで遊んでいました。 幼稚園に通っていなかったので、文字を他の人と同じように書くということができていなかったようです。 両親はとても心配していまし...
思い通りにいかないことがあるから、人は世の中で生きていることを知る
今日は涼しかったので、お昼前に嫁さんと買い物を兼ねたお散歩をしました。 歩きながらふと思ったのが次のようなこと。 「もし何もかもが思うようになったら、人は自分以外のものがあるということが理解できないのではないか」 自分の手で物を動かして、自分の思うところに動かします。 物は自分が...
その日、幼稚園に連れ出されましたが、他の子供たちとのファーストコンタクトはうまくいきませんでした。 それでも、すぐに帰ることはできず、始まった運動会とは距離をとりながらそこにいました。 幼稚園の先生のアイデアだったのでしょうか。 気づけば徒競走に参加していまし...
幼稚園になかなか通えないことに対し、両親、祖父母と幼稚園の先生方との間で時々は相談されていたのでしょう。 幼稚園行事に関するお知らせは家に届いていたようです。 ある日の朝、母は僕に、いつもよりちょっとだけいい服を着せました。 状況に戸惑う僕を残して、母はそのまま仕...
市街部から離れたところに住んでいたので、幼稚園に通うのが簡単ではありませんでした。 両親は働いていて、決まった時間に送り迎えするのは難しい状況。 祖母も毎日送り迎えすることはできません。 また、子供の頃の僕は、同年代の友人を作るのが得意ではありませんでした。 祖...
祖母は冬が来る前に、決まってしている作業がありました。 漬物を漬けたり、鰊や鰯を大量にさばいたり。 猫が祖母にすり寄り続ける時季でもありました。 僕も、祖母を手伝うでもなく、猫と同じように周りで遊んでいました。 大量の魚が紐に吊るされている間は、家の周りが魚臭く...
【北海道の開拓時代】入植者たちが住んでいた家 自分達の土地に手作りで作る
上の写真は、明治30年頃の入植者たちの住宅。 当時の豊平周辺に建てられたもののようです。 写真は「さっぽろ文庫26 明治の話 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 昭和58年9月28日発行」に掲載されたものをお借りしました。 僕の数代前の家族たちが、同じような家で暮らし始め...
子供の頃、家で飼っていた動物のことを覚えています。 一番賑やかだったのが鶏ですね。 祖母が鶏小屋を作って、そこで飼っていました。 時々小屋の外にも出していました。 それを僕が追いかけているところの写真がありました。 小学生になる頃まで鶏はたくさんいたと思います...
親戚の家に行くと、楽しかったのか、ちょっと舞い上がった状態になり、いくつか失敗をしてしまいました。 それらの事件は、親戚の家に行くたびに話題になり、恥ずかしい思いをしたものです。 ただ、誰もが朗らかに対応してくれていたので、親戚の家々はいつまでも楽しい場所であり続け...
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多摩丘陵地域での暮らし、テレワークと首都圏の通勤、知的財産関連の仕事の情報などを紹介しています。
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川崎市麻生区黒川の里山地区にあるひまわり畑のひまわり、咲き始めています。 里山に散策に来られた方、あるいはセレサモスで新鮮野菜をお買い物に来られた方、ぜひちょっとだけ足をのばしてお立ち寄りください。
日頃お散歩している道の脇や路面に、サインのようなものが出現しました。 町内会で発信されている「不審者情報」では、数人の「アジア系?」の人たちが書いていたということですが、さて、真相はどうでしょうか。
現時点で、週に2回出社していますが、その出社日はとても疲れます。コロナが始まる前よりも遅い時間に出社し、早い時間に帰宅しているのですが、翌朝は身体に重い疲労が残っています。 ずいぶんと体力が落ちてしまっている感じです。以前と持ち物の種類も量も同じはずなのですが、カバンがとても重たく感じます。コロナ
出社当番の日は、まずテレワークの日と同じ時間に、自宅で仕事を始めます。そしてラッシュの時間帯を避けて出社しています。今は、大体お昼休みを使って会社に移動するような形になっています。 それで、朝の混雑した時間帯の電車での移動がなくなっています。これは心身ともにとても楽です。
こんにちは、暖淡堂です。 今年もそろそろ梅雨入りしそうですね。 雨が降ると、電車でのお出かけがちょっと面倒になります。 そんな時、ちょっと立ち寄って気分転換ができる本屋さんがあるといいですよね。 今回は多摩丘陵地区の小田急沿線に暮らしていて、普段から便利だなと感じている書店3店...
小田急多摩線で新百合ヶ丘から3つ目の駅は黒川駅である。そして、2つ目の急行通過駅でもある。多摩丘陵の散策のための入り口なのに、急行は通過してしまう。 きっと、里山を散策する人には、各駅停車を利用するような落ち着いた心を持ってもらいたい。そんな小田急電鉄の計らいがあるのだ...
こんにちは、暖淡堂です。 以下のようなニュースがありました。 平均寿命 川崎市麻生区が男女とも全国最長 厚労省調査 川崎市麻生区は多摩丘陵地区の一画。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅を中心にした地域です。 ここに住んでいる人の平均寿命が全国一位だ...
こんにちは、暖淡堂です。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅に隣接する書店三省堂について、以前記事にしました。 この三省堂について、改めて思うことがあります。その辺り、書いてみようと思います。 入り口がわかりにくい 上の写真を見ていただければわかりますが、三省...
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
休日のお出かけ先は決まりましたか? ご家族連れで、車でのお出かけを計画されているのであれば、山口県がお勧めです。見どころが多いことに加え、道路が整備されていてとても走りやすくなっています。 山口宇部空港にはレンタカー各社があり、空港ビルからほんの少し歩いただけで車に乗ることができ...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
休日のお出かけ先は決まりましたか? ご家族連れで、車でのお出かけを計画されているのであれば、山口県がお勧めです。見どころが多いことに加え、道路が整備されていてとても走りやすくなっています。 山口宇部空港にはレンタカー各社があり、空港ビルからほんの少し歩いただけで車に乗ることができ...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
こんにちは、暖淡堂です。 今朝の里山は気温が下がりました。肌寒いというより、ピリッとした寒さ、みたいな感じでした。 いつものように朝の散歩をしたのですが、今朝は青空の下に梨農園の梨の花がとても綺麗に見えました。梨の花は咲き始めていたのですが、今朝はとくに白さが鮮やか...
こんにちは、暖淡堂です。 毎朝のルーチンにしているお散歩で目にする風景が、日々変わっています。このところあちらこちらで目にしていた菜の花ですが、この週末に急に伸びていました。 黄色い花がたくさん咲いていて、とても春らしい様子で好きですね。周囲の畑の土も、日中は陽射しに...
祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 ...
葬儀が終わると、遠くから来ていた親戚は、一度我が家に移動しました。 簡単な食事をして、お酒を飲む人たちは改めて飲み直しました。 それから帰る人と、そのまま家に泊まる人に別れて、家に泊まることになった人たちはさらに飲み続けました。 雨は止んでいましたが、空は暗かった...
栗平は小田急多摩線一つ目の急行停車駅 小田急多摩線の最初の急行停車駅は栗平である。各駅の電車しか停まらない五月台も、引け目を感じる必要はない。あこがれの新百合ヶ丘から一つ目の停車駅であることは変わらないのだ。 むしろ各駅停車に乗った場合は、栗平は新百合ヶ丘から二つ目の駅。五月台...
通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。 生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。 曹洞宗なので、おそらく般若心経も唱えられていたのでしょうね。 「ギャーテイギャーテイ」と言っていたような気もします。 当時は、お経の意味はもちろん解らず、すぐに飽きてしまい...
祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。 特に 鳴家 やなり に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。 「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いくつかのエピソードがあ...
最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものがあるのだと、なんとなく...
夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。 祖母は祖父の枕元に...
入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。 あ...
多摩丘陵にははるか昔から人が住んでいる。縄文時代から住んでいるのだ。 遺跡、史跡もたくさんある。歴史好きにはたまらない。 面白い地名もある。意味がわかりそうでわからないものもある。 例えば五月台駅から歩いて行ける地域の地名、五力田(ごりきだ)がそうである。 なんだ、五力田とは。...
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やって...
学校には図書室という部屋があって、たくさんの本が並べられているということを知りました。 それ以来、図書室は学校の中での一番のお気に入りの場所になりました。 小学校は木造の校舎で、炭鉱での採掘が盛んだった頃に建てられていたもので、とても大きな建物でした。 職員室のある...
いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (...
多摩丘陵では自然が多い。里山暮らしも可能である。五月台は新百合ヶ丘の一つ隣の駅。憧れの新百合ヶ丘に近い。小田急多摩線で、たったの一駅しか離れていないのだ。 しかし、そこはもう多摩丘陵。小田急多摩線はしばらく尾根伝い、あるいは尾根の近傍を走る。尾根周辺の平らな部分に線路を敷いてい...