多摩丘陵地域での暮らし、テレワークと首都圏の通勤、知的財産関連の仕事の情報などを紹介しています。
現在暮らしている多摩丘陵の情報や、首都圏での通勤、テレワークなどで感じることなどを共有していきます。
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祖父母に連れられて、よく親戚の家に行きました。 その親戚の家は、多くが旭川や鷹栖の周辺。 広い田圃の中に家がポツリポツリとあるようなところでした。 旭川の駅前は、子供の目から見ると大都会。 砂川とは比べられないほど大きな街でした。 そこで僕は、初めてカウンター...
小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。 祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。 北海道への入植の時期を判断する重要な情報になったはずです。 ...
僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。 母が外に働きに出ていたからかもしれません。 祖母と話をすることが多かったので、考え方も影響を受けています。 北海道を移住し続けたこと、アイヌの人、朝鮮の人、中国の人などのこと。 道路工事や炭鉱で働いて...
昭和40年代、深川の町外れ、国道12号線沿いに温泉施設がありました。 そこに家族で何度か出かけています。 その大浴場でも深みにハマって溺れかけたことがあります。 家族で出かけられる温泉施設はたくさんありましたね。 奈井江、浦臼、上砂川、深川などへはよく出...
子供の頃は、よく水に落ちました。 いつも近くに誰かがいてくれて助かっています。 もし一人きりだったら、ダメだったかもしれないと思われることもあります。 水の中から明るい空を見上げていた記憶があります。 他の時の記憶と混じっているのかもしれませんが。 ...
母親の実家は、冬には暑い雪に埋もれていました。 雪が積もると自動車は使えなくなって、足で雪を踏み固めた細い道を伝って行き来をしていました。 広い田圃が一面の雪原になってしまいます。隣家はずっと遠くに見えるだけ。 開拓で入植したての頃は、さらに隣家は遠かったのかもし...
妹が生まれたとき、1週間ほど母の実家に預けられていました。 一人きりで母方の祖父母や叔父叔母、従姉妹達と過ごしていました。 みんな優しい人たちだったので、とても安心していたように思います。 寂しがる様子もあまり見せなかったようで。 冬だったので、家は深い...
季節ごとの畑の様子を覚えています。 夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮なものが食卓を飾りました。 そして、お盆が近づくと、トンボがたくさん飛んでいましたね。北海道のお盆は旧盆の時期になります。北海道の学校の夏休みの終わり頃です。 秋になると収穫...
父母が結婚して、祖父母と一緒に住むことになったので、新しく家を建てたようです。 それも、やはり自分達の手で建てたとのこと。当時はそれが普通だったみたいで。 入植者、開拓者って、自分でなんでもできないといけなかったのかもしれません。 今回は、自分が子供の頃の...
【個性的+美しい】ガラスペン対決(後編) ~有隣堂しか知らない世界120~
YouTubeの共有機能を見ていたら、Bloggerへのリンクがありました。 実験も兼ねて、投稿します。 有隣堂の岡崎さんが面白いです。 ブッコローと岡崎さんがそろうと最強の回になっているような気がします。 ぜひご覧ください。
母の家系も北海道入植者です。 南北に流れる石狩川を挟んで、砂川の西側にある地域です。 水田が広がる、のんびりとした土地でした。 現在の新十津川もあまり変わりません。道路は広くなったかな。 母の実家は、今も規模の大きな水田経営をしています。 新十津川町HP ...
【多摩丘陵からお出かけ】茨城県近代美術館 「どっちがどっち? いわいとしお✖️岩井俊雄展 100かいだてのいえとメディアアートの世界」展に行って来ました
2022年7月9日(土)に茨城県近代美術館に家族で行ってきました。 他の用事を兼ねていたので、車で出かけました。 中央道から首都高、常磐道と抜けて水戸まで。 スピード控え目で、途中SAに寄ったりもしたのですが、3時間くらいで到着しました。 茨城県近代美術館に立ち寄った目...
【穏やかに暮らすために】選挙のたびに思う 税金の使い道を指定できないか
選挙での投票は、はっきりと民意を示す方法だとは思います。 しかし、選挙での投票だけで民意がしっかりと示されたとは言い切れないかも。 不満なら投票に行けばいいじゃない、と言われるかもしれません。 しかし、しっかりと投票に行っても、それだけで自分の意志が伝わっていると...
【昭和の名曲、名盤】増田俊朗 「GOOD BYE」 追い求めたロックの真髄
増田俊朗さんの「GOOD BYE」、何度も繰り返し聴きました。名曲揃いです。 今でも、時々「昼も夜も」のメロディーや歌詞が、増田俊朗さんの声で頭の中を流れていきます。 「本当の意味もわからないくせに、気安く自由なんていわないでくれ」 今でも、その通りだよなあ、なん...
【読書記録】浅田次郎 「黒書院の六兵衛」 なにもかもが中途半端な、片付かない時代に
コロナがなかなか終息しません。多大な税金をかけて対策をしていますが、その効果を検証することなく、新たな予算が立てられ、それが使われていっているように思えます。 ロシアが始めた戦争も、終わり方が見えません。戦争を始める前に、どのようになったら戦争をやめるのか、その見通...
【歴史と古典】「坂東」、「武蔵」、「相模」という呼び方はどこからきたか
平治物語絵巻断簡より「東国へ落ちゆく義朝の一行」 関東地方に住んでいると、坂東、武蔵、相模という呼び方を耳にしますね。 これらがなにに由来するものか、ご存じでしょうか。 「坂東」(ばんどう)の呼び方の由来 坂東は「坂よりも東」の意味であることは、すぐにわ...
【ブログ】ヨーロッパの家 日本の家 メンテナンスについて思うこと
バルセロナのサグラダファミリアの塔から撮影した街は、どこまでも石と煉瓦と瓦で出来ていた。 建物自体は100年以上使われているものが多いのだろう。 そもそもこの写真を撮影したサグラダファミリアは着工が1882年というから、100年経ってもまだ出来ていない。 完成後も使...
2年半のタイ駐在を終えて帰国したのは2012年の梅雨時期。タイでは雨季の曇りがちの天気が続いていたが、日本は梅雨空で気温は低めだった。 タイではホテルが提供していたサービスアパートメントを利用していた。広めのゆとりのある部屋だったが、収納が少なかったので、日本からはあまりもの...
【北海道のこと】アイヌ語由来の地名を最初に網羅的に研究した人って誰?
北海道大百科事典 北海道新聞社 昭和56年 より 興部は「オコッペ」、秩父別は「チップベツ」。 読めますか? 漢字を見ただけでは通常は読めませんよね。 読みにくい理由があります。 それは、これらの地名がアイヌ語の音を漢字にしているから。 このような地名は、アイヌ語が...
【海外出張のこと】スペイン カステジョン 2012年冬 石と煉瓦の街並み
スペインに初めて行ったのは、2001年の10月頃。アメリカでの大規模なテロがあった少し後のこと。 イタリアまでは会社の他の部署の人たち数人と一緒だった。ラベンナにある会社を訪問した後、一人でスペインに移動した。 一人で移動していたためか、スペインの空港で何度か警備員に声をか...
唐の時代の禅僧臨済の語録「臨済録」は、弟子の慧然が記録したものをまとめたのが始まりです。 その後、他の文献などからいくつかの文章が補われ、現在の「臨済録」の形になっています。 本ブログのページに掲載しているのは、宋代になって円覚宗演が重刊したものをベースにしています。 「...
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川崎市麻生区黒川の里山地区にあるひまわり畑のひまわり、咲き始めています。 里山に散策に来られた方、あるいはセレサモスで新鮮野菜をお買い物に来られた方、ぜひちょっとだけ足をのばしてお立ち寄りください。
日頃お散歩している道の脇や路面に、サインのようなものが出現しました。 町内会で発信されている「不審者情報」では、数人の「アジア系?」の人たちが書いていたということですが、さて、真相はどうでしょうか。
現時点で、週に2回出社していますが、その出社日はとても疲れます。コロナが始まる前よりも遅い時間に出社し、早い時間に帰宅しているのですが、翌朝は身体に重い疲労が残っています。 ずいぶんと体力が落ちてしまっている感じです。以前と持ち物の種類も量も同じはずなのですが、カバンがとても重たく感じます。コロナ
出社当番の日は、まずテレワークの日と同じ時間に、自宅で仕事を始めます。そしてラッシュの時間帯を避けて出社しています。今は、大体お昼休みを使って会社に移動するような形になっています。 それで、朝の混雑した時間帯の電車での移動がなくなっています。これは心身ともにとても楽です。
こんにちは、暖淡堂です。 今年もそろそろ梅雨入りしそうですね。 雨が降ると、電車でのお出かけがちょっと面倒になります。 そんな時、ちょっと立ち寄って気分転換ができる本屋さんがあるといいですよね。 今回は多摩丘陵地区の小田急沿線に暮らしていて、普段から便利だなと感じている書店3店...
小田急多摩線で新百合ヶ丘から3つ目の駅は黒川駅である。そして、2つ目の急行通過駅でもある。多摩丘陵の散策のための入り口なのに、急行は通過してしまう。 きっと、里山を散策する人には、各駅停車を利用するような落ち着いた心を持ってもらいたい。そんな小田急電鉄の計らいがあるのだ...
こんにちは、暖淡堂です。 以下のようなニュースがありました。 平均寿命 川崎市麻生区が男女とも全国最長 厚労省調査 川崎市麻生区は多摩丘陵地区の一画。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅を中心にした地域です。 ここに住んでいる人の平均寿命が全国一位だ...
こんにちは、暖淡堂です。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅に隣接する書店三省堂について、以前記事にしました。 この三省堂について、改めて思うことがあります。その辺り、書いてみようと思います。 入り口がわかりにくい 上の写真を見ていただければわかりますが、三省...
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
休日のお出かけ先は決まりましたか? ご家族連れで、車でのお出かけを計画されているのであれば、山口県がお勧めです。見どころが多いことに加え、道路が整備されていてとても走りやすくなっています。 山口宇部空港にはレンタカー各社があり、空港ビルからほんの少し歩いただけで車に乗ることができ...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
こんにちは、暖淡堂です。 今朝の里山は気温が下がりました。肌寒いというより、ピリッとした寒さ、みたいな感じでした。 いつものように朝の散歩をしたのですが、今朝は青空の下に梨農園の梨の花がとても綺麗に見えました。梨の花は咲き始めていたのですが、今朝はとくに白さが鮮やか...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
こんにちは、暖淡堂です。 今朝の里山は気温が下がりました。肌寒いというより、ピリッとした寒さ、みたいな感じでした。 いつものように朝の散歩をしたのですが、今朝は青空の下に梨農園の梨の花がとても綺麗に見えました。梨の花は咲き始めていたのですが、今朝はとくに白さが鮮やか...
こんにちは、暖淡堂です。 毎朝のルーチンにしているお散歩で目にする風景が、日々変わっています。このところあちらこちらで目にしていた菜の花ですが、この週末に急に伸びていました。 黄色い花がたくさん咲いていて、とても春らしい様子で好きですね。周囲の畑の土も、日中は陽射しに...
祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 ...
葬儀が終わると、遠くから来ていた親戚は、一度我が家に移動しました。 簡単な食事をして、お酒を飲む人たちは改めて飲み直しました。 それから帰る人と、そのまま家に泊まる人に別れて、家に泊まることになった人たちはさらに飲み続けました。 雨は止んでいましたが、空は暗かった...
栗平は小田急多摩線一つ目の急行停車駅 小田急多摩線の最初の急行停車駅は栗平である。各駅の電車しか停まらない五月台も、引け目を感じる必要はない。あこがれの新百合ヶ丘から一つ目の停車駅であることは変わらないのだ。 むしろ各駅停車に乗った場合は、栗平は新百合ヶ丘から二つ目の駅。五月台...
通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。 生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。 曹洞宗なので、おそらく般若心経も唱えられていたのでしょうね。 「ギャーテイギャーテイ」と言っていたような気もします。 当時は、お経の意味はもちろん解らず、すぐに飽きてしまい...
祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。 特に 鳴家 やなり に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。 「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いくつかのエピソードがあ...
最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものがあるのだと、なんとなく...
夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。 祖母は祖父の枕元に...
入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。 あ...
多摩丘陵にははるか昔から人が住んでいる。縄文時代から住んでいるのだ。 遺跡、史跡もたくさんある。歴史好きにはたまらない。 面白い地名もある。意味がわかりそうでわからないものもある。 例えば五月台駅から歩いて行ける地域の地名、五力田(ごりきだ)がそうである。 なんだ、五力田とは。...
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やって...
学校には図書室という部屋があって、たくさんの本が並べられているということを知りました。 それ以来、図書室は学校の中での一番のお気に入りの場所になりました。 小学校は木造の校舎で、炭鉱での採掘が盛んだった頃に建てられていたもので、とても大きな建物でした。 職員室のある...
いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (...
多摩丘陵では自然が多い。里山暮らしも可能である。五月台は新百合ヶ丘の一つ隣の駅。憧れの新百合ヶ丘に近い。小田急多摩線で、たったの一駅しか離れていないのだ。 しかし、そこはもう多摩丘陵。小田急多摩線はしばらく尾根伝い、あるいは尾根の近傍を走る。尾根周辺の平らな部分に線路を敷いてい...
小田急多摩線沿線の住宅街からは多くの人が都内都心部に向けて出勤している。出勤する人たちを停車駅ごとに吸い込んでいくので、電車は、新百合ヶ丘駅に辿り着くまでの間、太り続ける。 出勤は新百合ヶ丘で終わりではない。その先もまだまだ続く。多摩川を渡っても、新宿に着いても、さらに先に...
ついに小学校の入学式の日が来てしまいました。 朝から小雪の舞う、寒い日でした。 小学校には母親と二人で出かけました。 雪解けの水で、道はぬかるんでいました。 半ズボンの下にはいた白いタイツに泥水が跳ねたのを、母親は気にしていました。 入学式が終わって、家に帰って...