自らの出自やルーツを把握するという試みは、「自分はどこから来たのか?」という問いが個人のアイデンティティ形成にとって極めて重要だからです。 米国では、系譜学として体系づけられた学問になっていると聞きます。日本は、単一民族国家であり、戸籍制
ご高齢の親御様への介護は心を強く逞しくする道徳です。
実母・要介護3。岳父・要介護4。岳母・要介護3。10年以上に渡り、親の在宅介護に全ての力を尽くし、最期を看取りました。親御様の在宅介護で、今を頑張る貴方へのエールをポストしています。
高齢になれば、身体は弱くなります。 しかし、強くなるところを見落としてしまっています。 それは、心です。 それを清らかにして静かに虐待に対処していきます。 年老いた親御様が子から虐待を受ければ、落胆するはずです。 でも、それでは心が清らか
介護保険制度は家族であれば誰でも申請できてしまうのが大問題です。 家族の中に悪意のある人間がいないとでも思っているのでしょうか? でも、いるんですよ、それが。それが判らないから親バカといわれるのです。親は子供を信じてやるのが仕事かもしれま
命に別状なく、重大な疾患なく退院できた母は、当時の生活環境にケジメをつけて私との生活を希望します。 どのご家庭でも同じですが、親子の関係でも良い時期があったり、悪い時期があるものです。 母と私の関係でも振り返ればいろいろありました。 しか
日本中に東日本大震災の影響が残る最中なの正月に母は救急搬送され入院しました。 それ以前から、母の生活に危機が迫る足音は聞こえていました。 母とは電話でよく話をし、また私の事務所にもよく立ち寄ってくれましたから。 しかし我慢強かった母も、こ
いま振返れば、あの時がターニング・ポイントいうご経験は多いはず。 そんなターニング・ポイントは決して喜ばしいこととは無縁です。 東日本大震災をきっかけに、東京でも震災の影響は色濃く、人々の心理に影を落としていた頃です。 水道水の放射
初めての介護。 あなたにとって、どのような経験を思い出しますか? 私にとって初めての介護は、私の実の母親が、母にとっては義理の父親にあたる私の祖父を介護している姿でした。 まだ私が小学生だった頃です。 今でいう認知症ですが、当時はそのよう
さて、私にとって三度目となった岳母の介護ですが、集大成といえる取組となったのはマインドフルネスの導入です。 岳母と気づきの実践を日常に取り入れることで、認知症への恐れはなくなりました。 認知症を患った親御様の介護をした経験のある人なら判り
家庭を築くというと、ご夫婦が子供を育てるイメージが一般的です。 しかし、年老いた親御様の在宅介護では、そのイメージとは異なります。 高齢の親と子で力を合わせて、新たな家庭を築いていくイメージが必須です。 しかし、その創造性が欠如しているの
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自らの出自やルーツを把握するという試みは、「自分はどこから来たのか?」という問いが個人のアイデンティティ形成にとって極めて重要だからです。 米国では、系譜学として体系づけられた学問になっていると聞きます。日本は、単一民族国家であり、戸籍制
私が実践してきた認知症症状を表面化させない取組で、ポイントを一つご紹介したいと思います。それが、集中力です。 認知症を患っていなくても、集中力の有無は、仕事でもなんでも結果を左右しますよね!認知症症状を表面化させない取組でも、集中力はとて
年老いた親御様の在宅介護は投資です。 そのように聞いて、その通り!とおっしゃってくださる方は極めて少数派化もしれません。そもそも何のリターンが期待できるのか?現実的に期待値が無いのですから、在宅介護が投資だなんて戯言でしか聞こえないでしょ
認知症症状を表面化させない介護を実践していると、実母が認知症を患っているというのは判りにくくなります。ある日、月に一回のケアマネージャーの訪問で、担当のケアマネさんから言われたことがあります。 『この分でいくと、次の介護認定は要介護1にな
もし、この記事を読んでくださるあなたが、年老いた親御様であるなら。もしくは、認知症の親御様に日々、心を通わせられる子の立場にあるなら、ぜひ、知って欲しいのです。 たとえ、認知症を患っても、可能なところで勝負します。不可能なところは捨てます
認知症と投資を掛け合わせた情報提供は、おそらくこのウエブサイトだけかもしれません。 なぜなら、認知症症状を表面化させない取組には、とりもなおざず投資家スピリッツが欠かせません。 年老いた親御様の在宅介護に取組むにあたって、未だ世の中の情報
ご自身の親御様の在宅介護は、大変ですか?私は大変でした。在宅介護が始まった当初は、どうしたらよいものかと悩みました。 しかし、親の介護のせいで自分が犠牲になっているとは思いませんでした。自分の人生が、親の介護のせいで悲惨なものになっている
認知症を患うとこの世の終わりだ!みたいな先入観はまずおやめになったほうが賢明です。 認知症にも種類があるので全てに当てはまるわけではありませんが、認知症を患った親を介護してみると最初に直面するのは、日によって状態が大きく異なるのに気づくは
私は、認知症に罹患しません。さて、そう言い切れる人は、いらっしゃるでしょうか?もちろん、将来のことですから、そのような保証はありません。もし、私が認知症に罹患したら大いに笑ってやってください。 しかしながら、認知症に罹患してもしなくても、
コミュニケーションは、相手が居て成り立ちます。当たり前ですね。 では、この当たり前に対してどの程度の深みがあるでしょうか?問題はここです。 その深みは、相手への尊敬と興味を持つのが条件です。これも当たり前だと思うかもしれません。 しかし、
認知症を患って要介護3と聞くと、どのようなイメージを持ちますか? 老後に一人で暮らすのは、ちょっと難しいかもしれません。なので、年老いた親御様を在宅で介護するようになります。 しかしながら、コミュニケーションが取れなくなるかといえば、十二
東京では、桜が満開に近いようです。 お住いの地域では、いかがでしょうか。 毎年、桜の開花を聞くと、母を連れてお花見に出かけていきました。 最期を迎えた春は、車いすに乗ってもらい、連れていきました。 アイキャッチの写真は、その後ろ姿です。 一
在宅介護の真っ最中は、その日を乗り切っていくのに全力投球になります。 そのため、昨日を振返る、1週間前を振返る、そのような余裕はありません。 私が、回顧録として介護経験をまとめているのは、一つの出来事をキチンと振り返ることのできる、そのメ
犯罪が最も多い人間関係をご存じですか? それは、夫婦間であったり、家族間、親族間の人間関係です。 ニュースで報じられる犯罪は、これまで例が無かった事件や、残虐性がクローズアップされるので、どうしてもそのような犯罪が多いように思ってしまいが
いつもアップロードする記事とは趣を変え、母と私がお世話になり、とても素晴らしいと感じたデイサービス施設、その取組をご紹介しましょう。 まず最初に紹介するのは、回転ずしに連れて行ってくれたことでした。 もちろん、費用は家族が負担しますが
ご長寿の方が利用されるデイサービスの一日は、およそパターン化されています。 最初の頃は、新しいお友達もでき、また旧友に再会できるなど、新鮮さはありました。 しかしながら、その新鮮さも徐々に薄れていきます。ある程度の施設規模だと数十人の利用
今、あなたが40代でも、50代、60代でも構いません。おそらく求めているものは、似たり寄ったりかもしれませんね。 家族が健康で、幸せで、元気で、いじめにあったりせず、無難に勤めて、それなりに結婚して、マイホームがあって、さらには孫もできて
明日、亡くなるかもしれない。 大切な人とのお別れは、必ずやってきますがこの感覚を切実に持ち合わせている人は非常に少ないし、言われてもピンとこないはずです。当たり前ですが、多くの人にとって、自ら死さえ誰かの遠い未来のイベントぐらいにしか思え
先日、あるYoutuberの方が介護施設での散髪サービスについて話をしてくれました。 さもありなん的な話だったのですが、その原因のひとつとして、認知症になってしまえば、髪型なんて気にもならなくなると思っていませんか? もし、そう思っていれ
この季節にあった記事を投稿します。 東京では梅が咲き誇る時期になりました。 寒波が来ていたので、見ごろを楽しめる時期が延びているかもしれませんね。 母の在宅介護が始まってから後は、毎年、母を梅園に連れていきました。 その時は、たわいもない話
晩年に湧き出る問題や課題の数々。 感じていらっしゃる方も多いです。 その問題や課題を解決するコツは、どうにかしようと思うのではなく、手放す。 晩年になって学び、気がつかなくてはいけないのは、どうにかできる現実など一つも無いという事実の発見
書籍紹介 書籍名:無常の見方・苦の見方・無我の見方 著 者:アルボムッレ・スマナサーラ 出版社:サンガ新社 読ませてもらって 以前より、サンガ出版より出版されていたこの三冊。 サンガ新社に出版社が生まれ変わり、表装も新たに読みやすい書籍の大
『認知症? おそらく罹患しないでしょうね。』 最近の私の口癖に近いものがありますが、認知症の話題になると誰に限らずこのように答えます。 驚かれますが、その理由を次の記事を持ち出し、解説すると納得してくれる人も多いように見受けます。 三度
岳母の在宅介護では、≪ 介護を必要としない介護 ≫を目指しました。 具体的には、まず認知症に罹患しない、させない。これが生活のクオリティ(品質)を守り、高める目標です。 この目標から次の行動が派生します。 介護サービスは利用しない。 当た
在宅介護は、トップに立つための必須科目であり、もし、トップの立場を預かるならば必ず経験しなくてはいけません。 なぜか? 逆説的に考えてみましょう。 本能という言葉があります。 ライオンや、トラといった動物を想像すると判りやすいですね。 自
品質保証、品質管理をご存じでしょうか? モノ作り、アプリケーション・ソフト、各種サービスを世の中に提供するにあたって、誰もがそのモノや、サービスを安全に、そして安心して使えるようにする取り組みです。 企業の品質にかかる組織部門は地味ですが
認知症さえ遠ざければ、在宅介護ははるかに楽になります。 例えば、癌に罹患したとして、認知症がなければその治療へのアプローチに専念ができます。 一方で、認知症を抱えた親御様が、さらに癌に罹患したとなると外科的手術、放射線治療、化学療法等々、
毎年10万人前後の人が介護離職をすると聞きます。 例えば東京都だと昭島市の人口が12万人弱です。 相当な人数です。 しかし、報道では未だにそれが問題だと報じられますが、違います。 年老いた親御様の在宅介護は能力が高くないとできません。 な
書籍紹介 書籍名:現代人のための瞑想法 著 者:アルボムッレ・スマナサーラ 出版社:サンガ新書 読ませてもらって 瞑想は、本来、宗教が何かを問いません。 ですから、信仰を問いません。 なぜなら、信仰など、その程度のレベルは全く関
脳の活性化? その取組で、認知症の改善や、それ以上進行させない効果が本当にあるのでしょうか? 脳を活性化すると称して、計算ドリル、塗り絵、穴埋め熟語、パズルといった小学校でやるようなペーパートレーニングをやらされるのが介護施設です。 そも
書籍紹介 書籍名:がんを治す心の力 著 者:アルボムッレ・スマナサーラ、小井戸 一光 司 会:石飛 道子 出版社:サンガ 読ませてもらって 心が物質を作る。 そして、心は時間と場所に律速されず、変化消滅し続ける現象でしかない。 これ
薬物中毒者も、認知症と似たような症状を呈すると聞きます。 当たり前ですが、脳が委縮するためです。 私は、実母の認知症の検査で、認知症によって脳が委縮しているというドクターの説明を聞いた時、薬物中毒者の脳の萎縮と何が違うのかと、非常に興味を
直近、前7回にわたって、認知症を軽く斬ってみました。 誰もが恐れる認知症ですが、恐れるに足らずなのも認知症です。 そもそも、誰もが正しく物事を、社会を、そして世界を見ていません。多くの人が主観ばかりなご高説をSNSで振りまきます。ちょっと
認知症を患った実母の在宅介護で、トイレ介助をさせて欲しいとお願いしたところが信頼関係を構築する上でのスタートです。 これは、単にメタファーです。というのも、例えば、二世帯住宅で長年、生活を営んでいても、トイレ介助は絶対にさせたくない、した
度あるごとに書きますが、認知症は何も判らなくなる病ではありません。 進行すれば、発語もできなくなり意思表示はできなくなりますが、心は正常に働いています。ただ、状況への理解が伴わず、心は不安が生起し、その不安にのまれます。 健常者としての私
認知症に罹患すると何も判らなくなると思われがちですが、違います。 もちろん、病は進行し、不可逆性ですから、快方にはむかいません。自分の子供の顔や名前すら判らなくなるといった状態にもなりますから、接したらもう何も判らない人だと思われるかもし
認知症に罹患すると、世間はその人を≪ 認知症を患った人 ≫とみなします。 ハッキリと申し上げましょう。 これ、≪ その人じゃない ≫、と言われているのと同じです。 認知症と言われる本人がどれだけ辛いか。 想像できますか? 認知症に限りませ
年老いた親御様の在宅介護で、特に親御様が認知症を患っているならば、決して蔑ろにしてはいけないのが親子の信頼関係です。 親子だからといって信頼関係が成立っているとは限りません。 例を挙げます。 もし、あなたが親の立場であるとき、子の前でパン
年老いた親御様が認知症を患い、その介護に献身的にあたっている人も多いことでしょう。 私も、認知症を患った実母の介護には、全ての力を使い切りました。そもそも認知症とは、何なのか。罹患した当初の実母に接した絶望にも似た感覚は、なんとも言えない
現代の高齢化社会で、年老いた親御様を介護するうえでもっとも警戒すべき病のひとつは認知症でしょう。 親御様が認知症を患うと、介護する子の負担は指数関数的に増加します。まず、目を離せなくなります。介護離職も余儀なくされるので、やむを得ず施設に