「奈良県」の一覧
前回からの続き雲海の向こう側にある積乱雲の影響で日の出の時間が遅れている。もうとっくに日が出ているはずの時間ですが、まだ太陽は顔を出しません。徐々に空が黄...
地域タグ:野迫川村
未明の野迫川村、真っ暗な大峯奥駈道の稜線が閃光で浮き上がる。積乱雲の中で発生した雷。雄大に流れる雲海を前景に雷で何度も稜線が光っていました。少し引いて撮影...
地域タグ:野迫川村
は、は、春ですよ〜 真白の世界が長かったから、今年は特に待ち遠しかった。。。 平地では桜だ、花見だとの声も聞かれるようになってきたが、山 の春はやっと幕開け。 山の春は「まんず咲く」のマンサクからはじまる。
地域タグ:野迫川村
昨年12月、北海道在住のブログのお友達から届いた荷物の中に 同梱されていたのがガンネ栗だった。 甘くて美味しいというその栗の、まずは大きさに唖然とした。 幾つかは埋めておいたら芽が出るかも、、、とのレクチャーに、 貴重な栗を食べられるものじゃない、勿体ない、と全部埋めて …
地域タグ:野迫川村
パセリの大束がとても安かったのでつい二束も買ってしまった。 私はパセリが大好きで、kiiさんが呆れかえるほどバクバク 食べる。 冬の間は結構高い値付けだったから、恨めし気に見ないふりをして いたのだが、一束税込み180円なら買いでしょ!? クレソンも大好きだ。 実はクレソンも二…
地域タグ:野迫川村
スーパーのコノミヤで、北海道産のコマイの一夜干しを見つけて 飛び上がった。 コマイは氷下魚と書く。 関西ではめったに見かけない魚種なのだ。 北海道に住んでいた頃はシーズンになるとコマイやキュウリ、 シシャモなど、いずれも子持ちのものがおやつだった。 (キュウリといっても、野菜のキュウリではない。魚のキュウリ である) シシャモは厚岸のものだったが、今では口にもできない高級品だ。 スルメやイクラ…
地域タグ:野迫川村
そろそろ外仕事に掛かれそうな気候になってきた。 3月の彼岸の頃や4月の初旬にも雪が降ったことがあるので、安心 はできないけれど。。。 降雪が厳しかったこの冬は、予定していた作業がまったくできず。 遅れに遅れてしまったけれど、手抜きしながらやるしかないか。 虫に食われて枯れてしまったクラブアップルと、思川桜の伐採。 思川桜は枯れかけたところや天狗巣病の気配がある部分を切り、 生かせるところを残…
地域タグ:野迫川村
前回、寄贈絵本を引き取りに来てくださった折に、学童保育用の本 のことが話題に出ていたので、それ用の児童書を選択する際に保育 所用の追加の絵本もピックアップした。 今回は絵本と児童書で185冊ほど。 保育所の先生と村の担当者の方たちが引き取りに来てくださった。
地域タグ:野迫川村
「久しぶりにカレーが食べたいなぁ」と買い込んできたスジ肉を 見ながらkiiさんが言う。 それも、最近の流行りのスパイスカレーは苦手だから、昔風の 日本のカレーが食べたいのだそうな。 私はスパイスカレーが結構好きなんだけれど。 スジ肉を下処理してコトコト煮てから、ゴロゴロ野菜を入れる。
地域タグ:野迫川村
晴れ待ちで、昨日は薪作りに精出していたkiiさん。 チェーンソーで玉切りをしている。 いつもなら割り役は私だが、今回はログ内の片づけをしているので kiiさんにお任せ。
地域タグ:野迫川村
定期検診や自治会の用件、確定申告などの諸々の所用を片付けて 昨日午後に山入りした。 あれほどあった雪が、日陰にわずかに残るのみだったのには吃驚。 流石、紀州の太陽は照ると威…
地域タグ:野迫川村
カツラの葉も山桜の葉もその色を楽しむ間もなく、アッという間に 落ちてしまった。 庭はすっかり、秋というよりも晩秋の佇まい。 葉が一枚落ち二枚落ちする様子には少々もの思わせられたり、その 音に吃驚させられたり。。。 落葉樹が多い山の庭はだんだんに、前面道路から丸見えの頼りなさ になる。 …
地域タグ:野迫川村
野迫川村 雲海今回は、野迫村に初めて雲海を見に行った際のブログを書いてみました。知人から奈良で雲海が見れるという話があり、早速調べてみると・・・・なんと!! 雲海出現率83%これは行くしかない♪( ´▽`)夕方に大阪市内から出発し、朝の雲海
地域タグ:野迫川村
新月の夜、我々は天の川を求めて鶴姫公園に向かいました。しかし、霧が立ち込め、視界はほとんどありませんでした。それでも、我々は諦めず、1km北に戻った地点で、ついに星空観測に成功しました。この記事では、その冒険の詳細を紹介します。
地域タグ:野迫川村
高野山「奥之院」のさらに山奥に位置する秘境、奥高野。ここに野迫川(のせがわ)という村がある。この村のさらに外れ、池津川と呼ばれる地区は世帯数16世帯、総人口数はわずか25人※1という人口減少が特に激しい僻地である。ここに、古い木造の小学校が建っている。 ここであえて「廃校」と言わなかったのは、あくまでもまだ休校扱いだからだ。休校年は昭和54年(1979)。休校間際の昭和51年度(1976)の時点で、生徒数は全...
地域タグ:野迫川村