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#蔦重
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重三はわっちにとって光でありんした
* 重三はわっちにとって光でありんした __ ・「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」13話 瀬以(小芝風花)の心の中にいる蔦重(横浜流星)に嫉妬の炎を燃やす鳥山検校(市原隼人)。「骨の髄まで女郎だな」と罵ると、瀬以は「仰せの通りにござりんす」 と胸のうちを打ち明けるシーンがありま...
2025/04/01 13:59
蔦重
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田沼意次ゆかりの牧之原の城下町(4)仙台河岸
牧之原市の文化財に指定されて仙台河岸は、相良城の外堀に位置し、城内と海を結ぶ船着場だったと考えられています。相良城築城の際、仙台藩主・伊達重村が石垣用材を寄進してつくられたことから、「仙台河岸」といわれています。相良城は、相良を流れる萩間川河口の右岸にあった近世城郭で、東西500メートル、南北450メートルの広さがありました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします...
2025/03/31 21:39
大河ドラマ「べらぼう」~特別解説編‐8
…
2025/03/31 08:10
田沼意次ゆかりの牧之原の城下町(3)田沼街道
大和神社(おおわじんじゃ)の前に田沼街道の起点の碑があります。田沼街道は、東海道の藤枝宿と相良城を結ぶ約7里(約28 km)の街道のことで、別名「相良街道」と呼ばれています。相良城主となった田沼意次は、、相良城から東海道藤枝宿まで、既存の下街道や浜街道をもとに拡幅改修して整備しました。道は古い時代から存在していましたが、地域の流通を活性化させた意次を慕う街道沿いの人々が、この道は意次がつくった道だと思い込...
2025/03/30 20:47
田沼意次ゆかりの牧之原の城下町(2)相良城二の丸の松
相良城の遺構を訪ねて行きました。現在、相良城二の丸跡には、相良小学校が建っています。相良城二の丸の松は、相良城二の丸跡の土塁に生育しているクロマツで、相良小学校の南端とグランドに10本あり、市の天然記念物に指定されています。牧之原市のHPによると、田沼意次が失脚すると、天明8(1788)年に幕府の命令で相良城が取り壊されました。マツの生えている土塁は、この頃のものと推定されています。にほんブログ村 歴史ブ...
2025/03/29 21:21
田沼意次ゆかりの牧之原の城下町(1)田沼意次像
昨年の秋、田沼意次ゆかりの静岡県牧之原市をまわってきました。牧之原資料館を目指す道中、田沼意次がデザインされたマンホールを見つけました。田沼意次のマンホール2019年の田沼意次生誕300年を記念して、旧城下町相良の本通り「新町通り」に設置されました。意次を中心に、大江八幡宮の御船神事、般若寺の陣太鼓、茶畑、あじさいがデザインされています。田沼意次候の城下町「時計台」田沼意次が遠州相良藩主を務めている時代...
2025/03/28 21:39
真田広之さん主演 映画【写楽】配信はどこで見れる?
1995年公開、真田広之さんが主人公・東洲斎写楽を演じ、フランキー堺さんが蔦屋重三郎を演じた映画『写楽』について・みどころやキャストを知りたい!・どこで見れる? 視聴方法を知りたい!・大河ドラマ『べらぼう』との見比べは?・写楽の浮世絵はどん...
2025/03/28 12:27
平賀源内ゆかりのさぬき市志度(3)平賀源内の墓
86番札所 志度寺に隣接して、志度寺の塔頭である自性院常楽寺があります。平賀家が自性院の檀家であるあることから、仁王門前の自性院北正門から入ってすぐ南側に、平賀源内のお墓があります。安永8年(1779年)大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。享年52。(Wikipediaより)(画像:めりい)微雲窟...
2025/03/27 22:42
平賀源内ゆかりのさぬき市志度(2)平賀源内旧邸
別館には、旧邸・銅像・薬草園などがあります。平賀源内旧邸平賀源内先生は江戸へ出る前即ち宝暦四年、平賀家の家督を妹里与の婿養子権太夫(ごんだゆう)に譲り、一生を独身で過ごした。生家は権太夫の孫松三郎によって文久2年(1862)に建て替えられ、現在に到っています。当時は銅像敷地まで本座敷のある構えでしたが、昭和9年(1934)銅像建設のため切り取られ、昭和42年(1967)旧邸内部に遺品陳列館を開設、平成12年(2000)に...
2025/03/26 21:42
平賀源内ゆかりのさぬき市志度(1)平賀源内記念館
香川県さぬき市志度は、江戸時代の鬼才といわれる平賀源内の生誕地です。歴女の友人が、先日讃岐を訪ねてきたと画像を送ってくれたので、その画像をお借りして記事にしてみました。平賀源内記念館は、平成21年3月、平賀源内遺品館を移転、名称を改め新装開館しました。記念館本館には、映像で紹介する「源内奇才劇場」や、ビックリ意外な交流や出来事を展示する「源内玉手箱」、「体験コーナー」などがあります。(画像:めりい)にほ...
2025/03/25 21:42
佐竹秋葉神社
佐竹商店街から佐竹秋葉神社へ。佐竹秋葉神社は、秋田佐竹藩上屋敷跡地に、明治22年に秋葉神社の分霊を勧請して創建されたと伝わっています。秋葉神社 略縁起 当神社は現在、火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を御祭 とすする秋葉山本宮秋葉神社 (静岡県浜松市)を御本社とする火防・火伏せお社であります。 御神徳は火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛...
2025/03/24 21:42
大河ドラマ「べらぼう」~特別解説編‐7
2025/03/24 05:55
佐竹商店街
東京都台東区に位置する佐竹商店街は、春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で、二番目に古い商店街といわれています。元々は秋田藩の江戸屋敷があった場所でしたが、1682年の火災で屋敷が消失。その後、町民によって復興され、見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が立ち並ぶ商店街へと発展しました。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地...
2025/03/23 20:41
べらぼう葛重栄華の夢噺‐12
~「俄なる『明月余情』」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
2025/03/23 19:23
平賀源内電気実験の地
平賀源内は、1761(宝暦11)年から深川清住町の自宅で、長崎で手に入れたオランダ製のエレキテル(静電気発生機)を修理して復元し、度々実験を行いました。江東区清澄の読売江東ビルの敷地に「平賀源内電気実験の地」の石碑が立っています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
2025/03/22 21:29
浅草神社
浅草神社は、浅草寺の境内にある神社で、三社権現、三社様とも呼ばれ、5月17日の三社祭で有名です。土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀しています。社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかり、物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音...
2025/03/21 22:27
浅草寺(3)ライトアップされた浅草寺
以下、ライトアップされた夜の浅草寺です。仲見世通りのお店は、閉店後もシャッターの絵を楽しめます。仁王像も迫力を増しますね。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
2025/03/20 22:06
浅草寺(2)
本堂昭和33年(1958)10月、全国ご信徒のお力添えにより再建された現本堂は、鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、昭和20年(1945)3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態である。 一見して感じる特徴は屋根の勾配が非常に急で、従って棟が他寺院と比較してすこぶる高く、相当遠方からでも望見できる。 お堂は南に面し、350坪の堂内は畳敷の内陣、コンクリート敷の外陣...
2025/03/19 21:07
浅草寺(1)雷門~五重塔
東京浅草の浅草寺の総門である雷門、最初の門は平公雅(たいらのきんまさ)によって42年(天慶5)に建てられました。雷門(風雷神門)表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。慶応元年(1865年)に焼失後は仮設の門が時折建てられていたが、1960年(昭和35年)に常設の門が鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・...
2025/03/18 22:43
日光社参と日光東照宮(2)
いよいよ日光東照宮の核心地といえる奥社へと進みます。坂下門から207段の階段を登らなければなりません。それくらい・・・と思っていたのですが、ここへ来るまでに既に結構歩いていたので、足がへとへと(汗)それでも小学生を追い越しながら駆け上がりました!やっと到着!ここが徳川家康の神柩である奥宮御宝塔です。江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は...
2025/03/17 21:30
大河ドラマ「べらぼう」
~特別解説編‐6
2025/03/17 13:10
日光社参と日光東照宮(1)
江戸幕府の将軍あるいは大御所・大納言(将軍嫡子)が、東照大権現(徳川家康)を祀る日光東照宮へ参拝する日光社参は、江戸時代を通じて合計19回実施されました。特に徳川家光は、その数10回と歴代将軍の中で最多でした。将軍の日光社参には大名や旗本をはじめ、莫大な数の人馬が供奉し、安永5年(1776年)の10代徳川家治の社参では、行列の先頭が日光にあるとき、最後尾はまだ江戸にあったとも言われているほどの規模で、莫大な...
2025/03/16 21:18
べらぼう葛重栄華の夢噺‐11
~「富本 仁義の馬面」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
2025/03/16 19:33
かたじけ茄子 /べらぼう
*一度しか会ったことのない蔦重を、田沼意次は覚えていたんだね。 意次「お前、ありがた山か?」 蔦重「覚えていてくださって、それは、かたじけ茄子 🍆 」 身請けが決まった瀬川(小芝風花)の最後となる吉原花魁道中に合わせ、錦絵本を作ることになった蔦重(横浜流星)。本の箔をつ...
2025/03/16 13:47
べらぼう色溢れる浅草の町
浅草の伝法院通りには、浅草らしいお店や看板がいっぱい!白波五人男や鼠男など、町のあちこちに潜んでいます。屋根の上にもこの通り!また、「べらぼう」のPRの幟も発見!マスコットキャラクターのつたいやん蔦屋と台東区と「伝える」を合わせた名前で、蔦屋重三郎をイメージさせる空飛ぶ黄表紙に乗り、桜のピンクと隅田川の水色と黄表紙の黄色で構成しているとのこと。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
2025/03/15 21:47
長谷川平蔵の旧邸
墨田区の五柱稲荷神社の近くに「長谷川平蔵の旧邸」の案内板があります。付け火が元の明和9年(1772)の目黒行人坂の大火は、明暦の大火に次ぐものでしたが、その下手人を捕らえたのが、長谷川平蔵宣以の実父・長谷川平蔵宣雄です。この手柄で、同年秋に京都町奉行に出世しましたが、翌年の安永2年(1773)に客死していまい、家督を継いだ平蔵宣以は天明7年(1787)、42歳の時に火付盗賊改方の長官に就任。京都へ家族で移るまで住...
2025/03/14 21:38
長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡
長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡のモニュメンが、都営新宿線菊川駅からほど近い丸山歯科医院の前に建っています。この場所が、邸の東端にあたるそうです。長谷川平蔵は明和元年(1764)父の屋敷替えによって築地からこの地に移り住みました。当時の敷地面積は1,238坪(4,085)におよんだと言われています。平蔵は、寛政7年(1795)にこの地で亡くなり、後に屋敷替えとなって代わりに入ってきたのが、遠山金四郎でした。また、菊川駅の...
2025/03/13 22:09
沖田総司の終焉の地「今戸神社」
東京の台東区今戸の今戸神社は、康平六年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれています。また1081年(永保元年)にも清原武衡・家衡討伐の際、戦勝祈願をしたといわれています。幾度か戦乱や火災に見舞われましたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものです。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八...
2025/03/12 21:18
島原を歩いて(5)大銀杏
歌舞練場跡記念碑から島原住吉神社へと向かうと、大銀杏が見えてきます。島原住吉神社の旧境内地北端に植わっていたこの大銀杏は、明治維新後の廃仏毀釈により、社格株のない住吉神社が廃社になるも、神木として遺された。その後明治36年(1903)に神社は再興されたが、境内がこの大銀杏のところまで拡大されるには至らなかった。 昭和5年(1930)にこの樹の根元に弁財天が祀られることにより、さらに神木として崇められ、今で...
2025/03/11 21:42
島原を歩いて(4)島原歌舞練場跡
輪違屋から歩いてすぐのところに、島原歌舞練場跡の碑があります。島原歌舞練場は、1873年(明治6年)の開設当初は島原女紅場といい、青柳踊や温習会が上演されていました。1927年(昭和2年)に新築移転、島原の衰退により1996年(平成8年)に解体されました。歌舞練場跡碑島原歌舞練場は、明治6年(1873)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同14年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その...
2025/03/10 21:45
~特別解説編‐5
2025/03/10 07:39
べらぼう葛重栄華の夢噺‐10
~「青楼美人の見る夢」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
2025/03/09 21:09
島原を歩いて(3)輪違屋
島原で、現在も唯一営業を続ける「輪違屋」は、元禄年間(1688~1704)に創業。島原太夫を抱える置屋兼お茶屋として、置屋として創業当時の名は「養花楼」でした。お茶屋兼業は明治5年(1872年)より始まり、現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたもので、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となったそうです。かつては芸妓等も抱えていましたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれてい...
2025/03/09 20:59
島原を歩いて(1)島原大門
島原大門は、京都の花街である島原の東入口にあたる大門で、京都市の登録有形文化財として登録されています。島原は寛永17年(1640年)または寛永18年(1641年)六条三筋町から移転した日本初の幕府公認の遊女街。当初は東側の大門のみであったが、享保17年(1732年)に西門が設置された。大門は明和3年(1767年)に現在地に付け替えられ、慶応3年(1867年)に現在の門が建てられた。周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初...
2025/03/07 21:33
人形町の西郷隆盛屋敷跡
現在、人形町の魚久本店~日本橋小学校のあるこのあたりは、江戸時代末期、姫路の殿様、酒井氏の屋敷がありました。そして、明治の初期、西郷隆盛が明治政府の参議となった頃、人形町から小網町、蛎殻町辺りに、西郷がおよそ二年間、書生15人、下男7人と住んでいました。魚久本店と日本橋小学校の前に説明板があります。魚久本店日本橋小学校西郷隆盛屋敷跡 明治初め、この地域には明治維新の元勲西郷隆盛(1827~1877)の屋敷が...
2025/03/06 22:15
人形町の玄冶店(げんやだな)跡
人形町通り沿いにある玄冶店跡の碑玄冶店(げんやだな)の地名は、江戸時代、ここの医者岡本玄冶が住んだことに由来し、日本橋界隈の古くからの地名もしくは通りの名です。歌舞伎『与話情浮名横櫛』の源氏店のモデルとなりました。江戸時代の新和泉町、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたりである。天保のころ、歌川国芳が玄冶店に住んでいた。岡本玄冶徳川家の御典医であった岡本玄冶の拝領屋敷跡一帯を指した。玄冶は3代...
2025/03/05 21:38
人形町の末廣神社
人形町にある末廣神社は、吉原遊郭の跡地にあり宇賀之美多摩命や武甕槌命を祀る神社です。かつては元吉原で鎮守として信仰されていました。1657年の明暦の大火で吉原が移転した後も、難波町、高砂町、住吉町、新和泉町の4町の産土神として信仰されました。現在の社殿は、昭和22年に再建(総檜造り)されたものです。 末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当初葭原と称した)がこの地にあった当時(元和三年から明暦三年まで)その...
2025/03/04 21:38
~特別解説編‐4
2025/03/04 09:11
人形町の由来
人形町通りの案内板を見ながら歩きました。人形町の由来現在の人形町交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街が在りました。 中村座と市村座の江戸二座では歌舞伎が上映され、また、見世物小屋をはじめ人形芝居の小屋が5,6軒あり、そのため、かなりの人形師がこの町に住んでいたので江戸時代より俗に人形町と呼ばれ親しまれてきました。江戸からの商業地 この地は往時武家地でしたが、近くを流れる日本橋川に通じる掘り割りが多く在り...
2025/03/03 21:40
「べらぼう」のロケ地めぐり(11)円覚寺 その弐
法堂跡法堂は、北条高時の時代、北条貞時の13回忌に当たる1323年(元亨3年)に建立されましたが、応安の大火で焼失してしまいました。方丈方丈の前には柏槇ビャクシンが植えられ、裏には、心字池のある美しい庭園が広がっています。百観音霊場の由来は、養老二年(718年)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代、観音信仰に篤かった源頼朝が開いた板東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十四観音霊場の総称と...
2025/03/02 21:03
「べらぼう」のロケ地めぐり(10)円覚寺
北鎌倉の円覚寺『べらぼう』のロケ地となっています。第一回の放送で、田沼意次の屋敷からの帰る蔦重が唐丸が歩く場面は、円覚寺の山門の下から撮影していたようです。円覚寺は、北条義時以来、北条得宗家領となった山内荘に、弘安5年(1282年)に鎌倉幕府8代執権・北条時宗が、元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した禅宗寺院です。。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護されました。JR北...
2025/03/01 21:47
べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館(5)仲ノ町ゾーン
続いて仲ノ町ゾーンを紹介します。かつては、吉原大門を潜った通りが「仲之町通り」という吉原遊郭の妓楼が立ち並ぶメインストリートでした。吉原の町を背景に、花魁の衣装が展示されています。花魁 おいらん江戸・吉原における上級遊女の別称。語源としては、遊女に従属する新造(しんぞう)や禿(かむろ)が姉女郎を「おいらがの(私の)」とよんだのがなまったとする説などがあるが、明らかではない。いずれにしても口語体から発生...
2025/02/28 21:44
瀧泉寺・目黒不動尊(2)徳川家光ゆかりの鷹居の松跡
では、目黒不動尊の本堂に向かいます。階段の脇には徳川家光ゆかりの「鷹居の松跡」があります。鷹居の松跡 鷹居の松跡 江戸幕府 3代将軍徳川家光 が寛永(1624~1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹 が行方不明になりました。家光が目黒不動別当の実栄という僧に祈らせたところ、鷹はたちまち境内の大きな松の枝に飛び戻ってきました。このことに家光は大いに喜び、この松を「鷹居の松」と命名したといわれています。 こ...
2025/02/24 20:49
瀧泉寺・目黒不動尊(1)
※「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」の記事の途中ですが、今晩の紀行に合わせて、「瀧泉寺・目黒不動尊」の記事を挟みます。東京都目黒区下目黒の瀧泉寺は、目黒不動尊として知られる天台宗のお寺です。黄表紙の作品のひとつ恋川春町の作・画の「金々先生栄花夢」の中に、目黒不動が登場します。金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)黄表紙。2巻2冊。恋川春町(こいかわはるまち)作・画。1775年(安永4)刊。「金々先生...
2025/02/23 20:49
べらぼう葛重栄華の夢噺‐8
~「逆襲の金久先生」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
2025/02/23 19:36
べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館(2)エントランス~べらぼう入門編
9Fでエレベーターを降りると、そこには江戸の街が広がっています。ドラマ館のエントランスには、『べらぼう』の大判メインビジュアルと横浜流星のメッセージ映像がお出迎え!『べらぼう』入門編では、蔦屋重三郎の衣装が展示されています。蔦屋重三郎の衣装出演者の紹介パネル語り/九郎助稲荷 綾瀬はるか蔦屋重三郎/横浜流星花の井/瀬川 小芝風花田沼意次/渡辺謙にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よ...
2025/02/21 21:14
べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館(1)べらぼうの世界観
今月2月1日に蔦屋重三郎ゆかりの地・台東区にオープンした「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のべらぼう江戸たいとう大河ドラマ館に出かけて来ました。場所は、東京メトロ銀座線浅草駅7番出口から徒歩5分の台東区民会館9階ホールにあります。エレベーターホールから、江戸情緒&べらぼうの世界観に浸れます。エレベーターもこの通り!会場の9Fへと上がって行きます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろし...
2025/02/20 22:46
大河ドラマ「べらぼう」~特別解説編‐1
2025/02/17 12:13
~「蔦重の誕生を考える」~「蔦重の誕生を考える」親…
2025/02/14 09:46
生活リズムが整いそうな「不定時法」
出かけた先の博物館で、子供の教材で、テレビで 立て続けに目にした「不定時法」 気になって考えてみたら、これが素晴らしかった! 日の出から日の入、日の入から日の出、それぞれを十二等分する。昼と夜で一
2025/02/11 17:07
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