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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

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西住りほ
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2022/07/12

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  • 廣慶寺(東京都町田市)を訪問しました

    三輪山 廣慶寺(→東京都町田市三輪町)は、戦国時代に本山であった青龍山 円福寺(→神奈川県川崎市高津区下作延7丁目)の2代住職の最安が創建したと伝わる曹洞宗の単立寺院です。『町田市史』によると創建時は田園の向谷戸にあったものを1804(文化4)年に現在地に移築したとあります。明治時代初期には薬師如来(→清浄院薬師像)が本尊でしたが、現在は「世継観音」と呼ばれる観音像に改められたようです。島慶寺は、江戸時代後期の1830(...

  • 高蔵寺(東京都町田市)を訪問しました

    見星山 三輪院 高蔵寺(→東京都町田市三輪町)は、「従来当時御朱印奉還之理由書」によると南北朝時代の1362(康安2)年4月に、鎌倉公方足利氏の祈願所として権大僧都法印定有(ごんのだいそうずほういんじょうゆう)よって開山された真言宗豊山派の寺院です。江戸時代には幕府より寺領11石5斗を拝領し、岡上山 東光院 宝積寺(→神奈川県川崎市麻生区岡上)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。また、近くの熊野神社と椙山神社の別当...

  • 高蔵寺地蔵堂(東京都町田市)を訪問しました

    高蔵寺地蔵堂(→東京都町田市三輪町)は、江戸時代中期の1733(享保18)年にこの地の領主であった旗本村上左衛門によって創建された善徳寺という真言宗豊山派寺院でしたが、1868(明治元)年に廃寺となり、現在は見星山 三輪院 高蔵寺(→東京都町田市三輪町)に合寺されました。ホームページでは「鶴川地蔵尊」の名で紹介されています。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡柚木領三輪村の条に記載は...

  • 琴平神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました③

    武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)の境内社である「福寿稲荷」は、江戸時代後期の1824(文政7)年に嬬恋稲荷総社(→群馬県、関東二十八カ国稲荷総社)から勧請したと伝わります。1846(弘化3)年に社殿を再建した際に「福寿稲荷大明神」と改称し、三座に稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神を祀ったといいます。琴平神社では稲荷社・多賀社・塩釜社の3社をまとめて「お多賀さん」と呼びならわし、「福寿稲荷」と書きあら...

  • 琴平神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁

    武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明で『新編武蔵風土記稿』にも記載がありませんが、社伝によると戦国時代の1570(元亀元)年頃には創建されていたといいます。江戸時代初期の王禅寺村は、2代将軍徳川秀忠の正室・崇源院(→お江の方)の化粧料となり、代官として大久保長安や神谷弥五郎らが治め、年貢は酒井讃岐守に納められました。琴平神社が建つ場所は、1711(正徳元)年以前は「伊勢山」と呼...

  • 比川社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    比川社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで神仏習合の頃は第六天社と呼ばれていました。1868(明治元)年神仏分離令を受け比川社と改称され、今日に至っているといいます。境内の石碑には、「當社(→当社)は武蔵国一之宮 埼玉県大宮市 旧官弊社大社氷川神社の御分霊を江戸時代の初期 王禅寺鎮守 産神五社 山王大権現 神明宮 稲荷宮 大六天宮 白山大権現の一社と...

  • 山王社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    山王社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、星宿山 王禅寺の鬼門除けに建立された社(やしろ)と伝わります。「さんのうしゃ」ではなく「さんおうしゃ」と読むようです。1868(明治元)年の神仏分離令以降は日枝神社とも呼ばれました。鳥居の近くには江戸時代の石造の馬頭観音や石仏群があり、神仏習合の頃の名残りが見られます。〖祭神〗・大山昨神(おおやまくいのかみ)...

  • 稲荷森稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    稲荷森稲荷社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、入口谷戸の鎮守であったと伝わります。川崎市によると江戸時代初期に久保倉氏(→現在の王禅寺町内会の会長)の先祖が村の安穏と五穀豊穣を祈るため京都伏見稲荷大社(→京都府京都市伏見区深草)から勧請したといいます。稲荷森稲荷社の近くに久保倉姓の住居がありましたので関係があるのでしょうか。神奈川県神社庁の管轄外の社(やしろ)の詳細は不明です...

  • 神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    神明社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、安土桃山時代に小田原北条氏の遺臣吉垣三十郎が創建したと伝わる旧王禅寺村鎮守五社(→神明社・白山社・稲荷森稲荷社・山王社・第六天社(比川社)の1つで、いずれも別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。1559(永禄2)年作成の『小田原衆所領役帳』によると、小田原北条氏の家臣布施蔵人佑(ふせくろうどのすけ)が82貫500文の知行で麻生郷の領主となりましたが、1590(天正18)年7月...

    地域タグ:麻生区

  • 御座松塚跡(東京都稲城市)を訪問しました

    御座松塚跡(→東京都稲城市平尾3丁目)には、1873(明治6)年に枯死するまで「御座の松」と呼ばれた大松が植えられていたといいます。ここは分倍河原に通じる鎌倉街道で、1333(元弘3)年5月15~16日の分倍河原・関戸合戦で新田義貞率いる討幕軍に敗れた幕府軍は、鎌倉への敗走の途上、ここ平尾でも討幕軍の追撃を受けました。隣接する麻生郷は鎌倉北条氏の一門(→金沢北条氏)の所領であったため、平尾郷民も幕府よりの者が多かったらしく...

    地域タグ:稲城市

  • 早野子ノ神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    早野子ノ神社(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、江戸時代の1703(元禄16)年9月26日に創建された神社で、別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。社殿は1734(享保19)年5月と1928(昭和3)年に再建されたようです。1921(大正10)年に国の一村一社政策を受け近くの稲荷社・浅間社が合祀されました。1928(昭和3)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうじんしゃ)となり、勅令に基づいて神奈川県知事から例祭などの神...

  • 籠口ノ池(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました。

    籠口ノ池(ろうぐちのいけ→神奈川県川崎市麻生区下麻生2丁目)は、「白龍伝説」と「白蛇伝説」を伝える溜池です。(1)討幕軍を呪った白蛇伝説鎌倉時代末期の1333(元弘3)5月15日~16日に、新田義貞・足利義詮(よしあきら→足利尊氏の嫡子)らの討幕軍は、分倍河原の戦い・関戸の戦い(→ともに東京都府中市)で北条泰家(→得宗北条高時の同母弟)が率いる幕府軍を破り、さらに本隊が鎌倉街道上ノ道を進み、平尾(→東京都稲城市)、金程(→神奈川...

    地域タグ:麻生区

  • 白山神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    白山神社(→神奈川県川崎市麻生区白山4丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代中期の1706(宝永3)年に王禅寺村絵図(→国絵図の一つ)に描かれているため、18世紀初頭には既に社殿が完成されていたことが分かります。江戸時代には別当寺を持たず、王禅寺村の鎮守として村が祭祀を司ったようです。現在の本殿と拝殿は幕末期の1850(嘉永3)年から1年間かけて造られたと記録にあり、向拝柱(ごはいばしら→賽銭箱の前方上のほう)な...

    地域タグ:麻生区

  • 真福寺跡(神奈川県川崎市麻生区)と柿生トンネル跡を訪問しました

    星光山 真福寺跡(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、明治時代初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく→仏教排斥運動)によって廃寺となった旧真言宗豊山派寺院の跡地です。神仏習合の頃は地域で最も歴史と格式のある星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→同)の末寺に属しました。真福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡王禅寺村の条に次のように記されています。*********************************王禅寺村真福...

  • 秋葉大権現(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    秋葉大権現(→神奈川県川崎市麻生区上麻生6丁目)は、麻生山 寿光院 浄慶寺にある神仏習合の名残りを偲ばせる境内社です。「秋葉宮」と掲げられた鳥居をくぐると徳川将軍家の菩提寺(→徳川家康の母・於大の方の墓所がある)の一つである無量山 小石川伝通院(→東京都文京区小石川)から移された一対の狛犬があります。参道脇には七福神の石像や浄慶寺の羅漢像があり、その時々の世相を反映した羅漢像でにぎわう「浄慶寺らしさ」も感じま...

  • 浄慶寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    麻生山 寿光院 浄慶寺(→神奈川県川崎市麻生区上麻生6丁目)は、安土桃山時代の1584(天正12)年に北条氏遺臣で徳川氏旗本となった三井左衛門尉(みついさえもんのじょう、法名寿光院清誉浄慶居士)が開基し、僧の証蓮社誠誉順阿長応が開山したと伝わる浄土宗寺院です。創建時の山号・院号は滝沢山 春林院であったと記されます。境内には神仏習合の名残りで秋葉大権現(秋葉神社)があり、一対の狛犬は徳川将軍家の菩提寺の一つである無量...

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